2018.07.06

三皇とは?

中国哲学書電子化計画」に収められた古典を拾い読みすることが日課となっているというのはすでに述べた。

後漢末期,応劭によって書かれた『風俗通義』の「皇覇」の章には「三皇五帝」の「三皇」について諸説がまとめられている。

三皇とは

  • 伏羲,女媧,神農である(『春秋運斗樞』説)
  • 伏羲,祝融,神農である(『禮號謚記』説)
  • 虙戲(=伏羲),燧人,神農である(『含文嘉』説)

このほか,『易経』では伏羲と神農だけが触れられており,燧人のことには触れていないという。

要するに,伏羲と神農は確定。あとの一人に女媧が入るか,祝融が入るか,燧人が入るか,ということである。


◆   ◆   ◆


伏羲(Fu Xi)について

さて,伏羲は『易経』の著者とされ,同書「繋辞伝下」にはその業績が次のように記されている:

いにしえの世は伏羲(包犧)の天下であった。伏羲は天文地理,鳥獣の様相を観察し,その成果をもとに八卦を作り,これを用いて神明の徳を理解し,万物の本質を見極めた。

また,縄を結んで網をり,狩りや漁をした。これらはまさしく「離卦」を参考にしたのだろう。

古者包犧氏之王天下也,仰則觀象於天,俯則觀法於地,觀鳥獸之文,與地之宜,近取諸身,遠取諸物,於是始作八卦,以通神明之德,以類萬物之情。

作結繩而為罔罟,以佃以漁,蓋取諸離。

八卦を作ったということはさておき,伏羲は人々に狩猟を教えた文化英雄なのである。


神農(Shen Nong)について

易経』によれば,神農は伏羲没後の指導者である。「繋辞伝下」にはその業績が次のように記されている:

伏羲の没後,神農が頭角を現した。木を切ったり曲げたりして農具を作り,天下に広めた。これらはまさしく「益卦」を参考にしたのだろう。

日中に市場を開いて天下の人々や品物を集め,交易させて帰らせた。品物が人々に適切に配分された。これはまさしく「噬嗑」の卦を参考にしたのだろう。

包犧氏沒,神農氏作,斬木為耜,揉木為耒,耒耨之利,以教天下,蓋取諸益。

日中為市,致天下之民,聚天下之貨,交易而退,各得其所,蓋取諸噬嗑。

つまり,神農は人々に農耕を教えた文化英雄ということになる。

神農は農耕を教えたほかに,薬草・毒物の分類を行った偉人としても知られている。そのあたりは例えば,『淮南子』「脩務訓」に記されている:

ここにおいて神農は民に,五穀の種の撒き方,農地の適否,乾漆肥痩高低などを教え,また多種の植物の滋味,水源の良し悪しを味わい,民に利用すべきか忌避すべきかを理解させた。まさにこの時,神農は毎日70回もの中毒に遭ったという。

於是神農乃始教民播種五穀,相土地宜,燥濕肥墝高下,嘗百草之滋味,水泉之甘苦,令民知所辟就。當此之時,一日而遇七十毒。

神農はいつもいつも中毒になっていたため,寿命が短くなったという。


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女媧(Nu:wa)について

女媧は伏羲の妹と言われている。例えば,北宋の字書(韻書)『廣韻』「上平聲・佳」の章には

女媧:女媧伏羲之妹

と記されている。

その業績だが,

  1. 土を捏ねて人類を作った。
  2. 笙のリード(簧)を作った。
  3. 天地が傾いたとき,それを修復した。

という。三番目の天地修復に関しては『列子』や『淮南子』に記されている。二番目の笙のリード作成に関しては『礼記』「明堂位」や『説文解字』巻六に記述がみられる。

ただし,一番目の人類創成については小生はまだ出典資料を見つけていない。

なお,唐代に書かれた『三皇本紀』によれば,女媧,そして上述の伏羲は頭が人間で体が蛇という姿だったという。伏羲と女媧は夫婦だったともいい,人類はこの二匹の蛇神様によって作られたようでもある。


