2024.05.23

『<学知史>から近現代を問い直す』所収の「オカルト史研究」を読む

有志舎からこの春に刊行された『<学知史>から近現代を問い直す』を読んでいる。

「学知史」という言葉は聞きなれない言葉だが,人文科学諸分野(歴史学とか思想史とか)の学説史・研究史を横断的に研究する方法論(リサーチ・メソドロジー)である。とは言っても形成途上の方法論なので,スタイルは固まっていない。

本書には大正期から最近までの様々な分野の研究の歴史をまとめた論文が収められている。

例えば斎藤英喜「『日本ファシズム』と天皇霊・ミコトモチ論―丸山真男,橋川文三,そして折口信夫―」とか山下久夫「『文献学者宣長』像をめぐる国学の学知史―芳賀矢一・村岡典嗣・西郷信綱・子安宣邦・百川敬仁―」とか。

学説史・研究史というのは研究者ありきなので,具体的な研究者名がサブタイトルに登場する。やはり人は人のことを知るのが好きなんですよ。

さて,面白そうな論文がひしめき合っている中,最も目を引いたのが,

栗田英彦「ポスト全共闘の学知としてのオカルト史研究―武田崇元から吉永進一へ―」

である。

最近「オカルト2.0」なんか読んだから「オカルト」に過剰反応する。

この論文,出だしの一文が良い:

「近年,オカルト(オカリティズム・エソテリシズム)史研究が国内外で脚光を浴びている。」(『<学知史>から近現代を問い直す』280ページ)

まさしくそんな気がする。

以降,オカルト史(エソテリシズム史)研究の日本代表として吉永進一を取り上げ,その研究の変遷,アプローチ手法のみならず,ニューウェーブSF読書経験やオカルト体験についても概説してくれる。要するにこの論文はほぼ吉永進一の評伝となっている。

栗田氏は吉永進一の発言を踏まえて,その研究姿勢を次のようにまとめている:

「つまり,アカデミズムのエティックな概念で対象化することで安全な立場に立つ,つまり「客体として取り出して整理する」というのではなく,「自己に戻って」自分の問題として捉えることを重視する。その意味で「オカルト」とは実体的領域を示す客観的概念というよりは,むしろその実体性や客観性を掘り崩して,自分の問題として考えるための方法論的な概念として用いられていることがわかる。」(『<学知史>から近現代を問い直す』295ページ)

そういえば,先日読んだ「オカルト2.0」の著者もオカルトを研究対象としつつも,自分の問題として捉えていた。オカルト史研究の典型的な研究姿勢なのだろう。

竹内裕=武田崇元=有賀龍太からの影響のほか,浅田彰や安彦良和にも少し触れられていたりして,オカルト史研究というのは,在野とアカデミズムの境目の無い,学際的な領域なのだなぁと感心した。

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2023.11.08

データ主導時代に抗して

3年ほど前の『學士會会報』に掲載された照井伸彦先生の「マーケティングにおけるビッグデータの活かし方」(『學士會会報』No.944,2020,pp.13 - 17)を読んだ。

ビッグデータの威力を認めつつも,データ至上主義に流れがちな実業界とアカデミアに警告を鳴らすような内容だった。

要約すれば:

――ビッグデータを扱う人々は,データ主導の「帰納-発見」アプローチに偏りがちで,中には

  • 「量」が「質」を凌駕する
  • 「検索」と「相関」ですべてが予測できる
  • 「理由」ではなく「答え」があれば十分

と考える人々も登場している。

これは,従来の科学の共通認識である,分析対象を理解するための理論として構造(モデル)や変数間の因果関係が大事という考え方の軽視,換言すれば,理論主導の「仮説-演繹-検証」アプローチの軽視につながる。

学問にせよ,実務にせよ,両アプローチでバランスよく問題に取り組まなくてはならない――

という内容だった。

これを読んで思い出したのが,グレゴリー・ベイトソン。

ベイトソンは『精神の生態学へ』の序章「精神と秩序の科学」でこんなことを言っている:

「科学の発展は圧倒的に帰納的なプロセスであり,またそうであるべきだと信じている研究者が,特に行動科学の領域に多く見られるようだ」

帰納的なプロセスというのは,先の「データ主導の『帰納―発見』アプローチ」にあたる。

観察された事実から理論を構成するのは別に悪いことではないのだが,こればかりやっていると,適用範囲の小さい無数の理論ばかりになって,全体を見通せる理論を構成できなくなる,という事態に陥る。

(ちなみに科学における理論は,一定の期間,検証され支持されてきた仮説にすぎない。いずれの理論も,研究が進めば別の理論へと置き換えられる可能性を有している。)

ベイトソンは適用範囲の小さい無数の理論のことを,「いまだ検証中の『仮説』」,「『研究促進的』概念」と呼んでいる。

「研究促進的」概念を,多くのデータによって検証し,改善していけば,いずれ「基底の知」と言うべき根本の理論に到達するというのが研究者たちの考え方であるが,実際はどうか? 無数の「研究促進的」概念だらけになっているではないか,とベイトソンは指摘する。

「精神と秩序の科学」が書かれたのは1971年。それから半世紀経ってビッグデータの時代が訪れ,「帰納性偏重」の度合いはさらに強まっているのではないか。

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2022.11.18

モンゴル語の"Л (L)"の発音

モンゴルに行くことになった。

たぶん挨拶以外は使わないと思うが,モンゴル語を少しばかり学んでいる。

どの外国語を習おうともかならず難しいことに直面するのだが,モンゴル語の場合,"Л (L)"が厄介である。

英語などのLの発音を行うふりをして(舌先を上の歯茎につけたまま),舌の両端から息を出し,「シ」にも「ヒ」にも聞こえる音を発するのである。

参考:東京外国語大学言語モジュール:モンゴル語:発音:実践編

このモンゴルのLの発音については梅棹忠夫も『実戦・世界言語紀行』で「サ行のエル音」として一節を割いて語っている。

Mongolはモンゴ<す/ふ>になるわけである。

「海」という意味を持つダライ・ラマのдалай(dalai)はダ<さ/は>イになる。

言語学では「無声歯茎側面摩擦音」と呼び,国際音声字母は"ɬ"である。

ちなみにチベット語には「無声歯茎側面接近音」"l̥"と言うのがあり,エル(流音)の世界は奥深い。

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2021.12.10

『学術出版の来た道』を読む

有田正規『学術出版の来た道』(岩波書店)を読んでいるところである。

学術出版というのは特殊な世界で,研究者たちのインフラストラクチャーの一つである。一般の読者もいないわけではないが基本的には,研究者たちだけが執筆者となり,研究者たちだけが読者となっている。

"Publish or Perish"という言葉があり,研究者が研究者として生存するためには,研究成果を公表し続けなくてはならない。公表先はどこでも良いかというとそうではなく,一定の評価を受けた学術誌で公表しなくてはいけない。

学術誌,通称ジャーナルは,学会あるいは学術出版社が発行しているが,どんな論文でも掲載されるわけではなく,審査(レフェリー制)あるいは査読(ピアレビュー制)(日本では両方まとめて査読という)をパスしないと掲載されない。

そして今,学術誌の覇権を握っているのは各種学会ではなく,少数の学術出版社である。

そうした学術出版社の成り立ちを解説してくれるのがこの本である。研究者でも知らないことばかり教えてくれる。

豆知識も豊富で,例えば,

  • 世界初の学術誌は"Journal des Scavans"
  • ピアレビューは1970年代から広まった(歴史が浅い)
  • アインシュタインの論文は査読を経ていないものばかり

