2019.02.19

ナタウット・プーンピリヤ監督『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』を見てきた

YCAMで『バッド・ジーニアス』を見てきた。2017年公開のタイ映画。

実に面白い。

STIC(国際的な大学入試テスト)でのカンニングを成功させようという,コミカル,スリリングかつスタイリッシュなクライム・ムービー。

カンニングを主題とする映画は昔からあった。おそらく『ザ・カンニング [IQ=0]』が嚆矢なのではないか。それらの映画は純粋な娯楽作品だった。

だが本作の場合,学歴社会への挑戦,貧しさからの脱出といった社会派のテーマも重なって,ストーリーに奥行きが出ている。

主演のチュティモン・ジョンジャルーンスックジン(Chutimon Chuengcharoensukying,通称オークベープ,Aokbab)がイイ。176㎝の長身を誇るクールビューティ。

本人も超名門チュラロンコン大学で学んでおり,カンニングの中心となる天才少女役が様になる。

クールなのだが,若さゆえ知恵と経験の不足からピンチに動揺してしまう。そういう演技が上手。

クリーニング屋の息子で成績優秀で正直者だったバンク(チャーノン・サンティナトーンクン)が悪事に巻き込まれ,最終的には暗黒面に堕ちいていくのも良い。

貧乏人を悪意なく踏みつけて生きていく,残酷かつ屈託のない金持ちの坊ちゃん嬢ちゃん役のティーラドン・スパパンピンヨーやイッサヤー・ホースワンらの演技も光っている。

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2019.01.24

ガーディアン紙にAya Nakamuraへのインタビュー記事

フランスにAya Nakamuraという23歳の歌手がいるわけです。マリ生まれ,フレンチポップ界の新星。

ナカムラは芸名で本名はAya Danioko。日本の血を引いているわけではなく,NBCのテレビドラマシリーズ"HEROS"の人気キャラクター,ヒロ・ナカムラ (Hiro Nakamura)にちなんで,Aya Nakamuraとした。

昨年出たシングル"Djadja"(ジャジャ)はフランスやオランダではチャート1位を記録した。

さて,表題に挙げた,ガーディアン紙の記事だが,とても興味深い:

"Aya Nakamura: afropop's reluctant face of empowerment" (by Iman Amrani, Jan. 23, 2019, the Guardian)

Aya Nakamuraは,性暴力に反対する人々のアイコン,エンパワーメントの象徴として祭り上げられているそうだが,彼女自身は,それに納得しているわけではないとのこと。

グリオ(griot,口頭伝承者)の家系に生まれたことを誇りとする彼女にとっては,出自,そして個人的な夢の実現が最も重要なのだそうである。

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2018.12.22

関根光才『太陽の塔』を観てきた

YCAMで関根光才による映画『太陽の塔』を観てきた。

あの岡本太郎の作品にして,Expo'70:大阪万博の象徴とも言うべき太陽の塔について29名の識者が語るドキュメンタリー作品である。

そういえば,老生は太陽の塔と同い年であるし,母校のすぐ近所の万博公園に聳えていたので親近感が沸く。

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とてもざっくりしたことを言うと,太陽の塔は現代に突き付けられたナイフである。

「何が『人類の進歩と調和 ("Progress and Harmony for Mankind")』 だ,コノヤロー」と。

70年当時よりも,半世紀を経た今頃になってようやくその意図・意義の一部が明らかになってきたといえる。

社会経済システムへの自発的隷従をやめ,内なる原始人を解き放て,というのが太陽の塔を通して岡本太郎が我々に送ってきたメッセージだ。


◆   ◆   ◆

「曼荼羅としての太陽の塔」

識者たちの発言から浮かび上がってくるのが,太陽の塔は曼荼羅なのではないかという説。

確かに太陽の塔の内部の展示は,地下,地上,空中と分割され,全体で岡本太郎の宇宙観が表現されている。塔内には「生命の樹」が設置され,アメーバから人類に至る進化のプロセスが表現されているが,これを中心に置いて,全体で曼荼羅となっていると言える。

映画の中では,西洋で学び,帰国後は日本の土着のものに塗れて思索を深めたという南方熊楠と岡本太郎の類似点が指摘されている。熊楠には「南方マンダラ」と呼ばれる世界観があり,これに対応するものとして,太陽の塔を中心とする岡本太郎の曼荼羅があるというわけである。


