2015.08.12

人民元基準値切り下げ:この夏は中国にやられっぱなし

昨日,中国が人民元の基準値を1.9%切り下げた。

その時の日本市場の反応はそれほど過剰なものではなく,日経平均株価の終値は前日比で88円下がった程度だった。

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一夜明けても日経平均株価の始値は20633円でそれほど下がってはいなかった。しばらくはそこから持ち直すような感じだったのだが,10時を過ぎたころから一転,急激な下落が起こった。中国がさらなる人民元の切り下げを行ったからである。

連日の切り下げから,市場では中国の経済状態が相当悪くなっているのではという懸念が広がったわけである。

7月の上旬と下旬にそれぞれ上海総合指数が大幅下落し,世界の市場を揺るがせたことがあったが,今度は通貨切り下げショック。この夏は中国にやられっぱなしである。


ただ,今回の中国の人民元の切り下げは,より実態に即した為替レートに移行しようとする自由化の動きでもある。

人民元の対ドル基準値のコントロールはこれまでに議論の対象になっていた。

人民元の為替レートは基準値の上下2%までしか変動させられない。これを利用して中国の中央銀行である中国人民銀行は意図的に基準値をコントロールしてきた。

しかし,これからはそういうやり方を改め,前日の取引を考慮に入れる方針を示した。それがたまたま(意図的かもしれないが)今回,連日の切り下げという形で世界にショックを与えてしまったわけである。

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2015.07.21

中国歴代王朝の不安定度指数を考えてみた

このところ,宮崎市定の『中国史』を断続的に読んでいる。ようやく下巻の近世史(宋以降)に入った。

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この通史を読みながら思ったのが,中国歴代王朝の安定度ないし不安定度を表す方法は無いかということ。

とりあえず思いついたのが,ある皇帝の「在位年数の逆数」を「不安定指数」として,その皇帝の治世の各年に割り振る方法である。

不安定指数[代/年] × 在位年数[年] = 1[代]

という式が成立する。

このとき,在位年数は宮崎市定流に,即位の翌年を元年とし,最終年(没年)までを数えるものとする。あと,旧暦で考えることとする。

例えば清朝の乾隆帝の在位は西暦1735年10月8日から1796年2月9日(旧暦だと1995年末)なので,在位年数は1736年から1795年とする。

そうすると,在位年数は60年で,不安定指数は1/60=0.017[代/年]となる。乾隆年間の各年には不安定指数0.017を割り振ることとする。

このような作業を明朝と清朝でやってみた結果が次の図である。

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明朝なんか,在位1年程度の洪熙帝や数か月程度の泰昌帝のところできついピークが現れるわけである。清朝の場合はラスト・エンペラー宣統帝のところでピークが出現するが,その他の皇帝たちの治世では明朝に比べてそんなにエッジが立っていない。

明朝と清朝が重なっているところ(1616年~1644年)はいわば動乱の時代である。このあたりはもっと不安定指数が上がるべきだろう。

そういう反省をもとに,新たなルールを加えてみる。

併存する王朝がある場合には,不安定指数に併存する王朝の数を掛ける

明朝と清朝が重なっている期間はそれぞれの王朝の不安定指数を2倍するわけである。そういう補正を行うと,次の通りとなる。

Dynastyver2_2

この指数にはまだまだ改善の余地があるとおもうが,王朝末期や帝位簒奪がある場合にはだいたい皇帝の在位期間が短くなるから,不安定度をある程度表しているのではないかと思っている。

以下は宿題:

○皇帝が単に長生きするだけで不安定度が低くなるのはいかがなものか?
○長い治世の間には農民反乱などがおきるのではないか?
○短い治世だからと言って不安定とは限らないのではないか?(たとえば,雍正帝の治世(1723~1735年))

これからおいおい改良していく予定。

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2015.07.13

加上説:古い話はあとから作られる

宮崎市定の『中国史』の古代編を読んでいると,「加上説」というのが出てくる。

神話時代の物語は,古い時代に関する話ほどあとから作られたものである可能性が高いという説である。

これを加上説というが,日本神話でも同じようなことがあると言われているので両方を取り上げてみた。

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下の図は日中の神話に対する加上説を並べて図示したものである。

