2017.05.22

ジャンフランコ・ロージ監督『海は燃えている イタリア最南端の小さな島』を見てきた

YCAMでジャンフランコ・ロージ監督『海は燃えている イタリア最南端の小さな島』を見てきた。

イタリア最南端の小さな島,ランペドゥーサ。 ヨーロッパというよりももうほとんどアフリカと言ってもよいところに位置している。

この島に住む人々の生活はとても穏やかに見える。パチンコ作りに夢中になっているサムエレ少年。漁師たち。家事にいそしむ老女。ラジオから流れる懐メロ。

BS日テレの人気番組「小さな村の物語 イタリア」を彷彿とさせる光景の陰で,この島は別の一面を見せる。

この島はアフリカや中東からの難民が海を越えて押し寄せる玄関口なのである。その数,20年間で40万人。そして1万5千人が命を落とした。

この映画では,何かのメッセージが声高に叫ばれることはない。サムエレ少年と島民たちの日常を描いたパートと,イタリア沿岸警備隊による難民救出作業を描いたパートとが交互に淡々と映し出されているのみである。

島民の中で唯一難民と関わりを持つのは島でただ一人の医師である。医師はサムエレ少年の診察をする一方で,難民たちの死に向き合ってきた。

この医師の語りと,あとはラジオのニュースだけが島民たちの生活と難民たちの苦難とが交錯するわずかなポイントである。

それ以外には島民たちの生活と難民たちの苦難とが直接かかわることはない。サムエレ少年と難民とが顔を合わせることはない。

だが,そのことがかえって事態の深刻さを浮き彫りにする。


Newsweek日本版で大場正明が上手いことまとめているので引用する:

この映画のなかで,少年と難民が接触することはないが,少年の成長と難民の現実は無関係ではない。以前より周りが見えるようになった彼は,やがてわけもなく緊張を覚えるようになり,医師から不安症気味だと診断される。この少年を悩ます不安は,移民・難民問題を契機に世界が分断されつつある時代を生きる私たちが抱えている不安でもある。
「イタリア最南端の島で起きていること 映画『海は燃えている』 大場正明 映画の境界線


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本作の原題は"FUOCCO A MARE"で,「海の炎」の意。

第2次世界大戦時にイタリアの船が連合軍に爆撃され,深夜の海に真っ赤な炎が上がり,人々を不安に陥れたという逸話から生まれた地元の伝統曲のタイトルだそうだ。

21世紀になり,今また海が燃えつつあるということだ。


◆   ◆   ◆


ジャンフランコ・ロージ監督は1964年,エリトリア国生まれ。13歳の時,エリトリア独立戦争中にイタリアへ避難ということで,監督自身難民であるといえる。


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ランペドゥーサ島に押し寄せる難民については,このハフィントンポストの記事を参照されたし:

イタリア・ランペドゥーサ島沖の移民船転覆 なぜ彼らは危険な航海に出るのか」(ハフィントンポスト,2015年4月22日)

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2017.05.08

オタール・イオセリアーニ監督の『皆さま,ごきげんよう』も観てきた

YCAMで観てきた映画の二本目。

オタール・イオセリアーニ監督の『皆さま,ごきげんよう』(2015年,仏&ジョージア)である。

ポスターとかチラシを見て,ほのぼのとした物語を想像して鑑賞するとえらい目に合う。

とくに,『人生フルーツ』を見て深く感動した後だと,混乱する。

そもそもフランス映画だという時点で気を付けないといけなかった。

最初に短く,フランス革命の一場面,そして少しだけ近代の戦場が描かれ,ようやく本編ともいうべき,現代のパリの人々のドラマが描かれる。この3つの時代の繋がりに拘泥していると,話の展開についていけなくなるので深く考えないこと。

現代パリ編に絞って話を進めよう。

武器の密売人でもあるアパートの管理人と骸骨のコレクションをしている人類学者。この二人の友情が主軸なのだが,

  • ローラースケートを履いてひったくりを繰り返す姉妹,
  • この姉妹の仲間でバイオリニストに恋するイケてない男,
  • この男に付きまとわれるバイオリニストの父である警察署長,
  • 警察署長に買われたことがある女性,
  • その女性の父で,古城に住んでいるが税金を払えず困窮している男爵,
  • 男爵の孫だろうと思うが,アパート管理人のところで宿題を見てもらっている姉妹,
  • その他,街や古城のがれきを集めて家を建てている男性,
  • アパート管理人と人類学者のガールフレンドだった資産家の老女,
  • 人類学者の隣に住む金属加工業者,
  • その金属加工業者の恋人で通称「ガミガミ女」と呼ばれる若い女性,

