山口県立美術館で開催中の「奇才 江戸絵画の冒険者たち」を見てきた。
コロナ禍のもとでの開催なので,観覧には予約が必要。
だが,人数制限があるおかげでゆっくりと鑑賞できた。
北斎やら若冲やら有名どころだけでなく諸国の奇才も集まって総勢35名の大展示会。
北斎の波しぶきや若冲の草木虫魚に対する観察眼に圧倒されたり,長澤蘆雪の牛の描き方に驚嘆したり,鳥羽絵の名手・耳鳥斎(にちょうさい)のユーモラスな地獄図絵に笑ったり,いろいろと見どころがありすぎて整理がつかないぐらい贅沢な展示である。
蠣崎波響の描いたアイヌ酋長の肖像画があんなに小さいとは思わなかった。
およそ7年ぶりに観た狩野一信の五百羅漢図には再会の喜びを感じた(参照)。
同じ五百羅漢図でも,経文の字によって釈尊や羅漢たちを描くという加藤信清の超絶技巧には鬼気迫るものを感じた。
なによりも今回楽しみにしていたのは土佐の絵金。はじめてお目にかかる。
「花衣いろは縁起 鷲の段」と「播州皿屋敷 鉄山下屋敷」の2作品を見たが,おどろおどろしくも躍動感に溢れた作品で何度も見返した。帰りにミュージアムショップで「花衣いろは縁起 鷲の段」のうちわを購入したぐらいである:
↑絵金の屏風絵のうちわ。
特筆すべきは今回,全国初デビューとなった山口の雲谷派の絵師,神田等謙(こうだ・とうけん)の「西湖・金山寺図屏風」だろう。生没年不詳の画家の作品。本展を監修した安村敏信氏(北斎館館長)の言葉を引いてみよう:
「本展は山口会場も巡回するので雲谷派の絵師の中にはきっと一人くらい奇才にふさわしい人がいるはずだということで探してもらい,見つけたのが神田等謙の『西湖・金山寺図屏風』(No.229)だ。初めて見た私は,神経質な震えをもつ水平な波と柱状節理の垂直の山々の対比に目を奪われた。」(「奇才 江戸絵画の冒険者たち」(2020年)公式図録15頁)
等謙が描く水面には細かなビブラートがあり,一種異様だ。それのみならず,定規を使ってサインペンで書いたような明確な輪郭線を持つ楼閣もまた見るものに強烈な印象を与える。
山口にこういう画家がいたとは。
生没年不詳ということだが,何か手掛かりはないかと,等謙について調べてみたところ,長門市の広報誌にこんな記事を見つけた:
長門市郷土文化研究会「ながと歴史散歩 第99回 神田雪汀(かんだ・せってい)」(「広報 No.802 ながと」1995年10月15日号)
この記事では長門ゆかりの画家・神田雪汀(本名:加賀志,1837年~1885年)の生涯を紹介しているのだが,雪汀が神田等謙の養子に迎えられたということが記されている。
ということは,等謙は江戸末期の人物だということになる。雪汀が何か書き残していれば,等謙のことがわかりそうである。