2017.08.13

エドワード・ヤン監督『クーリンチェ少年殺人事件』を見てきた

YCAMでエドワード・ヤン(楊徳昌)監督『クーリンチェ少年殺人事件』が上映されているので,観てきた。

実際に台北で起こった,少年による殺人事件をモチーフにした映画である。

1991年の作品の4Kレストア・デジタルリマスター版。英語のタイトルは"A Brighter Summer Day"。劇中に流れるプレスリーの曲"Are you lonesome tonight?"の一節から採られた。

Gulingjie

伝説の傑作との噂にたがわぬ映画で,3時間56分を費やして観た価値があった。

舞台は,1960年代初頭の台北。喧嘩に明け暮れる不良グループ,少年の淡い恋心,不器用な外省人一家。社会には閉塞感と焦燥感が蔓延,若者たちはこれに鋭敏に反応し,暴力や一時的な享楽に耽る。小津と『ゴッド・ファーザー』の間に位置する映画だという「ヤヌス・フィルムズ」の評価はまさにその通り。

ストーリーをものすごく簡単に述べると,小四(シャオスー)という少年が,可憐で薄幸な少女・小明(シャオミン)に恋したところ,ファム・ファタルでした,という話(もちろんそんな簡単な話ではなく,既に述べたように,当時の世相,若者たちや家族の生きざまが丹念に描かれている。だから4時間近く必要なのだ)。小明に係った男性はみな,エライ目に遭う。なんか『吉祥天女』の叶小夜子を思い出したぞ。

男たちがエライ目に遭うのは,小明のせいではない。男たちが小明を善導しようなどと思いあがるからである。

"你怎麼就是不明白? (どうしてわからないの?)
這個世界是不會為你而改變的, (あなたはこの世界を変えることはできない)
我就好像這個世界, (私はこの世界とおなじ)
是不會為你而改變的! (変えることなんかできないわ)"

(字幕では「私を変える気? この社会と同じ,何も変わらないのよ」)

という小明の諦観に基づく発言は,小四のみならず若者たちの希望を完全に打ち砕く。

台湾の若者たちが希望を持てるようになるには,1990年代の李登輝総統による民主化を待たなくてはならない。

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2017.08.07

爆音上映で庵野秀明監督『シン・ゴジラ』を見てきた

山口の夏,爆音の夏。

既に前の記事で述べたように,「カナザワ映画祭2017 at YCAM 爆音上映」に出かけて,塚本晋也監督『野火』と庵野秀明監督『シン・ゴジラ』を鑑賞した。

『野火』に続いて『シン・ゴジラ』の話。

何度も繰り返すが,boidの皆さんが褒め称える,YCAMの音響システム。ゴジラの咆哮,地響き,自衛隊の砲撃,ニュース音声,伊福部昭の音楽,全てが全身に響き渡る。耳ではなく体で聴くという体験はYCAMならではのもの。


◆   ◆   ◆


内容についてあれこれ言うのは結構難しい。すでに公開から年月が経っており,議論しつくされているような気がする。とはいえ,ちょっとだけコメントしてみる。

以前,浅田彰が「2017年フランス大統領選挙の後で」(REALKYOTO)という記事の(注3)で『シン・ゴジラ』についてこういうことを述べていた:

  • 小池百合子をモデルとした防衛大臣(余貴美子)を描いているのは慧眼としても,米国特使カヨコ・アン・パタースン役の石原さとみの英語力はいかがなものか,政治的寓話(アレゴリー)としてはもっと良い脚本を用意するべき
  • 東京駅の廃墟で硬直したゴジラは,福島第一という原子力災害の寓話としては効果的
  • テクノクラート集団が非常事態の収集に成功するという結末は「維新」のイデオロギーそのものなので要注意

いちいちごもっともな気がするのだが,初代ゴジラを振り返ると,見方が変わる。

庵野監督には難しい政治的意図はなく,ただ,初代ゴジラを忠実になぞって現代版のゴジラを作り上げただけなのだ。つまりオマージュ。20世紀の志村喬は21世紀の塚本晋也で置き換えられた。

それどころか,もっと無邪気に,カッコいいメカの映像をどんどん繰り出したかっただけで,政府・自衛隊の描写はメカを出動させるための単なる理由づけに過ぎないのかもしれない。無人在来線爆弾 (E233系・E231系電車流用) とか,血液凝固剤プラントとか,コンクリートポンプ車隊とか,つまりは「はたらくくるま」の劇場版というとらえ方も可能だ。