というようなトリビアが散りばめられている。

学術出版社の覇権によって生じた様々な弊害(例えば費用面:百万円を超えるネイチャー誌のオープンアクセス費用を負担できる研究者は限られているし,大学図書館向け学術誌一式の購入費用は年間数千万円から数億円。)を乗り越え,今後研究者コミュニティがどう振る舞うべきかという課題が最後に提示されている。

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2021.06.03

Proton sea | 陽子の海

陽子(ようし,proton)は3つのクォークで構成されている。

というのは聞いたことがあるが,最近の話では,陽子は3つどころかたくさんのクォークで構成され,海のようになっているということだ。

これをProton sea,陽子の海という:

"A new look at the proton sea", Physics Today

物理の世界では素粒子等の質量をeV(電子ボルト,エレクトロンボルト)という単位で表す。

陽子の質量は938 MeV(メガエレクトロンボルト)だが,クォーク1個だと数MeVにしかならないから,クォーク3つだけでは陽子の質量にははるかに及ばない。たくさんのクォークで構成される陽子の海を想定しないと,陽子の質量の説明がつかないわけである。

陽子の海の構造を知ることは,粒子加速器で陽子―陽子衝突の実験をやったときに何が出てくるのかを予測するうえで役立つとか。

 

どうでも良い話だが,『三体』シリーズでは,三体人が,陽子の11次元構造を2次元に展開し,その上に集積回路と人工知能を乗せて「智子」を作り,地球に送り込むというスーパーテクノロジーが出てくる。

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2021.04.03

英語発達史|中英語 (Middle English) その2

民族の混淆による文法の単純化

古英語から中英語への変化は,ノルマン・コンクエストによって突然始まったわけではない。言語というのは常に変化し続けるものだからである。

古英語の時代からすでにデーン人の領域(デーンロウ)で英文法の単純化が始まっていた。

民族の混淆による文法の単純化である。

例えばいま,アングロ・サクソン人とデーン人が会話をしているとしよう。

デーン人が「(複数の)舟が」と言おうとする。

デーン人の古ノルド語では舟のことを"skip"と呼ぶ。このとき,デーン人はアングロ・サクソン人たちが一艘の舟を"scip"と呼んでいたことを思い出す。また,一匹の犬を"hund",何匹もの犬を"hundas"と呼んでいたことも思い出す。

結果としてデーン人は名詞(単数・主格)に"as"をつければ複数形になると考える。そして初めに戻って,「(複数の)舟が」という言葉を"scipas"と言うだろう。

実は古英語では,scipの複数・主格は"scipu"であり,"scipas"ではない。だが,アングロ・サクソン人はデーン人が「(複数の)舟が」と言っていることを認識するだろう。

※ちなみに古英語では「一匹の犬の」と言うときには"hundes",「一艘の舟の」と言うときには"scipes"となり,単数・属格の語尾は"es"で共通している。

こうして,単数・属格の語尾は"es",複数・主格(と対格)の語尾は"as"という組み合わせがあらゆる名詞に適用されていく。

ブラッドリは言う:

「-es, -as変化型が他の全ての変化形に取って代わったのをノルマン征服の結果と考えるのは俗間の謬説であって,実際にはこの変化はノルマン征服以前に始まっており…」(寺澤芳雄訳『英語発達小史』50ページ)

「英語の文法組織が最も早く単純化したのは,まさしくデーン人が居住した地域であった…」(寺澤芳雄訳『英語発達小史』46ページ)

 

記録者がいない

文字で書き記すと言葉は固定化する。逆に記録を残さないと,言葉は変化しやすくなる。

ノルマン・コンクエストによって支配層がノルマン人だらけになった。そして読み書きができる知識人もフランス語(ノルマン語)ばかり読み書きするようになった。教会の司祭もそうである。

その結果,アングロ・サクソン語の綴りや文法に精通した人がいなくなる。これによって文法や綴り方といった枷はなくなり,一般庶民の会話の中で英語はどんどん便利で単純なものへと変化していく。文字を見ないと,曖昧に発音されていた母音が"a"だったか"e"だったかわからなくなる。とりあえず"e"の発音で済ませることになる。

