2022.05.06

出雲国造の話

出雲国造(いずもこくそう)

「出雲国造は出雲大社の神職の上官なり,神代に大国主命,此国を去り給ひし時,天神,天穂日命をして其の祭祀を主らしめ給ひしより以来,子孫相継ぎて,国造に任ぜらる,中世より其家千家北島の両流と為り,明治維新の後,並に家族に列せらる」(古事類苑神祇部 洋巻第4巻 1058頁,※カタカナをひらがなに,旧字体を新字体に変更)

ということで,出雲大社と言えば,皇族の嫁ぎ先である千家氏が有名なのだが,千家氏と並ぶ出雲国造としてはもう一流,北島氏がある。というのが本記事の前説。

 

さて,このGW,久しぶりに出雲に行った。

当然のように出雲大社に詣でたのだが,まず訪れたのが北島国造館である。

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出雲国造家は室町時代・康永年間(1340年頃)に千家氏と北島氏に分かれた。それ以降は月ごとに交代で出雲大社の宮司を務めるようになった。

しかし,明治維新の後,いろいろな経緯を経て千家氏が出雲大社の宮司ということに(詳細は出雲教のサイトをご参照)。千家氏は出雲大社(おおやしろ)教という宗教団体を興した。これに対し,北島氏が興したのが出雲教である。その出雲教の本部がこの北島国造館である。

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この北島国造館を訪れたのち,東に歩いていくと,出雲大社の御仮殿に直接到着する。

このあとは社殿を巡って二拝四拍手一拝をしたり,神楽殿の大注連縄を見物したり,牛の像を触ったりと,参拝客気分を満喫。

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ちなみに,前回,出雲大社を訪問したときは御本殿大屋根の吹き替え工事が行われていて,工事現場の見学をしたり,吹き替え費用の寄付をしたりした。

そのとき寄付のお礼としていただいた檜皮は今も家に飾っている。

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2018.12.11

そういえば,「やつめさす」

朝日新聞の文化・文芸欄に詩人・野村喜和夫による追悼文「入沢康夫さんを悼む」が出ていた。

そうそう。入沢康夫氏は10月15日に亡くなったのだった。

有名なのは長詩『わが出雲・わが鎮魂』。こういう出だしだ:

やつめさす
出雲
よせあつめ 縫い合わされた国
出雲
つくられた神がたり
出雲
借りものの まがいものの
出雲よ
さみしなにあわれ

この詩の「よせあつめ 縫い合わされた国」というくだり,松前健『日本の神々』の一節を思い出させる。今から7年余り前に「松前健『日本の神々』(中公新書)を読む」という記事で引用したが,もう一度引用しよう:

イザナギ・イザナミの国生み神話は,もともと淡路島付近の海人の風土的な創造神話,天の窟戸神話は,もと伊勢地方の海人らの太陽神話,スサノヲの八岐大蛇神話は,出雲の風土伝承,天孫降臨は宮廷の大嘗祭の縁起譚,というように,記紀の各説話はめいめい異なった出自・原素材を持っている。それらの原素材は,それだけで完結していて,互いに無関係であったに違いない。ところが,ある一時代にこれらの説話を操作し,これらを人為的に一定の構想をもって,結びつけ,大和朝廷の政治的権威の淵源・由来を語る国家神話の形とした少数の手が感じられるというのである。(松前健『日本の神々』189~190ページ)


古事記に記された数々の神話はもともと独立したものであったのが意図的に寄せ集め縫い合わされたものである――という説はもはや定説に近い。

朝日新聞の文化・文芸欄には入沢康夫氏の「未確認飛行物体」という詩が引用されているが,これがまた良い作品である。「薬缶だって/空を飛ばないとはかぎらない」。薬缶が夜毎に家を抜け出して町々の上を飛んでいくという光景は,シュールでユーモラスだが,同時にいろいろなことを想像させて面白い。詩の力。

