2023.05.05

高野秀行『西南シルクロードは密林に消える』

――「とんでもないことになった……」

つい最近まで首狩りをしていて,裸で入れ墨,ビルマ政府とインド政府両方を相手に戦っているばかりか,内輪もめで殺し合いに励み,客に犬肉を出す……それしか情報がないゲリラに「ちょっとインドへ行きたいんだけど,助けてくれませんか」と頼むしかないという。

もうむちゃくちゃである。いや,ナガ人がどうのではなく,私の状況がむちゃくちゃなのだ――(高野秀行『西南シルクロードは密林に消える』300~301頁)

 

高野秀行『西南シルクロードは密林に消える』を読み終えた。

シルクロードと言えば,長安(西安)から中央アジアを抜けてヨーロッパに向かう北方ルートが有名である。そうでなければ,中国沿岸部から東南アジア,インド,アラビア半島など各地の港を経てヨーロッパに向かう海上交易ルート「海のシルクロード」を挙げることができる。

しかし,ここに出てくるのはそれらとは異なり,四川省からミャンマー北部を経由しインドに至るという幻の交易ルート「西南シルクロード」である。

近代以降,このルートを踏破した者はほとんどいない。それをやって見せようというのが,2002年当時36歳だった著者・高野秀行である。

成都から南西方向に進み,ミャンマー・カチン州,インド・ナガランド州を経てコルカタに至る4か月の旅。密林地帯を抜けるためにはカチン軍やナガ軍といった反政府勢力の協力が欠かせず,必然的に密入国という手段を使わざるを得なかった。

大雨や強烈な日射の下,山川を踏破していくのはとても大変。ときに深刻になりながらも,冗談を交えながらいつもの高野節で饒舌に苦難の旅路を描いていく。

北方シルクロードおよび海のシルクロードには「出発点から到着点まで同じ隊商,あるいは同じ船が荷物を運んでいく」というイメージがある。これらの交易ルートと異なり,西南シルクロードは,諸民族がリレーで交易品を運ぶ交易ルートである。そうでないと交易品は道無きジャングルを越えて移動することができない。

成都からコルカタまで踏破した経験を踏まえ,著者は最終的に,西南シルクロードは「道」というよりも「人的ネットワーク」であるという結論に至った。

そしてまた,著者自身もまたカチン人やナガ人といった密林に住む人々によって運ばれる交易品「高野秀行」であることを悟った。

非常にうまいまとめ方だ。ノンフィクションだが詩情がある。

 

本書はもともと2003年2月に単行本として出版された。そして7年後に講談社文庫に入った。文庫版には苦楽を共にしたカチンやナガの人々の後日譚が収められているが,それを読むと諸行無常という気がしてくる。

 

この本の文庫版が上梓されたのは,ミャンマーが民主化する機運が高まっていた頃だった。そして2010年11月には新憲法にもとづく総選挙が実施され,アウン・サン・スー・チーの自宅軟禁も解かれた。翌2011年にはテイン・セインが大統領に就任し,ミャンマーは民政移管を果たした。

だが,2021年2月にクーデターが発生。ミャンマーはまた軍政下に置かれることとなった。ここでもまた諸行無常の感を強くせざるを得ない。

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2023.04.20

納豆が食べたくなる本|高野秀行『謎のアジア納豆』

随分と時間がかかったが,高野秀行『謎のアジア納豆 そして返ってきた<日本納豆>』を読み終わったところである。

探検家にしてノンフィクション作家の高野秀行が,アジア各地(日本を含む)に広がる納豆の世界を独特なユーモラスな文章で紹介してくれる。

納豆というのは端的に言えば,煮た大豆に納豆菌が作用してできた発酵食品である。

日本人は日本の納豆しか知らないが,本書を読むと,実はタイ,ミャンマー,ネパール,ブータンにも多様な納豆が存在し,しかも作り方,食べ方は様々であることがわかる。火で炙ったり炒めたり。様々な料理に調味料として加えることも多い。

