2023.04.20

納豆が食べたくなる本|高野秀行『謎のアジア納豆』

随分と時間がかかったが,高野秀行『謎のアジア納豆 そして返ってきた<日本納豆>』を読み終わったところである。

探検家にしてノンフィクション作家の高野秀行が,アジア各地(日本を含む)に広がる納豆の世界を独特なユーモラスな文章で紹介してくれる。

納豆というのは端的に言えば,煮た大豆に納豆菌が作用してできた発酵食品である。

日本人は日本の納豆しか知らないが,本書を読むと,実はタイ,ミャンマー,ネパール,ブータンにも多様な納豆が存在し,しかも作り方,食べ方は様々であることがわかる。火で炙ったり炒めたり。様々な料理に調味料として加えることも多い。

本書を読むまで,納豆は藁についた自然の納豆菌の働きで作られるものだと思っていた。かつては日本ではそうだった。しかし,現在の日本では,商業用の納豆は,雑菌の入らない環境で「菌屋」から購入した納豆菌を煮た大豆に振りかけて製造する。いわば日本納豆は工業製品だということを本書で初めて知った。藁にくるまれている(藁苞(わらづと)と言う)納豆も販売されているが,これも殺菌された藁に納豆をくるんだものであり,藁には納豆菌は除去済みである。

こうした近代的な「日本納豆」の世界から見ると,東南アジア山岳地帯+ヒマラヤの手作り納豆(「アジア納豆」)は本当に納豆なのかという疑問が呈される。アジア納豆は藁ではなく,シダやイチジクやバナナなど身近な植物の葉で煮た大豆をくるんで作っているからだ。ひょっとしたらアジア納豆は麹菌とか別の菌の作用でできた発酵食品なのではないかと…。

そこで,著者はミャンマー(チェントゥン)納豆とブータン納豆を東京都立食品技術センターに持ち込み,日本納豆とアジア納豆ほぼ同じものであることを確認した。

著者はこのときのことを

「合格発表を見に行く受験生のような気分だった」(194頁)

と述懐するが,読者も同じ気持ちになる。

晴れて日本納豆とアジア納豆が同じ納豆菌によってできた発酵食品だということが明らかになり,著者も読者もアジア納豆の探求にますます熱が入る。

先に「独特なユーモラスな文章」と書いたが,言い方を変えれば「饒舌」でもある。そこがいい味を出している。以下のような文章があちこちにある:

「なるほど,納豆原理主義に従えば,シャン州の中でも「自分の出身地の納豆がいちばん」という結論になるのか。 「郷土愛が強いんですねえ」半ば呆れてつぶやくと,信州・飯田市出身の先輩が感心するように言った。「長野県と同じだ」 以後「シャン州は信州なんじゃないか?」というのが先輩の口癖のようになった。」(103頁)

「日本の山形にはプレーンの納豆に塩と米麹を入れてさらに発酵させた「五斗納豆」やそれを商品化した「雪割納豆」というものがあり,東北出身者のある知人は「納豆界の反則王アブドーラ・ザ・ブッチャー」と呼ぶが,ブータンのチーズ納豆と似かよった発想であり,素顔のブッチャーが紳士であるように,決してアウトローな食品ではない。」(430頁)

本書の末尾もまたこのような言葉で締めくくられている:

「納豆の旅は糸を引きながらどこまでも続くのである。」(476頁)

読み終えた途端に,様々な納豆料理を食べたくなった。そんな本である。

| | コメント (0)

2019.10.27

「ピー」と「ノーン」の関係|『タイの基礎知識』を読む

新国王が配偶者の地位をはく奪するなど,いつも目が離せないタイ王国の情勢だが,2014年タイ軍事クーデター以降2016年までの比較的新しい現代タイに関する知識を提供してくれるので非常にありがたいのが,これ,柿崎一郎著『タイの基礎知識 (アジアの基礎知識)』である。出版社は東南アジアについての書籍ではおそらくナンバーワンの「めこん」である。

同じ著者の本としては以前『物語 タイの歴史』を読んだ(参考:「Hard-nosed Thai したたかなタイ」)。

『物語 タイの歴史』も面白かったが,この『タイの基礎知識』はさらに面白く,すらすら読める。

タイが高齢化社会どころか高齢社会に突入していることもわかったし,高等教育(大学以上)の進学率も日本と同レベルの50%に達していることも分かった。タイは発展途上国ではなく,中進国ですらない。先進国一歩手前の国だ。

この本でなるほど,と思ったのが,タイ社会の基盤ともいえる「ピー・ノーン」という個人間の関係性である。「ピー」は兄・姉,「ノーン」は弟・妹を意味し,パトロン・クライアント関係とも呼ばれる。

タイ社会の一員となるためには,すでにタイ社会の一員である人物を「ピー」とし,その保護下にある「ノーン」となればよい。

タイは伝統的に外来の優秀な者をどんどん登用していく社会である。歴史上の人物たちで言えば「アユッタヤー朝で要職に就いた山田長政や,ラッタナーコーシン朝で多数登用された外国人顧問などがその好例である。」(本書20頁)