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2018.09.10

山岡信貴監督『縄文にハマる人々』を観てきた

週末にYCAMで山岡信貴監督『縄文にハマる人々』を観てきた。

縄文時代に魅せられた人々を追ったドキュメンタリー映画。もちろん,大量の縄文土器も登場する。

いとうせいこうも登場するが,この人のハマり具合はまだかわいいレベルである。縄文ストレッチ創設者や縄文造形家など,人生を縄文に捧げた人々もいて凄い。

願望としては,諸星大二郎や星野之宣も登場すれば完ぺきだったのに,と思うが,隴を得て蜀を望む,の類となるから,本作に出てきた人々だけでも十分すぎるだろう。

登場したある人は「日本の歴史のほとんどを縄文時代が占めて,ほんのわずかの部分が弥生から現代までだ」と力説する。またほかの人は「縄文は世界にもまれなオリジナリティあふれる文化の時代で,弥生は外来の退化した文化の時代」とまで主張する。

この映画に登場する数えきれないほどの縄文土器や遺跡の数々を観ていくと,だんだんと彼らの主張が説得力を増していく。映画の力ってすごい。

登場した土器の中で老生のお気に入りは「人面香炉形土器」である。イザナミの出産と死,そして冥界神への変貌を一つの土器で表したかのような,凄い作品である。

Jomons

映画の終わり近く,「第13章 縄文の終わり」のあたりで,生と死の表現として,家畜の屠殺映像が出てきたのは余分な気がする。全体的にユーモラスな記帳の映画だったので,スパイスを効かせようとしたのかもしれないが,やりすぎの感がある。

上映が終わって帰るとき,わりと観客が大勢いたことに気が付いた。やはり,いま,縄文がアツいのか?

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2018.01.26

江坂輝彌『日本の土偶』が講談社学術文庫に入った

江坂輝彌著『日本の土偶』という本が講談社学術文庫に入った。

日本で出土した土偶について,300点以上の図版を駆使して体系的に解説している。
また,土偶はどこから来て、どのように変化したのか,縄文時代の文化・信仰とともに探求している。

もう表紙を見てピンときた。

これは諸星大二郎のイラストだと。そして買わなくてはいけないと。

諸星大二郎の絵はプリミティブな文化を描くのに最適。

思わず,ジャケ買いした。

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2017.12.10

千田稔『伊勢神宮―東アジアのアマテラス』を読む(続)

だいぶ前に出た本である。ちょっと前にも紹介した(参考)が,もう一度,読書感想文を書いてみる。

著者は歴史地理学者。

著者は本書で「日本の神道を論じようとしたのではない。伊勢神宮にまつわる歴史的な文脈を東アジア世界の中でみつめようと試みた。」(217頁)

とはいえ,「アマテラスの誕生」に触れないわけにはいかない。第1章「アマテラスの旅路」第2章「中国思想と神宮」では,海洋民の信仰する太陽神が,道教(北極星信仰)と融合し,国家神へと昇格するプロセスが描かれている。

国家神アマテラスが伊勢に鎮座する理由については,東を聖とする思想と,大和と伊勢の位置関係をもとに論じているが,この説などは以前に紹介した西郷信綱『古事記の世界』(岩波新書)で語られていた「伊勢・大和・出雲の関係性」を思い起こさせてとても興味深い。

「伊勢神宮にまつわる歴史的な文脈を東アジア世界の中でみつめよう」という本書の意図のため,国家神アマテラスの誕生に係る議論は,第1章・第2章に限られており,老生としては物足りない感じがする。

しかし,律令期にアマテラスが国家神として奉祀されたことが,その後,中世・近世・近現代の日本とアジアの関係に影響を与えてきたことを描出した第3章「神国の系譜」,第4章「近大の神宮」,第5章「植民地のアマテラス」は,それはそれで興味深い。

アマテラスに対する民間信仰なかりせば,明治以降の神道の(ほぼ)国教化というのはありえない。しかし,植民地政策の一環として台湾・朝鮮・満洲に神宮創祀が行われたのは,本来の信仰から逸脱していると言わざるを得ない。

戦後,国家と神道とが分離されたことは,伊勢神宮とアマテラス信仰に本来の姿を取り戻させることになったものと見ることができよう。そういう歴史的文脈を踏まえれば,戦後に折口信夫が