先ほど書いた「-es, -as変化型」への単純化は,さらに「-es変化型」へと単純化される。

 

表舞台から消えていた間,英語は他の欧州の言語に見られないような文法の単純化,屈折語から孤立語への変化を続けていた。

 

<参考文献>
ヘンリ・ブラッドリ『英語発達小史』(岩波文庫)
メルヴィン・ブラッグ『英語の冒険』(三川基好訳,講談社学術文庫,2008年)

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2021.03.30

英語発達史|中英語 (Middle English) その1

ノルマン・コンクエスト

10世紀ごろ,ロロという大男に率いられたヴァイキングの一派がフランス北西部コタンタン半島周辺に定着した。彼らをノルマン人と呼ぶ。

ロロはフランス王から公爵の位を授かった。ロロの子孫はノルマンディー公,ノルマン人たちの土地はノルマンディー公国と呼ばれるようになった。

Rollon Falaise (Calvados)

↑ロロの銅像

 

ノルマンディー公の一族,ようするにノルマンディー家はイングランドのウェセックス家と婚姻関係を結び,デーン人からの攻撃に苦しむウェセックス家を支援した。

このノルマンディー家とウェセックス家の同盟・縁戚関係がイングランドにとって裏目に出るのが11世紀半ばのことである。

BayeuxTapestry39

↑ブリテン島に続々と上陸するノルマン軍

 

1066年,ノルマンディー公ギョームがイングランド王位の継承を要求し,海を越えてブリテン島に攻め込んだ。

イングランド(ウェセックス家)側は敗れ,ギョームはウィリアム1世として即位した。ギョーム (Guillaume) の英語読みがウィリアム (William) である。その王朝をノルマン朝と呼ぶ。

Bayeux Tapestry WillelmDux

↑ギョーム(ウィリアム1世)の一行

イングランド貴族は一掃され,フランスからやってきたノルマン貴族が支配層となった。これがノルマン・コンクエストである。

 

宮廷や行政機関の言葉はフランス語(ノルマン語)になり,英語は300年間公式の場から消えた。

英語史では英語は2度,消滅の危機に見舞われているという。1度目はデーン人の襲来,2度目がこのノルマン・コンクエストである。2度目の方が厳しいように思われる。なにしろ,支配層はフランス語しか話さないし,推計10,000語以上のフランス語(ノルマン語)がイングランドに持ち込まれたのだから。

 

だが,表舞台から消えたのにもかかわらず,英語は被支配層の間で使用され続け,しかも後の世界展開に繋がる,目覚ましい文法的変化を続けていた。古英語から中英語への変化もしくは進化である。

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英語発達史|古英語 (Old English) その3

修道士たち

デーン人たちが持ち込んだ古ノルド語の他に,古英語の語彙を増強したのが,修道士たちが持ち込んだラテン語である。

ローマ・カトリック教会とケルト系(アイルランドおよびスコットランド系)キリスト教という2つの系統の修道士たちは,イングランド人の魂を救うという熱い思いを旨に,アングロ・サクソン人たちのキリスト教化を進めた。

聖アウグスティヌス,聖パトリック,聖コルンバといった修道士たちの苦闘を描くと,メル・ギブソンがまた映画化してしまうのでここでは省略。

Columba at Bridei's fort

↑ジョゼフ・ラットクリフ・スケルトン『聖コルンバ』(1906年)Wikimedia Commonsより

 

修道士たちが持ち込んだ言葉としては,例えば,abbot, angel, antichrist, idol, pope, priest, relicといった宗教用語がある。また,cedar, cucumber, ginger, radish, elephant, leopard, scorpion, tigerといったイングランドには無い動植物の名前も修道士たちによって持ち込まれた。


