2024.02.24

宮内橋の話

コロナ前,2019年5月に金沢に旅行し,小幡家所縁の「宮内橋」に行ってきたという話はすでに本ブログに書いた(参考)。

その宮内橋のことだが,古書城田で購入した「歴史読本」1978年12月臨時増刊号「都市・地名ものしり読本」に宮内橋に関連する記事が出ていたので紹介する。

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戸部新十郎氏が書いた「石川県の人物地名21の由来」という記事(同増刊号359~360ページ)を読むと宮内橋についてこんなことが書かれている:

◇宮内橋(金沢市)

藩臣小幡宮内の屋敷脇にあった。宮内は前田利常の生母寿福院と義兄弟で名は長次。大坂の役後,累進して一万九百石を受け,御小姓番頭から家老・城代を歴任した。

宮内は風流人で,山城井手の玉川からカエルを取り寄せ,橋下の総構堀に放ち,夏季は,夜もすがらカエルの声を聞いて楽しんだ。維新後,総構を廃し,土居を崩したので,玉川のカエルは絶えたが,川縁の崖がかすかに名残りを偲ばせる。

この文の前半部分,小幡宮内長次の経歴については別の記事(参考)に書いたように,老生もすでに知っていることだったが,この文の後半については初耳だった。

風流人でしたか。

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2023.06.07

嘘歴史(その2)

バルカナイザー(Balkanizer)

統一ならず(2)

『フォン・シェーンハウゼン伯の華麗なる戦争』という奇妙な書物が,ウィーンの読書人の間で話題を呼んでいた。1863年12月のことであった。

内容は,架空の王国・オストラントが,宰相フォン・シェーンハウゼン伯の指導の下,ドイツ諸邦をまとめ上げ,ヨーロッパに一大帝国を築き上げるというものだった。

ナショナリズムを鼓舞するために書かれたような内容だった。対スカンジナビア,対オーストリア,対フランスと,オストラント率いるドイツ連邦は対外戦争に連勝,ついにはドイツ帝国成立に至る。

小説の末尾,フランスに圧勝した後,ベルサイユ宮殿鏡の間でドイツ帝国の成立が宣言される描写などは,荒唐無形の極みである。しかし,ウィーンの人々の間で話題になったのはそこではなく,小説の前半部分に描かれた,オストラントがオーストリアとの戦争に踏み切るプロセスであった。

某年某月,オストラントはオーストリアを誘ってスカンジナビアに侵攻し,勝利。オストラントはスカンジナビアから得た広大な領土を独占し,二年後,オーストリアと戦端を開く。フォン・シェーンハウゼンの巧みな外交と戦争指導の情景が,この英雄の心理描写とともに簡潔だが精密に記述されていた。

オストラントはプロイセンを,フォン・シェーンハウゼン伯はビスマルクを擬したものであろうという推測はウィーンの人々にとって容易なことだった。

オーストリアをドイツ諸邦から切り離そうという小ドイツ主義にプロイセンの民意が傾きつつある中,この奇妙な書物はオーストリアの要人たちのプロイセンに対する不信感をさらに募らせていった。


◆   ◆   ◆


「この本はいったいどこの誰が書いたのだ? そもそもどうやって検閲を潜り抜けたのだ?」

ビスマルクは『フォン・シェーンハウゼン伯の華麗なる戦争』を手にしながら怒っていた。

1863年12月7日,ドイツ連邦議会が連邦軍のホルシュタイン進駐を決定したところまではビスマルクの計画通りだった。つぎは,デンマークへの宣戦布告だった。連邦軍で攻め込むのも良し,プロイセンとオーストリアの二カ国だけで攻め込むのもさらに良し。

そんな重要な局面で,奇妙な書物がヨーロッパ各国に出回り,各国の指導者たちはプロイセンへの不信感を強めていた。

ビスマルクの前にはヴィルヘルム・シュティーバーが立っていた。ナポレオンにとってのジョゼフ・フーシェ。ビスマルクにとってのヴィルヘルム・シュティーバー。彼が率いる諜報網をもってしても,『フォン・シェーンハウゼン伯の華麗なる戦争』にまつわる数々の謎は解けないままだった。

「しばしの猶予を」

シュティーバーはビスマルクに願い出た。だが,多少の時間をかけたところで,執筆した者,印刷した者,意図,その他もろもろの疑問は明らかにはならないだろう。手掛かりが少なすぎる。

この奇妙な書物は,出回っている部数こそわずかであったが,一部を抜粋した手紙などが貴族,軍人,学者,商人などさまざまな人々の間でやり取りされており,この書物について語ることが一大ブームとなっていた。

