2018.01.28

アキ・カウリスマキ『希望のかなた』を観てきた

再び映画の話。

YCAMでアキ・カウリスマキ監督『希望のかなた』(2017年)を観てきた。

Sothersideofhope

フィンランドに密入国したシリア難民の青年カーリド。彼は生き別れの妹ミリアムを探している。レストランオーナーのヴィクストロムやその従業員たちの善意に支えられ,やがてミリアムとの再会を果たす。

――と書くと,まじめな感じがするが,そこはアキ・カウリスマキ。毒を含んだコメディーとなっている。ヴィクストロムらが適当過ぎる日本食レストラン「インペリアル・スシ」を始めるあたりは会場も笑いに包まれた。

善良というにはほど遠い,どちらかというと小悪党というべき面々が,少しずつの善意でシリア難民兄妹の再会を成功させる,というあたり,老生はアグニェシュカ・ホランド監督『ソハの地下水道』(2011年)を思い出した(参照)。

どうでもいいけど,カーリド役の人,山田孝之似。

善意があれば悪意もある。

この映画には「フィンランド解放軍」(だったと思う)を名乗る民族主義過激派グループが登場し,カーリドを執拗に迫害する。実際,フィンランドでは移民排斥を掲げる自警集団「オーディンの戦士たち」が台頭しているようだ(参照:東洋経済記事)。

映画のエンディングにはアキ・カウリスマキの静かな怒りが込められていると思う。

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エミール・クストリッツァ『オン・ザ・ミルキー・ロード』を観てきた

YCAMでエミール・クストリッツァ監督『オン・ザ・ミルキー・ロード』(2016年,セルビア・イギリス・アメリカ)を観てきた。

Sonthemilkyroad

この話はマジック・リアリズムで描かれたファンタジーだ。貧しい男と姫君の逃避行という典型的な昔話のパターンの。姫君というにはモニカ・ベルッチはトウが立ち,豊満で妖艶すぎるが。あと,男の方(エミール・クストリッツァ監督自身が演じる)も年齢が高すぎるが。

とはいえ,情熱,狂気,残酷さ,ユーモア,生命力,といったものに満ち溢れた魅力的な映画である。森や山や川や湖の景色は美しく,全編を彩るバルカン風音楽は強烈だ。


◆   ◆   ◆


全体で3つのパートに分かれる映画である。

<前半>

ボスニア内戦を彷彿とさせる激戦の中,前線にミルクを配達する男がいた。名をコスタ(エミール・クストリッツァ)という。肩にハヤブサを載せ,傘を差し,ロバにまたがり,銃弾の飛び交う中,平然と配達を続ける。周囲からは頭のおかしい奴だと見られている。

そんなコスタを好きになっているのが,コスタの配達するミルクを生産している家の娘,ミレナ(スロボダ・ミチャロヴィッチ)である。ミレナにはジャガという兄がいる。凄腕のスナイパーで村の英雄である。ミレナは兄の花嫁探しをしていて,難民キャンプにいたイタリア女(モニカ・ベルッチ)に白羽の矢を立てた。

ミレナの家に迎えられた花嫁(モニカ・ベルッチ)は,ミレナの家に出入りするコスタに魅かれるようになった。コスタはミレナの気持ちを知りながらも花嫁にも魅かれ始める。

そしてある日,停戦が合意され,村に平和が戻ってきた。ミレナの兄,ジャガも帰ってきて,いよいよ結婚式を挙げることになった。これに合わせてミレナもコスタと結構しようとする。ダブル結婚式である。コスタはジャガの花嫁とミレナの間で揺れ動くいていた――。


<後半>

コスタと花嫁(モニカ・ベルッチ)とミレナの三角関係は突如終焉を迎える。

謎の特殊部隊が村に現れ,家々を焼き払い,村人を皆殺しにしてしまったからである。

実は,かつて,花嫁に恋した多国籍軍の英国軍の将軍がいた。花嫁に恋焦がれるあまり,妻を殺してしまい,投獄されたため,今では花嫁を恨んでいる。村を焼き払った特殊部隊は,この将軍が送り込んだもので,「生死にかかわらず,女(モニカ・ベルッチ)を連れて来い」と命じられている。

辛うじて虐殺を逃れたコスタと花嫁は逃避行を始める――。


<後日譚>

逃避行から15年後。

コスタは修道僧となっていた。毎日袋いっぱいの砕石を背負い,野を越え山を越え,どこかに運んでいく。その目的とは??


