2017.11.26

【YCAMでタルコフスキーマラソン】『ノスタルジア』と『惑星ソラリス』を観てきた

YCAMで「タルコフスキー特集2017」というのをやっている,というのは昨日の記事で書いた。

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今日はタルコフスキーマラソンの続きで,ツマとともに,『ノスタルジア』(1983年,126分)と『惑星ソラリス』(1972年,160分)を2本続けて観てきた。

『ノスタルジア』(1983年,126分)。これもまた水分の多い映画で,イタリアが舞台だから少しはカラッとしているかと思ったら,ドメニコの家の中の雨漏りやら温泉地での湯けむりやら,水気から逃れることはできなかった。ドメニコの焼身自殺と,アンドレイの命を張った温泉横断との連動が見事。祈りが世界を救うというのは『サクリファイス』と同じモチーフ。


『惑星ソラリス』(1972年,160分)。スタニスワフ・レムの原作だと,「生きている<海>と人類との奇妙な交渉を通して,人間の認識の限界に挑む」のがテーマなのだが,タルコフスキーは,愛,良心,郷愁について深く考察させる作品に仕上げた。原作と全然違うものになってしまったため,レムとタルコフスキーの間に亀裂が走ってしまったというのは有名な話。あと,首都高が未来都市として登場するのも有名。

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というわけで2日続けてのタルコフスキーマラソン。タルコフスキーの長編は7つだけなので,そのうち4本をまとめて観るという,滅多にない機会を与えてくれたYCAMに感謝。

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2017.11.25

【YCAMでタルコフスキーマラソン】『鏡』と『ストーカー』を観てきた

YCAMで「タルコフスキー特集2017」というのをやっている。

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any会員だと500円で見られるというので,『鏡』(1975年,110分)と『ストーカー』(1979年,163分)を2本続けて観てきた。

タルコフスキーと言えば,テオ・アンゲロプロス並みにしんどい映画ばかりである。だが,今回,マラソンないし耐久レースのつもりで,できる限り見てみることにした。

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』も『ストーカー』もタルコフスキーらしく,水分たっぷりの映像。地面はぬかるみ,草ぼうぼう。霧が広がり,雨が降る。それを詩情たっぷりに撮るのがタルコフスキーである。

』は,<私>の過去と現在を交錯させた映像詩。幼いころの思い出,若い頃の母,いなくなった父,扁桃腺を腫らして寝込んでいる現在の<私>,第二次世界大戦,中ソ国境紛争などなど家族とロシアの激動の20世紀を重層的に映し出した作品。ラストで,現在の老いた母が幼い<私>と妹の手をとって,森の中を歩いていくシーンは音楽と相俟って感動的だった。


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ストーカー』は,「ゾーン」と呼ばれる,人を容易に近づけない空間を巡る物語。「ゾーン」には<部屋=комната>と呼ばれる願いが叶う場所がある。そこに行くためには「ゾーン」の案内人である「ストーカー」を頼らなくてはならない。ある時,「ストーカー」と「教授」と「作家」の3人が<部屋>を目指して,「ゾーン」に侵入するのだが……。

意地の悪い見方をすると,『ストーカー』は,主人公たち一行が小難しい議論を繰り広げながらびしょびしょに湿った森や野原やトンネルや廃屋を延々と彷徨っているだけの映画に見える。だが,閉塞的なソビエト社会の暗喩だという話を聞くと納得。


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上映中,あえなく討ち死に(睡眠)してしまう客もいた。まあ,そのぐらい,タルコフスキー作品は気力・体力が必要な映画である。ところが,観終わってみると,あのシーン,このシーンと思い出されてきて,また見たくなってしまうから不思議。中毒性が高いと言われる所以である。

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2017.11.14

勝手に直虎:氏真が本能寺の変の引き金を引くと思うね(妄想)

チラシの裏に書くべきことを,ここにメモしておく。

おんな城主直虎』第45回の終わり頃,太守様こと氏真が急に覚醒した。これに刺激を受けて,今後のドラマの展開を勝手に予測した:

  • 氏真が本能寺の変の引き金を引く
  • 龍雲丸が伊賀越えをサポートする


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はじめの「氏真が本能寺の変の引き金を引く」について。

第46回以降,氏真は,今川一門の血を引く築山殿と信康を死に追いやった信長に対して復讐の念を抱く筈。そして,ある機会をとらえて,明智光秀に信長を討たせるのではないか,というのが老生第1番目の妄想である。

もちろん,今川氏真が明智光秀を裏で操るようなことは不可能。だが,信長に対する不満で爆発寸前になっている光秀が,氏真の一言で,クーデターを決意する,ということはあるかも。