等々,一筋縄ではいかぬ面々が小さな事件を引き起こしながらストーリーが進んでいく。

ディテールが大事で,あちこちに仕掛けが施されていて,気が抜けない。

たとえばこんなことがある。アパート管理人が壁の前を歩いていると,いつの間にか壁に隠し扉が出現する。この扉をくぐると,アパート管理人の前に鳥たちが憩う謎の庭園と謎の女性が現れる。その後も2度ほど隠し扉が出現するのだが,最後にアパート管理人が中に入った時には,謎の庭園は荒れ果て,女性も消え去っていた。いったい何だったのか。

他にも例えば,こんなことがある。冒頭のフランス革命時,とある貴族がギロチンに懸けられるのだが,この貴族はアパート管理人と瓜二つ。切られた首はとある女性(あとで気づくのだが「ガミガミ女」と瓜二つ)に拾われる。そしてその首は頭蓋骨となって,女性の子孫である「ガミガミ女」に伝えられることとなる。その後,「ガミガミ女」の彼氏・金属加工業者が人類学者に頭蓋骨を進呈。人類学者が頭蓋骨に肉付けして復顔すると,アパート管理人の頭部となる。このイメージの連鎖はいったい?

この映画はこの映画に応じた受容体(レセプター)を持っている人でないと鑑賞できない。観客を選ぶ映画。万人受けではない。

映画を見た後でこの映画に関する過去の記事を読んだら,イオセリアーニ監督はこんなことを言っていた:

「(自身の作品は)大人として理性を持つ人に向けて作っている」

「ハリウッド映画などの対象は10代から20代半ばです。皆いつも同じような、口当たりの良い作品ばかりを見て育ち、紋切り型に慣れてしまっている」

(映画.com,2016年11月7日記事「名匠O・イオセリアーニが来日 『大人として理性を持つ人に向けて映画を作っている』」より)

この記事の中で,イオセリアーニ監督は松尾芭蕉についても触れていた。松尾芭蕉は俳句で知られているが,発句(単体の俳句)より俳諧(連句)を好んだ。連句というのはイメージの連鎖を楽しむものである。そういえば,この映画,イメージの連鎖だらけである。そうか,この映画は連句なのか。そう思えば納得。


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原題"Chant D'hiver"は"Winter song"という意味。「皆さま,ごきげんよう」というのは相当な意訳。

現代パリ編の冒頭とエンディングで犬たちが横断歩道を渡る場面が繰り返されるが,これはジャック・タチ『ぼくの伯父さん』(1958年)へのオマージュか?

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『人生フルーツ』を観てきた

YCAMで二本、映画を観てきた。そのうちの一つが『人生フルーツ』(伏原健之監督、2016年、東海テレビ放送)。建築家の津端修一さん(90歳)・英子さん(87歳)の日常を記録した映画である。

会場はほぼ満員。昨年、ここYCAMで『ふたりの桃源郷』(佐々木聰監督、2016年、KRY山口放送)を上映したときの盛況ぶりを思い出させる。そういえば老夫婦を取り上げたことや、もともと地方テレビ局のドキュメンタリー番組だったことなど共通点は多い。

さて、津端さん夫婦が住む家の敷地面積は300坪。修一さんが尊敬する建築家、アントニン・レーモンドの自宅を再現した木造住宅が立っている。住宅の周りには雑木や果樹を植え、さらにキッチンガーデンを営んでいる。70種の野菜と50種の果実がこの家で育てられている。これらの収穫物は英子さんの手で料理や保存食品へと姿を変え、津端さん夫婦や親族・知人の胃袋へと収まる。いわゆるスローライフ。だが二人はテキパキと働く。毎日のように畑を耕し、水を撒き、草むしりや剪定をし、樹木や畑に看板や札を付け、コンポストを作り、果実や野菜を収穫する。行動はスローじゃない。修一さんは自転車に乗るわ、餅つきはするわ、90とは思えない身のこなし。かつての海軍や東大ヨット部で頑強な体が作られたのだろう。