◆   ◆   ◆


「供物としての太陽の塔」

今,曼荼羅の話を書いたわけだが,曼荼羅と共に備えられるのが,トルマという供物である。ツァンパで作った尖った小さな塔のような供物だが,形が太陽の塔に似ている。

映画では,中沢新一やポン教・チベット仏教の僧たちが太陽の塔とトルマとの類似性を語っていた。

調べてみると,太陽の塔とトルマの類似性は前から言われていることで,例えば,村上大輔が風の旅行社のサイトに寄せた「「太陽の塔」誕生秘話[LHASA・TIBET]」という記事の中で,岡本太郎がチベット僧から写真を見せられて驚愕したというエピソードが紹介されている。

岡本太郎は知らず知らずのうちに,巨大な供物を作っていたのかもしれない。映画では太陽の塔は人類への供物だろうという説が語られていた。


◆   ◆   ◆

本作は知的好奇心を掻き立てる刺激的な作品。だが,情報の濁流に飲まれそうで,Too much informationという気がしないでもない。

それにしても,今になっても人々の心を揺さぶり続ける岡本太郎は凄い。

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2018.12.17

佐向大監督・脚本/大杉漣主演『教誨師』を観た

YCAMで佐向大監督・脚本の『教誨師』(大杉漣主演・エグゼクティブプロデューサー)を観た。

大杉漣の遺作。

教誨師として死刑囚に向き合う,プロテスタントの牧師・佐伯保を大杉漣が演じている。

回想シーンとラストシーンを除き,ほぼ全編が教誨室という密室で展開される会話劇である。

つまりセリフと顔の表情,上半身の動き,手の動き,といった制限された表現手段のみで物語が展開していく。

動きが制限される中でどれだけ演技力を発揮できるのか,役者の技量が問われる。

大杉漣をはじめ,玉置玲央,烏丸せつこ,五頭岳夫,小川登,古館寛治,光石研といった演技派俳優たちが見事にそれぞれの役を果たし切った。

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今挙げた,大杉漣以外の6名は全て死刑囚の役である。

障害者福祉施設で17名を殺害しながら,自らの思想を堂々と語る高宮(玉置玲央)。

監禁暴行致死の主犯にして饒舌な嘘つき,野口(烏丸せつこ)。

ホームレスで文盲の老人,進藤(五頭岳夫)。

野球のバットで一家を皆殺しにした,小心者の小川(小川登)。

沈黙を続けるストーカー殺人犯,鈴木(古館寛治)。

陽気なヤクザの組長,吉田(光石研)。

どれもこれも癖のある人物。

牧師・佐伯保(大杉漣)はこれらの人々を更生に導くべく教誨を続けるわけだが,当然一筋縄ではいかない。特に,高宮の場合は「人が人を殺すこと」について議論を吹っ掛け,佐伯が返答に窮するような状況に追い込んだりする。教誨師という立場であっても,佐伯が平静を保つことが当然難しい時もある。そのときの感情の起伏をセリフと手の動きで表現する大杉漣はさすが。

野口を演じる烏丸せつこも素晴らしい。この人はNHK「未解決事件」シリーズの再現劇で角田美代子を怪演した(「file.03 尼崎殺人死体遺棄事件」)が,その時の迫力たるやすごかった。それがそのままこの教誨室に移動してきたかのような雰囲気だった。

これら6名の死刑囚と向き合う中で,やがて,牧師・佐伯保の隠された過去も次第に明らかになってくる。


◆   ◆   ◆


この映画のラスト,文盲の老人・進藤から手渡されたグラビア写真を佐伯保が開くのだが,そこには佐伯が進藤に教えたひらがなで,こう書かれてあった:

このなかでだれのみが
わたしにつみがあると
せめうるのか

佐伯は進藤を通してイエスに対面したのだろうか?

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2018.12.16

枝優花『少女邂逅』を観た

先月のことだが,YCAMで弱冠24歳の監督・枝優花による『少女邂逅』を観た。

美しくも残酷な作品。

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程度の違いこそあれ、少女たちはそれぞれ窒息しそうな現実から逃げ出そうと足掻いていた。

地方の女子高生たちはテストや地元から逃れたいと思う程度だったが、小原ミユリ(保紫萌香)の場合はより深刻で、いじめや嫌いな親から逃れたいと思っていた。

唯一の友達だった蚕の「紬」。ミユリはいじめっ子たちによって「紬」を捨てられてしまう。

打ちひしがれるミユリの前に現れたのが転校生・富田紬(モトーラ世理奈)だった。ミユリを全肯定する紬によってミユリの生活は好転していく。

蚕の化身によって少女が救われるファンタジー?

