2024.04.10

梅棹忠夫とモンゴル語

「モンゴルはわたしにとって,あこがれの国だった。中央アジアの高原のさわやかな空気にふれたかったのである。」(梅棹忠夫『実戦・世界言語紀行』岩波新書205)

さて先日,モンゴル・ウランバートルに出張した。ウランバートルに行くのはこれで2回目である。

温品廉三『モンゴル語のしくみ』や橋本勝『ニューエクスプレスプラス モンゴル語』でちょっと勉強してきたが,ちょっとのことでは歯が立たないのがモンゴル語。

日本語の「う」や「お」にあたる母音が全部で4種類もあり,とても聞き分けできない。

以前ご紹介した(ご参考),エル="Л (L)"の発音。これも手ごわい。「無声歯茎側面摩擦音」と言い,「ひ」とか「し」に聞こえる。

あとは"Х(kh)"がやたら多いが,これはまあ,ロシア語で練習済みなので,「か」と「は」を合わせたつもりで喉の奥で発音すればよい。

結局,現地ではご挨拶の

"Сайн байна уу?" (サェン バイノー)

ぐらいしかできなかったわけである。

(「ありがとう」を意味する,"баярлалаа"なんか,巻き舌р (r)と無声歯茎側面摩擦音л (l)が混在していて文字通り舌が回らない)

東南アジア諸国と違って,モンゴル人はお愛想で笑ったりしない。なので,通じたかどうかも不明のまま。

…ということで老生は苦戦していたモンゴル語だが,冒頭にあげた梅棹忠夫はあこがれの国の言葉ということで,実用上困らない程度にマスターしていた。

 

◆   ◆   ◆

 

実戦・世界言語紀行』の第2章「アジア大陸の奥深く」の半分はモンゴル語の話である。

1944年の春に蒙古聯合自治政府・張家口市に蒙古善隣協会・西北研究所が設立された。所長は今西錦司。梅棹忠夫は今西についていくことを決め,この研究所の嘱託(後に所員)となった。

モンゴルの牧畜社会を研究するにはモンゴル語が不可欠ということで,梅棹忠夫は勉強を始めた。まずは読み書き。なんと,というか当時としては当たり前のことなのだが,縦書きのモンゴル文字の読み書きを学んだということである。

読み書きの次は会話である。1944年5月に梅棹忠夫は西北研究所に着任するが,張家口市は漢族の街なので彼のモンゴル語会話力はなかなか上達しない。モンゴル人の間に入らないとダメだ,と思っていたところ,粛親王府の牧場を訪れる機会に恵まれた。ここでモンゴル人に囲まれて生活する中,ひと月ほどで日常会話ができるレベルになった。

日本語が使えない状況になると外国語が上達するというのはよく言われることである。モンゴル語ではなく,英語であるが,老生もそういう経験がある(上達したというよりも恐れずに話せるようになっただけ)。

梅棹忠夫のモンゴル語力はめきめきと上達。しかし,いよいよ本格的に研究を始めようとしたところで終戦。残念ながら大陸から引き上げざるを得なくなった。以後,数十年にわたってモンゴルに渡航することができなくなった。

しかしながらモンゴル語の能力を生かす機会は意外なときにめぐってくる。アフガニスタンのモゴール族探検(1955年)がそれで,この探検については『モゴール族探検記』(岩波新書青版F-60)に詳しいので,そちらをご参照ください。

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2023.05.09

5月なのに山口オクトーバーフェスト|リターンズ

コロナ禍の影響でしばらくご無沙汰だった「山口オクトーバーフェスト」(2019年のレポートはこれ,2018年のレポートはこれ

ついに帰ってまいりました。

ということでこのGW中に行ってまいりました。

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最初の一杯はWarsteinerのPremium Dunkel(500ml, 1600円+グラスのデポジット1000円,アルコール4.8%)。軽い口当たり,深みのある味わい。

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つぎにドイツ最古の醸造所:ヴァイエンステファン(Weihenstephan)のヘフェ・ヴァイス(500ml, 1600円,アルコール5.4%)を。

これはこれでフルーティーでうまい。

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あとは日本初上陸のオリジナルへレスを飲んだけど,見た目がヘフェ・バイスと区別がつかないので写真は省略。オリジナルへレスはのど越し抜群で,これもうまい。

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テントの中は大賑わい。

バンドの演奏に合わせて,バイエルン国歌(嘘)を斉唱:

 〽 Ein Prosit, Ein Prosit, der Gemütlichkeit !