本書を読むまで,納豆は藁についた自然の納豆菌の働きで作られるものだと思っていた。かつては日本ではそうだった。しかし,現在の日本では,商業用の納豆は,雑菌の入らない環境で「菌屋」から購入した納豆菌を煮た大豆に振りかけて製造する。いわば日本納豆は工業製品だということを本書で初めて知った。藁にくるまれている(藁苞(わらづと)と言う)納豆も販売されているが,これも殺菌された藁に納豆をくるんだものであり,藁には納豆菌は除去済みである。

こうした近代的な「日本納豆」の世界から見ると,東南アジア山岳地帯+ヒマラヤの手作り納豆(「アジア納豆」)は本当に納豆なのかという疑問が呈される。アジア納豆は藁ではなく,シダやイチジクやバナナなど身近な植物の葉で煮た大豆をくるんで作っているからだ。ひょっとしたらアジア納豆は麹菌とか別の菌の作用でできた発酵食品なのではないかと…。

そこで,著者はミャンマー(チェントゥン)納豆とブータン納豆を東京都立食品技術センターに持ち込み,日本納豆とアジア納豆ほぼ同じものであることを確認した。

著者はこのときのことを

「合格発表を見に行く受験生のような気分だった」(194頁)

と述懐するが,読者も同じ気持ちになる。

晴れて日本納豆とアジア納豆が同じ納豆菌によってできた発酵食品だということが明らかになり,著者も読者もアジア納豆の探求にますます熱が入る。

先に「独特なユーモラスな文章」と書いたが,言い方を変えれば「饒舌」でもある。そこがいい味を出している。以下のような文章があちこちにある:

「なるほど,納豆原理主義に従えば,シャン州の中でも「自分の出身地の納豆がいちばん」という結論になるのか。 「郷土愛が強いんですねえ」半ば呆れてつぶやくと,信州・飯田市出身の先輩が感心するように言った。「長野県と同じだ」 以後「シャン州は信州なんじゃないか?」というのが先輩の口癖のようになった。」(103頁)

「日本の山形にはプレーンの納豆に塩と米麹を入れてさらに発酵させた「五斗納豆」やそれを商品化した「雪割納豆」というものがあり,東北出身者のある知人は「納豆界の反則王アブドーラ・ザ・ブッチャー」と呼ぶが,ブータンのチーズ納豆と似かよった発想であり,素顔のブッチャーが紳士であるように,決してアウトローな食品ではない。」(430頁)

本書の末尾もまたこのような言葉で締めくくられている:

「納豆の旅は糸を引きながらどこまでも続くのである。」(476頁)

読み終えた途端に,様々な納豆料理を食べたくなった。そんな本である。

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2022.03.19

「情動エンジニアリング」について考える本

ロシアによるウクライナ侵攻に関しては第一線の識者がいろいろ解説しているので,ここでは直接の話題としては取り上げない。

しかしながらこの戦争,ソーシャルメディア上の戦いが主戦場の一つとなっている,という点は注目に値する。

ここで取り上げたいのが,「情動エンジニアリング」という言葉である。

ソーシャルメディアを使って,特定のゴールへと人々の心を動かす技術/工学のことである。

人々がソーシャルメディアに費やす時間が圧倒的に多い東南アジアを対象として,ソーシャルメディアが民主主義の進展および権威主義の強化のためにどのように使われているのかについてまとめた本,それが『ソーシャルメディア時代の東南アジア政治』である。

例えば,インドネシアでは,「普通の人」ジョコ・ウィドドがソーシャルメディアを通じて人々の共感を集め,大統領となった。そののち,今度はジョコウィ側が権力維持のためのツールとしてソーシャルメディアを駆使し,フェイクニュース等の手段で対立候補を貶めた。こういったサイバー戦の状況をコンパクトにわかりやすく伝えてくれるのが,この本である。