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津端家のある高蔵寺ニュータウンは伊勢湾台風を契機として開発された団地である。日本住宅公団に勤めていた修一さんは、そのマスタープランを担当した。自然の地形を生かし、森と共生することを目指した修一さんの都市計画案は、経済効率優先の風潮の中で大きく変更され、画一的で無機質な団地が生まれてしまった。

団地を設計する建築家の多くは自ら設計した団地に住むことはあまりないという。だが、修一さんは高蔵寺ニュータウンに土地を購入した。そして敷地に雑木林を作り、上述したようなスローライフを始めた。

津端家の裏には団地を造成した際に禿山となった小さな山があった。修一さんは家族を巻き込み、住民の協力を得て、植樹を行い、この山をどんぐりの山に変えた。

修一さんは、一度は葬られた自分の理想の団地案を、年月をかけて自宅と裏山とで実現してしまったのである。愚公山を移す、ではないけどすごい。


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ここまで修一さん中心で文章を書いてきたが、修一さんが道を貫けたのは英子さんのサポートがあってのこと。それぞれ勝手なことをしているようで細やかな気遣いが垣間見られる二人の距離感が絶妙である。

二人が素敵なスローライフを実現できたのは、今触れたような絶妙な距離感も一因だが、忘れてはならないのが、二人とも元気だということ。高齢にもかかわらず強健な体があってのこの暮らしぶりである。さらに言えば、この健康を支えている食に対する貪欲さも重要。家で採れる食材の豊富さにも驚くが、月に一度、英子さんが名古屋市内で調達してくる野菜や魚などの量と質にも驚く。

この映画のナレーターは樹木希林。ナレーションの中で出てくる「コツコツ、ゆっくり時をためる」という言葉が非常に良い。時がたまった成果がフルーツなのである。fruitというのは本来、成果物という意味ですからね。

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2017.05.06

【フォトグラファー無宿?】『ホームレス ニューヨークと寝た男』を見てきた

YCAMで『ホームレス ニューヨークと寝た男』(トーマス・ヴィルテンゾーン監督 2014年)を観てきた。


Homme Less Trailer from Filmfestival Kitzbühel on Vimeo.

ニューヨークで活躍するファッション・フォトグラファーであり、家や家族を持たないというミニマリズムを貫くスタイリッシュな男、マーク・レイを追ったドキュメンタリー。

と思ったら違った。

今述べたような部分はある。ファッション・ウィーク中、連日のように、マークは精力的にモデルたちに声をかけ、フォトシューティングを繰り返す。睡眠時間を削りながら選び抜いた一枚をプリントし、マーク・ジェイコブズの事務所に届ける。バリバリ働いている。カッコいい。フォトグラファー無宿という別タイトルを進呈したいと思ったぐらい。

それが中盤以降はジョージ・クルーニーばりのロマンスグレーの男が強がりと弱音を繰り返す面白ドキュメンタリーへと変わる。マークの発言に揺れが生じるようになってきたあたり、それだけ監督のトーマスとマークとの距離が縮んできたということだろう。

貧困がテーマではあるまい。もしそうだったらマークの経済事情にもっと踏み込んだはずだ。

マーク・レイという、ニューヨークに魅せられて離れられなくなったまま歳を重ねた男の姿を、50代という、まだ事態が悲劇にならないうちに写しとったのは、実は重要なことなのではないかと思う。

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2017.05.02

『ゴースト・イン・ザ・シェル』追記

ルパート・サンダース監督の実写版『ゴースト・イン・ザ・シェル』の話の追記。


「本歌取り」について

ブレード・ランナー』がそうであるように,押井守監督のアニメ版『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』はクリエイターたちにとっての古典になっていることを再認識した。

名場面が引用されるようになってはじめて古典である。

実写版のあらすじはアニメ版とは異なる。だが,アニメ版の様々な名場面は実写版では異なる文脈で適切な形で引用=再利用されている。

引用は,古典に対するリスペクトであるとともに,現作品と古典とを接続し,限られた時間の中で作品の世界を拡大することができるという効果を持つ。つまり和歌における「本歌取り」である。


