フエンテス作・木村榮一訳『アルテミオ・クルスの死』(岩波文庫)を読み終わった。
メキシコの大富豪,アルテミオ・クルスの臨終における独白と回想で構成されたおよそ500頁の長編小説。
未来のみを見つめ,激動の時代を乗り切ってきた成り上がり者にとって,未来を閉ざされた時に残ったのは,過去の記憶だけだった。
現在(アルテミオ・クルスの臨終)の様子を描くために,アルテミオ・クルス自身の独白,つまり一人称「わし」が用いられている。
そして回想シーンには三人称「彼」を使って,アルテミオ・クルスの言動が描かれている。
この2つの人称だけでも小説は成立すると思うが,これらに加えて,何者かがアルテミオ・クルスに語り掛ける形式,つまり二人称「お前」による叙述のパートが加わるのがこの小説の特異なところである。
二人称パートはかなり難解で手ごわいパートであるが,これが無ければ,この小説は重厚なものとはならなかっただろう。アルテミオ・クルスを「お前」と呼ぶ何者かは一体誰か?アルテミオ・クルス自身かもしれないが,アルテミオ・クルスが知らないようなことも知っているので,神の視点に立つ誰かかもしれない。
「お前」と呼ぶ何者かはアルテミオ・クルスの記憶をつないでいくナビゲーターのような役割をしていて,
- 1941年7月6日(23頁~),
- 1919年5月20日(52頁~),
- 1913年12月4日(94頁~),
- 1924年6月3日(137頁~),
- 1927年11月23日(191頁~),
- 1947年9月11日(227頁~),
- 1915年10月22日(261頁~),
- 1934年8月12日(325頁~),
- 1939年2月3日(355頁~),
- 1955年12月31日(390頁~),
- 1903年1月18日(438頁~),そして
- 1889年4月9日(489頁~)
の各エピソード(三人称パート)に読者とアルテミオ・クルスとを導いていく。
どのエピソードもそれだけで短編小説になりそうなものばかりで,本書はそういう素材を惜しげもなく使ったぜいたくな長編小説だといえる。
ちなみに1939年2月3日のエピソードだけは特殊で「彼」はアルテミオ・クルスではなくその息子,ロレンソを指す。ロレンソはアルテミオ・クルスの分身のようなものであり,アルテミオ・クルスが選ばなかった人生,海を越えてスペインに渡り義勇軍として斃れるという人生を選んだ。
老生が気に入っているエピソードは1947年9月11日と1955年12月31日のものである。栄華を極めたアルテミオ・クルスが老いていく様子が描かれていて諸行無常。
最後の1889年4月9日のエピソードはアルテミオ・クルス誕生の瞬間が描かれている。このエピソードを挟んで「わし」「お前」「彼」の3パートが目まぐるしく入れ替わり,死の瞬間へと収斂していく描写が見事である。
アルテミオ・クルスの誕生の瞬間と死の瞬間の接続は,宇宙の始まりと終わり,ビッグ・バンとビッグ・クランチとが同一の点であるという宇宙論を彷彿とさせる。