Kajousetsu


まず,中国の神話時代の帝王たちの系譜について。

孔子は理想的な帝王の姿として周の文王・武王を描いた。これに対抗して墨子は文王・武王よりも前に手本とするべき帝王として禹を置いた。これにさらに対抗したのが孟子で,禹の前に,堯・舜といった帝王を置いた。老子・荘子の流れをくむ道家はさらに古い時代の帝王として黄帝を置き,農業の専門家たちである農家は神農をその前に置いた。易学を専門とする儒家の一派はさらに前に伏犠を置いた。

ということで,春秋戦国時代の学者たちは自分たちの学問の祖となる人物をライバル学派の祖の前に置くということを繰り返し,その結果,古代帝王の長い系譜が出来たというわけである。これが中国神話の加上説であり,宮崎市定『中国史(上)』の166~167ページに出てくる。


つぎに日本の記紀神話の加上説について。

これは4年ほど前,本ブログの記事「松前健『日本の神々』(中公新書)を読む」で紹介したので採録になる。松前健『日本の神々』の文章をもう一度引用しよう:

イザナギ・イザナミの国生み神話は,もともと淡路島付近の海人の風土的な創造神話,天の窟戸神話は,もと伊勢地方の海人らの太陽神話,スサノヲの八岐大蛇神話は,出雲の風土伝承,天孫降臨は宮廷の大嘗祭の縁起譚,というように,記紀の各説話はめいめい異なった出自・原素材を持っている。それらの原素材は,それだけで完結していて,互いに無関係であったに違いない。ところが,ある一時代にこれらの説話を操作し,これらを人為的に一定の構想をもって,結びつけ,大和朝廷の政治的権威の淵源・由来を語る国家神話の形とした少数の手が感じられるというのである。(松前健『日本の神々』189~190ページ)

つまり,大嘗祭の縁起譚として天孫降臨神話があり,天孫降臨神話の前の話として天の窟戸神話が結び付けられ,天の窟戸神話の前の話として国生み神話が結び付けられた可能性があるというわけである。

ちなみになぜ,天の窟戸神話と天孫降臨神話が直接結びつき,八岐大蛇神話が脇に追いやられているのか,という疑問がわくかもしれないが,そのあたりは本ブログの過去記事「アメノイワヤト神話と天孫降臨神話は直結していた」をご覧いただきたく。

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もし加上説が正しいとすると,史書に記された歴史のうち,信ぴょう性の高い部分が短くなり残念な思いをする人もいるかと思われる。

しかし,それは史書に記載された歴史,つまり文書化された歴史が短くなっただけのことである。

考古学が教えるように,中国の場合,彩陶文化や黒陶文化といった文化が太古に栄えていたことは確かであるし,日本の場合も,紀元前145世紀から紀元前20世紀にいたる長期間にわたって高水準の縄文文化が栄えたわけである。文字になった歴史が短くとも嘆く必要はない。

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2015.07.12

中国史の時代区分

中国史に限らないのだろうが,時代区分をどのように設定するか,ということは中国史をどのように認識しているのかを如実に表す重要な作業である。

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宮崎市定以前には3分法というものがあった。

<戦前・守屋美都雄ほか>
古代: 上古~戦国末
中世: 秦漢~明末
近世: 清初~現代


<戦前・内藤湖南ほか>
古代: 太古~後漢
中世: 後漢~五代
近世: 宋以後


<戦後・唯物史観>
古代: 上古~唐末
中世: 宋~明末
近世: 明末~現代


これらのうち,真ん中の内藤湖南説では,太古から後漢までを古代とするが,これは漢,すなわち古代帝国の成立と維持を古代の歴史的潮流の頂点とする考え方である。西洋史においてローマ帝国を古代の頂点としているのと同じ考え方である。そして,中世を貴族制度の時代,近世を庶民勢力の台頭の時代としてとらえ,時代を区分している。

これに対し,戦前の守屋美都雄らによる3分法では皇帝制度の成立と発展維持の期間を中世としている。清朝以後に関しては西洋の影響が加わっているので近世。しかし,この区分法では中世が長すぎるという問題がある。

唯物史観は労働制度による区分法である。古代は奴隷制度,中世は農奴制度,近世は自由労働制度という考えに基づいて時代区分を行っている。この枠組みでは例えば唐の佃戸は農奴ととらえられている。しかし,宮崎市定が指摘するように,唐律によれば佃戸は小作人に近く,契約によって労働に当たる者である。また唐代には他に奴婢,部曲という身分があり,奴婢は奴隷,部曲は農奴に比定される。つまり唯物史観で中世とされる時代には複数の労働制度が混淆しているわけで,単純に労働制度によって時代を区分することはできない。