◆   ◆   ◆


脚本について

形而上的で多様な解釈を可能とするアニメ版を好む人々にとって,実写版は問題が整理されて綺麗な謎解きになっているため,物足りなさを感じるかもしれない。だが,そうすることによって実写版は多くの人々が「攻殻」の作品世界を受容するための良い入門編となっていると思う。

小生が実写版で気に入っているのは,主人公(ヒロイン,少佐)と敵役(アンチヒーロー,アニメ版では「人形使い」,実写版ではクゼ)が魅かれ合う理由である。限られた上映時間の中で,初めて「攻殻」を見る観客に,少佐とクゼが魅かれ合う理由を理解させるためには,実写版の設定が最も適切だろう。


◆   ◆   ◆


技術について

実写版ではSFXやVFXがふんだんに使用されているが,芸者ロボットなど,非常に手が込んでいて感心する。『怪しい伝説』でおなじみのSFXエンジニア,アダム・サヴェッジ(Adam Savage)が,Weta Workshopを訪問して,芸者ロボットについて説明を受けているのだが,その興奮っぷりといったら・・・。

あと少佐のスーツについてもワーワー言うてます:

とにかく,スタッフの実写版に懸ける熱意が伝わってくる。

前(参照)にも言ったが,「漫画研究団体アトラス」からハリウッドに至るグレートジャーニーを思う。


◆   ◆   ◆


おまけ

  • スカーレット・ヨハンソンの肩甲骨周りの肉が多め
  • 荒巻(ビートたけし)の日本語のセリフが聞き辛く,英語の字幕を見てわかるという逆輸入現象
  • 「キネ旬」4月下旬号で押井守が言っていたように,バセットハウンドに野良犬役は無理
  • 桃井かおりの投入の仕方は良い。中国人英語のようでさらに良い。

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2017.04.20

「キネマ旬報」4月下旬号は"神"号:鈴木清順追悼,そして「ゴースト・イン・ザ・シェル」

「キネマ旬報」2017年4月下旬号を読んでいるんだけど,これは小生にとっての"神"号だと思う。

巻頭特集の「追悼・映画監督 鈴木清順 世界は一瞬のうちに変貌する」は,清順の作品世界,映画製作のテクニック,個人的なエピソードがコンパクトにまとまっていて非常にうれしい企画だ。

今年の初めに「『野良猫ロック ワイルドジャンボ』と『ツィゴイネルワイゼン』を見てきた」(2017年1月9日)という記事を書いた。

そのときは,俳優としての藤田敏八に注目して『ツィゴイネルワイゼン』に関する短い文章を書いたのだが,そのひと月後の2月13日に93歳で清順は逝った。なんか軽い奇縁を感じた。

巻頭特集に続くのが「『ゴースト・イン・ザ・シェル』とANIMEの魂」という特集記事。スカーレット・ヨハンソンではなく,ジョハンソンと書くのがキネ旬らしくて良い。

インタビューに対してスカーレットはこう語っている:

「すべての『攻殻機動隊』シリーズに対し,私たちが込めた思いを評価してほしい。
この映画は,オリジナルへのラブレターみたいな作品なの。」(52ページ)

この思いは少なくとも押井守には伝わっている:

「僕はわりと気に入ったというか,20年前のアニメでやりたかったことにかなり近い。
もしかしたら自分がかつて妄想した映画に一番近いかもしれない。」(57ページ)

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2017.04.19

直虎面白いよ,直虎

おんな城主直虎」をずっと見ている。

3月26日放映の第12回「おんな城主直虎」の回はカトマンズ出張中で見られなかったが,それ以外は一応全部見た。

視聴率が低いという話で心配だったのだが,ハッシュタグ「#おんな城主直虎」を覗いてみると,えらく盛り上がっているので,なんか安心した。

こんなにも詳細に国人領主の悲哀を描いたドラマはなかったと思う。

いや,あったか。「毛利元就」とか。真田氏も国人領主だったが,あれは異常。

いずれにせよ,国人領主は大名と領民の板挟みになって大変。小生の先祖は遠州の百姓だもんで,直虎様のご苦労は,ハアわかるだよ。

4月16日放映の第15回「おんな城主 対 おんな大名」は神回。

中野直之のツンデレ&無双,小野但馬守政次の報われぬ思い,龍潭寺警備保障の安定のクオリティ,寿桂尼の威厳,そして,直虎の男装の麗人っぷり。

これまでちょっとダラダラした感じだった「直虎」が一気に引き締まった。


◆   ◆   ◆


ところで,この後見人争い&徳政令騒動はいつ頃の話なんだろう?

