2017.12.10

千田稔『伊勢神宮―東アジアのアマテラス』を読む(続)

だいぶ前に出た本である。ちょっと前にも紹介した(参考)が,もう一度,読書感想文を書いてみる。

著者は歴史地理学者。

著者は本書で「日本の神道を論じようとしたのではない。伊勢神宮にまつわる歴史的な文脈を東アジア世界の中でみつめようと試みた。」(217頁)

とはいえ,「アマテラスの誕生」に触れないわけにはいかない。第1章「アマテラスの旅路」第2章「中国思想と神宮」では,海洋民の信仰する太陽神が,道教(北極星信仰)と融合し,国家神へと昇格するプロセスが描かれている。

国家神アマテラスが伊勢に鎮座する理由については,東を聖とする思想と,大和と伊勢の位置関係をもとに論じているが,この説などは以前に紹介した西郷信綱『古事記の世界』(岩波新書)で語られていた「伊勢・大和・出雲の関係性」を思い起こさせてとても興味深い。

「伊勢神宮にまつわる歴史的な文脈を東アジア世界の中でみつめよう」という本書の意図のため,国家神アマテラスの誕生に係る議論は,第1章・第2章に限られており,老生としては物足りない感じがする。

しかし,律令期にアマテラスが国家神として奉祀されたことが,その後,中世・近世・近現代の日本とアジアの関係に影響を与えてきたことを描出した第3章「神国の系譜」,第4章「近大の神宮」,第5章「植民地のアマテラス」は,それはそれで興味深い。

アマテラスに対する民間信仰なかりせば,明治以降の神道の(ほぼ)国教化というのはありえない。しかし,植民地政策の一環として台湾・朝鮮・満洲に神宮創祀が行われたのは,本来の信仰から逸脱していると言わざるを得ない。

戦後,国家と神道とが分離されたことは,伊勢神宮とアマテラス信仰に本来の姿を取り戻させることになったものと見ることができよう。そういう歴史的文脈を踏まえれば,戦後に折口信夫が

「神道にとって只今非常な幸福の時代に来てゐる」

と発言したのはよく理解できる。

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2017.11.15

千田稔『伊勢神宮―東アジアのアマテラス』を読む

インドネシア出張の帰路,千田稔『伊勢神宮―東アジアのアマテラス』を読んでいた。

本ブログではこれまでにアマテラスにフォーカスした本として

の2書を紹介してきた。

前者・筑紫申真版『アマテラスの誕生』は「アマテラスはもともと男神(蛇神)だったのであり,太陽神そのもの(アマテル)→太陽神をまつる女(オオヒルメノムチ)→天皇家の祖先神(アマテラス)と変転していったのだ」という「アマテラスの神格三転説」を唱えており,非常に刺激的な本だった。地方神アマテラスが皇祖神に昇格する過程を「壬申の乱における神助」説と「持統女帝=アマテラスのモデル」説とを用いて明確に提示しているところが特徴的である。

後者・溝口睦子版『アマテラスの誕生』は「タカミムスヒ=太陽神」説や,天智・天武両朝における皇祖神の交代説,すなわち「外来神タカミムスヒから土着神アマテラスへの交代」説を唱えておりこれも刺激的な内容だった。しかしながら天武天皇がアマテラスを重視した理由についてはあいまいな記述で,この点では筑紫申真版に及ばない。

さて,今回読んだ,千田稔『伊勢神宮―東アジアのアマテラス』は,アマテラスの原像を探ることから始まり,古代・中世・近世・近現代におけるアマテラスおよび伊勢神宮の位置づけの変遷について論じている。

上述の筑紫・溝口両氏が追ってきた「アマテラスの誕生」過程を扱っているのは本書第1章「アマテラスの旅路」と第2章「中国思想と神宮」である。

第1章「アマテラスの旅路」では,アマテラスの祖型がアマテル系神社に祀られている海洋民の神・ホアカリノミコトである可能性,そしてホアカリノミコトの起源は中国の江南の地にありそうだという可能性などが述べられている。