燧人(Suiren)について

燧人の燧は火打石である。その名の通り,人々に火の起こし方,火を使った調理法を教えた文化英雄である。いわば,プロメテウス。

『韓非子』「五蠹」にはこのように書かれている:

人々は果実や貝類を生のまま食べていたが,生臭く,腹痛を起こすなど,病気が多発していた。そのとき聖人が現れ,火打石で火を得て調理する方法を民に教えた。人々はこの人物に天下の統治をまかせ,燧人氏と呼んだ。

民食果蓏蚌蛤,腥臊惡臭而傷害腹胃,民多疾病,有聖人作,鑽燧取火以化腥臊,而民説之,使王天下,號之曰燧人氏

狩猟を教えた伏羲,農耕を教えた神農と並べるのであれば,火の使い方を教えた燧人が相応しいような気がする。

ちなみに,『韓非子』「五蠹」には,人々に住居を作ることを教えた「有巣氏」という人物が登場する。この人物も三皇レベルの偉人なのだが,三皇に数えられたことはない。


祝融(Zhurong)について

祝融の業績について述べた資料はあまり見つからない。後漢の班固が書いた『白虎通徳論』巻一によれば,

祝とは属の意,融とは続の意。三皇の道を継承(属続)して,よくこれを行ったので,祝融と呼ぶ

祝者,属也。融者,續也。言能屬續三皇之道而行之,故謂祝融也

とあるが,伏羲・神農の行いをトレースしたというだけでは何者なのかよくわからない。

『管子』「五行」によれば,南方を司る神だという。また,『春秋左氏伝』昭公29年秋,魏献子と蔡墨の会話中に,祝融とは火を司る長官で,五帝の一人・顓頊が息子の犂(れい)を祝融に任じたという話が出ている。

まとめると,南と火を司る神を祝融と呼び,後の五帝の時代にその名の官職ができた,という感じだろうか?

ちなみに先に触れた唐代に書かれた『三皇本紀』によれば,共工という者が天下の覇権を狙って祝融と戦って敗れ,不周山にぶつかってこれを破壊し,天地が崩れかけたという。それを修復したのは先に触れた女媧である。


◆   ◆   ◆


以上,三皇についていろいろと書いた。

文化英雄としての伏羲・燧人・神農はまあいいとして,人類創成・天地修復に従事した人頭蛇身の女媧や南方と火炎の神様,祝融などは,もう完全に神話の世界である。

司馬遷が三皇の時代をカットし,史記の最初にもっと人間らしい帝王たち・五帝の物語を置いたのは,合理的な判断だと言えるだろう。

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2018.07.05

麒麟がケンカすると日食が起き,鯨が死ぬと彗星が現れる?

先日,『群書治要』の紹介をして以来(参照),「中国哲学書電子化計画」に収められた古典を拾い読みすることが日課となっている。

宋の太宗が毎晩3巻ずつ読んでいたという,宋代初期の類書『太平御覧』の「天部七・妖星」の章を読んでいたところ,

『春秋考異郵』曰く,鯨魚死して彗星出づ

という面白い話が出ていた。鯨が死ぬと彗星が出るのだそうだ。

『春秋考異郵』という書物は知らないが,『淮南子』「天文訓」にも同じ話が出ていた:

麒麟闘而日月食,鯨魚死而彗星出,蠶珥絲而商弦絶,賁星墜而勃海決。

「麒麟が闘うと日食や月食が起こり,鯨が死ぬと彗星が出現し,蚕が糸をはくと弦が切れ,流星が落ちると大海が溢れる」ということである。陰陽に関するたとえ話,つまり天界での動きと地上の動きはリンクしているよ,という話なのだろうが,あるいはこういう言い伝えが中国のどこかにあったのだろうか?