「神道にとって只今非常な幸福の時代に来てゐる」

と発言したのはよく理解できる。

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2017.11.15

千田稔『伊勢神宮―東アジアのアマテラス』を読む

インドネシア出張の帰路,千田稔『伊勢神宮―東アジアのアマテラス』を読んでいた。

本ブログではこれまでにアマテラスにフォーカスした本として

の2書を紹介してきた。

前者・筑紫申真版『アマテラスの誕生』は「アマテラスはもともと男神(蛇神)だったのであり,太陽神そのもの(アマテル)→太陽神をまつる女(オオヒルメノムチ)→天皇家の祖先神(アマテラス)と変転していったのだ」という「アマテラスの神格三転説」を唱えており,非常に刺激的な本だった。地方神アマテラスが皇祖神に昇格する過程を「壬申の乱における神助」説と「持統女帝=アマテラスのモデル」説とを用いて明確に提示しているところが特徴的である。

後者・溝口睦子版『アマテラスの誕生』は「タカミムスヒ=太陽神」説や,天智・天武両朝における皇祖神の交代説,すなわち「外来神タカミムスヒから土着神アマテラスへの交代」説を唱えておりこれも刺激的な内容だった。しかしながら天武天皇がアマテラスを重視した理由についてはあいまいな記述で,この点では筑紫申真版に及ばない。

さて,今回読んだ,千田稔『伊勢神宮―東アジアのアマテラス』は,アマテラスの原像を探ることから始まり,古代・中世・近世・近現代におけるアマテラスおよび伊勢神宮の位置づけの変遷について論じている。

上述の筑紫・溝口両氏が追ってきた「アマテラスの誕生」過程を扱っているのは本書第1章「アマテラスの旅路」と第2章「中国思想と神宮」である。

第1章「アマテラスの旅路」では,アマテラスの祖型がアマテル系神社に祀られている海洋民の神・ホアカリノミコトである可能性,そしてホアカリノミコトの起源は中国の江南の地にありそうだという可能性などが述べられている。

また,第2章「中国思想と神宮」では,古代の都と伊勢神宮との位置関係に道教の神仙思想の影響が見られること,アマテラスと西王母は「織女」というキーワードで結び付くことなど,アマテラスおよび伊勢神宮に道教の強い影響が見られることが述べられている。

これらの章で強調されているのは,アマテラスならびに伊勢神宮は東アジア世界で孤立した存在ではないということである。日本神話の源流を考えるときに,よく取り上げられるのが,朝鮮半島を経由した北方系神話,黒潮に乗って島伝いに到来した南方系神話であるが,中国大陸からの直接の影響も忘れてはならない。

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2017.04.27

石母田正『日本の古代国家』を読む

年度が替わって,また忙しくなってきたというのに,こんな分厚い本を読み始めている。

著者は石母田 正(いしもだ・しょう)という,日本古代史・中世史の巨人。唯物史観に基づく著書が多数ある。

唯物史観というと,前世紀の遺物みたいな感じであるが,今読んでみるとかえって新しい感じがする。

この本の中で著者が国家成立の要因として重視するのが対外関係である。そして,キーワードとして「交通」というマルクスらしい概念が登場する。

「ここにいう『交通』とは,経済的側面では,商品交換や流通や商業および生産技術の交流であり,政治的領域では戦争や外交をふくむ対外諸関係であり,精神的領域においては文字の使用から法の継受にいたる多様な交流である」(p.28)

と規定している。

ある共同体の中では,外部との「交通」が無い状態でも,支配層と被支配層のような階級分化はある程度進行する。例えば卑弥呼と下戸,つまりシャーマンと一般人という程度の階級分化は起こる。

しかし,階級分化をより推し進め,国家と呼べるほどの権力機構を成立させるのは「交通」であると著者は述べる。

古代日本の支配層は中国大陸や朝鮮半島との交通を掌握することにより,漢字と統治技術を独占した。

漢字と統治技術を独占する支配層と,文字を持たない被支配層の間には歴然たる差が生じ,知的労働と肉体労働という社会的分業が成立する。

支配層による知的労働の独占を基盤とするのが,律令制国家という古代国家の形だというわけである。

まあ,いつの時代でも,知識とスキルは権力の源泉だったりするわけである。当たり前と言えば当たり前か。

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2017.03.25

古事記ファン必見,ディズニーアニメ『モアナと伝説の海』

タイへ向かう飛行機の中でディズニーアニメ『モアナと伝説の海』を見たのだが,これは良い!!