また,第2章「中国思想と神宮」では,古代の都と伊勢神宮との位置関係に道教の神仙思想の影響が見られること,アマテラスと西王母は「織女」というキーワードで結び付くことなど,アマテラスおよび伊勢神宮に道教の強い影響が見られることが述べられている。

これらの章で強調されているのは,アマテラスならびに伊勢神宮は東アジア世界で孤立した存在ではないということである。日本神話の源流を考えるときに,よく取り上げられるのが,朝鮮半島を経由した北方系神話,黒潮に乗って島伝いに到来した南方系神話であるが,中国大陸からの直接の影響も忘れてはならない。

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2017.04.27

石母田正『日本の古代国家』を読む

年度が替わって,また忙しくなってきたというのに,こんな分厚い本を読み始めている。

著者は石母田 正(いしもだ・しょう)という,日本古代史・中世史の巨人。唯物史観に基づく著書が多数ある。

唯物史観というと,前世紀の遺物みたいな感じであるが,今読んでみるとかえって新しい感じがする。

この本の中で著者が国家成立の要因として重視するのが対外関係である。そして,キーワードとして「交通」というマルクスらしい概念が登場する。

「ここにいう『交通』とは,経済的側面では,商品交換や流通や商業および生産技術の交流であり,政治的領域では戦争や外交をふくむ対外諸関係であり,精神的領域においては文字の使用から法の継受にいたる多様な交流である」(p.28)

と規定している。

ある共同体の中では,外部との「交通」が無い状態でも,支配層と被支配層のような階級分化はある程度進行する。例えば卑弥呼と下戸,つまりシャーマンと一般人という程度の階級分化は起こる。

しかし,階級分化をより推し進め,国家と呼べるほどの権力機構を成立させるのは「交通」であると著者は述べる。

古代日本の支配層は中国大陸や朝鮮半島との交通を掌握することにより,漢字と統治技術を独占した。

漢字と統治技術を独占する支配層と,文字を持たない被支配層の間には歴然たる差が生じ,知的労働と肉体労働という社会的分業が成立する。

支配層による知的労働の独占を基盤とするのが,律令制国家という古代国家の形だというわけである。

まあ,いつの時代でも,知識とスキルは権力の源泉だったりするわけである。当たり前と言えば当たり前か。

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2017.03.25

古事記ファン必見,ディズニーアニメ『モアナと伝説の海』

タイへ向かう飛行機の中でディズニーアニメ『モアナと伝説の海』を見たのだが,これは良い!!

古事記,というか日本の神話ファンは必見である。

最近はあまり神話関係の記事を書いていないのだが,以前,ポリネシアの神話と日本神話の類似性についての記事を書いたことがある(「ポリネシアの神話」2012年7月13日)

『モアナと伝説の海』はポリネシアの神話を題材とする作品だが,小生などはどうしても日本神話との類似性を見出してしまう。

『モアナと伝説の海』はこんな感じの話である:

とある島に生まれ育った族長の娘・モアナは冒険心に富んだ少女だった。しかし,島の掟により,島民たちは環礁よりも外に出られなかった。ある時,モアナは祖母の教えによって自分たちが大海原を航海する民族であることを再発見し,生まれ故郷の島を飛び出した。そして,半神マウイとともに冒険に出,闇を封じ込め,世界に再び平穏をもたらした。モアナは帰郷後,島民たちとともに,再び大航海に乗り出す。

この映画に出てくる半神(demigod)・マウイは,人類に火をもたらしたという点でプロメテウスのようでもあるが,むしろ日本神話におけるスサノオ(スサノヲ)に近いと思った。なにしろ,風と海を司る半神。スサノオも海洋を支配する神であるとともに,暴風神であるとも言われている。マウイとスサノオ。暴力的な側面とともに,人々に恵をもたらすという側面を持っている点がよく似ている。どちらも「まれびと」やんか。