面白いと思うとともに,日常がすでに戦場化しているということに戦慄を覚えたりもする。

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2022.02.11

東南アジアの現代史はこれで:『はじめての東南アジア政治』

東南アジアの歴史について気軽に読める本としては,レイ・タン・コイ『東南アジア史』(文庫クセジュ)や『物語 シンガポールの歴史』(中公新書)や『物語 ビルマの歴史』(中公新書)のような各国史があるのだが,ここ数十年の東南アジアの歴史を半日で知りたい,と思ったら,この本が良い:

はじめての東南アジア政治』(有斐閣ストゥディア)

東南アジア各国の政治を知るための第一歩として「マレーシア,シンガポール,ブルネイ」,「フィリピン」,「インドネシア,東ティモール」,「タイ」,「ミャンマー」,「ベトナム,ラオス,カンボジア」の計6章で各国の現代史を解説している。

各章20ページ前後にまとまっており,話題も絞ってあるので,とても読みやすい。ある国の現代史を要領よくまとめて記述する際のお手本のような文章だった。

とくに「ミャンマー」の章を読んだあとで,あの分厚い『物語 ビルマの歴史』を読み直したら,ビルマが独立以来宿痾のような課題を抱えていることが理解しやすくなった。

もちろん,第8章以降の比較政治,国際政治のトピックスも面白い。老生が興味深く読んだのは「第8章 国民国家建設」と「第14章 国境を超える人々」。

最終章の「日本と東南アジア」は必読。

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2021.02.01

ミャンマーにてクーデター

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コロナ禍のため延期しているのだが,いずれミャンマーで調査を行う予定だった。とりあえず文献情報のみ集めていた昨今であるが,本日,残念なお知らせが:

「ミャンマーにてクーデター」

アウン・サン・スー・チー(Aung San Suu Kyi)国家顧問ほか政権幹部が国軍に拘束されたとのこと:

"Aung San Suu Kyi and other Myanmar figures detained in apparent coup: Country’s powerful army has previously threatened to ‘take action’ over alleged fraud in a November election" (The Guardian, Jan. 31, 2021,※1月31日というのは英国の日付。現地では2月1日。)

ガーディアン東南アジア特派員:Rebecca Ratcliffe氏が書いたこの記事によると,国軍はまずアウン・サン・スー・チー氏らを拘束し,しかる後に非常事態宣言を発令したとのことである。今朝(2月1日)から固定電話も携帯電話もダウン。銀行も休業。ヤンゴンの街には軍用トラックが現れ,バリケードが展開されているという。

ミャンマーでは昨年11月に総選挙が行われ,アウン・サン・スー・チー率いる国民民主連盟(NLD)が476議席のうち396議席を獲得して地滑り的圧勝。国軍の影響下にある連邦団結発展党(Union Solidarity and Development Party)は33議席しか獲得できなかった。

連邦団結発展党や国軍は,選挙に不正があった,と主張していたが認められなかった。

かねてから政権奪回を考えていた国軍としては,議会制民主主義では権力を掌握できないと判断し,周到に準備を重ねた上でクーデターに乗り出したのだろう。

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↑一昨年12月訪問時のヤンゴン市内の様子。このときは平和だった。

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2020.12.21

太田泰彦『プラナカン 東南アジアを動かす謎の民』を読む

シンガポール建国の父リー・クアンユーはプラナカンであった。そのことをこの本を読んで初めて知った。

かつて読んだ岩崎育夫『物語 シンガポールの歴史』(参考)は,リー・クアンユーの出自についてほとんど触れていなかった。

 

プラナカンとは何か。シンガポールやマレーシアに行ったことのある人ならば,この名前を聞いたことがあるかもしれない。

15世紀から17世紀にかけて中国南部からマレーシア半島やインドネシア半島に移住した男たちがいた。その男たちの中には,現地の女性と結婚し現地に根付いた者もいた。そうした現地化した者たちの子孫が,プラナカンと言われる。