氏真と光秀が出会う機会はあるのか,という疑問があると思うが,氏真はしばしば京を訪れ,歌や連歌や蹴鞠などの文化活動に励んでいる。光秀も教養人として名高い。都の近辺で連歌の席があれば,高名な二人が出会う機会はあるかも。

さて,光秀が謀反を決意したのは天正10(1582)年5月28日,愛宕山・西坊威徳院での連歌会,通称「愛宕百韻」の席でのことであった――というのが,よくある俗説である。この席に氏真が混じっていたとすれば? そして連歌,もしくは席上での雑談によって,光秀を刺激したとすれば……。

氏真は1614年まで生き残る人物である。駿河を失った後もこのドラマでは準レギュラーのようにぴょこぴょこ出続ける。このドラマが,戦国の人々,それも敗れ去った人々のしぶとさを一つのテーマとしているのであれば,最後の最後まで氏真は出続けるだろう。そして,何か大仕事をなすのではなかろうか,ということで考えたのが上述の妄想である。


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つぎの「龍雲丸が伊賀越えをサポートする」について。

『おんな城主直虎』第38回で龍雲丸はおとわ(直虎)と別れ,堺に移った。そのままであれば,本能寺の変の頃も龍雲丸は堺で商売を営んでいたことだろう。

さて,本能寺の変の際,家康一行(井伊直政含む)は堺を遊覧中であった。窮地に陥った一行は三河を目指して伊賀越えを行うわけだが,このとき,山賊やならず者の間にネットワークを築いている龍雲丸が手助けをする可能性はありそうだ。

ついでながら,本能寺の変の翌々月,天正10(1582)年8月,直虎は死去する(参照)。家康と直政を無事に領国に送り届けた後,龍雲丸が直虎の最後を看取ったとすれば,まさしくドラマの如き大団円。これが老生二番目の妄想。


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『おんな城主直虎』を担当する森下佳子の脚本は,伏線だらけでさらに伏線が意外な形で回収される。素晴らしい職人芸。

だとすれば,氏真,龍雲丸といった強烈なキャラクターたちが最終回に向けてこのまま捨て置かれたままなどということがあろうか?

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2017.11.13

【太守様,徳川に力をお貸し下さい】氏真ぼったま,輝く

『おんな城主直虎 第45回』は激アツでございました。

信康自刃事件の始まりを描いた回で,信長の言い掛かりによって,徳川家が窮地に陥るのだが,最後の最後になって,家康から,われらが太守様,今川氏真への救援要請の密書が届く。

それまでナイト・サッカー 蹴鞠に打ち興じていた氏真ぼったまが今川一門の血を引く築山殿と信康の窮地を救うため,立ち上がるところで,この回終了。

こんなカッコいい氏真は大河史上どころか,映画・テレビ・小説・漫画その他芸能史上初の快挙である。

Twitterでも大盛り上がりだ。例えば,これ:

演じているのが尾上松也だが,これまでの回も含めて,氏真役ははまり役だと思う。他のメディアで松也見ると,「太守様だ」と思うぐらい。

凡庸に見えた人が,輝く瞬間がある。

フォークナー『サンクチュアリ』の弁護士ホレス・ベンボウしかり,田中芳樹『銀河英雄伝説5 風雲篇』の自由惑星同盟国防委員長ウォルター・アイランズしかり(参照)。

今回,この列に『おんな城主直虎』の氏真公が加わった。

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2017.11.12

ジム・ジャームッシュ『パターソン』を見てきた

YCAMでジム・ジャームッシュ監督作品『パターソン』を見てきた。

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ニュージャージー州パターソン市に住む,パターソンというバス運転手の日常を描いている。

朝6時10分から30分の間に起き,まだ寝ている妻のローラにキスをし,シリアルを食べた後,出勤。市バスを運転し,水力発電所跡地で昼食を済ませ,再び市バスを運転。夕方には家に戻る。夜は愛犬マーヴィンを連れて散歩に出かけ,なじみのバーで一杯だけビールを飲んで帰る。

毎日,この繰り返しである。それでいて単調かというとそうではない。

実は彼は詩人であり,仕事の合間等,時折思いついたことや体験をもとに,秘密のノートに詩を書き綴っている。日々,新たな詩が生まれていく。

また,妻のローラはいろいろな夢を追いかけるアーティスト気質の女性で,部屋の模様替えをしたり,ギターを習い始めたり,マフィンを大量生産したり,何か新たなことをしている。