ポリネシアの神話では釣り針が重要なアイテムとなっている。この映画でも,釣り針は重要で,マウイは巨大な釣り針を武器として用いたり,変身の道具として用いたりしている。日本神話の中にも釣り針が重要なアイテムとなっている説話があることはご存じだろう。いわゆる「海幸山幸」神話である。

モアナとマウイに立ちはだかる敵がいる。テ・カアという溶岩の化け物である。噴火による造山活動を神格化したものだろう。ハワイ神話におけるペレや日本神話における三島神(参照:「林田憲明『火山島の神話』を読む」2014年10月21日)を思い起こさせる。

というように,『モアナと伝説の海』はポリネシア神話と日本神話に共通するモチーフが重層的に散りばめられていて,非常に興味深い。

ついでながら,この映画の中盤と最後には,壮大なサウンドとともに大海原を大船団で旅する人々の姿が描かれるのだが,これが,太古,太平洋中に広がっていった人々,一部は日本にもやってきただろうポリネシア系の人々(星野之宣「火の民族」仮説ですな)のことを思い起こさせ,感動的ですらある。

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2016.01.07

八色の姓とビザンツの爵位制度

吉村 武彦『蘇我氏の古代』を読んでいて,たびたび登場するのが「八色の姓(やくさのかばね)」という身分秩序である。

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「八色の姓」というのは天武天皇が684年に制定した「真人(まひと),朝臣(あそみ),宿禰(すくね),忌寸(いみき),道師(みちのし),臣(おみ),連(むらじ),稲置(いなぎ)」の8つの姓の制度のことである。

もちろん,これ以前にも臣,連のほか,伴造(とものみやつこ),国造(くにのみやつこ),県主(あがたぬし)というような多数の姓が存在していた。それら従来の姓は「八色の姓」の制定に伴って急に廃止されたわけではなく,両者は併存していた。

大事なことは臣,連のような従来の姓の上に新たな4つの姓が制定されたことである。

Wikipediaの記述にはこうある:

「従来から有った、臣、連の姓の上の地位になる姓を作ることで、旧来の氏族との差をつけようとしたという見方もできる」

「八色の姓」の事例のように,従来の身分秩序に手を付けずに新たな身分秩序を制定することによって,身分秩序の再編を行うやり方としては,ビザンツ帝国アレクシオス1世の爵位制度改革が挙げられる。

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この爵位制度改革については根津由喜夫『ビザンツ 幻影の世界帝国』が簡潔に述べているが,より簡単に述べると次のようなことになる:

アレクシオス1世以前,ビザンツ帝国の爵位は次のようになっていた:

  1. カイサル(=副帝)
  2. セバストス(=尊厳者<アウグストゥス>)
  3. ……

アレクシオス1世即位前はセバストスの位を持つ者はアレクシオス1世を含め3名しかいなかった。

しかし,アレクシオス1世は即位後,気前よくセバストスの位を周りのものに与えた。この爵位濫発によりセバストスの価値は希薄化。

続いてアレクシオス1世はセバストスの上位の爵位「プロートセバストス(第一のセバストス)」を制定し,弟に与えた。

これにより,身分秩序は次のようになった:

  1. カイサル
  2. プロートセバストス
  3. セバストス
  4. ……

アレクシオス1世は兄や義兄といった身内の序列を調整するためにさらに新たな2つの爵位を制定した。それが,「カイサル」の上位になる「セバストクラトール(セバストス+先制者)」と「カイサル」とほぼ同等の「パンヒュペルセバストス(いとも至高なるセバストス)」である。

こうして出来上がった身分秩序は次の通りである

  1. セバストクラトール
  2. カイサル
  3. パンヒュペルセバストス
  4. プロートセバストス
  5. セバストス
  6. ……

こうしてカイサルやセバストスといった従来の爵位の価値は低下した。

天武天皇の「八色の姓」にしてもアレクシオス1世の爵位制度改革にしても,姓や爵位のはく奪や降格のような乱暴なことをせずに新たに身分秩序を構成し直せるうまいやり方だと思う。