華人・華僑と同じではないかと言われるかもしれないが,現地化の度合いが強いため,他の華人・華僑グループと一線を画している。

明確なのは文化面だ。「ターコイズブルー,カーネーションピンク,ミントグリーンなど」(216ページ)で彩られた陶器や衣服を好むなど,赤・金好きの華人たちとの色彩感覚の違いは明確だ。

プラナカンはマレーシアやインドネシアが英蘭の植民地であった時代に隆盛を極めた。英国人やオランダ人といった支配層をサポートし,現地の労働者や商人たちを束ねる仕事をしていたからである。貿易やプランテーション経営で財を成した者もいる。

 

著者は東南アジアを巡り,プラナカンの足跡,子孫たちの現在を明らかにしている。

シンガポール生まれの客家だったリー・フンロンに始まり,リー・チンクン,リー・クアンユー,リー・シェンロンと続く,リー一族。

また,プラナカン最大の慈善家タン・トクセンに始まり,ASEANを創設したタイの外務大臣タナット・コーマンへと続く,華麗なるタン一族。

東南アジアの近代史の,全てではないにしても重要な部分をプラナカンは動かしてきたのだ。

 

日本とプラナカンには深い因縁があるということも本書は伝えている。

シンガポールのプラナカンの黄金時代を終わらせたのは日本軍によるシンガポール占領である。ソチン事件で多くの「華人」が殺された。

「歴史書などではソチン事件の被害者は『華人』とだけ記されている。その多くがプラナカンであったことも知らなければならない。プラナカンが世に生み出した美を愛好し,尊ぶのであれば,日本とプラナカンの歴史に思いをはせることもまた,私たち日本人の責務だと私は考える。」(109ページ)

日本軍占領下のシンガポールについては,フィクションだが当時の切迫した雰囲気を伝えてくれる小説がある。これも読み返したくなった。

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2019.12.16

吉祥:マンガラム

မင်္ဂလာပါ

(ミンガラバー)

とミャンマー語では挨拶をするのだが,ミンガラとは何かというと吉祥という意味だそうだ。

ミャンマーの人々はお互いに「吉祥でーす」と挨拶しているわけである。

よくよく考えると,この言葉はネパール語やヒンディー語にも登場する。

小生がよくアクセスしている,ネパール暦サイト"Nepali Calendar"には

मंगलमय २०७६ शभकामना

つまり,「幸運を,2076年,幸運を」とでもいう意味のタイトルがついている。ここで,"मंगलमय"というのがローマ字で表せば,"mangalamaya"であり,意味はGood luckつまり幸運/吉祥である。

"शभकामना"の方も,ローマ字で表せば,"Shabha kaamanaa"であり,意味は同じくGood luck

ちなみに2076年というのはネパールのビクラム暦(太陽暦のビクラム暦。紀元前57年を起点とする)での年数であり,間違いではない。ついでに言うと,ネパールにはネワール族が使用するネパール暦(太陰太陽暦)も併存しているのでややこしい。

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2019.12.10

バガン(パガン)の漆器を買った

帰国の途に就く日,ヤンゴン市内のボージョー・アウンサン・マーケットに出かけた。

そしてပုဂံ ,つまりバガン(パガン)の漆器をお土産として買った。本当はバガンまで出かけたら半額ぐらいで買えるという話だが,そこまで出かける時間も用事もないので,ボージョーマーケットで済ませるわけである。

まずはこれ,カボチャ型の小物入れである。

黒を基調としており,装飾が渋い。

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そしてこれ。幅25センチぐらいの竹製の皿である。

薄く切った竹を巻いて凹面鏡のような形を作り,高台を付け漆で固める。そして色の違う漆を何層も塗り重ねたのち,文様を掘り出すという技法,つまり彫漆(ちょうしつ)という技法が用いられている。