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2018.06.29

『群書治要』の内容

この度,細川護熙元首相から寄贈された4175冊の漢籍の中に『群書治要』という,日本に残存していた書物が含まれていた,ということはすでに述べた(参照)。また,習近平国家主席と『群書治要』には浅からぬ縁があることも述べた。

では『群書治要』とはどのような書物なのか?

これは,春秋戦国から晋代までの様々な書物から国家統治に関する部分を抜き書きして作った,統治論のアンソロジーなのである。

全50巻の各巻の内容は以下のとおりである:

  1. 周易
  2. 尚書
  3. 毛詩
  4. 春秋左氏伝上<欠落>
  5. 春秋左氏伝中
  6. 春秋左氏伝下
  7. 礼記
  8. 周礼,周書,国語,韓詩外伝
  9. 孝経,論語
  10. 孔子家語
  11. 史記上
  12. 史記下,呉越春秋
  13. 漢書一<欠落>
  14. 漢書二
  15. 漢書三
  16. 漢書四
  17. 漢書五
  18. 漢書六
  19. 漢書七
  20. 漢書八<欠落>
  21. 後漢書一
  22. 後漢書二
  23. 後漢書三
  24. 後漢書四
  25. 魏志上
  26. 魏志下
  27. 蜀志,呉志上
  28. 呉志下
  29. 晋書上
  30. 晋書下
  31. 六韜,陰謀,鬻子
  32. 管子
  33. 晏子,司馬法,孫子
  34. 老子,■冠子,列子,墨子
  35. 文子,曽子
  36. 呉子,商君子,尸子,申子
  37. 孟子,慎子,尹文子,荘子,尉繚子
  38. 孫卿子
  39. 呂氏春秋
  40. 韓子,三略,新語,賈子
  41. 淮南子
  42. 塩鉄論,新序
  43. 説苑
  44. 桓子新論,潜夫論
  45. 崔寔政論,昌言
  46. 申鑒,中論,典論
  47. 劉■政論,蒋子万機論,政要論
  48. 体論,典語
  49. 傳子
  50. 袁子正書,抱朴子

ここで,第34巻「■冠子」の■は鶡(カツ)という漢字であり,ヤマドリという意味である。
また,第47巻「劉■政論」の■は廙(ヨク)という漢字である。劉廙は魏の政治家。曹操と曹丕に仕えた。

上述のリストのうち,<欠落>としているのは日本でも既に失われている巻である。春秋左氏伝,漢書からの抜粋部分が抜け落ちているわけだが,これらはメジャーな中国古典なので,どのあたりが抜粋されていたのかは,予測可能である。従って欠落した巻があってもそれほど問題は生じない。

実際に内容を見たいと思えば,江戸時代・弘化3(1846)年に刊行された『群書治要』を国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができる。

また,電子化された『群書治要』を読もうと思えば,中国哲学書電子化計画で読むことができる。

つまり『群書治要』は唐代に亡失されたとはいえ,すでに電子化され,日本でも中国でも自由に閲覧し研究できる状態にある。

今回,細川元首相が寄贈した漢籍の中に『群書治要』が含まれていたことは,学術的な意義よりも外交的な意義が大きいといえるだろう。

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2018.05.24

東方書店で『中国質屋業史』を購入

東京出張のついでに神保町の東方書店に立ち寄り,同書店刊行の本を買ってきた:

浅田泰三『中国質屋業史』(東方書店,1997年)

この本によると,質(抵当)をとるという行為は大昔から存在するが,業として質屋が営まれるようになったのは南北朝時代らしい。

南朝の仏教寺院が経営する「寺庫」が最初の質屋業ということである。

坊主丸儲けとはこのことかと。

最初は伽藍建立や慈善のための資金を稼ぐことが目的だったらしいが,後には単なる金儲けと化していく。唐代になると民営の質屋業(質庫),宋代になると官営の質屋業が加わり,質屋業は隆盛を極める。