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2015.12.28

いま,蘇我氏がアツい

この年末になって,急に新書界にブームを巻き起こしているのが,「蘇我氏」である。

現在読書中の本がこれ,吉村武彦『蘇我氏の古代』である。

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この本の特色は,なかなか本題,つまり蘇我氏の話に入らないことである。

第1章「氏の誕生」では「氏」の成立にいたる背景が丁寧に語られている。とくに古代の職能集団の組織化の歴史,つまり,五世紀の「人制」,六世紀の「部民制」,八世紀の「品部・雑戸制」というような制度の変遷については今回初めて知ったところである。

第2章「蘇我氏の登場」に入って,ようやく蘇我氏の話が出てくると思いきや,蘇我氏より前に勢力のあった葛城氏に関する話が始まる。ここで蘇我氏と葛城氏の関係が明らかになり,ついに蘇我氏の話に入るわけである。


◆   ◆   ◆


蘇我氏については,ロマンあふれる渡来人説というのが昔からあった。

昔よく読んでいた豊田有恒の古代史SFでは必ずと言っていいほど「蘇我氏=百済の朴氏」という説を採っていた(百済の高官・木満致<もくまち>と蘇我満智<まち>を同一人物とする説)。

本書でもこの説に一節を割いて検討しているが,

諸事情を考え合わせると,蘇我氏が,韓の地や高句麗から来た移住民ということは考えにくい。(61ページ)

と,渡来人説を一蹴している。


◆   ◆   ◆


当初は蘇我氏のことを知りたくて本書を読んだわけだが,他の豪族の話も面白い。とくに豪族と天皇家の縁戚関係。

本書の84ページには応神天皇以来の天皇の母とその出自に関する表(表2-3)が掲載されているのだが,これを見ると,当時の有力氏族の変遷が分かって興味深い。同表では応神天皇から欽明天皇までが記述されているのだが,小生はこれを大化の改新の立役者,天智天皇(中大兄皇子)まで拡大したものを作ってみた。

天皇母の地位母の出自
応神気長足姫仲哀皇后皇親
仁徳仲姫応神皇后
履中磐之媛仁徳皇后葛城氏
反正
允恭
安康忍坂大中姫允恭皇后皇親
雄略
清寧韓媛雄略妃葛城氏
顕宗荑媛継体妃
仁賢
武烈春日大娘仁賢皇后内親王
継体振媛彦主人王妃垂仁7世孫
安閑目子媛継体妃尾張氏
宣化
欽明手白香皇女継体皇后内親王
敏達石姫皇女欽明皇后
用明堅塩媛欽明妃蘇我氏
崇峻小姉君
推古堅塩媛
舒明糠手姫皇女押坂彦人大兄皇子妃内親王
皇極/斉明吉備姫王茅渟王妃皇親
孝徳
天智皇極天皇天皇/舒明皇后

これを見ると,蘇我氏は欽明朝で地位を確立し,王権への介入を深めていったということがわかる。

著者の吉村武彦先生の言い方では,当時の当主・蘇我稲目が,葛城氏・尾張氏といった先例を踏襲するのみならず,意識的に「身内入り」を強めていったということになるだろう。

本書と同じタイミングで上梓されているのが倉本一宏『蘇我氏―古代豪族の興亡』である。これを読むのはこれから。両方読んで古代氏に強くならねば。

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いま,蘇我氏がアツい。

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2015.07.13

加上説:古い話はあとから作られる

宮崎市定の『中国史』の古代編を読んでいると,「加上説」というのが出てくる。

神話時代の物語は,古い時代に関する話ほどあとから作られたものである可能性が高いという説である。

これを加上説というが,日本神話でも同じようなことがあると言われているので両方を取り上げてみた。

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下の図は日中の神話に対する加上説を並べて図示したものである。