「いや,もはや猶予は無い。卿の優れた能力は,来たるべきデンマークとの戦いに向けられるべきものだ」

デンマークという言葉を聞いた瞬間,シュティーバーには閃くものがあった。

「閣下,"Cui bono?"という言葉があります」

「ラテン語か。ああ,誰が利益を得るのか,ということだな」

「誰が得するのか? この本によって諸国の我が国に対する不信をあおることで得するのは・・・」

「デンマーク」

「そう。デンマークが仕組んだのではないでしょうか?」

少なくともこの奇妙な書物が出回ることになった背景だけはつかめた,と二人は思った。

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2023.06.04

嘘歴史(その1)

バルカナイザー(Balkanizer)

統一ならず(1)

1873年3月15日,岩倉具視,大久保利通,木戸孝允,伊藤博文ら,いわゆる岩倉使節団がビスマルクの公邸を訪問した。夕食に招かれたのである。

近代化を始めたばかりの国の指導者たちを前に,ビスマルクは語った。

「アジアと欧州,遠く離れてはいるが,貴国と我が国は同じ境遇にある。」

ベルリンに留学中の青木周蔵が通訳を務めた。

「ドイツの統一は成らなかったものの,小国であったプロイセンはここまで成長し,列強にも一目置かれる存在となった。貴国も日本列島の統一は成らなかったものの,革命を経て新しい国家を作り始めたと聞く。」

「お気づきであろうが,列強に伍していくためには,まず,産業を興し,軍事力を強化することが必要である。列強は貴国に対して国際法に基づく法整備云々を要求しているようであるが,国際法などというものは,国力,とくに軍事力があって初めて遵守されるものである。貴国も我が国と同じように産業の振興,軍事力の強化に力を注ぐべきであろう。」

「もちろん,国力の増強というのは平坦な道ではない。われわれは周辺諸国とのせめぎ合いの中で幾度も辛酸をなめてきた。貴国もこれから我が国と同じような苦しい経験を重ねることだろう。」

「だが,いかなる困難があろうとも,それを乗り越え,列強に軽んじられぬ存在となっていただきたい。その時,我が国は貴国を友邦として迎えるであろう。」

イギリス,フランス,オーストリアといった大国からの圧力に抗し,幾多の敗戦からも立ち直り,いまや欧州における強国の一つとなったプロイセン王国。その歴史を体現する宰相の率直な発言は,日本列島の西半分を擁する「日本国」の指導者たちに強い感銘を与えた。

 

◆  ◆  ◆


「プロイセンを手本にせんにゃいけん,ちゅうことについては,岩倉公も大久保さんもみな同じ思いじゃろうが・・・」

夕食会を終え,ホテルに戻った木戸孝允は自分の部屋に伊藤博文を招き,二人でビスマルクの言葉の真意を読み取ろうとしていた。

「プロイセンは手放しで我が国を友邦として認めるわけではない,ちゅうことじゃね」

「それはわしも思いました。列強に伍する国になってから友達になろう,ということですい」

「・・・ちゅうことは,蝦夷地問題は当分お預けじゃろう」

統一戦争,後に戊辰戦争と呼ばれる戦いの中,日本国新政府と対立していた奥羽越列藩同盟は,武器と引き換えにプロイセンに蝦夷地を提供した。本格的な植民は始まっていないものの,蝦夷地開発の権利はプロイセンにある。プロイセンはこの件を機に,東日本を領有する「日本共和国」とも通じている。

「共和国の連中が来ても同じことを言うんじゃろうか?」

「言うんでしょうね。」

「さすが列強諸国を敵に回して引けを取らんかった宰相。食えん爺さんじゃね」

「そこもまた手本にせんにゃいけんことですい」

伊藤は笑いながら言った。まず所作から真似しよう,葉巻をくゆらすところなんか恰好いいな,と思った。伊藤は後に自らを「日本のビスマルク」と称するようになる。

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2022.08.08

8月8日は世界猫の日 (International Cat Day)

なのだそうです。

International Fund for Animal Welfare (ifaw)が2002年に制定

ということで,GoogleのAIが勝手に作ったうちの愛猫,オリセちゃんのコラージュを掲載します。

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猫だけじゃなく,あらゆる動物を大事にしましょう。

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2022.08.06

「猫づくしの音楽」は良かった

遅ればせながらRadikoで「村上RADIO」を聴いた。

この番組,村上春樹氏本人が楽しんでやっているようで,聴いていて楽しい。

7月31日放送の第40回は猫山さんがセレクトした「猫づくしの音楽」。

この曲が良かった:

Jimmy Smith "The Cat"

「ブラタモリ」でタモリ氏がタモカメのタモテバコから巻物を取り出すときに流れる曲はこれだったのですね。

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2022.06.06

聖霊降臨祭後の第1月曜日

6月6日は何の日か,というと日本ではまず,芸事初めの日とされている。この日に芸事を始めると上達するのだそうだ。

そこで,6月6日は楽器の日,邦楽の日,生け花の日などと称されている。

欧州では6月6日だからというよりも6月の最初の月曜日だからということで,2022年6月6日(月)はWhit Monday(聖霊降臨祭後の第1月曜日)とされている。

精霊降誕とはイエスの復活・昇天後,集まって祈っていた120人の信徒たちの上に神からの聖霊が降ったという出来事である。

オーストリア,ベルギー,キプロス,デンマーク,ドミニカ,フランス,ドイツ,ガボン,ギリシャ,ハンガリー,アイスランド,・・・,その他英国領ではWhit Mondayは休日となっている。

ちなみに東方正教会では1週間ずれて2022年6月13日(月)がWhit Mondayである。

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2022.06.05

6月5日は世界環境デー/環境の日

1972年にスウェーデンのストックホルムで開催された「国連人間環境会議」の初日が6月5日だったことにちなんで制定されたということ。

Environmentday

今年の世界環境デーの担当はスウェーデン。

ちなみに「環境基本法」の第十条で,6月5日を「環境の日」とすることが定められている:

環境基本法(平成五年法律第九十一号)
(環境の日)
第十条 事業者及び国民の間に広く環境の保全についての関心と理解を深めるとともに,積極的に環境の保全に関する活動を行う意欲を高めるため,環境の日を設ける。
2 環境の日は,六月五日とする。
3 国及び地方公共団体は,環境の日の趣旨にふさわしい事業を実施するように努めなければならない。

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2022.06.01

気象記念日であり,家康の命日であり

今日6月1日は気象記念日だという話。

1875年(明治8年)6月1日に東京赤坂葵町に日本初の気象台:東京気象台(現気象庁)が設置されたことを記念して制定されたという。 

気象庁や東京管区気象台の公式HPで何かお祝いしているのかと思ったら特になかった。

ついでながら,6月1日は家康公が逝去した日(元和2年4月17日=グレゴリオ暦1616年6月1日)でもある。

「東照宮御遺訓」は偽作とされているが,家康公の生涯を踏まえ,よくできた内容である。

「人の一生は重荷(おもに)を負(をひ)て遠き道をゆくが如し いそぐべからず……」 声に出して読みたい日本語。

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2022.05.06

今年の立夏は5月5日

今年の立夏は昨日,5月5日だった。



「『餽節』といって,酒屋ではこの日,顧客に酒を送る。」(奥野信太郎,佐藤春夫,増田渉監修『中国史談第1巻 春夏秋冬物語』河出書房新社,83頁)


「隣り近所から茶の葉をもらい集めてきて,去年の炭で茶をわかして飲む。これを七家茶という。また逆に,新茶を煮て,つまみものなども添えて親戚や近所へおくる。これもやはり七家茶という。立夏の日に七家茶を飲めば,夏痩せをまぬかれるという。」(同上)



というのが,むかしの(いつぐらい?)中国の立夏の日の行事だったらしい。


「百度百科」によれば,七家茶(qi1 jia1 cha2)は「杭州旧俗」とされている。出所は明代の田汝成『西湖遊覧志餘 熙朝楽事』ということで,明代の風習だと思われる。

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2022.04.11

ロシア語の勉強を再び,三度,…

ウクライナ侵攻により,向こう側の情勢をより深く知るべく,ロシア語の必要性が増していると思う。

かつて(20世紀の終り頃に)ロシア語を第二外国語として学んだ者として,またまた改めてロシア語の勉強を復活させようかと思っている。ネパール語やラオ語やオランダ語や中国語の勉強はどこに行ったのかというご指摘はおいといて。

手元にある大学書林の『ツルゲーネフ散文詩』を開いたところ,こんな詩があった:

Во дни сомнений, во дни тягостных раздумний о судьбах моей родины, — ты один мне поддержка и опора,
о великий, могучий, правдивый и свободный русский язык!

疑いの日も,故国の運命について思い悩む日も ― お前だけが私の支えだ。
ああ,偉大な,力強い,真実の,そして自由なロシア語よ!

「ロシア語」という題の詩の前半部分である。

しかし今や

Маленький, слабый, лживый и увечный русский язык!

になってしまった感がある。

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