もっと穿った見方をすると,字幕を出したかっただけ,という気もする。ヱヴァでもそうだったが,庵野監督のタイポグラフィーへのこだわりは凄い。平成明朝体W9(?)で「新幹線700系電車(無人運転)」とかバーンと字幕を付けると,たちまち特撮になる。ああそうか,『シン・ゴジラ』は難しく考えずに,庵野監督の特撮愛が全面的に出た娯楽作として観ればよいのか。

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爆音上映で塚本晋也監督『野火』を見てきた

山口の夏,爆音の夏。

ツマとともに「カナザワ映画祭2017 at YCAM 爆音上映」に出かけて,塚本晋也監督『野火』と庵野秀明監督『シン・ゴジラ』を鑑賞。小生にとってはどちらも初見だが,ツマにとっては『野火』を見るのは二回目。

まずは『野火』の話。

とても低予算とは思えない迫真の映像,演出。蛆虫はパスタで代用,装甲車は段ボールで作成。それにもかかわらず,リアリティーが出ている。(ワイヤー消しぐらいしか)CGを使わなくても映画は撮れるということの証明。

音も良い。燃え上がる炎には体全体に響く轟音が伴う。さすが,boid主宰樋口泰人氏が褒めて止まないYCAMの音響システム。先日見た『地獄の黙示録』もそうだが,サイコーの映画をサイコーの音響で鑑賞できるという喜び。

ちなみに『地獄の黙示録』のことだが,上映後のトークショーで塚本晋也監督ご自身が言っていことだが,塚本監督は『地獄の黙示録』を念頭に置きながら,『野火』を作成したという。やはりそうか。燃え上がる野戦病院の映像美は,ナパームで焼き払われるジャングルの映像に由来していたのだ。

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トークショー後のサイン会で『塚本晋也×野火』(完成台本が掲載されているし,田原総一朗ら著名人が寄稿)に塚本監督のサイン貰いました。

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2017.08.05

爆音上映で『地獄の黙示録』を見てきた

爆音上映が山口の夏の風物詩となってきた。
今年はカナザワ映画祭2017 at YCAM「爆音上映」と銘打って、選りすぐりの映画作品が上映される。

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昨日見てきたのは『地獄の黙示録』。爆音上映するとえらいことになる。特に戦闘シーン。

サーフィンをするために第一騎兵師団のヘリ部隊がベトコンの拠点の村を焼き払うという狂気を前後左右天井からの大音響が支える。

機銃掃射して手当てする。これが奴らのやり方だ。

昨年来、YCAMで『マッドマックス 怒りのデスロード』、『インターステラー』、『バンコクナイツ』と爆音で次々に見てきたが、見るたびに思ったのは、映画は音響だ、ということ。

4K, 8Kとどんどん解像度があがってきて、テレビ画面の大型化も進み、映画館に行かずともご家庭で高いレベルの映像を楽しめるようになってきた今日この頃。

しかし、音となるとまだまだ。ご家庭の音響は、映画館の音響システムによるそれには全く及ばない。ましてやboidの皆さんによって爆音調整された音響には。

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2017.07.31

ナタリー・ポートマン主演『ジャッキー』を見てきた

ツマとともにYCAMに出かけ,ナタリー・ポートマン主演の映画『ジャッキー』を見てきた。ジャッキーことジャクリーン・ケネディを主人公に据え,JFK暗殺から葬儀に至る数日間を中心に描いている。ダーレン・アロノフスキープロデュース,パブロ・ラライン監督。

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ケネディ大統領暗殺後,混乱は多少あったものの,官僚たちやホワイトハウスのスタッフの手で,淡々とリンドン・ジョンソンへの政権移譲が進められていく。JFKの輝かしい日々は一気に過去のものとなっていく。ジャッキーはJFKを歴史に残る大統領とするため,最高の葬儀を計画する…。

JFK暗殺当時,ジャッキーは34歳。演じるナタリー・ポートマンは撮影時35歳。ちょうどいいお年頃。ナタリー・ポートマンの演技,とくに複雑な心境を表現できる顔芸には脱帽。

ホワイトハウスでの日々をJFKの好きだったミュージカル「キャメロット」に重ね合わせ,「つかの間の輝かしい時 (one brief shining moment)」を永遠に残さなくてはいけないとジャッキーに決意させる演出はなかなかのもの。