古事記,というか日本の神話ファンは必見である。

最近はあまり神話関係の記事を書いていないのだが,以前,ポリネシアの神話と日本神話の類似性についての記事を書いたことがある(「ポリネシアの神話」2012年7月13日)

『モアナと伝説の海』はポリネシアの神話を題材とする作品だが,小生などはどうしても日本神話との類似性を見出してしまう。

『モアナと伝説の海』はこんな感じの話である:

とある島に生まれ育った族長の娘・モアナは冒険心に富んだ少女だった。しかし,島の掟により,島民たちは環礁よりも外に出られなかった。ある時,モアナは祖母の教えによって自分たちが大海原を航海する民族であることを再発見し,生まれ故郷の島を飛び出した。そして,半神マウイとともに冒険に出,闇を封じ込め,世界に再び平穏をもたらした。モアナは帰郷後,島民たちとともに,再び大航海に乗り出す。

この映画に出てくる半神(demigod)・マウイは,人類に火をもたらしたという点でプロメテウスのようでもあるが,むしろ日本神話におけるスサノオ(スサノヲ)に近いと思った。なにしろ,風と海を司る半神。スサノオも海洋を支配する神であるとともに,暴風神であるとも言われている。マウイとスサノオ。暴力的な側面とともに,人々に恵をもたらすという側面を持っている点がよく似ている。どちらも「まれびと」やんか。

ポリネシアの神話では釣り針が重要なアイテムとなっている。この映画でも,釣り針は重要で,マウイは巨大な釣り針を武器として用いたり,変身の道具として用いたりしている。日本神話の中にも釣り針が重要なアイテムとなっている説話があることはご存じだろう。いわゆる「海幸山幸」神話である。

モアナとマウイに立ちはだかる敵がいる。テ・カアという溶岩の化け物である。噴火による造山活動を神格化したものだろう。ハワイ神話におけるペレや日本神話における三島神(参照:「林田憲明『火山島の神話』を読む」2014年10月21日)を思い起こさせる。

というように,『モアナと伝説の海』はポリネシア神話と日本神話に共通するモチーフが重層的に散りばめられていて,非常に興味深い。

ついでながら,この映画の中盤と最後には,壮大なサウンドとともに大海原を大船団で旅する人々の姿が描かれるのだが,これが,太古,太平洋中に広がっていった人々,一部は日本にもやってきただろうポリネシア系の人々(星野之宣「火の民族」仮説ですな)のことを思い起こさせ,感動的ですらある。

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2016.01.07

八色の姓とビザンツの爵位制度

吉村 武彦『蘇我氏の古代』を読んでいて,たびたび登場するのが「八色の姓(やくさのかばね)」という身分秩序である。

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「八色の姓」というのは天武天皇が684年に制定した「真人(まひと),朝臣(あそみ),宿禰(すくね),忌寸(いみき),道師(みちのし),臣(おみ),連(むらじ),稲置(いなぎ)」の8つの姓の制度のことである。

もちろん,これ以前にも臣,連のほか,伴造(とものみやつこ),国造(くにのみやつこ),県主(あがたぬし)というような多数の姓が存在していた。それら従来の姓は「八色の姓」の制定に伴って急に廃止されたわけではなく,両者は併存していた。

大事なことは臣,連のような従来の姓の上に新たな4つの姓が制定されたことである。

Wikipediaの記述にはこうある:

「従来から有った、臣、連の姓の上の地位になる姓を作ることで、旧来の氏族との差をつけようとしたという見方もできる」

「八色の姓」の事例のように,従来の身分秩序に手を付けずに新たな身分秩序を制定することによって,身分秩序の再編を行うやり方としては,ビザンツ帝国アレクシオス1世の爵位制度改革が挙げられる。

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この爵位制度改革については根津由喜夫『ビザンツ 幻影の世界帝国』が簡潔に述べているが,より簡単に述べると次のようなことになる:

アレクシオス1世以前,ビザンツ帝国の爵位は次のようになっていた:

  1. カイサル(=副帝)
  2. セバストス(=尊厳者<アウグストゥス>)
  3. ……

アレクシオス1世即位前はセバストスの位を持つ者はアレクシオス1世を含め3名しかいなかった。

しかし,アレクシオス1世は即位後,気前よくセバストスの位を周りのものに与えた。この爵位濫発によりセバストスの価値は希薄化。

続いてアレクシオス1世はセバストスの上位の爵位「プロートセバストス(第一のセバストス)」を制定し,弟に与えた。

これにより,身分秩序は次のようになった:

  1. カイサル
  2. プロートセバストス
  3. セバストス
  4. ……

アレクシオス1世は兄や義兄といった身内の序列を調整するためにさらに新たな2つの爵位を制定した。それが,「カイサル」の上位になる「セバストクラトール(セバストス+先制者)」と「カイサル」とほぼ同等の「パンヒュペルセバストス(いとも至高なるセバストス)」である。

こうして出来上がった身分秩序は次の通りである

  1. セバストクラトール
  2. カイサル
  3. パンヒュペルセバストス
  4. プロートセバストス
  5. セバストス
  6. ……

こうしてカイサルやセバストスといった従来の爵位の価値は低下した。

天武天皇の「八色の姓」にしてもアレクシオス1世の爵位制度改革にしても,姓や爵位のはく奪や降格のような乱暴なことをせずに新たに身分秩序を構成し直せるうまいやり方だと思う。

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2015.12.28

いま,蘇我氏がアツい

この年末になって,急に新書界にブームを巻き起こしているのが,「蘇我氏」である。

現在読書中の本がこれ,吉村武彦『蘇我氏の古代』である。

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この本の特色は,なかなか本題,つまり蘇我氏の話に入らないことである。

第1章「氏の誕生」では「氏」の成立にいたる背景が丁寧に語られている。とくに古代の職能集団の組織化の歴史,つまり,五世紀の「人制」,六世紀の「部民制」,八世紀の「品部・雑戸制」というような制度の変遷については今回初めて知ったところである。

第2章「蘇我氏の登場」に入って,ようやく蘇我氏の話が出てくると思いきや,蘇我氏より前に勢力のあった葛城氏に関する話が始まる。ここで蘇我氏と葛城氏の関係が明らかになり,ついに蘇我氏の話に入るわけである。


◆   ◆   ◆


蘇我氏については,ロマンあふれる渡来人説というのが昔からあった。

昔よく読んでいた豊田有恒の古代史SFでは必ずと言っていいほど「蘇我氏=百済の朴氏」という説を採っていた(百済の高官・木満致<もくまち>と蘇我満智<まち>を同一人物とする説)。

本書でもこの説に一節を割いて検討しているが,

諸事情を考え合わせると,蘇我氏が,韓の地や高句麗から来た移住民ということは考えにくい。(61ページ)

と,渡来人説を一蹴している。


◆   ◆   ◆


当初は蘇我氏のことを知りたくて本書を読んだわけだが,他の豪族の話も面白い。とくに豪族と天皇家の縁戚関係。

本書の84ページには応神天皇以来の天皇の母とその出自に関する表(表2-3)が掲載されているのだが,これを見ると,当時の有力氏族の変遷が分かって興味深い。同表では応神天皇から欽明天皇までが記述されているのだが,小生はこれを大化の改新の立役者,天智天皇(中大兄皇子)まで拡大したものを作ってみた。

天皇母の地位母の出自
応神気長足姫仲哀皇后皇親
仁徳仲姫応神皇后
履中磐之媛仁徳皇后葛城氏
反正
允恭
安康忍坂大中姫允恭皇后皇親
雄略
清寧韓媛雄略妃葛城氏
顕宗荑媛継体妃
仁賢
武烈春日大娘仁賢皇后内親王
継体振媛彦主人王妃垂仁7世孫
安閑目子媛継体妃尾張氏
宣化
欽明手白香皇女継体皇后内親王
敏達石姫皇女欽明皇后
用明堅塩媛欽明妃蘇我氏
崇峻小姉君
推古堅塩媛
舒明糠手姫皇女押坂彦人大兄皇子妃内親王
皇極/斉明吉備姫王茅渟王妃皇親
孝徳
天智皇極天皇天皇/舒明皇后

これを見ると,蘇我氏は欽明朝で地位を確立し,王権への介入を深めていったということがわかる。

著者の吉村武彦先生の言い方では,当時の当主・蘇我稲目が,葛城氏・尾張氏といった先例を踏襲するのみならず,意識的に「身内入り」を強めていったということになるだろう。

本書と同じタイミングで上梓されているのが倉本一宏『蘇我氏―古代豪族の興亡』である。これを読むのはこれから。両方読んで古代氏に強くならねば。

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いま,蘇我氏がアツい。

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