全く違う。

紬にもまた逃れたい秘密があった。生きながら煮殺されるような境遇から、ミユリとともに脱出したかったのだ。喫茶店コンパルでの沖縄旅行計画。紬が旅行を二人だけの秘密にしたかったのはなぜか?突如現れた父親にガイドブックを見せまいとしたのはなぜか?期末試験があるというのに沖縄行きを急いだのはなぜか?

ちりばめられた謎が一気に氷解するのが終盤、元いじめっ子がミユリに紬の死を告げる場面である。紬は父親に性的虐待を受けていたという。

紬の死が告げられた直後、ミユリの脳内で起こったフラッシュバックだろうか、ミユリと紬とが過ごした日々のスナップショットが次々に現れる。その最後に泣きながらクッションを振り回す紬の動画が現れる。ミユリが見たはずがない紬の姿だ。ミユリが想像で作り上げた動画かもしれないが、紬の父親が撮った動画かもしれない。そうだとするとこれはなんと残酷な映像であることか。

紬の足の傷口から飛び出した糸。それはミユリとの絆を象徴しているようにも、蚕ならぬ「蜘蛛の糸」のようにも見えた。それをミユリは断ち切ってしまった。行かなかった沖縄。救えなかった親友。ラストのリストカットはミユリが自らに与えた罰か?殺してしまった友情への墓碑銘か?


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20代前半の女優陣,そしてほぼ同じ年頃の監督とが組んで作り上げた作品。若く鋭い感性に驚き,そして感銘を受けた。

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2018.12.03

2019年お正月特番『イエローマジックショー2』やて

先週から土日平日お構いなしに,毎日どこかへ出張しては家に戻るという日々が続いており,ブログの更新もままならないのだが,このニュースを(いまごろ)知って,驚いた:

細野晴臣のお正月特番で高橋幸宏・坂本龍一・星野源らが家族コント。YMOの演奏も」(2018年10月29日,rockin'on.com)

『イエローマジックショー2』だそうです。

放送日は

2019年1月1日(火)14:30~15:59(BS 4K)
2019年1月2日(水)23:30~24:59(BS プレミアム)

帰省中なので録画予約しておかないと。

「高橋幸宏,宮沢りえ,星野源,水原希子,そして坂本龍一が扮する細野一家の家族コント」(rockin'on.comの記事より)ってすごい豪華。

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2018.11.14

濱口竜介監督『寝ても覚めても』

YCAM濱口竜介監督『寝ても覚めても』を見てきた。

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ヒロイン朝子(唐田えりか)は女性から最も嫌われるタイプだろう,というのがツマの弁。

大人しそうに見えて男を翻弄し,人間関係を破壊する。朝子の親友・島春代(伊藤沙莉)がSNSで「人間のクズやな」と評した通りである。

後先考えずに衝動的に振る舞う朝子のせいで,この映画,原作を読んでいない小生にとっては,先の展開が予想できない,一瞬たりとも目を離せない,スリリングなものとなっていた。

ディテールの問題はあちこちにある。

東日本大震災直後の帰宅難民の群れの中で,ありえないほど低い確率にも関わらず,亮平(東出昌大)と朝子が再会したこと,北への逃避行の途中,朝子が麦(東出昌大/一人二役)の車から降りた場所が,平川のおじさん(仲本工事)の家まで歩いてたどり着ける距離だったこと,等々偶然が多すぎる。

しかし,麦との出会い,亮平との出会い,そしてそもそも麦と亮平とが同じ顔をしているということ自体,偶然過ぎる出来事なのである。

偶然だらけであること自体は問題ではなく,それらの偶然(朝子は運命だと思っているだろう)に対して朝子がどう決断するのか,ということがより重要だろう。

偶然に対する朝子の振る舞いを見ていくと,物語が進行するにしたがって受動的だったのが能動的になっていくのがわかる。

麦と出会ったら麦と付き合い,亮平と出会ったら亮平と付き合い,流されるままだった。

それが,麦と再会したところから変化が始まる。亮平と朝子の大阪転勤を祝う歓送会の席に,突如,麦が現れるのだが,朝子の方から麦の手を引いて,レストランから立ち去る。

朝子は麦が運転する車に乗って北海道へと向かうが,一夜明けると麦と別れ,亮平のもとに向かうことを決意する。

大阪にたどり着いた朝子は亮平に拒絶されても,諦めることなく亮平に迫る。

麦が運転する車の中で朝子が「幸せな夢を見ていた」と評した亮平との5年間は,夢ではなく,確実に朝子を変えていた。自分と同じ感覚を持つ麦ではなく,自分とは異なることが多い亮平を選ぶほどに。