そして会場全体で乾杯。

どれもこれも美味くていけませんね。

ビールについてもっと勉強しよう。

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2023.01.20

旧川上村の民具についての本

出張のついでに周南の古書店,マツノ書店に行ってみた。

郷土史や幕末の資料が充実していることで有名な書店だが,ここで,阿武川ダムの水底に沈んだ旧川上村+福栄村のいくつかの集落で使われていた民具についての本を入手した。

『ふるさとの民具 山口県』(山口民報社,1974年12月)と『阿武川の民俗資料』(川上村文化財愛護協会,1975年1月)の2冊で,どちらも著者は波多放彩氏。

後者『阿武川の民俗資料』の序文は「旅する巨人」宮本常一が担当している。

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ちょっと昔,とある用事で阿武川民俗資料館に寄った。そのとき,そこに展示されていた民具の数々に圧倒された。

この2冊の本では同資料館に収められている民具,例えば,寝具の掻巻(かいまき)や農具の唐箕(とうみ)など90点あまりが写真付きで解説されている。独特の文体で,読んでいて楽しい。

 

ちなみに,書店で購入したときには気づかなかったのだが,家に帰って両方の本を見比べてみると,9割以上の民具の記事が重複していた。

『ふるさとの民具 山口県』だけに載っている民具は「藍甕(あいがめ)」「口焼(くちやき)」「筋引(すじひき)」「威(おどし)」の4点,『阿武川の民俗資料』だけに載っている民具は「渋団扇(しぶうちわ)」「とっかん」の2点である。

『ふるさとの民具』のあとがき「くくりに」の文章によれば,同書のもともとの原稿は山口民報に掲載されたものだという。『阿武川の民俗資料』は『ふるさとの民具』が出版された直後に出版されたので,原稿は同じものが流用されたのだろう。

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2022.12.07

極寒のモンゴルにちょっと行ってみた

Сайн байна уу? (サインバイノー:こんにちは)

ついこの間まで,極寒の地,ウランバートルに出張していた。

ちょうど寒波が押し寄せてきていて,日中の最高気温がマイナス24℃だったりする。

チンギス・ハーン空港からウランバートル市内までの道路はこんな感じ:

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外をずっと歩いていたら凍死しますね。

大都会ウランバートル市内はまだ人が歩いても大丈夫な感じ。

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日中,日が差すと,路面の一部で雪が解ける。

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ふと,道路を見ると,ウランバートルを走っている車はトヨタのプリウスだらけだったりする。

トヨタ車大人気。

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マイナス30℃になろうとしているのに,夜の散歩を楽しんだりする。

モンベルのパウダーランドパーカを着ていれば,なんとか大丈夫!

ここは,スフバートル広場:

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世界帝国の創始者が祀られている:

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2022.08.15

観光列車「〇〇の話」に乗ってきた

新下関から東萩まで山陰線を走る観光列車「〇〇の話」に乗ってきた。

「はなし」というのは沿線の萩,長門,下関の頭文字をとったという話。

和洋折衷という風情のカラーリングで,乗って良し眺めてよし。

2号車の先頭は赤く塗装されているが,1号車に向かって赤から青にグラデーションで変化していく。

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そして,1号車に移り,青から緑へのグラデーション。と言った凝った塗装で美しい。

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内装は,というと1号車は木材や畳を多用した和風。

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そして2号車はレンガ風の壁に皮のシートの座席という洋風の内装である。

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窓から眺める山陰の景色は絶景とも言うべきもの。山口の日本海側には白い砂浜が広がっている。

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そして,車中で販売される「東洋美人」を嗜む。「飲み鉄」(by 六角精児)気分で楽しい。

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2022.05.06

出雲国造の話

出雲国造(いずもこくそう)

「出雲国造は出雲大社の神職の上官なり,神代に大国主命,此国を去り給ひし時,天神,天穂日命をして其の祭祀を主らしめ給ひしより以来,子孫相継ぎて,国造に任ぜらる,中世より其家千家北島の両流と為り,明治維新の後,並に家族に列せらる」(古事類苑神祇部 洋巻第4巻 1058頁,※カタカナをひらがなに,旧字体を新字体に変更)

ということで,出雲大社と言えば,皇族の嫁ぎ先である千家氏が有名なのだが,千家氏と並ぶ出雲国造としてはもう一流,北島氏がある。というのが本記事の前説。

 