Kajousetsu


まず,中国の神話時代の帝王たちの系譜について。

孔子は理想的な帝王の姿として周の文王・武王を描いた。これに対抗して墨子は文王・武王よりも前に手本とするべき帝王として禹を置いた。これにさらに対抗したのが孟子で,禹の前に,堯・舜といった帝王を置いた。老子・荘子の流れをくむ道家はさらに古い時代の帝王として黄帝を置き,農業の専門家たちである農家は神農をその前に置いた。易学を専門とする儒家の一派はさらに前に伏犠を置いた。

ということで,春秋戦国時代の学者たちは自分たちの学問の祖となる人物をライバル学派の祖の前に置くということを繰り返し,その結果,古代帝王の長い系譜が出来たというわけである。これが中国神話の加上説であり,宮崎市定『中国史(上)』の166~167ページに出てくる。


つぎに日本の記紀神話の加上説について。

これは4年ほど前,本ブログの記事「松前健『日本の神々』(中公新書)を読む」で紹介したので採録になる。松前健『日本の神々』の文章をもう一度引用しよう:

イザナギ・イザナミの国生み神話は,もともと淡路島付近の海人の風土的な創造神話,天の窟戸神話は,もと伊勢地方の海人らの太陽神話,スサノヲの八岐大蛇神話は,出雲の風土伝承,天孫降臨は宮廷の大嘗祭の縁起譚,というように,記紀の各説話はめいめい異なった出自・原素材を持っている。それらの原素材は,それだけで完結していて,互いに無関係であったに違いない。ところが,ある一時代にこれらの説話を操作し,これらを人為的に一定の構想をもって,結びつけ,大和朝廷の政治的権威の淵源・由来を語る国家神話の形とした少数の手が感じられるというのである。(松前健『日本の神々』189~190ページ)

つまり,大嘗祭の縁起譚として天孫降臨神話があり,天孫降臨神話の前の話として天の窟戸神話が結び付けられ,天の窟戸神話の前の話として国生み神話が結び付けられた可能性があるというわけである。

ちなみになぜ,天の窟戸神話と天孫降臨神話が直接結びつき,八岐大蛇神話が脇に追いやられているのか,という疑問がわくかもしれないが,そのあたりは本ブログの過去記事「アメノイワヤト神話と天孫降臨神話は直結していた」をご覧いただきたく。

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もし加上説が正しいとすると,史書に記された歴史のうち,信ぴょう性の高い部分が短くなり残念な思いをする人もいるかと思われる。

しかし,それは史書に記載された歴史,つまり文書化された歴史が短くなっただけのことである。

考古学が教えるように,中国の場合,彩陶文化や黒陶文化といった文化が太古に栄えていたことは確かであるし,日本の場合も,紀元前145世紀から紀元前20世紀にいたる長期間にわたって高水準の縄文文化が栄えたわけである。文字になった歴史が短くとも嘆く必要はない。

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2015.06.03

うるわしの大和は人工環境

ご存じのとおり,「里山」というのは原始林ではなくて人が手入れして作った人工環境である。

俗にいう自然環境のほとんどは人間が働きかけて作った「自然環境」であることは忘れてはいけない。アマゾンですら人工環境だという説もある(参照:「【アマゾンに文明があったんだ】実松克義『アマゾン文明の研究』を読んだ【驚異のモホス文明】」)。日本の古代もまたそうであった。

古墳時代,王権が確立していたとされる大和の地もすでに大規模な改造が行われていた。

有岡利幸は,日本における里山の歴史を描いた『里山』の中で,雄略天皇一言主に出会ったときのエピソードを引いて,大和の山々がすでに里山として改造されていたことを示している。

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雄略4年,天皇は葛城山へ鹿狩りに行った。そのとき天皇一行が居る尾根の向かいの尾根に天皇一行とそっくりな行列がいるのを見つけた。それが一言主の一行だったのである。

山の尾根から向かいの尾根にいる人々(神々?)が見えるというのはどういうことか。山頂に森林が無いということである。森林限界以下の葛城山の山頂に森林がないということは,すでに葛城山が尾根まで開発されていたということに他ならない。