この本で初めて知ったのだが,「寺庫」の発展を支えたのは,当時の仏教界にあった「福徳」思想と「無尽蔵」思想なのだという。

福徳思想とは,善行を施すことによって幸福と利益が得られるとする思想である。

そして,無尽蔵思想とは,日本における「頼母子(たのもし)」と同じで,母子が無限に続くように,金が利を生み,利が利を生むことによって無限に利が生産されるという思想である。

そもそもの原始仏教にはこれらの思想はなかったと思うのだが,古代・中世の中国仏教(三階教)ではこういう思想が広がっていたようである。

なお,現代の中国語では質に入れることを「典当(ディエンダン,diǎndàng)」という。

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2018.05.07

趙汝适『諸蕃志』を読む

引き続き,「四庫全書」に収められた書物の話。

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『諸蕃志』は南宋の官僚・著述家,趙汝适の著作。趙汝适は北宋太宗より8世の子孫である。

泉州の市舶司だったときに,地理・風土・物産に関する海外情報を集め,この本をまとめた。

これもまた,ネット上で読むことができる:

諸蕃志』(維基文庫,自由的圖書館)


『諸蕃志』は上下2巻に分かれ,上巻は地理・風土,下巻は物産を記している。

  • 卷上 志國 交趾國 占城國 賓瞳龍國 眞臘國 登流眉國 蒲甘國 三佛齊國 單馬令國 凌牙斯加國 佛囉安國 新拖國 監篦國 藍無里國 細蘭國 闍婆國 蘇吉丹 南毗國 故臨國 胡茶辣國 麻囉華國 注輦國 鵬茄囉國 南尼華囉國 大秦國 天竺國 大食國 麻嘉國 層拔國 弼琶囉國 勿拔國 中理國 甕蠻國 記施國 白達國 弼斯囉國 吉慈尼國 勿厮離國 蘆眉國 木蘭皮國 勿斯里國 遏根陀國 海上雜國 渤泥國 麻逸國 三嶼 蒲哩嚕 流求國 毗舍耶 新羅國 倭國
  • 卷下 志物 腦子 乳香 沒藥 血碣 金顏香 篤耨香 蘇合香油 安息香 梔子花 薔薇水 沉香 箋香 速暫香 黃熟香 生香 檀香 丁香 肉豆蔲 降眞香 麝香木 波羅蜜 檳榔 椰子 沒石子 烏滿木 蘇木 吉貝 椰心簟 木香 白豆蔲 胡椒 蓽澄茄 阿魏 蘆薈 珊瑚樹 琉璃 猫兒睛 珠子 硨磲 象牙 犀角 膃肭臍 翠毛 鸚鵡 龍涎 瑇瑁 黃蠟 海南

例によって日本(倭国)の項を読んでみると,冒頭はこんな感じである:

倭國在泉之東北,今號日本國。以其國近日出,故名。或曰惡舊名改之。

訳: 倭国は泉の東北にある。今は日本国と号する。日の出に近いので,そのように名付けた。倭という旧名を憎んで,解明したという話もある。

有水牛、驢、羊、犀、象之屬。

とも書かれているが,日本には水牛や犀や象はいない。誤情報。

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2018.05.06

張燮『東西洋考』を読む

東西洋考』は明代の文人,張燮によって編まれた地誌・歴史書である。万暦45(1617)年発刊。

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乾隆帝の勅命により編纂された「四庫全書」に収められているのだが,中国の人々は大したものでテキストデータがアップされており,自由にネット上で読むことができる:

四庫全書」(維基文庫,自由的圖書館)
東西洋考』(維基文庫,自由的圖書館)

『東西洋考』は全12巻から成り,各巻の内容は以下の通りである:

  • 卷一 西洋列國考 交阯〈清化 順化 廣南 新州 提夷〉
  • 卷二 西洋列國考 占城 暹羅〈六坤〉
  • 卷三 西洋列國考 下港〈加留[𤣩+巴]〉 柬埔寨 大泥〈吉蘭丹〉 舊港〈詹卑〉
  • 卷四 西洋列國考 麻六甲 啞齊 彭亨 柔佛 丁機宜 思吉港 文郎馬神 遲悶
  • 卷五 東洋列國考〈東番考附〉 呂宋〈大港 南旺 玳瑁 中邦 呂蓬 磨荖央 以寧 屋黨 朔霧〉 蘇禄〈高藥〉 貓里務〈網巾礁老〉 美洛居 文萊 東番考〈鷄籠淡水〉
  • 卷六 外紀考 日本 紅毛番
  • 卷七 餉稅考〈清化 順化 廣南 新州 提夷〉
  • 卷八 稅璫考
  • 卷九 舟師考
  • 卷十 藝文考
  • 卷十一 藝文考
  • 卷十二 逸事考

老生としては,柬埔寨(カンボジア),柔佛(ジョホール),日本の項が興味深い。

日本の項を読んでみると,秀吉に関してこういう記述がある:

倭自平清盛秉政,一門並據要路,為淫暴於國。萬曆十四年,平信長為關白,其義子平秀吉者,先是母為人婢,得娠,欲勿舉,念有異徵,育之。秀吉幼微賤,販魚為業,醉臥樹下。信長出獵,吉驚起衝突。將殺之,見其鋒穎異常,因留養馬,名木下人。嗣從征伐,有功為大將。已而信長為明智所殺,秀吉與行長誅明智,廢信長子自立為關白。倭奴既盛,散入諸國間。萬曆初,使臣封琉球,聞中山王往往為倭所苦。至十八年,阻中山王勿通貢,閩撫以聞。朝議置腥氈不問。

二十年正月,秀吉帥行長、清正等入犯朝鮮。朝鮮承平久,武備盡弛,王李昭聞變恇怯,遂陷三道。太妃及世子為倭所執,昭北走義州,絡繹告急。遣祖承訓往援,全師皆沒。上震怒,以來應昌為經略,率大將軍李如鬆督諸將東征,渡鴨綠江,戰平壤,大破之。倭奴宵遁,我師追討,遇伏發,戰碧館,師遂少挫,自是連戰不利。大司馬石星度內閣有厭兵意,力主和議。以布衣沈惟敬往遊說焉。倭遣小西飛來議貢。〈顧養謙、孫钅廣相繼為總督,俱掣肘不得展。〉中朝力陳其偽,章滿公車。大司馬持之堅,上為下禦史曹學程於獄,至論死。於是中外莫敢言。乃遣臨淮勳衛李宗城及沈惟敬持冊封秀吉為日本國王。使至,秀吉不受封,宗城遜還。朝鮮陪臣李元翼知關白無意罷兵,議乘釜山漸弛,作攻復之計,為惟敬所阻。久之,倭益肆,羽檄旁午,和議訖不成。上始暴大司馬星誤國狀,下獄論死。

二十五年,邢玠為經略,楊鎬為經理。鎬誓師躬自督戰,屢破清正,圍秀吉。秀吉糧盡請和。鎬曰:「受降不受和也。」倭窘甚。會大雨雪,我師沾濕,不得駐,倭突圍出戰,我師敗歸。鎬坐奪職。萬世德為經理。無何秀吉死,倭人反首拔舍而還。世德追破之,斬獲甚夥,朝鮮以寧。

(『東西洋考』巻六,日本)

信長と秀吉の姓は平ということになっている。そして,秀吉は信長の義子とのこと。秀吉は「幼微賤,販魚為業,醉臥樹下」,つまり若い頃は貧しく,魚を販売して生計を立て,木の下を寝所としていたと書いてある。信長が明智に殺されたので,明智を誅し,信長の子を廃して,自ら関白になったとも書いてある。

