2018.06.08

One of the don'ts in the Southeastern Asia: 傲岸不遜なクールジャパン

東南アジア全域,つまり中進国だけでなく,後発途上国でも,ショッピングモールに大型テレビをはじめとした家電品が満ち溢れている。衣類に関しても,ファストファッションからハイブランドまで充実している。人々の購買意欲はとても高い。経済的に多少無理でもカードを作って,買い物に勤しんでいる。

だが,その中で日本企業の商品のプレゼンスはとても弱い。原因はよくわかっているのだが,小生が語るよりも,この記事が問題の本質を余すところなく示している:

海外で見た酷すぎるクールジャパンの実態~マレーシア編~」(by 古谷経衡,2018年6月7日)
"その根底には,日本の文化や産品は世界一素晴らしく,幾ら高くとも現地人は買うに違いない,という傲慢と無知が存在するのでは無いか。"

もちろん,傲岸不遜とは程遠く,現地で受け入れられる商品もある。ユニクロなんかはその好例で,この記事でも取り上げられている。


マーケティングの基本は顧客志向。それを忘れたら結果は明らかである。

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2018.06.06

ラオ文字を学ぶ

ラオスにはかれこれ9年9回にわたって出稼ぎに行っているのだが,あいさつ程度しかラオ語ができない。

ここで一念発起してラオス語(ラオ語)を学ぶことにした。ネパール語も勉強し始めたところだというのに。


まずはラオ文字を覚える。

ラオ文字の子音字は27個ある。ヒンディー語やネパール語で使うデーヴァナーガリー文字の場合,子音字は33個だったから,少しばかりは楽である:

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あと,一筆書きで書けるところが良い。

しかし,似た字があって老生のような初学者はちょっと混乱する。

bとp,rとh,nyとyが似ている。

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あと2文字ずつある,phとfも互いに似ていてちょっと混乱する。fの方がしっぽが少し長いが。

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2018.05.25

柴山守『地域情報マッピングからよむ東南アジア』

GISを利用した東南アジア地域研究の実例でも勉強しようと思って,柴山守『地域情報マッピングからよむ東南アジア』という本を手に取ってみた。

そうしたら,豈図(あにはか)らんや,本書の最初の三分の一ほどは,タイ語ワープロ開発史の話だった。タイ文字フォントや入力方式の開発秘話,仏典の用語索引作成などの偉業が語られている。

だが,小生が求めているのはそこじゃない。

地図上に人やモノの動きをマッピングするGISらしいお話は,残り三分の二に登場する。

「第2章 上座仏教寺院と僧侶の<うごき>」,「第3章 海域アジアにみるものの<うごき>」,「第4章 ハノイ都市化の<うごき>をよむ」といった各章に小生が求めてきた研究の実例が紹介されていた。

建築学あるいは都市計画の専門家にとっては第4章が興味深いことだろう。

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2018.05.11

ホイアン

ベトナム・ダナンでの仕事が終わったので,ホイアンに行った。

ホイアンの街並みは世界遺産に登録されている。

ホイアンはもとはチャンパ王国の港町だったが,広南阮氏政権の誕生により,支配者は阮氏となった。

16世紀末以降,オランダ,ポルトガル,中国,日本から商人が来航し国際貿易港として繁栄。

1593年にベトナム人,中国人,日本人が協力して建てたといわれているのが,この↓日本橋である:

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日本橋とは言うが,中国風である。だが,この街のシンボルとして知られており,観光客が大勢集まる。

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↑日本橋から外を眺めたところ。

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↑日本橋の入り口には犬や猿の像が置かれている。

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↑ホイアンの街並み↓

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2018.05.10

ダナン到着

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インチョンからダナンに到着。

インチョンはさすがアジアのハブ空港。ダナン直通便があって助かる。プノンペン直通もあるけど,そちらはまだ使ったことがない。

ダナン空港は新しいのかずいぶんとキレイ。というかギラギラしていて中国の新築の空港のよう。

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入国に関しては,他の国のようにビザが必要だったり,エントリーシートを書かなくてはならなかったり…ということがなくて楽だった。

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2018.05.09

インチョンで時代まつり

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ベトナム出張の途中。インチョンでトランスファーなのだが,空港で時代まつりのようなものをやっていた。毎日やっているのだろうか?