「大和は国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる 大和しうるはし」

と歌われる大和の美観は古代人が作り出した人工環境だったのである。

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2015.04.05

上野誠『日本人にとって聖なるものとは何か 神と自然の古代学』を読む

著者は小生よりも10歳年上の古代文学研究者。

本書では,主に万葉集を手掛かりとして,聖なるものに対する日本人の感性とその成立過程を探っている。

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聖なるものに対する感性は,古代人のみが有していたものではなく,現代の日本人にも受け継がれ実感されているものである。

その実感は本書にも引かれている西行法師の(作と伝えられる)歌:

何事の おはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる

に端的に表されている。

日本各所には,クスノキの大木,海岸にそびえたつ奇岩,崖から湧出する石清水など「聖なるもの」を感じさせる景観が点在しており,近年ではこれらの場所を「パワースポット」と呼び,詣でる人々もいる。こうした感性は古代から受け継がれてきたものであり,日本文化を構成する重要な柱の一つであると言えるだろう。

著者は「モリ」「ミモロ」「カムナビ」といった万葉集に登場するキーワードを頼りに,7~8世紀の人々の宗教観・自然観(古代思考)を明らかにしていく。読者は本書を読み進めるにつれ,現代日本人が受け継いでいるもの(古代思考)を強く認識するようになるだろう。


◆   ◆   ◆


本書では独特の見解が示されており,小生は蒙を啓かれる思いがした。詳細は本書を読んでいただくこととし,ここでは短く紹介するにとどめる。


「とめどなく生まれ出ずる神々」

「多神教というと,たくさんの神がいる宗教と考えてしまいがちだが,じつはそうではない。あらゆる事物が神となり得るのだから,無限に神が生まれ続ける文化構造と考えねばならないのである。」(序章,11ページ)

…ということは,神々が増え続けるにつれ,神々同士の覇権争いが生じることとなる。地域を代表する座を巡って,また国を代表する座を巡って。神々の競争については本書第八章の終わりに「神々の競争と優勝劣敗と」という節で触れられている。競争の結果として神々には序列が生じるわけで,記紀成立時には記紀に記されているような序列が定まったわけである。ただし,これはその時点での序列であって,常に競争が行われ序列が変化していくというダイナミズムがあるというのが著者の見解である。なるほど。


「原恩主義」

「今日的感覚からすれば,ご先祖さまに申し訳がないとか,おてんとうさまが見ているという感覚である。キリスト教のように,生まれながらに原罪を背負い,贖罪のために生きるという考え方とは,まったく逆である。『原罪』に対して,『原恩』と呼び得る感覚である。」(第二章 原恩主義の論理,40ページ)


「万葉集巻一・巻二は明日香・藤原思慕歌集」

「(明日香は)平城京で生まれた人びとにとっては,父と母の暮らしていた土地として記憶に留められていたのであった。この記憶を後世に残したいという感情こそ,『万葉集』という歌集を誕生させた一つの原動力なのである」(第四章 「カムナビ」と呼ばれた祭場,聖地,122ページ)


ほかにも持統天皇御製の歌:

春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天の香久山

についての新解釈(「香久山自身が衣を干しているのだ」とする鉄野昌弘説)など面白い話が本書には満載である。


◆   ◆   ◆


記紀を対象,あるいは天照大神や素戔嗚尊など特定の神々を対象とする書籍は多いが,この本は山や森などに宿る小さな神々を対象としている。その点では谷川健一『日本の神々』(岩波新書)が類書といえるだろう。また,古代思考(宗教観・世界観)に焦点を当てているという点では">西郷信綱『古事記の世界』(岩波新書)が思い出される。併せて読むと理解が深まる。

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2014.12.23

小路田泰直『卑弥呼と天皇制』を読む

久々に古代史と日本神話の話を書く。

8月に上梓された小路田泰直『卑弥呼と天皇制』を読んだが,刺激的で面白かった。近代史の専門家が古代史のタブーにチャレンジしている。

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日本の古代史,特に卑弥呼が居たとされる3世紀ごろを専門とする人びとの間では『古事記』『日本書紀』を史料として扱うのを避けているふしがある。戦前・戦中に「記紀」があまりにも称揚され,古代史学がイデオロギッシュになってしまった反動だろう。