古英語の語彙の構成

Simon Winchesterの"The Meaning of Everything"によれば,古英語の語彙は約5万語。

ブリトン人のケルト語やローマ帝国時代のラテン語に由来する単語はほんの僅かである。

デーン人たちが持ち込んだ古ノルド語や修道士たちが持ち込んだラテン語からの借用語は大量にあり,古英語を豊かにした。しかし,その総量は古英語の語彙の3パーセント程度だろうと見積もられている。

基本的に古英語の語彙のほとんどの部分は,アングロ・サクソン人(今やイングランド人)たちがもともと持っていた言葉から発達したものであった。

 

 古英語の文例

古英語がどんなものだったのか,簡単な例を示す。

【例1 ベオウルフ】

古英語で書かれた叙事詩として『ベオウルフ (Beowulf)』という作品が知られている。最も古い写本は1000年頃に書かれたノーウェル写本である。

Beowulf.firstpage

写本の冒頭11行目にこういう文が登場する:

Þæt ƿæs gōd cyning.

"Þ"は"th","æ"は"ae","ƿ"は"w","ō"は長い"u"である。"cyning"は古英語で"king"のことである。

"æ"を"a","ō"を"oo"で置き換えると,あら不思議,

that was good king.

となった。

 

【例2 主の祈り】

キリスト教の最も代表的な祈祷文が古英語(ウェセックス方言)で残っている。その5行目にこういう文が登場する:

Ūrne dæġhwamlīcan hlāf sele ūs tōdæġ

"Ūrne"は"Our","dæġ"は"day","hlāf"は"bread"。そういえばロシア語で"bread"は<<хлеб>>(khleb)だった。"hlāf"と<<хлеб>>は音が似ている。

"sele"は現代英語の"give"を表す古英語の動詞"sellen"の命令形(単数)である。ちなみに現代英語の"sell"は"sellen"から生まれた。

あと,"ūs"は"us"である。

逐語的に現代英語に直すと,次のようになる:

Our daily bread give us today

現代英語らしく語順を直すと,

Give us our daily bread today

となる。

 

さて,こうして発達してきた英語だが,いよいよノルマン・コンクエストによって存亡の危機にさらされる。

 

<参考文献>

Simon Winchester "The Meaning of Everything: The Story of the Oxford English Dictionary" (Oxford University Press, 2003年)

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2021.03.29

英語発達史|古英語 (Old English) その2

ヴァイキング,すなわちデーン人の襲来

8世紀からヴァイキングの一派,デーン人がイングランドに襲来するようになる。

既に述べたように,アングロ・サクソン人たち(そろそろイングランド人たちと呼んで良いだろう)の王,アルフレッド大王はデーン人と戦い,和議を結んだわけだが,その際,イングランドの一部をデーン人たちの居住地,デーンロウ (Danelaw, 古英語ではDena lagu)として認めた。

デーンロウはイングランドの広い部分を占めており,旧ノーサンブリア王国や旧イースト・アングリア王国などイングランド東部は全てデーン人たちのものとなっていた。

デーン人たちは繰り返しイングランドを襲撃し,そのたびに退去料デーンゲルド (Danegeld)を徴収した。"geld"は"gold",金(きん,かね)のことだから「デーン税」とでも言おうか。イングランド人たちは数年間の平和維持のために13~17トンもの銀を払う羽目になった。

Viking00

11世紀の始め,イングランドのウェセックス家(アルフレッド大王もこの家)の王,エゼルレッド(無思慮王)は,デーンロウに住むデーン人たちを虐殺した。これが引き金となり,デンマーク王スヴェン1世によるイングランド遠征が始まる。

イングランド遠征はスヴェン1世の息子,クヌートに引き継がれ,最終的には,クヌートがイングランド王に即位すること(1016年)で完結する。以後,20年近く,イングランドはデーン人に支配される。