細部に誤りがあるものの,わりと正しく伝わっているといのが老生の感想。

むしろ,同時代の日本の人々はこんなには知らなかったのではないかと思う。

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2017.12.10

千田稔『伊勢神宮―東アジアのアマテラス』を読む(続)

だいぶ前に出た本である。ちょっと前にも紹介した(参考)が,もう一度,読書感想文を書いてみる。

著者は歴史地理学者。

著者は本書で「日本の神道を論じようとしたのではない。伊勢神宮にまつわる歴史的な文脈を東アジア世界の中でみつめようと試みた。」(217頁)

とはいえ,「アマテラスの誕生」に触れないわけにはいかない。第1章「アマテラスの旅路」第2章「中国思想と神宮」では,海洋民の信仰する太陽神が,道教(北極星信仰)と融合し,国家神へと昇格するプロセスが描かれている。

国家神アマテラスが伊勢に鎮座する理由については,東を聖とする思想と,大和と伊勢の位置関係をもとに論じているが,この説などは以前に紹介した西郷信綱『古事記の世界』(岩波新書)で語られていた「伊勢・大和・出雲の関係性」を思い起こさせてとても興味深い。

「伊勢神宮にまつわる歴史的な文脈を東アジア世界の中でみつめよう」という本書の意図のため,国家神アマテラスの誕生に係る議論は,第1章・第2章に限られており,老生としては物足りない感じがする。

しかし,律令期にアマテラスが国家神として奉祀されたことが,その後,中世・近世・近現代の日本とアジアの関係に影響を与えてきたことを描出した第3章「神国の系譜」,第4章「近大の神宮」,第5章「植民地のアマテラス」は,それはそれで興味深い。

アマテラスに対する民間信仰なかりせば,明治以降の神道の(ほぼ)国教化というのはありえない。しかし,植民地政策の一環として台湾・朝鮮・満洲に神宮創祀が行われたのは,本来の信仰から逸脱していると言わざるを得ない。

戦後,国家と神道とが分離されたことは,伊勢神宮とアマテラス信仰に本来の姿を取り戻させることになったものと見ることができよう。そういう歴史的文脈を踏まえれば,戦後に折口信夫が

「神道にとって只今非常な幸福の時代に来てゐる」

と発言したのはよく理解できる。

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2017.12.03

ニコライ・A・バイコフ『牝虎<めとら>』を読む

ニコライ・A・バイコフ作(上脇進訳)『牝虎<めとら>』(中公文庫)を読んだ。

【あらすじ】

満洲・横道河子(フンダオフーズ,heng dao he zi)に住む<私>は,旧友でベテラン猟師のアキンジン・ステパーノヴィチ・バボーシンとともに海林(ハイリン,hai lin)渓谷の密林を旅する。目指すのはグリゴーリイ・ゾートフの山小屋だ。

バボーシンによれば,グリーシャ(グリゴーリイ)は先ごろ,ナスターシャという美しい娘と恋に陥ったのだそうだ。

バボーシンは,ナスターシャはややこしい女だから付き合わない方がいい,とグリーシャに警告したのだそうだが,果たして,グリーシャの小屋にたどり着いたとき,中にいたのはナスターシャだった。

なぜ,ナスターシャがややこしい女だと言われるのか? それは,彼女には親が決めた結婚相手がいるからである。彼女の実家・チュマコフ家では,ナスターシャを金持ちの材木商ロジノフに嫁がせようとたくらんでいた。しかし,ナスターシャは密林に住むグリーシャのもとに逃げ込んでしまったのである。チュマコフ家の連中が黙っている筈がない。

この後,物語は

  • チュマコフ家の男たちによるナスターシャの拉致
  • グリーシャによるナスターシャの奪還
  • 虎に襲われたグリーシャを救うナスターシャ
  • ジプシー女に心を奪われるグリーシャ
  • 再び虎に襲われたグリーシャの死
  • バボーシンに芽生えた,寡婦ナスターシャへの恋心
  • グリーシャの遺児とともに仔虎を育てるナスターシャ
  • ナスターシャから離れ,満洲の密林の中に消えるバボーシン