さて,このGW,久しぶりに出雲に行った。

当然のように出雲大社に詣でたのだが,まず訪れたのが北島国造館である。

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出雲国造家は室町時代・康永年間(1340年頃)に千家氏と北島氏に分かれた。それ以降は月ごとに交代で出雲大社の宮司を務めるようになった。

しかし,明治維新の後,いろいろな経緯を経て千家氏が出雲大社の宮司ということに(詳細は出雲教のサイトをご参照)。千家氏は出雲大社(おおやしろ)教という宗教団体を興した。これに対し,北島氏が興したのが出雲教である。その出雲教の本部がこの北島国造館である。

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この北島国造館を訪れたのち,東に歩いていくと,出雲大社の御仮殿に直接到着する。

このあとは社殿を巡って二拝四拍手一拝をしたり,神楽殿の大注連縄を見物したり,牛の像を触ったりと,参拝客気分を満喫。

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ちなみに,前回,出雲大社を訪問したときは御本殿大屋根の吹き替え工事が行われていて,工事現場の見学をしたり,吹き替え費用の寄付をしたりした。

そのとき寄付のお礼としていただいた檜皮は今も家に飾っている。

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2022.04.29

地今坊?ジーコンボ?

今や消えてしまった地名であるが,宇部の小羽山のあたりは,団地が開発される前は「地今坊(ジコンボウ)」と呼ばれていた。

そのことを示す文献がなかなか見当たらないのだが,『平凡社「日本歴史地名体系」特別付録 輯製二十万分一図復刻版 山口県全図』には出ている:


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赤で囲った部分,右から読むのだが,「地今坊」と書かれている。「地」の字が潰れてしまって読みにくいが…。

ところで,「ジコンボウ」という呼び名でふと思い出したのが,山口県の日本海側の離島,見島にある「ジーコンボ古墳群」のことである。

「ジーコンボ」の語源として5つの説があるらしい(参考)。その説のうちのどれか一つと宇部の「地今坊」の間に共通点があれば面白いと妄想する次第。

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2022.01.03

三社参り?|人麻呂様,八幡宮,護国神社

おせち料理ばかり食べていたら,やはり太ったので,運動を兼ねて三社参りをした。

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↑人麻呂社

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↑八幡宮

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↑護国神社

三社参りは西日本に根付いた風習だと仄聞しております。

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2021.12.26

美祢のプチラボベーカリーに行ってきた。

美祢市に用事があったので,そのついでに「プチラボベーカリー」に行ってきた。

2019年5月にオープンしたベーカリーで,独自にブレンドした粉で作ったカンパーニュやバゲットを売っている。

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「カーサ ブルータス」にも取り上げられたベーカリーで,平日でも開店前から入口に列ができる程の大賑わい。

何を買ったのかについては秘密。とにかく旨い。できたてのパンはなおさら。

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2021.12.14

濱田庄司記念益子参考館に行ってきた

先日から民藝づいている。

今回は陶芸の町として知られる栃木県芳賀郡益子町の「濱田庄司記念益子参考館」を訪問。

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人間国宝ともなった陶芸家・濱田庄司は,柳宗悦,河井寛次郎,バーナード・リーチらとともに民藝運動の中心人物であった。

民芸品の収集家としても知られ,「自分が負けた」(つまり素晴らしい価値がある)と感じた世界各地の民芸品を収集し,創作活動の糧とした。

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この「参考館」を構成する建築物群もまた濱田庄司の収集物である。収蔵品とともに鑑賞するべきものである。

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↑2号館,3号館は大谷石で作られた蔵。もとは肥料庫であった。

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↑その内部で濱田庄司の収集物が展示されている。

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↑参考館に関する説明。

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↑収集物の一つ,イヌイットの彫刻,フクロウ。

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↑収集物とともに展示されている濱田庄司作品,琉球窯赤絵花瓶。

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↑4号館(上ん台)。これは濱田庄司最大の収集物である。旧名主の家屋を移設したもの。

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↑4号館内部。

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↑囲炉裏とその周りの収集物。

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↑山形の民芸品,羽広鉄瓶。

広大な敷地に,素晴らしい建物とコレクションが揃っているのに,あまり観光客がいなくてもったいない感じがする。

いま,東京国立近代美術館で「民藝の100年」展が開催されているわけだが,そこのコレクションに負けないぐらいの展示物が揃っている。

読者各位も機会があれば,濱田庄司という人の眼を通して選ばれた,クオリティの高い品々を直接ご覧いただきたいと思う。

 

 

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