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本作はとにかく,動物が良く出てくる映画である。ハヤブサもロバもアヒルもヘビもクマも,俳優陣に負けず劣らず芸達者で表情豊かである。ハヤブサとヘビは,とくに重要な役割を担っているので,目が離せない。


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イタリアの至宝であるモニカ・ベルッチもさりながら,エレナを演じるスロボダ・ミチャロヴィッチも魅力的な女優である。酒と歌と踊りが好きで,度胸もある女を演じている。年が一回り以上違うが,モニカ・ベルッチと並んでも遜色はない。この二人に愛されるコスタはとんだ幸せ者である。まあ,物語全体は悲劇の方向に流れていくので,不幸とも言えるが。

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2018.01.14

アレハンドロ・ホドロフスキー監督『エンドレス・ポエトリー』を観てきた

今日は夕方からYCAMでアレハンドロ・ホドロフスキー監督の『エンドレス・ポエトリー』(2016年,フランス,チリ,日本)を観てきた。

Sendlesspoetry

アレハンドロ・ホドロフスキー監督自身の青年時代を描いた映画。舞台は第2次イバニェス政権成立時のチリの首都サンチアゴ。とは言っても虚実ないまぜで描いている。この手法はマジック・リアリズムというのだそうだ。映像はヴィヴィッド,極彩色で,フェリーニ,鈴木清順,大林宜彦らを彷彿とさせる。どぎつい描写が多いが,映画全体的からは生きる喜びが溢れ出している。

ホドフスキー監督自身が老いたアレハンドロとして登場し,若いアレハンドロを監督の末子のアダン・ホドロフスキーが,アレハンドロの父・ハイメを監督の長男のブロンティス・ホドロフスキーが演じている。ホドロフスキー一家総動員だ。

あと,若きアレハンドロの芸術仲間に合体ダンサーという男女二人組が出てくるのだが,その女の方を日本人ダンサーの伊藤郁女が務めている。

Sendlesspoetry2


老いたアレハンドロは若きアレハンドロに語る。老いるのは悪くないと。

人は老いることで,いろいろなことを手放すことができる。セックス,財産,名声,そして自分自身を。

大事なのは,とにかく自分自身を生きることだ。


今年の映画初めはこの一作。一年を生き抜くためのエネルギーを貰いました。

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2018.01.08

『西郷どん』には『翔ぶが如く』の残り香が芬々(ふんぷん)

昨晩,NHK大河ドラマ『西郷どん』を観たわけだが,随所に『翔ぶが如く』の残り香が感じられた。

『翔ぶが如く』で西郷隆盛を演じた西田敏行は『西郷どん』ではナレーションを担当。

同じく『翔ぶが如く』で大久保利通を演じた鹿賀丈史は『西郷どん』では島津斉興(しまづなりおき)を演じている。

『西郷どん』には『翔ぶが如く』へのオマージュの要素があるのかもしれないが,同じテーマのドラマで,別の役とは言え同じ俳優たちが関わっているあたり,ひょっとして日本の俳優の層って薄いのではないだろうかと感じざるを得ない。


あと,西郷隆盛の三人目の妻,糸(イト)の件。

『西郷どん』で糸を演じているのは黒木華。ドラマの冒頭,上野で西郷隆盛の銅像の除幕式が催行される。この列席者の中には老いた糸の姿があるのだが,これが,田中裕子そっくり。田中裕子は『翔ぶが如く』で糸を演じたことがあるので,これもオマージュか?

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松の内にテレビで観た映画やドラマ3本

チラシの裏に書くべきことを,ブログに書いてしまうわけである。


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(その1)『君の名は。』を観た

1月3日,テレ朝系で新海誠監督『君の名は。』が放送された。老生は録画して後日鑑賞した。

以前のブログ記事で書いたように(参考),老生は去年の3月,YCAMで『秒速5センチメートル』を観た。その時の記憶を踏まえると『君の名は。』は『秒速5センチメートル』の別解のような気がした。あと,この映画は東日本大震災に大きな影響を受けているのだろうと思った。