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2017.06.08

NHKの小田切千アナウンサー,名前は「千」じゃなかった

NHKのサイトに「アナウンサー 仕事の流儀」というページがある。

おなじみのNHKアナウンサーの生い立ちとかこれまでのエピソードが紹介されているページなのだが,今回は「のど自慢」の司会で知られている,小田切千(おだぎり・せん)アナウンサーが取り上げられている。

その記事の内容がけっこう衝撃的:

"千"の謎を持つ男。」(2017年6月5日)

なんと,幼いころの名前は「千」じゃなくて,「秀一郎」だったのだという。

えー,そんなことってあるの? 戸籍上はどうなっているの? と疑問が湧くが,ここで書くとネタバレになるので詳しくはNHKのページをご覧いただきたい。

あと,御父上が国連環境計画に関わっていたので,その「かばん持ち」として海外に渡航した経験があるという。記事とともに掲載されている写真をよく見ると,1990年にモントリオール議定書のロンドン会議に出席したようだ。

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2017.05.22

ジャンフランコ・ロージ監督『海は燃えている イタリア最南端の小さな島』を見てきた

YCAMでジャンフランコ・ロージ監督『海は燃えている イタリア最南端の小さな島』を見てきた。

イタリア最南端の小さな島,ランペドゥーサ。 ヨーロッパというよりももうほとんどアフリカと言ってもよいところに位置している。

この島に住む人々の生活はとても穏やかに見える。パチンコ作りに夢中になっているサムエレ少年。漁師たち。家事にいそしむ老女。ラジオから流れる懐メロ。

BS日テレの人気番組「小さな村の物語 イタリア」を彷彿とさせる光景の陰で,この島は別の一面を見せる。

この島はアフリカや中東からの難民が海を越えて押し寄せる玄関口なのである。その数,20年間で40万人。そして1万5千人が命を落とした。

この映画では,何かのメッセージが声高に叫ばれることはない。サムエレ少年と島民たちの日常を描いたパートと,イタリア沿岸警備隊による難民救出作業を描いたパートとが交互に淡々と映し出されているのみである。

島民の中で唯一難民と関わりを持つのは島でただ一人の医師である。医師はサムエレ少年の診察をする一方で,難民たちの死に向き合ってきた。

この医師の語りと,あとはラジオのニュースだけが島民たちの生活と難民たちの苦難とが交錯するわずかなポイントである。

それ以外には島民たちの生活と難民たちの苦難とが直接かかわることはない。サムエレ少年と難民とが顔を合わせることはない。

だが,そのことがかえって事態の深刻さを浮き彫りにする。


Newsweek日本版で大場正明が上手いことまとめているので引用する:

この映画のなかで,少年と難民が接触することはないが,少年の成長と難民の現実は無関係ではない。以前より周りが見えるようになった彼は,やがてわけもなく緊張を覚えるようになり,医師から不安症気味だと診断される。この少年を悩ます不安は,移民・難民問題を契機に世界が分断されつつある時代を生きる私たちが抱えている不安でもある。
「イタリア最南端の島で起きていること 映画『海は燃えている』 大場正明 映画の境界線


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本作の原題は"FUOCCO A MARE"で,「海の炎」の意。

第2次世界大戦時にイタリアの船が連合軍に爆撃され,深夜の海に真っ赤な炎が上がり,人々を不安に陥れたという逸話から生まれた地元の伝統曲のタイトルだそうだ。

21世紀になり,今また海が燃えつつあるということだ。


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ジャンフランコ・ロージ監督は1964年,エリトリア国生まれ。13歳の時,エリトリア独立戦争中にイタリアへ避難ということで,監督自身難民であるといえる。


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ランペドゥーサ島に押し寄せる難民については,このハフィントンポストの記事を参照されたし:

イタリア・ランペドゥーサ島沖の移民船転覆 なぜ彼らは危険な航海に出るのか」(ハフィントンポスト,2015年4月22日)