以前紹介した,小和田哲男『井伊直虎 戦国井伊一族と東国動乱史』を紐解いてみる。

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同書152頁から153頁によれば,次郎法師が井伊氏の家督としてふるまい始めたことがはっきりわかるのは,永禄8(1565)年9月15日付けの「龍潭寺寄進状之事」という資料からだという。

ということは虎松(後の直政)の後見人として認められたのは永禄8年より前ということになる。

徳政令騒動の方はというと,同書164頁から167頁に,永禄9(1566)年に今川氏真が井伊谷祝田(いいのや・ほうだ)に徳政令を出したこと,そして,次郎法師と銭主・瀬戸方久が結託して徳政令を凍結したらしいこと(「瀬戸文書」)が,述べられている。

ちなみにこの「瀬戸文書」からわかるように,ムロツヨシ演ずる瀬戸方久は実在の人物である。

ということで,後見人争い&徳政令騒動は永禄8(1565)年~9(1566)年頃の話である。

次郎法師(直虎)は天文5(1536)年ごろの生まれだと推定されており,これをもとに計算すると,次郎法師30歳の折の出来事,ということになる。

ちなみに,小和田哲男『井伊直虎 戦国井伊一族と東国動乱史』167頁を読むと,次郎法師と方久は徳政令を一時凍結したものの,永禄11(1568)年10月には,今川氏の圧力によって井伊谷に徳政が実施されたとのことである。

このあたりのことはドラマでは描かれるのだろうか? まあ,永禄11年12月には武田氏が今川領に侵攻するので,それどころではなくなるわけだが。

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2017.04.13

『ゴースト・イン・ザ・シェル』が公開されたわけで

予想通り,賛否両論。

アニメ(1995年公開押井守版)の正しい実写化だ」「オリジナル(押井守版)には及ばない」「音楽はスティーブ・アオキのRemix版よりも川井憲次のオリジナルの方がいい」「ハリウッド版で盛り上がるニワカがうるさい」「ホワイトウォッシングだ」云々云々。

で,小生の見解であるが,ルパート・サンダース監督・スカーレット・ヨハンソン主演のハリウッド版『ゴースト・イン・ザ・シェル』は

「あり」「OK」「Good job」「支持」「肯定」

である。

前に「小説・漫画の映画化を擁護する」(2015年5月29日)という記事を書いたが,そこで紹介したアンドレ・バザンの意見と同様に,この映画を肯定する。

アンドレ・バザンは「不純な映画のために」(『映画とは何か(上)』所収)という論考の中で,文学の映画化を擁護した。

その弁を踏まえれば,ハリウッド版『ゴースト・イン・ザ・シェル』についてこういうことができるだろう:

  • 士郎正宗の原作にせよ,押井守版にせよ(あと神山健治版にせよ),これまでの作品群に新たなファンをもたらすだろう
  • ハリウッド版があかんかったとしても,士郎正宗版や押井守版を評価する者たちにとっては,士郎正宗版や押井守版を害するものとはなりえない
  • 士郎正宗版や押井守版を知らない観客にとっては,ハリウッド版で満足するか,さらに士郎正宗版や押井守版に興味を持つか,二つに一つである

押井守版のファンであるルパート・サンダース監督やWETAのスタッフのこの作品にかける熱意を見る限り,これまでの「攻殻機動隊」作品群にはプラスの影響こそあれ,何も失うものはないと思う。


◆   ◆   ◆


映画音楽についても同様。

川井憲次のオリジナルが良いのは当然。

だが,スティーブ・アオキのRemixはオリジナルの凄さをさらに多くの人々に届けるのに成功していると思う。

どうでもいいけど,スティーブ・アオキはデヴォン青木の異母兄。あと,ライブ会場の皆さんは「アオキ」ではなく「エイ・オー・キー」と言ってますね。


ちなみに,下のUMF TVのインタビュー動画で語っているように,スティーブ・アオキにとって押井守版は,十代の時のお気に入りアニメであり,今回音楽を担当できたことを誇りに思っているとのこと。