携帯電話が主人公たちのコミュニケーションツールとして重要な役割を担っているというのは,『ほしのこえ』や『秒速5センチメートル』と同じ。老生がすごくいい演出だと思ったのは,瀧のスマホに残されていた,三葉と瀧の会話の記録が文字化けし,どんどん消え去っていくシーン。

奥寺パイセン(長澤まさみ)の位置づけについてはfinalvent氏がしっかりと考察しているので(参照)一読されたい。


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(その2)『精霊の守り人』を観た

NHKの大河ファンタジー『精霊の守り人』(主演:綾瀬はるか)を3年に渡ってずっと観ている。視聴率が振るわないようだが,老生としては見ごたえを感じている。

今回の最終章ではタルシュ帝国が海を越えて新ヨゴ国に攻め寄せてきている。その戦争シーンが「203高地」的というか,「プライベートライアン」的というか悲惨極まりなくて素晴らしい。訓練も受けず寄せ集められただけの新ヨゴ国の農民たちが,粗末な武器を手にタルシュ帝国の重装歩兵に立ち向かわされ,一方的に虐殺されていく。『シン・ゴジラ』で監督・特技監督を務めた樋口真嗣監督による演出である。さすが。


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(その3)『西郷どん』を観た

維新150年ということで始まった大河ドラマ『西郷どん』。鈴木亮平は作品ごとに体を仕上げてくるのが凄い。日本のロバート・デ・ニーロだ。

お由羅の方(小柳ルミ子)と斉彬公(渡辺謙)は江戸生まれなので,他の登場人物たちと違って江戸言葉を話している。細かい演出。神は細部に宿る。

オープニング曲に関して: 始まりが高校野球のブラスバンドによる応援曲を彷彿とさせるが,後半に女性の声が入ると,『龍馬伝』がフラッシュバックしてくる。幕末ということで意識したか?

いまのところ,西郷どんは心の美しい人として描かれるような感じ。だが,竜馬暗殺の首謀者説もあるなど,実際の西郷隆盛は結構な謀略家であるとも考えられ,そういった暗黒面との調和はどうすんだろうというのが気になるところである。

あと,「維新150年」はあくまで新政府側の表現で,会津はじめとする佐幕派の皆さんにとっては「戊辰戦争150年」であることに留意されたし。

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2017.12.24

ジョシュ&ベニー・サフディ監督『GOOD TIME』を観てきた

この土曜日(天皇誕生日)の午後,YCAMで『DARK STAR H.R.ギーガーの世界』とジョシュ&ベニー・サフディ監督『GOOD TIME』(2017年,アメリカ)を立て続けに見てきたわけである。本記事では『GOOD TIME』のことを書く。

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【あらすじ】
ニューヨークの最下層で生きるコニー(ロバート・パティンソン)は,知的障害のある弟ニックと組んで銀行強盗を実行。しかし,弟だけが警察に捕まる。コニーは弟の保釈を図り,金策のために夜の街を奔走する。果してその試みは成功するのか?

"Don't be confused. Just make it worse to me"

息つく暇もないほどのスピード展開。チンピラ・コニーは言葉巧みに人々を翻弄する。だがそれらは全て弟ニックを救うため。疾走感を支えるのが"Oneohtrix Point Never"による劇伴すなわち音楽である。ブライアン・イーノとかヴァンゲリスを彷彿とさせるが,もっと焦燥感がある。映画は映像と音楽が命だ。

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YCAMで『DARK STAR H.R.ギーガーの世界』と『GOOD TIME』二本立て

本当にもう,どう言ったらいいのかと思うほど,YCAMのシネマ担当者のセレクションは素晴らしい。

この土曜日(天皇誕生日)の午後,YCAMで『DARK STAR H.R.ギーガーの世界』とジョシュ&ベニー・サフディ監督『GOOD TIME』を立て続けに見てきたのだが,実に良かった。

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まず,『DARK STAR H.R.ギーガーの世界』(ベリンダ・サリン監督,2014年,スイス)について書いておこう。

『エイリアン』の造形でお馴染みのH.R.ギーガーの創作の裏側に迫るドキュメンタリーなのだが,おどろおどろしい作品群からは想像もつかないほど,ハートウォーミングな内容だった。『人生フルーツ』思い出したぐらい。異次元世界をこの世界に橋渡ししてしまう,ギーガーという稀有な天才は,現在の妻(カルメン・ギーガー),妻の母,元妻,元パートナー,両親等々,彼の才能を認める人々によって支えられている。