というように,息もつかせぬほど劇的に展開する。

台詞回しは古めかしいが,一気に読める面白い小説だ。

この小説のタイトル『牝虎<めとら>』が意味するのは,狩猟の対象であるアムール虎のことではない。美しく力強く,男たちを惹きつけて止まないナスターシャのことである。

ナスターシャがグリーシャの遺児とともに仔虎に母乳を与えるシーンは,衝撃的であると同時に聖母像のように美しく崇高でもある。


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物語自体も面白いが,原作者バイコフと訳者上脇進の関係も興味深い。

バイコフ(1872年,キエフ生まれ)は,いわゆる白系ロシア人で,満洲に住んでいた。満洲の密林とそこに住む動物たちを描いた作品で知られるが,特に『偉大なる王』はよく知られている。

上脇(1899年,鹿児島生まれ)は満洲・新京語学院に務めていた折,バイコフと交友を深めた。バイコフの作品をいくつか訳出しているが,そのうち,この『牝虎』は1943年に満洲日日新聞・大連日日新聞両紙に連載されたものである。

翻訳権は満洲日日新聞が所持していたが,第二次世界大戦終結とともに,同社は消滅。また,バイコフも終戦の翌年1946年3月15日にハルピンで発疹チフスのため死去した(と,本書の「はしがき」「あとがき」には記されている)。

これで,著作権者も翻訳権者もいなくなったわけで,「従って,翻訳,出版の権利が存するものとすれば,まず訳者より外に所有する者はない筈と思う」(『牝虎』278頁)と上脇は主張している。

ここまでは「ふーん。そんなものか」と思っていたわけだが,バイコフについて調べてみると,訳者の主張と違うことがわかってきた。

『牝虎』は1950年に万有社から刊行されたのだが,その際,上述の通り,上脇は1946年にバイコフが病死したものとしている。

ところが,バイコフは死んではいなかった。終戦直後,バイコフは中国を縦断し,香港にたどり着いていた。そしてそこから海を渡り,オーストラリアにたどり着いた。そして1958年3月6日にブリスベンで死去したわけである。墓は同地にある(参照)。

上脇は1962年に死去するが,死ぬまで,終戦翌年のバイコフの病死を信じて疑わなかったのだろうか?やはり,通信事情の悪い時代のこと,オーストラリアにバイコフが移り住んだことを知るすべはなかったのだろうか?

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2017.09.04

『馬賊の「満洲」 張作霖と近代中国』を読む

ラオス出張中,毎日わりと忙しくて一冊だけしか本が読めなかった。

読んだのはこれ,澁谷由里『馬賊の「満洲」 張作霖と近代中国』(講談社学術文庫)のみである。

著者は中国近代史が専門で,浅田次郎の『中原の虹』の歴史考証を担当したことがある。

日本での張作霖のイメージは?というと,おそらく

「馬賊の親分で,中国東北部に勢力を張っていて,関東軍の傀儡だったが,利用価値無しと判断した河本大作大佐らによって爆殺された」という

というぐらいのものだと思うが,本書を読むとだいぶイメージが変わる。


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そもそも,「馬賊」とは何か,という定義をきちんと済ませてから本書は張作霖の話を進める。

本書の定義(本書30ページ参照)では,「馬賊」というのは,満洲で活動している匪賊全般(これを胡子<フーヅ>と呼ぶ)のカテゴリーの一つであり,次のような特徴を持つ:

  • 少なくとも頭目・副頭目は騎馬
  • 「保険隊」「大団」という名称で縄張りを持つ
  • 縄張り内の有力者の支援を受ける
  • 支援者の財産を襲うことはなく,むしろ防衛する
  • 縄張り外で匪賊として活動する