◆   ◆   ◆


シロマサ先生のペン先から始まり,押井守,神山健治ら日本のクリエーターたちにリレーされていったバトンは,さらにルパート・サンダースらハリウッドのクリエーターたちに受け継がれた。

「漫画研究団体アトラス」からハリウッド。グレートジャーニーですね。

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2017.04.01

「ブラタモリ」が「防災教育推進協会 特別賞」を受賞

タモリの高低差マニア,崖マニアとしての本領が発揮されている「ブラタモリ」という番組が好きなのだが,この番組,3月26日に「防災教育推進協会 特別賞」を受賞したそうだ。

防災教育推進協会によれば,表彰理由は以下の通り:

「子どもから大人まで幅広い世代に人気を博している『ブラタモリ』は,日本全国の町々を歩きながら,その土地の歴史や地形の成り立ちを解説し,過去の災害と教訓などの防災上の知識を学ぶことができます。当財団としても良き教材として番組を推奨しております。自然災害の多い日本において,『ブラタモリ』は防災教育に大いに役立つ番組であり,これからも息の長い番組として放送を続けられることを念願すると同時に,その功績を『特別賞』として表彰することといたしました。」

『第4回表彰式 JBK ジュニア防災検定 報告書』(平成29 年3 月28日,一般財団法人防災教育推進協会)より

「河岸段丘」という言葉はブラタモリで知った。

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2017.03.25

古事記ファン必見,ディズニーアニメ『モアナと伝説の海』

タイへ向かう飛行機の中でディズニーアニメ『モアナと伝説の海』を見たのだが,これは良い!!

古事記,というか日本の神話ファンは必見である。

最近はあまり神話関係の記事を書いていないのだが,以前,ポリネシアの神話と日本神話の類似性についての記事を書いたことがある(「ポリネシアの神話」2012年7月13日)

『モアナと伝説の海』はポリネシアの神話を題材とする作品だが,小生などはどうしても日本神話との類似性を見出してしまう。

『モアナと伝説の海』はこんな感じの話である:

とある島に生まれ育った族長の娘・モアナは冒険心に富んだ少女だった。しかし,島の掟により,島民たちは環礁よりも外に出られなかった。ある時,モアナは祖母の教えによって自分たちが大海原を航海する民族であることを再発見し,生まれ故郷の島を飛び出した。そして,半神マウイとともに冒険に出,闇を封じ込め,世界に再び平穏をもたらした。モアナは帰郷後,島民たちとともに,再び大航海に乗り出す。

この映画に出てくる半神(demigod)・マウイは,人類に火をもたらしたという点でプロメテウスのようでもあるが,むしろ日本神話におけるスサノオ(スサノヲ)に近いと思った。なにしろ,風と海を司る半神。スサノオも海洋を支配する神であるとともに,暴風神であるとも言われている。マウイとスサノオ。暴力的な側面とともに,人々に恵をもたらすという側面を持っている点がよく似ている。どちらも「まれびと」やんか。

ポリネシアの神話では釣り針が重要なアイテムとなっている。この映画でも,釣り針は重要で,マウイは巨大な釣り針を武器として用いたり,変身の道具として用いたりしている。日本神話の中にも釣り針が重要なアイテムとなっている説話があることはご存じだろう。いわゆる「海幸山幸」神話である。

モアナとマウイに立ちはだかる敵がいる。テ・カアという溶岩の化け物である。噴火による造山活動を神格化したものだろう。ハワイ神話におけるペレや日本神話における三島神(参照:「林田憲明『火山島の神話』を読む」2014年10月21日)を思い起こさせる。

というように,『モアナと伝説の海』はポリネシア神話と日本神話に共通するモチーフが重層的に散りばめられていて,非常に興味深い。

ついでながら,この映画の中盤と最後には,壮大なサウンドとともに大海原を大船団で旅する人々の姿が描かれるのだが,これが,太古,太平洋中に広がっていった人々,一部は日本にもやってきただろうポリネシア系の人々(星野之宣「火の民族」仮説ですな)のことを思い起こさせ,感動的ですらある。

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