彼の秘書を務めているのは,エクストリーム・メタル・バンドのメンバー。音楽活動が認められなかった時代にギーガーの作品によって救われたという感謝の念を示していた。H.R.ギーガー美術館で開催されたサイン会には世界中からファン(メタル,パンク系の若者)が押し寄せ,サインをもらって泣き出すタトゥーだらけの男性もいたぐらい。ギーガーって本当に愛されているんだなーと観ているこっちまで嬉しくなった。

ギーガー本人や周囲の人々の証言を聞きながらギーガー作品を見ていると,闇だけでなく,光明やユーモアまで感じられてくるから不思議。

ギーガーにとっての人生最大の事件は,パートナーだったリー・トブラーを失ってしまったこと。ギーガー作品中の女性像はリーそのものであり,ギーガーに多大な影響を与えたことは確かである。ギーガーの作品世界に毒されたのかどうかわからないが,リーは精神を病み,1975年に自殺した。この事件はギーガーに深い傷を負わせた。だが,ギーガーはこの危機を乗り越え,作品を生み出し続けた。

73歳になり,気の置けないスタッフと食事を共にするギーガーは満足そうに見える。ギーガーはインタビューに対して「見たいものは見てきたし,やりたいことはやってきた。生まれ変わって人生を一からやり直すのはごめんだ」ということを言っていた。ショーペンハウアーのように満ち足りた晩年。羨ましい限りである。

追白 本作のあちこちに登場する愛猫ムギ(Muggi)はとてもかわいい。


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ジョシュ&ベニー・サフディ兄弟の『GOOD TIME』については次の記事で書く。これは天才的な作品。

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2017.11.26

【YCAMでタルコフスキーマラソン】『ノスタルジア』と『惑星ソラリス』を観てきた

YCAMで「タルコフスキー特集2017」というのをやっている,というのは昨日の記事で書いた。

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今日はタルコフスキーマラソンの続きで,ツマとともに,『ノスタルジア』(1983年,126分)と『惑星ソラリス』(1972年,160分)を2本続けて観てきた。

『ノスタルジア』(1983年,126分)。これもまた水分の多い映画で,イタリアが舞台だから少しはカラッとしているかと思ったら,ドメニコの家の中の雨漏りやら温泉地での湯けむりやら,水気から逃れることはできなかった。ドメニコの焼身自殺と,アンドレイの命を張った温泉横断との連動が見事。祈りが世界を救うというのは『サクリファイス』と同じモチーフ。


『惑星ソラリス』(1972年,160分)。スタニスワフ・レムの原作だと,「生きている<海>と人類との奇妙な交渉を通して,人間の認識の限界に挑む」のがテーマなのだが,タルコフスキーは,愛,良心,郷愁について深く考察させる作品に仕上げた。原作と全然違うものになってしまったため,レムとタルコフスキーの間に亀裂が走ってしまったというのは有名な話。あと,首都高が未来都市として登場するのも有名。

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というわけで2日続けてのタルコフスキーマラソン。タルコフスキーの長編は7つだけなので,そのうち4本をまとめて観るという,滅多にない機会を与えてくれたYCAMに感謝。

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2017.11.25

【YCAMでタルコフスキーマラソン】『鏡』と『ストーカー』を観てきた

YCAMで「タルコフスキー特集2017」というのをやっている。

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any会員だと500円で見られるというので,『鏡』(1975年,110分)と『ストーカー』(1979年,163分)を2本続けて観てきた。

タルコフスキーと言えば,テオ・アンゲロプロス並みにしんどい映画ばかりである。だが,今回,マラソンないし耐久レースのつもりで,できる限り見てみることにした。

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』も『ストーカー』もタルコフスキーらしく,水分たっぷりの映像。地面はぬかるみ,草ぼうぼう。霧が広がり,雨が降る。それを詩情たっぷりに撮るのがタルコフスキーである。

』は,<私>の過去と現在を交錯させた映像詩。幼いころの思い出,若い頃の母,いなくなった父,扁桃腺を腫らして寝込んでいる現在の<私>,第二次世界大戦,中ソ国境紛争などなど家族とロシアの激動の20世紀を重層的に映し出した作品。ラストで,現在の老いた母が幼い<私>と妹の手をとって,森の中を歩いていくシーンは音楽と相俟って感動的だった。