小生の勘違いかもしれないが,夜行バスに乗り,外を眺める朝子の顔には自分の意思に確信を抱いているかのような微笑みが見て取れた。


◆   ◆   ◆


映画の終盤に逃げる亮平を追いかけて,天野川の土手を朝子が疾走するのを遠景で撮ったシーンがあるのだが,これを蓮實重彦は「21世紀の世界映画史でもっとも美しいロングショット」と絶賛した。

たしかに,雲の影,日の光の動きが二人の心理状態を表しているかのようであり,また,亮平を追いかける朝子の白い上着が強く輝く光点になって朝子の意思の強さを表しているようであり,非常に印象的なロングショットだ。ここで映画が終わっても良いぐらいだと思った。


◆   ◆   ◆


ディテールには難を感じたものの,テンポの良いストーリー展開,そして,印象的なシーンの数々,今年の話題作の一つであることには違いない。

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2018.09.15

『菊とギロチン』観てきた

この週末,YCAMで瀬々敬久監督『菊とギロチン』を観てきた。

荒々しく若々しい素晴らしい映画だった。189分もの長編なのに,それを感じさせない。

青春映画だ。以前,映画批評家の山根貞夫氏がYCAM「藤田敏八特集」のトークイベント(参照)で,加藤泰「映画は青春のものである」という言葉を引用していたが,この映画はまさにそれ。

全編に流れるジャンベや甚句(というかイッチャナ節?)が心地よい。

タイトルが登場するタイミングも良い。タイトルは2回登場するのだが,2回目に登場するのが,エンディング間際でなく,物語がクライマックスを迎えた時だというのが驚き。

関東大震災直後,徐々に閉塞感が強まっていく日本が舞台。実在のアナーキスト集団「ギロチン社」と女相撲・玉岩興行一座が出会う,という凄いアイディア。政治集団を描く映画はいくつもあるが,女相撲を描いた映画はおそらく史上初めて。

本作の温度の高さ,暴風雨のような勢いを伝えるには,(本作を観るのが一番だが)パンフレットに寄せられた鈴木邦男のメッセージを読むと良い:

実にタイムリーな映画だ!いや,映画ではないな。
これは大正アナキストが時代を超えて,
現代日本に投げつけてきた爆弾だ。
(鈴木邦男)

女相撲の描き方については,女相撲に縁のある人々からも高評価を得ているようだ。パンフレットでは伝説の女力士・若緑の息子さんが本作を褒めていた。

女力士を演じた女優たちは日大相撲部の指導を受けて訓練を積んだという。たしかに動きが本格的だ。取り組みのシーンでは観ていて身体が動いた。


◆   ◆   ◆


配役も素晴らしい。若いながらも挫折を味わい,冷笑と熱意,諦念と希望とが入り混じった複雑なキャラクターを演ずるのは,演技に定評のある東出昌大韓英恵である。

東出昌大は映画にドラマに引っ張りだこの俳優なので今更説明不要だろう。アナーキスト・中濱鐵を演じている。中濱鐵は,世の中を変える,大杉栄の仇を討つ,という燃えるような意志を持つ一方で,女と酒に溺れる自堕落な生活を続けている。この矛盾した役を破綻させずにうまくこなしている。

韓英恵は,つい先日観た『霊的ボリシェビキ』で主演を務めていた(参照)が,今や飛ぶ鳥を落とす勢いの凄い女優だ。1990年生まれ,静岡の星。本作や『霊的ボリシェビキ』だけでなく,今年は『大和【カリフォルニア】』,『西北西』と立て続けに主役を務めており,休む暇もない程。だが,プロは休んではいけない。引退したらいくらでも休めるとオシムは言っていた。本作では十勝川という四股名の女力士をやっている。十勝川は朝鮮半島出身。浅草で遊女をしていたが,大震災直後の朝鮮人虐殺を逃れて,玉岩興行女相撲に身を寄せている,という設定。興行先では体を売って男から金を巻き上げている。そんな複雑な役,韓英恵じゃないと無理だろう。