というわけで,上述の3つのうち2つの3分法にはいろいろと難がある。これらの3分法に対し,宮崎市定は4分法を唱えている。すなわち,


<宮崎4分法>
古代: 太古~漢代
中世: 三国~唐末五代
近世: 宋~清末
最近世: 中華民国以後


基本的には内藤湖南の3分法を継承している。ただし,西洋文化の衝撃を踏まえ,清と中華民国との間に区切りを設けるという考え方である。

宮崎史観では,経済や権力のダイナミズムが重視される。

古代というのは,バラバラだった中国の都市国家が次第に統一され,経済活動が一層盛んになる求心的傾向が見られる時代のことである。中世というのは中央政府が弱まり,皇帝と貴族たちとが強調したり対立したりを繰り返す,遠心的傾向が見られる時代のことである。この遠心的傾向が再び求心的傾向に転じるのが宋代以降の近世である。


本書ではなく,『大唐帝国』という宮崎市定の著した別の本には,宮崎史観を如実に表す概念図が示されている。

宮崎市定は中国歴代王朝の経済活動の状況を「景気」と呼び,それをグラフ化したものを「中国史上景気循環概念図」と名付けて同署に掲載している(『大唐帝国』,431ページ)。

中国史上景気循環概念図」を書き直したものを下に示す(20世紀以降の状況は小生が独断と偏見で書き加えた)。

Keikijunkan
中国史上景気循環概念図」(宮崎市定『大唐帝国』,431ページに基づく。20世紀以降加筆)

この図によれば,中国史の中世とは大いなる景気の谷間の時期である。群雄割拠して人々が不安に苛まれていた時代であり,経済活動も一進一退であったというわけである。


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2015.07.07

宮崎市定『中国史』を読む

先々月,先月と,東洋史学の泰斗・宮崎市定の著書,『中国史』が上下巻に分けて岩波文庫から上梓されたので,購入し昨日から読書中。

中公文庫で出ているこの人の本はほとんど購入し,岩波文庫のものもいくつか読んでいるが,中国の通史はこれが初。

小生の頭の中では,宮崎市定(東洋史),中村元(仏教),井筒俊彦(イスラーム)が三大東洋学者であり,文庫本が出たら読まなくてもすぐ購入することにしている。

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この通史を貫くのは上巻の総論に記述されているように,歴史は単なる事実の集積ではなく,論理の体系であるという主張である。それも抽象的な論理ではなく,「事実の論理」の体系でなくてはならないということ。

読者の中には,早く古代から現代にいたる歴史の流れを知りたくて,上巻の総論を読み飛ばしたいと思う人もいるだろう。しかし,上巻の総論こそが宮崎史学のエッセンスなので,じっくり読むべきである。

かつてE. H. カーが『歴史とは何か』の中で「歴史は現在と過去の対話である」と述べた。しかし,いまいち小生にはピンとこなかった。

ところが,今回,『中国史』の総論を読んでいたら,歴史というものの意義についてはっきり述べている箇所があって,心中の霧が晴れた。

人間の実生活には,絶えず将来を予測し,将来に備えながら,現在の瞬間を生き,新しい歴史を作っていく一面と,また絶えず過去を振返って過去を整理する一面とがある。そして過去を整理しておかなければ,明日の生活に支障を来すことになるのである。過去はそのまま消えて行くものではなく,その中の必要な部分は将来に再生する。だから過去を整理するという仕事は,それ自身が生活の進行なのである。何だか反対の方向に向いているように見えて,実際はそのいずれも,我々が生きて行く間に起る,生活の営みに外ならない。(『中国史 (上)』,33ページ)

歴史の意義が明確になったので,今後も安心して歴史書を読み散らかすことができる。

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2015.05.11

3年ぶりに台湾に行ってきた件(その8)黒岩の八寶冰

台湾旅行4日目(5月6日)。いよいよ午後から帰国するのだが,その前に宿泊先のホテルからさほど離れていないところに,話題のかき氷屋があるというので,訪ねてみることにした。

行き先は「黒岩」という店。MRT行天宮駅の4番出口から歩いてすぐ。「台北ナビ」でも紹介されている。

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4番出口を出て右の通り(写真だと左側の自転車が並んでいるところの通り),錦州街と言われている道を進む。

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どんどん進む。

Jinzhou02

すると現れたのが「黒岩」の看板。

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早く来すぎたのか,シャッターが閉まっていた。この時朝10時30分。近づいてみると開業は11時からということ。なので,近くの松江市場やその周りの八百屋を回ったりして時間を潰すことにした。