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ストーカー』は,「ゾーン」と呼ばれる,人を容易に近づけない空間を巡る物語。「ゾーン」には<部屋=комната>と呼ばれる願いが叶う場所がある。そこに行くためには「ゾーン」の案内人である「ストーカー」を頼らなくてはならない。ある時,「ストーカー」と「教授」と「作家」の3人が<部屋>を目指して,「ゾーン」に侵入するのだが……。

意地の悪い見方をすると,『ストーカー』は,主人公たち一行が小難しい議論を繰り広げながらびしょびしょに湿った森や野原やトンネルや廃屋を延々と彷徨っているだけの映画に見える。だが,閉塞的なソビエト社会の暗喩だという話を聞くと納得。


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上映中,あえなく討ち死に(睡眠)してしまう客もいた。まあ,そのぐらい,タルコフスキー作品は気力・体力が必要な映画である。ところが,観終わってみると,あのシーン,このシーンと思い出されてきて,また見たくなってしまうから不思議。中毒性が高いと言われる所以である。

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2017.11.14

勝手に直虎:氏真が本能寺の変の引き金を引くと思うね(妄想)

チラシの裏に書くべきことを,ここにメモしておく。

おんな城主直虎』第45回の終わり頃,太守様こと氏真が急に覚醒した。これに刺激を受けて,今後のドラマの展開を勝手に予測した:

  • 氏真が本能寺の変の引き金を引く
  • 龍雲丸が伊賀越えをサポートする


◆   ◆   ◆


はじめの「氏真が本能寺の変の引き金を引く」について。

第46回以降,氏真は,今川一門の血を引く築山殿と信康を死に追いやった信長に対して復讐の念を抱く筈。そして,ある機会をとらえて,明智光秀に信長を討たせるのではないか,というのが老生第1番目の妄想である。

もちろん,今川氏真が明智光秀を裏で操るようなことは不可能。だが,信長に対する不満で爆発寸前になっている光秀が,氏真の一言で,クーデターを決意する,ということはあるかも。

氏真と光秀が出会う機会はあるのか,という疑問があると思うが,氏真はしばしば京を訪れ,歌や連歌や蹴鞠などの文化活動に励んでいる。光秀も教養人として名高い。都の近辺で連歌の席があれば,高名な二人が出会う機会はあるかも。

さて,光秀が謀反を決意したのは天正10(1582)年5月28日,愛宕山・西坊威徳院での連歌会,通称「愛宕百韻」の席でのことであった――というのが,よくある俗説である。この席に氏真が混じっていたとすれば? そして連歌,もしくは席上での雑談によって,光秀を刺激したとすれば……。

氏真は1614年まで生き残る人物である。駿河を失った後もこのドラマでは準レギュラーのようにぴょこぴょこ出続ける。このドラマが,戦国の人々,それも敗れ去った人々のしぶとさを一つのテーマとしているのであれば,最後の最後まで氏真は出続けるだろう。そして,何か大仕事をなすのではなかろうか,ということで考えたのが上述の妄想である。


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つぎの「龍雲丸が伊賀越えをサポートする」について。

『おんな城主直虎』第38回で龍雲丸はおとわ(直虎)と別れ,堺に移った。そのままであれば,本能寺の変の頃も龍雲丸は堺で商売を営んでいたことだろう。

さて,本能寺の変の際,家康一行(井伊直政含む)は堺を遊覧中であった。窮地に陥った一行は三河を目指して伊賀越えを行うわけだが,このとき,山賊やならず者の間にネットワークを築いている龍雲丸が手助けをする可能性はありそうだ。

ついでながら,本能寺の変の翌々月,天正10(1582)年8月,直虎は死去する(参照)。家康と直政を無事に領国に送り届けた後,龍雲丸が直虎の最後を看取ったとすれば,まさしくドラマの如き大団円。これが老生二番目の妄想。


◆   ◆   ◆


『おんな城主直虎』を担当する森下佳子の脚本は,伏線だらけでさらに伏線が意外な形で回収される。素晴らしい職人芸。

だとすれば,氏真,龍雲丸といった強烈なキャラクターたちが最終回に向けてこのまま捨て置かれたままなどということがあろうか?

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