一途で不器用な女と男を演じるのは,新人・木竜麻生(きりゅう・まい)寛一郎(かんいちろう)である。

木竜麻生はかつての能年ちゃんを髣髴とさせるような一途な眼差しがいい。本作では花菊という女力士を演じている。花菊はDV夫から逃れて玉岩興行に身を寄せている。女相撲は駆け込み寺の機能も持っているのである。花菊は強くなりたいという一心で稽古を重ね,ついに内無双を体得した。

寛一郎は佐藤浩市の息子である。文学青年のようなか細い印象のアナーキスト・古田大次郎を演じる。ストイックというか奥手っぽいが,次第に花菊に思いを寄せるようになる。一途さが余り余って,最後には感情も行動も爆発する。本当に爆発する。

ということで,男女4人,演技に定評のある2人とフレッシュな2人の組み合わせが,画面に安心感と緊張感をもたらしていてとても良い。

この4人以外の俳優陣も結構豪華で,嶋田久作がいたり,井浦新がいたりする。三治と玉虎の悲恋(?)の話もいい。そういえば,女力士のトップに君臨する大関・玉椿を演じていたのは嘉門洋子だった。かつてのグラドルがいまや貫禄ある女将さんを演じるようになるとは。


◆   ◆   ◆


中濱鐵(東出昌大)は獄中で詩集『黒パン』を刊行する。その中の詩が,本作の後半では引用される。

『黒パン』の「黒」とはアナーキズムの旗印,黒旗だろうと思う。そして,「パン」とはかの有名な,クロポトキン著・幸徳秋水訳『麺麭(パン)の略取』を意味するのだと思うがいかがだろうか?


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↑公式パンフレット(定価1000円(税込み))。読み応えたっぷり。

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2018.09.10

山岡信貴監督『縄文にハマる人々』を観てきた

週末にYCAMで山岡信貴監督『縄文にハマる人々』を観てきた。

縄文時代に魅せられた人々を追ったドキュメンタリー映画。もちろん,大量の縄文土器も登場する。

いとうせいこうも登場するが,この人のハマり具合はまだかわいいレベルである。縄文ストレッチ創設者や縄文造形家など,人生を縄文に捧げた人々もいて凄い。

願望としては,諸星大二郎や星野之宣も登場すれば完ぺきだったのに,と思うが,隴を得て蜀を望む,の類となるから,本作に出てきた人々だけでも十分すぎるだろう。

登場したある人は「日本の歴史のほとんどを縄文時代が占めて,ほんのわずかの部分が弥生から現代までだ」と力説する。またほかの人は「縄文は世界にもまれなオリジナリティあふれる文化の時代で,弥生は外来の退化した文化の時代」とまで主張する。

この映画に登場する数えきれないほどの縄文土器や遺跡の数々を観ていくと,だんだんと彼らの主張が説得力を増していく。映画の力ってすごい。

登場した土器の中で老生のお気に入りは「人面香炉形土器」である。イザナミの出産と死,そして冥界神への変貌を一つの土器で表したかのような,凄い作品である。

Jomons

映画の終わり近く,「第13章 縄文の終わり」のあたりで,生と死の表現として,家畜の屠殺映像が出てきたのは余分な気がする。全体的にユーモラスな記帳の映画だったので,スパイスを効かせようとしたのかもしれないが,やりすぎの感がある。

上映が終わって帰るとき,わりと観客が大勢いたことに気が付いた。やはり,いま,縄文がアツいのか?

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2018.08.29

アピチャッポン・ウィーラセタクン監督『ブンミおじさんの森』を観た

だいぶ前に録画したままとなっていた,アピチャッポン・ウィーラセタクン監督『ブンミおじさんの森』(2010年)を観た。

タイのイサーン地方で農園を営むブンミおじさん。死を前にして,義理の妹ジェンと甥(?)のトンを呼び寄せる。3人が夕食をとっていると,ブンミおじさんの妻フェイの幽霊,行方不明になった息子のブンソンが現れる。たいして驚くこともなく,彼らを迎えるブンミおじさんたち。映画はだんだんと不思議な方向に展開していく…。

これもマジックリアリズムの手法というのだろうか。最後の最後には驚かされた。

イサーンの風景はラオスの風景と似ている。もともと同じ国(ランサーン王国)だったわけだし。観ていて先週まで滞在してたラオスのことを思い出した。

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この作品,第63回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞したのだが,その時の審査委員長がティム・バートンだと聞いて納得した。

一昨年だったと思うが,YCAMで同じくアピチャッポン・ウィーラセタクンの『光の墓』を爆音上映していた。観る機会を逸していたのが悔やまれる。

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