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Shop02

↑ブロッコリーは「1粒」と数えるらしい。

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11時になったのでいよいよ「黒岩」に再チャレンジ。台湾名物「八寶冰」70元を注文した。ツマは「黒岩糖剉冰(4様)」50元。4様というのは白玉団子の様なものとか緑豆とかタピオカとか4つの具材(トッピングというかボトミングというか)を選べるということ。八寶冰の方は初めから8つの具材が入る。

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まずこれ(↑)が「黒岩糖剉冰(4様)」。黒蜜のタレがかかっている。

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つぎにこれ(↑)が「八寶冰」。黒蜜のタレかと思ったら,ジャムのような味もした。大変おいしい。「八寶」が埋もれて見えないが,食べ進めると見えてきた(↓)。

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店内の壁にはファンシーな絵が描かれており,ゆるい感じがしてとても良い。

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この猫(↑)が見つめるシャボン玉の中には「台北101」が映っている。


◆   ◆   ◆


黒岩で八寶冰を楽しんだ後は,行天宮などを見学し,そのあとはホテルからバスに乗って桃園国際空港へ。

あれこれ食道楽した台湾旅行も終わり,チャーター機で宇部へと戻った。

Toube

好吃,台湾。再見,台湾。

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2015.05.10

3年ぶりに台湾に行ってきた件(その7)士林夜市で夕食

台湾旅行3日目(5月5日)の午後に"ICE MONSTER"で山盛りのかき氷を食べたので,お腹が結構張った状態になった。

晩飯をどうしようか迷ったが,とりあえず「士林夜市」に出かけてから考えることにした。

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士林夜市に行くには,MRT淡水信義線に乗って,剣潭で下りれば良い。剣潭で下りるのであって士林で下りるのでは無いというのが不思議なところ。

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士林夜市はいつも人で一杯。

士林夜市のメインストリートを歩いて某所で曲がり,地下食堂街「B1美食区」に向かう。

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エスカレータを降りると,そこに広がるのは活気に満ちた食堂街である。

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「B1美食区」を一蹴巡った後,エスカレータのそばにある「天増」という店に入った。この店,おばちゃんだけでやっている。どうでもいいけど,おばちゃんだけしかいないということで,広島駅のお好み焼き屋「みっちゃん2」を思い出した。

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魚介類が豊富で食欲をそそる。"ICE MONSTER"でお腹一杯になったのを忘れてしまった。

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これがメニューである。「珍珠螃蟹」というのと空芯菜の炒め物とビーフンを頼んだ。

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これ(↑)が「珍珠螃蟹」である。沢蟹をぶった切って挙げたような食べ物。カリカリしていて美味しい。

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そして空芯菜(↑)。にんにくがたっぷり入っている。

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そしてビーフン(↑)。にぎやかな雰囲気の中で食べていると,台湾に来た実感が湧いてくる。

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3年ぶりに台湾に行ってきた件(その6)ICE MONSTERでかき氷

台湾旅行3日目(5月5日)の午後は,日本にも最近上陸した話題のかき氷屋,"ICE MONSTER"の旗艦店に行ってみることにした。

"ICE MONSTER"の旗艦店はMRT國父紀念館駅の1番出口から300メートルぐらいのところにある。

昼食を台湾101のフードコートで済ませたのち,MRTで移動開始。悠遊カードを持っているので,タッチ&ゴーで楽に改札を抜けることができた。

移動経路はこんな感じ:

<MRT淡水信義線> 台北101→信義安和→大安(乗り換え)
<MRT文湖線> 大安→忠孝復興(乗り換え)
<MRT板南線> 忠孝復興→忠孝教化→國父紀念館

MRT國父紀念館駅の1番出口から出た後,少し迷子になったものの,なんとか到着。

Icemonster01

Icemonster02

行列ができております。テイクアウトコーナー(外帯区)もあり。

ツマと二人だったので,今回もすんなり通してもらえた。注文したのは「珍珠奶茶綿花甜(ミルクティー+タピオカ)」180元と「新鮮芒果綿花甜(マンゴー)」220元。

Icemonster03

びっくりするほどの大きさ。かき氷と言っても,水を凍らせた氷にシロップを乗せるタイプではない。マンゴージュースやミルクティーを凍らせたうえで,薄く削り,山のように盛ったものである。量がゴージャスで,"ICE MONSTER"の名に恥じない。綿のようにふわっふわになっているかき氷の食感は最高。空気の層があるため,冷たさがやわらげられ,たくさん食べても頭がキーンとしないのが良い。