そういえば,同じタイ系民族の国家であるラオスで,小生はいつの間にかラオス人たちの集まりの末席に加わっていたりするのだが(しかも特別扱いというわけでもなく),これも「ピー・ノーン」関係の中で彼らの一員と化しているのだろうと思った。

あくまでも個人と個人をつなげる「ピー・ノーン」関係で形成されるタイ社会は個人主義社会である。集団主義の傾向が強い日本とは大きく異なる。

 

◆   ◆   ◆

 

「ピー・ノーン」関係は国家レベルでも存在する。かつての「マンダラ」システム(強い王が周辺の弱い国々の王を従える仕組み)もそうだったが,現在ではタイ・ラオス関係にそれが見られる。タイ側からすると「ピー」はタイということになる。しかし,この考え方がラオス人にとっては不愉快なものとなっており,両国の関係をときどきギクシャクさせる原因となっている。本書ではそのあたりを「ラオスとイサーン」という節で触れている。

現代タイ国内の「赤」と「黄」の対立,つまりタクシン派と半タクシン派の対立を「ラーオ」的なものと「シャム」的なものとの対立としてとらえるのは卓見だと思う。

| | コメント (0)

2019.07.08

ラオス秘密戦争(続)

FAC(Forward air controller; 前線航空管制官)任務に就いていたレジナルド・ハソーン少佐は状況を理解していた。わかっていないのはマクナマラと国防省だった。

"It simply was not possible with the tactics we used and the amount of pilots and aircraft we had available to us, though we ad many. Laos was bombed and bombed, but still the enemy came. We pilots knew it was a lost cause, but McNamara and the Pentagon apparently did not." (Reginald Hathorn "Here There Are Tigers", p.66)

 

いくらホーチミン・ルートを叩いても,状況は悪くなるばかりだった。ラオス領内に確保していた親米領域"Cricket West"は日々縮小する一方だった。

"Despite our most valiant efforts, Cricket West was slowly being eaten up by the PLO and the NVA. You could see the area shrinking daily, cratered and bare. It was bombed and burned into oblivion." (ibid., p.54)

それでもパイロットたちの奮闘は続いた。

| | コメント (0)

2019.07.07

ラオス秘密戦争

先日から米空軍少佐レジナルド・ハソーン(Reginald Hathorn)が書いた "Here There are Tigers: The Secret Air War in Laos and North Vietnam, 1968-69" (Stackpole Military History Series)を読んでいる。

ラオス領内に整備されたホーチミン・ルート(Ho Chi Minh trail)を叩き潰すための非公式な戦い,通称「ラオス秘密戦争」を描いた戦記である。

著者はセスナO-2スカイマスター(通称Oscar Deuce)を駆ってFAC(Forward air controller; 前線航空管制官)として作戦に従事した。

戦いは過酷である。3人に1人が命を落とすといわれている。FACは索敵と攻撃位置の指定を任務としているため,低空で低速で飛行せざるを得ず,地上にいるパテトラオやベトナム軍兵士にとっては格好の標的となる。著者の搭乗機もしばしば銃撃を受けている。著者の同僚の中には戦死した者もいる。

他の米軍機も無事ではいられない。低空で攻撃中に撃墜されることがある。パイロットが墜落する機体から脱出に成功しても,今度は地上で殺される可能性がある。本書第10章ではクリスマスイブに撃墜されたF-105のパイロットを救出する作戦が描かれているが,悲惨な結末を迎える。

これはあくまでも秘密の戦争である。著者が従事した作戦のいくつかは"The mission that never was"として存在すら否定される。戦死しても「ラオスで戦死した」などとは記録されない。"lost in hostile action in the extreme western DMZ"つまり「非武装地帯の遥か西で起こった敵対行為により死没」と記録されるだけである。

| | コメント (0)

2019.07.01

"Here There are Tigers"を読む

ベトナム戦争時,ラオスの領土内で展開された秘密の戦争について書かれた戦記を読んでいる。

Reginald Hathorn "Here There are Tigers: The Secret Air War in Laos and North Vietnam, 1968-69" (Stackpole Military History Series)である。

著者は(元)米空軍少佐レジナルド・ハソーン。FAC(Forward air controller; 前線航空管制官)として作戦に従事した。FAC任務は低速機で敵上を低空飛行するため,撃墜の危険性がきわめて高い。著者の場合はセスナO-2スカイマスター(通称Oscar Deuce)を駆って,この任務にあたった。

 

 

なぜ「秘密の戦争」なのかというと,アメリカとラオスは公式には戦争を始めていないからである。

ではなぜ,ラオスで戦闘が展開されるのかというと,北ベトナムが南ベトナム解放戦線(通称Viet Cong)を支援するための補給路として,ラオス領内にホーチミン・ルート(Ho Chi Minh trail)を整備しているからである。これを叩き潰すのが「秘密の戦争」の目的である。

Nakhon Phanom Royal Thai Air Base (NKP)に置かれた23rd Tactical Air Support Squadron (TASS)の所属となった著者は,最初のブリーフィングでこう告げられる:

"I gotta warn you now, this is entirely a secret operation with everything we do and what all is here."