ということで公権力がまともに機能しなくなった時代・場所に登場した,一種の武装自衛集団ということになる。

張作霖が馬賊の親分だったのは事実だが,別に関東軍の支援で成り上がったわけでなく,張作霖個人の才覚と周囲の人々の協力によって,馬賊の頭目→地方軍の幹部→軍閥の総帥へと成長を遂げたことが,本書では詳述されている。


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張作霖政権(通称:奉天派)の成立に関して重要なことは,王永江という清廉潔白で優れた行政家がいたことである。

王永江は警察制度や税制の改革に腕を振った(保境安民)。警察制度の近代化によって張作霖政権は馬賊集団からの脱皮を果たした。また,税制の改革によって張作霖政権の財政状況は好転した。

張作霖の軍事的な才能と王永江の行政手腕とが相俟って,奉天派は有力な軍閥政権として地位を固めた。張作霖は王永江に厚い信頼を寄せ,宴会の席次は同等とし,呼び方もただ一人,「卿」としたという(本書145ページ)。

後に,張作霖が地方から中国全土へと勢力拡大の野心を抱き,北京での政権闘争に積極的に関与するようになると,張作霖と王永江の間には隙間風が吹くようになる。やがて,王永江は北京政権への介入をやめない張作霖の下を離れる。張作霖は王永江に復帰を求めたが,王は故郷に閑居して1927年に生涯を閉じた。王永江の死の翌年,張作霖は河本大作大佐らの謀略によって爆殺された。


◆   ◆   ◆


張作霖が日本軍と関係を持っていたことは事実だが,傀儡という表現はあたらない。清朝や民国政府の力が及ばず,また日本やロシアなどの列強の介入が著しく,政治・軍事・社会・経済的に不安定極まりない状況にあった中国東北部/満洲に現れた,自主自立的な政権として張作霖の政権をとらえなおす必要がある。

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2017.08.13

エドワード・ヤン監督『クーリンチェ少年殺人事件』を見てきた

YCAMでエドワード・ヤン(楊徳昌)監督『クーリンチェ少年殺人事件』が上映されているので,観てきた。

実際に台北で起こった,少年による殺人事件をモチーフにした映画である。

1991年の作品の4Kレストア・デジタルリマスター版。英語のタイトルは"A Brighter Summer Day"。劇中に流れるプレスリーの曲"Are you lonesome tonight?"の一節から採られた。

Gulingjie

伝説の傑作との噂にたがわぬ映画で,3時間56分を費やして観た価値があった。

舞台は,1960年代初頭の台北。喧嘩に明け暮れる不良グループ,少年の淡い恋心,不器用な外省人一家。社会には閉塞感と焦燥感が蔓延,若者たちはこれに鋭敏に反応し,暴力や一時的な享楽に耽る。小津と『ゴッド・ファーザー』の間に位置する映画だという「ヤヌス・フィルムズ」の評価はまさにその通り。

ストーリーをものすごく簡単に述べると,小四(シャオスー)という少年が,可憐で薄幸な少女・小明(シャオミン)に恋したところ,ファム・ファタルでした,という話(もちろんそんな簡単な話ではなく,既に述べたように,当時の世相,若者たちや家族の生きざまが丹念に描かれている。だから4時間近く必要なのだ)。小明に係った男性はみな,エライ目に遭う。なんか『吉祥天女』の叶小夜子を思い出したぞ。

男たちがエライ目に遭うのは,小明のせいではない。男たちが小明を善導しようなどと思いあがるからである。

"你怎麼就是不明白? (どうしてわからないの?)
這個世界是不會為你而改變的, (あなたはこの世界を変えることはできない)
我就好像這個世界, (私はこの世界とおなじ)
是不會為你而改變的! (変えることなんかできないわ)"

(字幕では「私を変える気? この社会と同じ,何も変わらないのよ」)

という小明の諦観に基づく発言は,小四のみならず若者たちの希望を完全に打ち砕く。

台湾の若者たちが希望を持てるようになるには,1990年代の李登輝総統による民主化を待たなくてはならない。

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