おかげ様で,今,学校で習う日本の歴史では,邪馬台国と大和朝廷の間のミッシングリンクが埋められないままとなっている。

しかし,日本人が自分たちのアイデンティティの拠り所として古代史に興味を持つのは当然のことである。2013年の古事記ブームはその一例である。

敗戦後の歴史学の呪縛を解き放ち,「記紀」を史料として読み直し,紀元前から8世紀までの日本史を構築しなおそうという野心的な試みが,この『卑弥呼と天皇制』という新書に高密度に詰まっている。

煮詰まりすぎて,本記事で全貌を紹介するのは無理である。一部だけ紹介することとする。


◆   ◆   ◆


邪馬台国の所在(笠井新也説)

この本のメインテーマは日本における世襲王制確立過程を示すことである。卑弥呼もそのプロセスの一部となっている。

邪馬台国の所在については延々と「邪馬台国論争」が繰り広げられているが,著者が依拠するのは笠井新也説(1922年)である。畿内説の一つであるが,魏の使節が瀬戸内海ではなく日本海を経由して大和に至ったとしているところに特色がある。

著者は交易ということに着目して,笠井新也説を補強している。古代から日本では日本海ルートと太平洋ルートという重要な海上交通ルートが存在する。この2つのルートが接点を持ちやすいのは畿内である。陸海の交通の要所だからこそ邪馬台国≒大和朝廷が畿内に根拠地を置いたわけである。

魏の使節が笠井新也説の通りに移動したとすると,日本海側から大和に抜けるのは大変なことのように思われる。しかし,著者によれば,丹後半島の付け根から由良川を遡上し,兵庫県丹波市氷上町石生(海抜95m)を経由して加古川を下れば,瀬戸内側に容易に到達できるという。そこから先は大和までは遠くない。そういえば松本健一『海岸線の歴史』でも,河川によって山中と海はつながっているという話が出ていた。

では,吉野ヶ里遺跡を初めとする,九州に存在する遺跡群はどう扱えばいいのか? これらについて著者は,邪馬台国のライバルである「狗奴国」の跡ではないかと考えている。詳しい根拠などについては本書を読んでいただくこととして,狗奴国の後継が熊襲だとすれば,畿内の邪馬台国(大和朝廷) vs 九州の狗奴国(熊襲)というすっきりした構図が完成する。こんなにわかりやすくていいのか?という疑問については後で述べる。


◆   ◆   ◆


卑弥呼は祖先崇拝の始祖

卑弥呼は鬼道によって人心を掌握したという。鬼道とは何かについては諸説あり,シャーマニズムだとする意見が多いが,本書では祖先崇拝だとしている。鬼とは中国語では亡霊を意味するからだ。

鬼道(祖先崇拝)以前の信仰は何かと言うと,自然崇拝である。自然崇拝から祖先崇拝への切り替えについて,著者は日本書紀の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)のエピソードを示している。なお,倭迹迹日百襲姫は卑弥呼であるとする説がある(卑弥呼・倭迹迹日百襲媛命説)。

そのエピソードは簡単に言えば次の通りである:

崇神5年,疫病が蔓延した際,崇神天皇はそれまで信仰していた自然神である天照大神や倭大国魂ではなく,別の神に救いを求めた。そして皇女・倭迹迹日百襲姫に憑りついた大物主(おおものぬし)神を信仰することとした。大物主神の求めに応じ,大物主神の子孫である三輪氏が祭祀を執り行うこととなった。

大物主神は三輪氏の祖先神であった。これに倣う形で天皇家の祖先崇拝が始まるということである。ただし,この時点では天皇家に相応しい祖先神が居ない。そこで,倭迹迹日百襲姫=卑弥呼が何らかの名誉ある形で死を遂げ,祖先神となった。その祖先神・倭迹迹日百襲姫=卑弥呼の偉大さを示すのが,箸墓古墳だという。