Icemonster04

小生は「珍珠奶茶綿花甜」を賞味したわけだが,甘く暖かいタピオカが付いているのがとても良い。直接食べたり,かき氷本体に乗っけたりして食べる。いろいろな食べ方を試すことができるので,量が多くても食べ飽きないのが"ICE MONSTER"のかき氷の良いところである。

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2015.05.09

3年ぶりに台湾に行ってきた件(その5)台北101

今回の台湾旅行の3日目(5月5日)はベタだが台北101に行ってきた。

Taipei101

3年前に台湾を旅行したときには台北101には最寄りの駅が無かった。

しかし,2013年11月にMRT淡水線に直結するMRT信義線が開通し,101へのアクセスが容易になった(参照)。

この淡水線と信義線はまとめて淡水信義線と呼ばれるが,観光客にとっては非常に便利な路線であり,淡水,北投(北投温泉),剣潭(士林夜市),中正紀念堂,そして台北101といった台北を代表する観光名所に気軽に出かけることができる。

台北101には充実したショッピングセンターと台北市内を一望できる展望台が備わっており,日本,韓国,中国大陸からの観光客で大賑わいだった。

台北101の地下一階には「鼎泰豐(Din Tai Tung)」が入っているほか,台湾名物のかき氷や牛肉麺を楽しめるフードコート,お茶やパイナップルケーキなど台湾中のお土産物が揃う売店が集結しており,観光客でごった返していた。

より上の階に行くと,高級店が軒先を並べている。

Taipei1012

シンガポールのお茶の専門店,TWGなんかもある。

Taipei101twg

ここら辺になると客がずいぶんと減って地下一階とは大違いである。客が少なくて大丈夫なのか,と思ったが,単価が高いから大丈夫なのかもしれない。

台北101の5階まで上がると展望台への直通エレベータがある。展望台への入場料は500元である。高いけど話のネタに行ってみる。

東芝製の世界最高速エレベータであっという間に展望台に到着。

Taipei101p0

この日も雨天のため,ときおり雲や霧に包まれたものの,それなりの景色を望むことができた。

Taipei101p1

Taipei101p2

台北101で忘れてはならないのが,101のマスコットともなっている免震用ダンパーの存在。

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これ(↑)がそのダンパーである。650トンもある。

これがマスコット化するとこうなる(↓)

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台北市内の眺望を楽しんだ後は,地下一階のフードコートに戻り,特選牛肉麺で空腹を満たした。

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2015.05.08

3年ぶりに台湾に行ってきた件(その4)金品茶樓の小籠包

小籠包と言えば「鼎泰豐(Din Tai Tung)」というのが合言葉のようになっているが,初日に九份を案内してくれた台湾のガイド氏のご紹介で,「金品茶樓(ジンピンチャロウ,King Ping Tea Restaurant)」(長春路16號)に行った。

行ったのは第二日目(5月4日)の夜,ホテルオークラでパイナップルケーキを購入した後である。予約なしで行ったが,ツマと二人なのですんなり入れた。小奇麗な店内は日本人でいっぱい。ツアー客の間では有名なのでしょう。

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ガイド氏推薦のメニューを頼んだ。内容は次の通り:

 「小龍包套餐」

  • 前菜 冷菜
  • 小龍包  4粒
  • 蟹黄湯包 1粒
  • 蝦肉蒸餃 2粒
  • 菜肉蒸餃 1粒
  • 蝦仁焼売 1粒
  • 季節時蔬
  • 桜花蝦炒飯
  • 酸辣湯
  • 美齢鬆糕

一人前660元(10%のサービス税込)也。

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ちょっと値が張る感じがするが,美味しかったので良し。金品茶樓の小籠包は薄皮で鼎泰豐にも負けない美味しさである。上のリストの「桜花蝦炒飯」はサクラエビの炒飯のこと。サクラエビの炒飯を食べるのは初めてだったが,香ばしく塩味控えめで良かった。酸辣湯も酸味・辛味・甘味のバランスが取れていてとても美味しかった。

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金品茶樓で食事を済ませた後は,MRT行天宮駅近くの宿泊先ホテルまで夜の長春路を練り歩いた。

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ネオン輝く夜の街並みはとても昭和テイスト。

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