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黒い鳥が9羽描かれ,その周りを樹木や木の葉や花が隙間なく埋めている。

色合いも渋く,正倉院御物のようだ。

実用にも使えるだろうが,飾り皿として壁にかけようかと思う。

バガン漆器は結構ハイレベルで楽しい。

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2019.12.08

ミャンマーのネピドーとヤンゴンに行った

မင်္ဂလာပါ

(ミンガラバー)

ここ数日,仕事でミャンマーの首都ネピドーと旧首都ヤンゴンに行った。

ネピドーは…

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人が見当たらなかった。道路は立派だけど。

多分大勢の人を見ようと思えば,官庁街に行くしかないのだろう。外国人が入れるかどうかわからないが。

ちなみに,立派なホテルは散在していた。それ以外は立派な道路と農地が広がる。

そしてヤンゴンは,

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めちゃめちゃ混んでいた。

そして人々も居た。さすが旧首都。

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そして壮麗なシュエダゴン・パゴダもあった。

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高さは100メートルを超える。

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2019.10.27

「ピー」と「ノーン」の関係|『タイの基礎知識』を読む

新国王が配偶者の地位をはく奪するなど,いつも目が離せないタイ王国の情勢だが,2014年タイ軍事クーデター以降2016年までの比較的新しい現代タイに関する知識を提供してくれるので非常にありがたいのが,これ,柿崎一郎著『タイの基礎知識 (アジアの基礎知識)』である。出版社は東南アジアについての書籍ではおそらくナンバーワンの「めこん」である。

同じ著者の本としては以前『物語 タイの歴史』を読んだ(参考:「Hard-nosed Thai したたかなタイ」)。

『物語 タイの歴史』も面白かったが,この『タイの基礎知識』はさらに面白く,すらすら読める。

タイが高齢化社会どころか高齢社会に突入していることもわかったし,高等教育(大学以上)の進学率も日本と同レベルの50%に達していることも分かった。タイは発展途上国ではなく,中進国ですらない。先進国一歩手前の国だ。

この本でなるほど,と思ったのが,タイ社会の基盤ともいえる「ピー・ノーン」という個人間の関係性である。「ピー」は兄・姉,「ノーン」は弟・妹を意味し,パトロン・クライアント関係とも呼ばれる。

タイ社会の一員となるためには,すでにタイ社会の一員である人物を「ピー」とし,その保護下にある「ノーン」となればよい。

タイは伝統的に外来の優秀な者をどんどん登用していく社会である。歴史上の人物たちで言えば「アユッタヤー朝で要職に就いた山田長政や,ラッタナーコーシン朝で多数登用された外国人顧問などがその好例である。」(本書20頁)

そういえば,同じタイ系民族の国家であるラオスで,小生はいつの間にかラオス人たちの集まりの末席に加わっていたりするのだが(しかも特別扱いというわけでもなく),これも「ピー・ノーン」関係の中で彼らの一員と化しているのだろうと思った。

あくまでも個人と個人をつなげる「ピー・ノーン」関係で形成されるタイ社会は個人主義社会である。集団主義の傾向が強い日本とは大きく異なる。

 

◆   ◆   ◆

 

「ピー・ノーン」関係は国家レベルでも存在する。かつての「マンダラ」システム(強い王が周辺の弱い国々の王を従える仕組み)もそうだったが,現在ではタイ・ラオス関係にそれが見られる。タイ側からすると「ピー」はタイということになる。しかし,この考え方がラオス人にとっては不愉快なものとなっており,両国の関係をときどきギクシャクさせる原因となっている。本書ではそのあたりを「ラオスとイサーン」という節で触れている。

現代タイ国内の「赤」と「黄」の対立,つまりタクシン派と半タクシン派の対立を「ラーオ」的なものと「シャム」的なものとの対立としてとらえるのは卓見だと思う。

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