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紀元前の大和国家

日本の古代史学者たちは,神武天皇の実在性について否定的である。神武天皇は紀元前660年に即位したとされているが,まさか縄文晩期か弥生時代に国家が存在するとは…ということであろう。

だが,著者は奈良盆地中央部にある唐古・鍵遺跡に注目している。ここは弥生時代前期(紀元前3世紀)から古墳時代後期(紀元後3世紀)まで数百年間営まれていた大集落である。

著者が引用する北條芳隆氏の説では,唐古・鍵遺跡では太陽信仰が行われていたようである。なおかつ唐古・鍵遺跡は大和盆地を日時計に見立てたときの中心に位置する。いわば宇宙の中心である。

日本書紀によれば,神武天皇は「六合の中心」に国家を建設することを意図して東征したという。「六合の中心」とは天地東西南北の6方向の中心であり,つまりは宇宙の中心である。紀元前に建設された唐古・鍵遺跡こそ神武天皇の都ではないのか,そして,太陽信仰という自然信仰が最初の王たちの信仰ではないか,というのが著者の指摘である。


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神武以来/紀元前から続く自然崇拝は倭迹迹日百襲姫=卑弥呼によって祖先崇拝に変わった。その後,垂仁天皇による祖先神と太陽神・天照大神の一体化,神功皇后・応神天皇母子による世襲王制確立,雄略天皇による神の内面化(高皇産霊神の登場),欽明天皇による仏教導入…というように天皇制を強化する努力が続く。そして天皇制強化の一連の動きの仕上げが8世紀の『古事記』『日本書紀』編纂である。

8世紀と言えば西ヨーロッパではカール大帝(シャルルマーニュ)によるフランク王国のキリスト教化,地中海世界ではウマイヤ朝によるイスラム教世界の拡大が行われていた時代である。ヨーロッパや中東と時をほぼ同じくして,近代につながる国家の基盤が形成されたという指摘は近代史家である著者ならではのものである。

初めに述べたように刺激的で面白い本だったが2点ほど難点がある。

一つはささいな話だが,著者撮影の神社や遺跡の写真の構図がイマイチだということ。社殿の屋根が途切れていたり,左右のバランスが崩れていたり。編集者がトリミングなどの後処理をしっかりやれば良かったのにと思った。小生もあまり偉そうなことが言えないが。

もう一つは古代のことを推測するのに,あまりにも合理的・論理的に推論を展開しているのではないかということ。著者は旧約聖書を引いて古代社会の論理を検討したりするのだが,この方法は適切だろうか?

以前(2011年5月13日),本ブログで「西郷信綱『古事記の世界』(岩波新書)を読む」という記事を書いたが,そこで紹介した西郷信綱のアプローチ手法はこのようなものだった(再掲):

現在の社会学や人類学ではフィールドワークを重んじ,対象とする社会に住み込んで観察することにより研究を進める。このフィールドワークの手法に影響を受けた著者(西郷信綱)は,いわば古事記の中に分け入って,古代人と感覚を共有することによって,古事記の世界を理解しようとする。

ギリシャや聖書に由来する神話概念を持ってきて古事記を解釈したり,考古学・歴史学の知識を以って合理的に解釈(これを著者(西郷信綱)は「自然主義」と呼んでいる)したりはしない,というのである。

著者(西郷信綱)は言う:

私の目ざすのは,古事記のなかに住みこむこと,そしてその本質を本文のふところにおいて読み解くことである(14ページ)


今述べたような西郷信綱のアプローチの仕方から見ると,本書のわかりやすすぎる論理展開はあまりにも合理的・現代的であるように思う。

というように2点ほど気になったとこはあったものの,本書の中で展開された,戦後古代史学の呪縛から離れ,「記紀」を史料として読み直そうとする試みは大いに評価できるものである。

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