ここら辺の話は幸村誠のコミック『ヴィンランド・サガ(ブリテン編)』で描かれている。

クヌートはこのあと,1018年にデンマーク王位を,1028年にノルウェー王位を継承し,「北海帝国」を築き上げたが,1035年11月に死去した。

彼の帝国が崩壊した後,イングランドには再びウェセックス家が君臨することとなった。

しかしその支配力は弱く,イングランドは11世紀半ばにはフランス北部からやってきたノルマン人に支配されることとなる。

この事件(ノルマン・コンクエスト)により,古英語の時代は終焉を迎える。

 

デーン人たちが英語に与えた影響

さて,8世紀から11世紀にかけてデーン人たちがイングランドに襲来し,ついには支配者となったわけだが,この過程で,デーン人たちの言語,古ノルド語の語彙が英語の中に大量に入ってきた。

例えば,both, same, seem, get, give, they, theirなどは古ノルド語からの借用である。この他,skirt, sky, skill, skinなど,"sk"で始まるスカンジナビアっぽい言葉も古ノルド語からの借用である。

現代英語と古ノルド語の対比を示すと次のようになる:

  • both   báðir
  • same   same
  • seem   sœma
  • get   geta
  • give   gefa
  • they   þeir
  • their   þeirra
  • skirt   skyrta
  • sky   ský
  • skill   skil
  • skin   skinn

このリストに出てくる古ノルド語の"p"みたいな文字"þ"("p"と違って,縦棒が上に長めに突き抜けている)はソーン (thorn)と言って,"th"の発音を表す文字である。古英語では使われていたが,今は使わない。

このリストの単語の他,古ノルド語からの借用語で有名なものとしては"Thursday"がある。意味は「トール(Thor,『マイティ・ソー』に出てくる北欧の神ソーのことだ)の日」で,古ノルド語だと"Þorsdagr"となる。

<参考文献>

Simon Winchester "The Meaning of Everything: The Story of the Oxford English Dictionary" (Oxford University Press, 2003年)

"139 Old Norse Words That Invaded The English Language"(by John-Erik Jordan, Babbel Magazine, October 9, 2019)

"List of English words of Old Norse origin"(Wikipedia)

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英語発達史|古英語 (Old English) その1

アングロ・サクソン人登場

400年代,衰亡したローマ帝国はブリテン島から撤退。そしてゲルマン系部族のアングル人 (Angles),サクソン人 (Saxons),ジュート人 (Jutes)たちがユトランド半島からブリテン諸島に押し寄せてきた。

これらの人々を総称してアングロ・サクソン人という。アングロ・サクソン人の使っていた言葉がやがて古英語となる。

アングル人たちの出身地はユトランド半島南部,アンゲルン半島である。ブリテン島に渡ってからは,イーストアングリア,マーシア,ノーサンブリアに住んだ。

サクソン人たちの出身地はユトランド半島の付け根,北ドイツ低地,現在のニーダーザクセン地方である。ブリテン島に渡ってからは,エセックス,サセックス,ウェセックスに住んだ。

ジュート人たちの出身地はジュートランド半島,つまりユトランド半島北部である。ブリテン諸島に渡ってからはケントとワイト島に住んだ。

彼らアングロ・サクソン人がユトランド半島からブリテン諸島に渡ってきたのは,スカンジナビア半島からデーン人 (Danes)たちがユトランド半島に押し寄せてきたからである。つまり民族移動の玉突き現象。

Anglosaxon

↑ユトランド半島からブリテン諸島への進出(白地図は白地図専門店freemap.jpから入手)

 

アングロ・サクソン人とブリトン人の戦い

ブリテン諸島に渡ってきたアングロ・サクソン人は先住民であるケルト系ブリトン人と戦った。戦いは100年以上続いた。

この時代を舞台とする伝説がアーサー王物語である。アーサーはブリテンの王であり,サクソン人を撃退したとされる。

しかし結局,ブリテン島南部の広い範囲はアングロ・サクソン人たちの手中に納まり,ケルト系ブリトン人たちは,ウェールズ,コーンウォール,スコットランドへと追いやられた。