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2017.05.08

オタール・イオセリアーニ監督の『皆さま,ごきげんよう』も観てきた

YCAMで観てきた映画の二本目。

オタール・イオセリアーニ監督の『皆さま,ごきげんよう』(2015年,仏&ジョージア)である。

ポスターとかチラシを見て,ほのぼのとした物語を想像して鑑賞するとえらい目に合う。

とくに,『人生フルーツ』を見て深く感動した後だと,混乱する。

そもそもフランス映画だという時点で気を付けないといけなかった。

最初に短く,フランス革命の一場面,そして少しだけ近代の戦場が描かれ,ようやく本編ともいうべき,現代のパリの人々のドラマが描かれる。この3つの時代の繋がりに拘泥していると,話の展開についていけなくなるので深く考えないこと。

現代パリ編に絞って話を進めよう。

武器の密売人でもあるアパートの管理人と骸骨のコレクションをしている人類学者。この二人の友情が主軸なのだが,

  • ローラースケートを履いてひったくりを繰り返す姉妹,
  • この姉妹の仲間でバイオリニストに恋するイケてない男,
  • この男に付きまとわれるバイオリニストの父である警察署長,
  • 警察署長に買われたことがある女性,
  • その女性の父で,古城に住んでいるが税金を払えず困窮している男爵,
  • 男爵の孫だろうと思うが,アパート管理人のところで宿題を見てもらっている姉妹,
  • その他,街や古城のがれきを集めて家を建てている男性,
  • アパート管理人と人類学者のガールフレンドだった資産家の老女,
  • 人類学者の隣に住む金属加工業者,
  • その金属加工業者の恋人で通称「ガミガミ女」と呼ばれる若い女性,

等々,一筋縄ではいかぬ面々が小さな事件を引き起こしながらストーリーが進んでいく。

ディテールが大事で,あちこちに仕掛けが施されていて,気が抜けない。

たとえばこんなことがある。アパート管理人が壁の前を歩いていると,いつの間にか壁に隠し扉が出現する。この扉をくぐると,アパート管理人の前に鳥たちが憩う謎の庭園と謎の女性が現れる。その後も2度ほど隠し扉が出現するのだが,最後にアパート管理人が中に入った時には,謎の庭園は荒れ果て,女性も消え去っていた。いったい何だったのか。

他にも例えば,こんなことがある。冒頭のフランス革命時,とある貴族がギロチンに懸けられるのだが,この貴族はアパート管理人と瓜二つ。切られた首はとある女性(あとで気づくのだが「ガミガミ女」と瓜二つ)に拾われる。そしてその首は頭蓋骨となって,女性の子孫である「ガミガミ女」に伝えられることとなる。その後,「ガミガミ女」の彼氏・金属加工業者が人類学者に頭蓋骨を進呈。人類学者が頭蓋骨に肉付けして復顔すると,アパート管理人の頭部となる。このイメージの連鎖はいったい?

この映画はこの映画に応じた受容体(レセプター)を持っている人でないと鑑賞できない。観客を選ぶ映画。万人受けではない。

映画を見た後でこの映画に関する過去の記事を読んだら,イオセリアーニ監督はこんなことを言っていた:

「(自身の作品は)大人として理性を持つ人に向けて作っている」

「ハリウッド映画などの対象は10代から20代半ばです。皆いつも同じような、口当たりの良い作品ばかりを見て育ち、紋切り型に慣れてしまっている」

(映画.com,2016年11月7日記事「名匠O・イオセリアーニが来日 『大人として理性を持つ人に向けて映画を作っている』」より)

この記事の中で,イオセリアーニ監督は松尾芭蕉についても触れていた。松尾芭蕉は俳句で知られているが,発句(単体の俳句)より俳諧(連句)を好んだ。連句というのはイメージの連鎖を楽しむものである。そういえば,この映画,イメージの連鎖だらけである。そうか,この映画は連句なのか。そう思えば納得。


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原題"Chant D'hiver"は"Winter song"という意味。「皆さま,ごきげんよう」というのは相当な意訳。

現代パリ編の冒頭とエンディングで犬たちが横断歩道を渡る場面が繰り返されるが,これはジャック・タチ『ぼくの伯父さん』(1958年)へのオマージュか?