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ベトナムに行くので

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今日から1泊3日のベトナム弾丸出張。
なので,記事は滞る予定。

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2018.05.08

カンボジアの報道の自由

カンボジアにおいて報道の自由が脅かされているという話が英ガーディアン紙に載っていた。

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"Newspaper takeover is 'staggering blow' to Cambodia's free press" (by Hannah Ellis-Petersen, 7 May, 2018, the guardian)

Phnom Penh Post was seen as last bastion of independence in media under fire from PM

この記事の中で"Cambodia Daily"が昨年9月,630万ドルの税を課されて,休刊に追い込まれたという話が出てくる。老生が以前,カンボジアに滞在していた時はこれをよく読んでいたものである。なくなってしまったか。

報道の自由,最後の砦と目されていた"Phnom Penh Post"も,先日,オーナーが代わって,もはや政権批判記事など書けないようになった模様。

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2018.05.07

趙汝适『諸蕃志』を読む

引き続き,「四庫全書」に収められた書物の話。

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『諸蕃志』は南宋の官僚・著述家,趙汝适の著作。趙汝适は北宋太宗より8世の子孫である。

泉州の市舶司だったときに,地理・風土・物産に関する海外情報を集め,この本をまとめた。

これもまた,ネット上で読むことができる:

諸蕃志』(維基文庫,自由的圖書館)


『諸蕃志』は上下2巻に分かれ,上巻は地理・風土,下巻は物産を記している。

  • 卷上 志國 交趾國 占城國 賓瞳龍國 眞臘國 登流眉國 蒲甘國 三佛齊國 單馬令國 凌牙斯加國 佛囉安國 新拖國 監篦國 藍無里國 細蘭國 闍婆國 蘇吉丹 南毗國 故臨國 胡茶辣國 麻囉華國 注輦國 鵬茄囉國 南尼華囉國 大秦國 天竺國 大食國 麻嘉國 層拔國 弼琶囉國 勿拔國 中理國 甕蠻國 記施國 白達國 弼斯囉國 吉慈尼國 勿厮離國 蘆眉國 木蘭皮國 勿斯里國 遏根陀國 海上雜國 渤泥國 麻逸國 三嶼 蒲哩嚕 流求國 毗舍耶 新羅國 倭國
  • 卷下 志物 腦子 乳香 沒藥 血碣 金顏香 篤耨香 蘇合香油 安息香 梔子花 薔薇水 沉香 箋香 速暫香 黃熟香 生香 檀香 丁香 肉豆蔲 降眞香 麝香木 波羅蜜 檳榔 椰子 沒石子 烏滿木 蘇木 吉貝 椰心簟 木香 白豆蔲 胡椒 蓽澄茄 阿魏 蘆薈 珊瑚樹 琉璃 猫兒睛 珠子 硨磲 象牙 犀角 膃肭臍 翠毛 鸚鵡 龍涎 瑇瑁 黃蠟 海南

例によって日本(倭国)の項を読んでみると,冒頭はこんな感じである:

倭國在泉之東北,今號日本國。以其國近日出,故名。或曰惡舊名改之。

訳: 倭国は泉の東北にある。今は日本国と号する。日の出に近いので,そのように名付けた。倭という旧名を憎んで,解明したという話もある。

有水牛、驢、羊、犀、象之屬。

とも書かれているが,日本には水牛や犀や象はいない。誤情報。

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2018.05.06

張燮『東西洋考』を読む

東西洋考』は明代の文人,張燮によって編まれた地誌・歴史書である。万暦45(1617)年発刊。

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乾隆帝の勅命により編纂された「四庫全書」に収められているのだが,中国の人々は大したものでテキストデータがアップされており,自由にネット上で読むことができる:

四庫全書」(維基文庫,自由的圖書館)
東西洋考』(維基文庫,自由的圖書館)

『東西洋考』は全12巻から成り,各巻の内容は以下の通りである:

  • 卷一 西洋列國考 交阯〈清化 順化 廣南 新州 提夷〉
  • 卷二 西洋列國考 占城 暹羅〈六坤〉
  • 卷三 西洋列國考 下港〈加留[𤣩+巴]〉 柬埔寨 大泥〈吉蘭丹〉 舊港〈詹卑〉
  • 卷四 西洋列國考 麻六甲 啞齊 彭亨 柔佛 丁機宜 思吉港 文郎馬神 遲悶
  • 卷五 東洋列國考〈東番考附〉 呂宋〈大港 南旺 玳瑁 中邦 呂蓬 磨荖央 以寧 屋黨 朔霧〉 蘇禄〈高藥〉 貓里務〈網巾礁老〉 美洛居 文萊 東番考〈鷄籠淡水〉
  • 卷六 外紀考 日本 紅毛番
  • 卷七 餉稅考〈清化 順化 廣南 新州 提夷〉
  • 卷八 稅璫考
  • 卷九 舟師考
  • 卷十 藝文考
  • 卷十一 藝文考
  • 卷十二 逸事考

老生としては,柬埔寨(カンボジア),柔佛(ジョホール),日本の項が興味深い。

日本の項を読んでみると,秀吉に関してこういう記述がある:

倭自平清盛秉政,一門並據要路,為淫暴於國。萬曆十四年,平信長為關白,其義子平秀吉者,先是母為人婢,得娠,欲勿舉,念有異徵,育之。秀吉幼微賤,販魚為業,醉臥樹下。信長出獵,吉驚起衝突。將殺之,見其鋒穎異常,因留養馬,名木下人。嗣從征伐,有功為大將。已而信長為明智所殺,秀吉與行長誅明智,廢信長子自立為關白。倭奴既盛,散入諸國間。萬曆初,使臣封琉球,聞中山王往往為倭所苦。至十八年,阻中山王勿通貢,閩撫以聞。朝議置腥氈不問。

二十年正月,秀吉帥行長、清正等入犯朝鮮。朝鮮承平久,武備盡弛,王李昭聞變恇怯,遂陷三道。太妃及世子為倭所執,昭北走義州,絡繹告急。遣祖承訓往援,全師皆沒。上震怒,以來應昌為經略,率大將軍李如鬆督諸將東征,渡鴨綠江,戰平壤,大破之。倭奴宵遁,我師追討,遇伏發,戰碧館,師遂少挫,自是連戰不利。大司馬石星度內閣有厭兵意,力主和議。以布衣沈惟敬往遊說焉。倭遣小西飛來議貢。〈顧養謙、孫钅廣相繼為總督,俱掣肘不得展。〉中朝力陳其偽,章滿公車。大司馬持之堅,上為下禦史曹學程於獄,至論死。於是中外莫敢言。乃遣臨淮勳衛李宗城及沈惟敬持冊封秀吉為日本國王。使至,秀吉不受封,宗城遜還。朝鮮陪臣李元翼知關白無意罷兵,議乘釜山漸弛,作攻復之計,為惟敬所阻。久之,倭益肆,羽檄旁午,和議訖不成。上始暴大司馬星誤國狀,下獄論死。

二十五年,邢玠為經略,楊鎬為經理。鎬誓師躬自督戰,屢破清正,圍秀吉。秀吉糧盡請和。鎬曰:「受降不受和也。」倭窘甚。會大雨雪,我師沾濕,不得駐,倭突圍出戰,我師敗歸。鎬坐奪職。萬世德為經理。無何秀吉死,倭人反首拔舍而還。世德追破之,斬獲甚夥,朝鮮以寧。

(『東西洋考』巻六,日本)

信長と秀吉の姓は平ということになっている。そして,秀吉は信長の義子とのこと。秀吉は「幼微賤,販魚為業,醉臥樹下」,つまり若い頃は貧しく,魚を販売して生計を立て,木の下を寝所としていたと書いてある。信長が明智に殺されたので,明智を誅し,信長の子を廃して,自ら関白になったとも書いてある。

細部に誤りがあるものの,わりと正しく伝わっているといのが老生の感想。

むしろ,同時代の日本の人々はこんなには知らなかったのではないかと思う。

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