ついでながら,カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』(参照)もまたこの時代を舞台とする物語である。ブリトン人老夫婦が旅の途中でアングロ・サクソン人の孤児や騎士と一緒になる。いずれこの孤児や騎士の部族によってブリトン人は駆逐される運命にあるのだが…。

アングロ・サクソン人たちはブリトン人たちをwealas,つまり異国人と呼んだ。この単語は後にWalesとなる。

ブリトン人たちはアングロ・サクソン人たちを,初めはSaxonsと呼び,続いてAnglesと呼んだ。Anglesが住む土地はAngliaと呼ばれ,それがEngle, Englisc, Englalandと変化し,今ではEnglandとなっている。

 

アルフレッド大王と古英語

アングロ・サクソン人たちはイングランドに7つの王国を築き,互いに覇を競い続けた。

7王国の名は次の通りである:

  • ノーサンブリア王国 (Northumbria): アングル人
  • マーシア王国 (Mercia): アングル人
  • イースト・アングリア王国 (East Anglia): アングル人
  • エセックス王国 (Essex): サクソン人
  • ウェセックス王国 (Wessex): サクソン人
  • ケント王国 (Kent): ジュート人
  • サセックス王国 (Sussex): サクソン人

Anglosaxon2

サクソン系の国々の名前はいずれも"...ssex"となっているが,サクソンの国という意味である。

"Essex"は"East Saxons","Sussex"は"South Saxons","Wessex"は"West Saxons"の略だと思えばわかりやすい。

これらがウェセックス王国によって統一されるのが,825年である。

イングランド統一が成った頃,ブリテン島には新たな侵略者が現れた。かつて,アングル人,サクソン人,ジュート人たちをユトランド半島から追い出したデーン人である。デーンという名前でわかるように,今のデンマーク人の祖先である。

デーン人の侵略に対抗したのが,ウェセックスの王,アルフレッド大王(在位:871~899年)である。アルフレッド大王はデーン人と和議を結び,イングランドに平和をもたらした。そして同時に,文化の振興に努め,アングロ・サクソン人の言語である古英語の文献の集大成を行った。

 

古英語の特徴

さて,ここで古英語の特徴を述べておく。

古英語は,ユトランド半島出身のゲルマン系部族の子孫の言語であるから,他の印欧語族の言語と同様に屈折語,つまり単語の語尾変化が起こる言語である。

名詞には男性・中性・女性の3種の性があり,また単数と複数の2つの形がある。

名詞の格は主格(主語)・対格(直接目的語)・与格(間接目的語)・属格(所有格)の4つ。実は具格(~によって)という格もあったのだが,これは徐々に消滅した。

現代英語の"dog"は古英語では"hund"である。ドイツ語と同じ。これは男性名詞であり次のように変化する。

  単数 複数
主格(~は) hund hundas
対格(~を) hund hundas
属格(~の) hundes hunda
与格(~に) hunde hunum

主格と対格が同じ形。

現代英語の"ship"は古英語では"scip"である。これは中性名詞であり,次のように変化する。

  単数 複数
主格 scip scipu
対格 scip scipu
属格 scipes scipa
与格 scipe scipum

これも主格と対格が同じ形。

現代英語の"gift"は古英語では"giefu"。これは女性名詞であり,次のように変化する。

  単数 複数
主格 giefu giefa
対格 giefe giefa / giefe
属格 giefe giefa
与格 giefe giefum

 

他にも何通りもの格変化があり,覚えるのが面倒なことこの上ない。

古英語の動詞は人称,単数・複数,時制等に応じて変化する。どのように変化するのかについては本記事では省略。

形容詞もまた手の込んだ変化をするのだが,これも面倒なので省略する。

英語がこの状態のままだったら世界中に広がらなかっただろうと思う。

 

<参考図書>

メルヴィン・ブラッグ『英語の冒険』(三川基好訳,講談社学術文庫,2008年)

Simon Winchester "The Meaning of Everything: The Story of the Oxford English Dictionary" (Oxford University Press, 2003年)

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