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『人生フルーツ』を観てきた

YCAMで二本、映画を観てきた。そのうちの一つが『人生フルーツ』(伏原健之監督、2016年、東海テレビ放送)。建築家の津端修一さん(90歳)・英子さん(87歳)の日常を記録した映画である。

会場はほぼ満員。昨年、ここYCAMで『ふたりの桃源郷』(佐々木聰監督、2016年、KRY山口放送)を上映したときの盛況ぶりを思い出させる。そういえば老夫婦を取り上げたことや、もともと地方テレビ局のドキュメンタリー番組だったことなど共通点は多い。

さて、津端さん夫婦が住む家の敷地面積は300坪。修一さんが尊敬する建築家、アントニン・レーモンドの自宅を再現した木造住宅が立っている。住宅の周りには雑木や果樹を植え、さらにキッチンガーデンを営んでいる。70種の野菜と50種の果実がこの家で育てられている。これらの収穫物は英子さんの手で料理や保存食品へと姿を変え、津端さん夫婦や親族・知人の胃袋へと収まる。いわゆるスローライフ。だが二人はテキパキと働く。毎日のように畑を耕し、水を撒き、草むしりや剪定をし、樹木や畑に看板や札を付け、コンポストを作り、果実や野菜を収穫する。行動はスローじゃない。修一さんは自転車に乗るわ、餅つきはするわ、90とは思えない身のこなし。かつての海軍や東大ヨット部で頑強な体が作られたのだろう。


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津端家のある高蔵寺ニュータウンは伊勢湾台風を契機として開発された団地である。日本住宅公団に勤めていた修一さんは、そのマスタープランを担当した。自然の地形を生かし、森と共生することを目指した修一さんの都市計画案は、経済効率優先の風潮の中で大きく変更され、画一的で無機質な団地が生まれてしまった。

団地を設計する建築家の多くは自ら設計した団地に住むことはあまりないという。だが、修一さんは高蔵寺ニュータウンに土地を購入した。そして敷地に雑木林を作り、上述したようなスローライフを始めた。

津端家の裏には団地を造成した際に禿山となった小さな山があった。修一さんは家族を巻き込み、住民の協力を得て、植樹を行い、この山をどんぐりの山に変えた。

修一さんは、一度は葬られた自分の理想の団地案を、年月をかけて自宅と裏山とで実現してしまったのである。愚公山を移す、ではないけどすごい。


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ここまで修一さん中心で文章を書いてきたが、修一さんが道を貫けたのは英子さんのサポートがあってのこと。それぞれ勝手なことをしているようで細やかな気遣いが垣間見られる二人の距離感が絶妙である。

二人が素敵なスローライフを実現できたのは、今触れたような絶妙な距離感も一因だが、忘れてはならないのが、二人とも元気だということ。高齢にもかかわらず強健な体があってのこの暮らしぶりである。さらに言えば、この健康を支えている食に対する貪欲さも重要。家で採れる食材の豊富さにも驚くが、月に一度、英子さんが名古屋市内で調達してくる野菜や魚などの量と質にも驚く。

この映画のナレーターは樹木希林。ナレーションの中で出てくる「コツコツ、ゆっくり時をためる」という言葉が非常に良い。時がたまった成果がフルーツなのである。fruitというのは本来、成果物という意味ですからね。

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2017.05.06

【フォトグラファー無宿?】『ホームレス ニューヨークと寝た男』を見てきた

YCAMで『ホームレス ニューヨークと寝た男』(トーマス・ヴィルテンゾーン監督 2014年)を観てきた。


Homme Less Trailer from Filmfestival Kitzbühel on Vimeo.

ニューヨークで活躍するファッション・フォトグラファーであり、家や家族を持たないというミニマリズムを貫くスタイリッシュな男、マーク・レイを追ったドキュメンタリー。

と思ったら違った。

今述べたような部分はある。ファッション・ウィーク中、連日のように、マークは精力的にモデルたちに声をかけ、フォトシューティングを繰り返す。睡眠時間を削りながら選び抜いた一枚をプリントし、マーク・ジェイコブズの事務所に届ける。バリバリ働いている。カッコいい。フォトグラファー無宿という別タイトルを進呈したいと思ったぐらい。

それが中盤以降はジョージ・クルーニーばりのロマンスグレーの男が強がりと弱音を繰り返す面白ドキュメンタリーへと変わる。マークの発言に揺れが生じるようになってきたあたり、それだけ監督のトーマスとマークとの距離が縮んできたということだろう。

貧困がテーマではあるまい。もしそうだったらマークの経済事情にもっと踏み込んだはずだ。

マーク・レイという、ニューヨークに魅せられて離れられなくなったまま歳を重ねた男の姿を、50代という、まだ事態が悲劇にならないうちに写しとったのは、実は重要なことなのではないかと思う。

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