かくして1968年7月末から著者の,北ベトナム軍・南ベトナム解放戦線・パテトラオを相手とした戦いが始まる。

| | コメント (0)

2019.06.04

またLa Cave des Chateauxに行った

ヴィエンチャンにきたら必ず一回はこの店で食べる:

8630

La Cave des Chateaux

10年前にも紹介したフレンチの店である(参照(当時のナンプー公園の姿も見られます))。

Dsc_1258

Dsc_1256

赤と緑のナプキンがブドウをイメージさせてオシャレ。

いつもは肉料理を頼むのだが,今回はアラカルトで2品頼んだ。

Dsc_1599-2

Salade Paysanne.

そして

Dsc_1600

Eggs en cocotte with wine sauce.

そりゃまあ美味しいの一言。

| | コメント (0)

2019.06.02

今年もチャオ・アヌ像に詣でる

今年もヴィエンチャン王国最後の王,チャオ・アヌの像にお参りしてきた。

Dsc_1597

前にも書いた(「ラオス史メモ:チャオ・アヌの戦い」)が,チャオ・アヌはシャムの軛から脱し,ラオ人に誇りを取り戻そうと考えた。

だが,その試みは失敗し,1831年,タイの討伐軍によってヴィエンチャンは完全に破壊され,廃墟と化した。ラオ人の多くは連れ去られた。

Dsc_1598

チャオ・アヌの掲げた右手の先には,メコン,そして,今はタイ領となっているラオ人たちの故地,イーサーンが広がっている。

| | コメント (0)

2019.05.30

ヴィエンチャンで昼ご飯

ヴィエンチャンで昼ご飯を食べようと思ったら,まあそれなりにいろいろな店があるわけです。

筑豊ラーメンの「山小屋」もあります(↓)

Dsc_1585

外観だけだと,ラオスにあることがわからないぐらい。よく見るとラオ文字がちらほら見える程度。

"Home sweet home cafe"という食堂もあります(↓)

Dsc_1586

Dsc_1588

ファンシーな外観や内装のわりにしっかりしたご飯が出てくるのが特徴。

ということでガパオライスを頼んだわけで:

Dsc_1587

これで170,000kipだから安いものです。

| | コメント (0)

2019.05.26

また来ましたラオス

今年もまたラオスに来たわけである。

Dsc_1576

日本も暑いがラオスも暑い。

ヴィエンチャンが最も暑いのが4月で,ピーマイというお祭り(水祭り,タイではソンクラーンという)がある。それに次ぐ暑さを誇るのが5月である。

そんな暑い中,ヴィエンチャン市内を散歩してみた。

Sdsc_1578

ワット・ホー・プラケオ。以前も紹介したが,かつてはエメラルド仏が祭られていた。

かつてヴィエンチャン王国(ランサーン王国が3つに分裂したうちの一つ)はビルマのコンバウン朝に朝貢していた。タイのタークシン王はヴィエンチャン王国を支配下に置くべく,部下のチャオプラヤー・マハーカサット・スック(のちのラーマ1世)をヴィエンチャンに派遣した。

この侵攻の際,多くのラオ人とワット・ホー・プラケオにあったエメラルド仏がシャムに持ち去られた。エメラルド仏は現在ではバンコク(クルンテープ)のワット・プラケーオに安置されている。

 

Sdsc_1581

やはり暑いので日陰を選んで歩く。こういう道はとても助かる。

 

そして例によってタート・ダムへのお参り。

Sdsc_1583

タート・ダムについても以前紹介したが,由来がよくわからない仏塔である。

ヴィエンチャン国王のチャオ・アヌがタイに反旗を翻したときに,ヴィエンチャンはタイ軍によって徹底的に破壊された。

このとき,タート・ダムはかろうじて破壊を免れたものの,ヴィエンチャンの守護の役に立たなかったので,現在まで放置されている――という言い伝えがある。その一方で,役に立った(ヴィエンチャン市民を助けた)という別の話もある。捧げものが置かれていることもあるので,篤くはないがそれなりに信仰されているようだ。

| | コメント (0)

2018.08.23

ラオスでアイスこねこね

ラオス・ヴィエンチャンでは,昼食後に必ずアイスを食べていたものである。

LJカフェという小さな店で注文。

20180807_131743

そのアイスの作り方だが,冷えた板の上にアイスの材料をクレープのように広げ,砕いてカップに入れるというもの。

Sdsc_1210_2
↑彼女が作ります。

Sdsc_1212

チョコレートアイスの材料を広げ,

Sdsc_1213

凍ってきたら,コテでバンバン砕く。

Sdsc_1214

そしてカップに入れて出来上がり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)