見る目,聴く耳さえ持てば,日常は変化に富んでいるということがわかるのだ。


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主演はアダム・ドライバー。『スターウォーズ』のカイロ・レン役や『沈黙ーサイレンスー』のガルペ神父役など,最近,引っ張りだこの俳優である。この人の抑えた感じの演技が良い。部屋をモノトーンに塗り替えてしまったり,ギターを買ってしまったり,変なパイを作ったり,いろいろと奇矯なことを仕出かすローラに困惑しつつ,優しく見守っているところがとても良い。

ローラを演じるゴルシフテ・ファラハニの演技も良い。夫の詩の才能を信じ,自分の夢を追い続け,とてもキュートだ。

愛犬マーヴィンの演技も良い。パルム・ドッグ賞を獲得したとかいう話も。

最後にちょっとだけ出てくる永瀬正敏の演技も良い。米国映画に東洋人が登場すると奇異な感じになってしまうことがあるが,永瀬の登場は本作のキー・イベントだし,無理が無い。


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本作を見ていてふと思い出したのが,パーシー・アドロン『バグダッド・カフェ』である。あれは変な人ばかり集まっていたが,ユーモアの散りばめ方や,同じような毎日の繰り返しの中で静かに少しずつ変化が生まれていくプロセスは似ているかな。

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2017.11.03

YCAMで『メットガラ』を見てきた

心を揺さぶるものを芸術というのであれば,ファッションもまた芸術である。

しかし,アンドリューによれば,19世紀美術観に捕らわれる人々にとっては絵画や彫刻のみが芸術であってファッションが美術館に展示されるようなことはあり得ない。

このような古い価値観を打ち破るのが,NYメトロポリタン美術館(MET)で開催される「メットガラ」である。

仕掛けるのはMET服飾部門の革新的キュレーター,アンドリュー・ボルトン,主宰するのはVOGUE編集長"プラダを着た悪魔"ことアナ・ウィンター。

豪華セレブが集うメットガラの収益はMET服飾部門一年間の活動資金となる。

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今回,YCAMで見た映画『メットガラ』は,2015年5月に開催された「メットガラ」,「鏡の中の中国 (China: Through the looking glass)」の裏側,そして開催中の状況を描いた映画である。

陶器やチャイナドレスなど,中国美術は,ジョン・ガリアーノやジャン=ポール・ゴルチエら錚々たるデザイナーたちに影響を与えてきた。中国美術がファッションに与えた影響をMETで総括しようとするのが,この展示会の目的である。

開催日が迫りくる中で,必死に最高の展示を実現しようとするアンドリュー・ボルトンら服飾部門スタッフの奮闘には手に汗握るし,鶴の一声で展示内容を変更し,豪華セレブたちに影響力を行使するアナ・ウィンターのパワーには圧倒される。そして,「メットガラ」当日,並み居るセレブ達の最後に,グオ・ペイの豪華ドレスに身を包んだリアーナがレッドカーペットに登場するシーンでこの映画はクライマックスを迎える。

映画『メットガラ』の直前に別の美術館映画『エルミタージュ美術館』を見たのだが,そちらはオーソドックスなドキュメンタリーであったため,この『メットガラ』の前では霞んでしまった。

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2017.10.29

西京シネクラブで『わたしは,ダニエル・ブレイク』

西京シネクラブでツマと共にケン・ローチ監督『わたしは,ダニエル・ブレイク』を見てきた。

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観た人も多かろうと思うが本記事でも一応あらすじを書いてみる。

ダニエル・ブレイク59歳。40年間大工として働いてきた。
妻に先立たれ,今は一人住まいである。
心臓の病に見舞われ,仕事を続けられなくなった。

しかし,国から手当てを受けようとしたところ,就労可能と判断されてしまった。不服を申し立てようとすると,ネット上で申請しろだのあれこれ杓子定規な対応を受ける羽目に。

失業手当を受けようとすれば,ドクター・ストップをかけられているのにもかかわらず就労可能と判断されているため,就職活動を強制されるというナンセンスな状況にダニエルは追い込まれる。

理不尽な役所とのやり取りが続く間,ダニエルは困窮にあえぐ母子に出会う。自身も困窮しているのにもかかわらず,ダニエルはこの親子に救いの手を差し伸べる。

ダニエルや母子の生活には一瞬,一条の光が差し込んだかのように見えた。しかし,ダニエルも母子も次第により困難な状況に陥っていく・・・・・・。

ダニエルはあらゆる困難に粘り強く立ち向かう。そんな人間の尊厳を根こそぎ奪おうとするのが,イギリスの社会保障システムである。本作は,ケン・ローチ監督の弱者に対する暖かなまなざしと,現今の社会制度に対する静かな怒りに満ちている。

今のイギリスには,一度でも貧困に陥ると,そこから抜け出すことができない,という恐ろしい現実がある。社会保障を受けようとしても,煩瑣な手続きの中で挫けてしまう。英政府はびた一文払いたくないのだ。加えて,寝室税という奇妙な制度まで作って困窮家庭への補助を大幅に削っている。そういう状況を作った,保守党内閣デーヴィッド・キャメロン首相とイアン・ダンカン・スミス労働・年金大臣の罪は重い。

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2017.10.26

キネマ旬報11月上旬特別号,「ブレードランナー2049」特集の件

だいぶ前から「ブレードランナー2049」のことは気になっていて,「やっぱり見に行くべきなんだろうな」とぼんやり思っていたのだが,先日出た「キネマ旬報11月上旬特別号」は迷う老生への最後の一撃となった。

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督や主演のライアン・ゴズリングへのインタビューに加え,ショートアニメ「ブレードランナー2022 ブラックアウト」の渡辺信一郎監督,『マルドゥック・スクランブル』の冲方丁,アンドロイド制作の最高権威・石黒浩らによる寄稿もあり,読んでいるうちにもう映画館に行かざるを得ない状況になってしまった。

ちなみに,「キネマ旬報11月上旬特別号」の表紙をめくると,8月に観たエドワード・ヤン監督『クーリンチェ少年殺人事件』デジタルリマスター版(参照)ブルーレイディスクの広告がドーンと登場。映画ってホントいいもんですね!と思わず呟いてしまうぐらい今号のキネマ旬報は良い。

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2017.09.19

NHKで『眩(くらら)~北斎の娘~』を観た

老生にとって,北斎の娘・葛飾応為(おうい)ことお栄のイメージは杉浦日向子の『百日紅(さるすべり)』で形成されていた。

あっさりとした顔立ちで,肩の力が抜けた感じで・・・。

今回,NHKのドラマ『眩(くらら)~北斎の娘~』(原作:朝井まかて)を見ていたら,イメージが一新された。宮崎あおいの演技力もあるのだろうが,もっと男っぽい画業一途な人物へと変化した。Wikipediaには「男のような気質で任侠風を好み」と記されており,今回のドラマはこの人物像に近い。

偉大な浮世絵師の娘,というのは作家たちの興味を引くらしく,カナダの作家,Katherine Govierもまた,お栄についての作品"The Ghost Brush"を上梓している。

↑表紙がかっこいい。

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2017.08.13

エドワード・ヤン監督『クーリンチェ少年殺人事件』を見てきた

YCAMでエドワード・ヤン(楊徳昌)監督『クーリンチェ少年殺人事件』が上映されているので,観てきた。

実際に台北で起こった,少年による殺人事件をモチーフにした映画である。

1991年の作品の4Kレストア・デジタルリマスター版。英語のタイトルは"A Brighter Summer Day"。劇中に流れるプレスリーの曲"Are you lonesome tonight?"の一節から採られた。

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伝説の傑作との噂にたがわぬ映画で,3時間56分を費やして観た価値があった。

舞台は,1960年代初頭の台北。喧嘩に明け暮れる不良グループ,少年の淡い恋心,不器用な外省人一家。社会には閉塞感と焦燥感が蔓延,若者たちはこれに鋭敏に反応し,暴力や一時的な享楽に耽る。小津と『ゴッド・ファーザー』の間に位置する映画だという「ヤヌス・フィルムズ」の評価はまさにその通り。

ストーリーをものすごく簡単に述べると,小四(シャオスー)という少年が,可憐で薄幸な少女・小明(シャオミン)に恋したところ,ファム・ファタルでした,という話(もちろんそんな簡単な話ではなく,既に述べたように,当時の世相,若者たちや家族の生きざまが丹念に描かれている。だから4時間近く必要なのだ)。小明に係った男性はみな,エライ目に遭う。なんか『吉祥天女』の叶小夜子を思い出したぞ。

男たちがエライ目に遭うのは,小明のせいではない。男たちが小明を善導しようなどと思いあがるからである。

"你怎麼就是不明白? (どうしてわからないの?)
這個世界是不會為你而改變的, (あなたはこの世界を変えることはできない)
我就好像這個世界, (私はこの世界とおなじ)
是不會為你而改變的! (変えることなんかできないわ)"

(字幕では「私を変える気? この社会と同じ,何も変わらないのよ」)

という小明の諦観に基づく発言は,小四のみならず若者たちの希望を完全に打ち砕く。

台湾の若者たちが希望を持てるようになるには,1990年代の李登輝総統による民主化を待たなくてはならない。

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