2024.09.20

紀蔚然『台北プライベートアイ』を読む

紀蔚然『台北プライベートアイ』(船山むつみ訳,文春文庫)が面白い――と高野秀行がXに書いていた。

よく行く宮脇書店には見当たらなかったが,明林堂書店で見つけたので購入。

台湾気分を味わおうと思って,中華航空の機内で読みふけった。面白かった。

 

主人公は呉誠(ウー・チェン)と言う。大学で英語や演劇を教えていたのだが,公私の人間関係が破綻したことをきっかけに退職。臥龍街(ウォロンジェ)に引っ越し,私立探偵(Private eye)を始めることになった。

攻撃的な発言をしてしまう癖があるというのは,他の探偵小説の主人公にもありそうな話だが,パニック障害をもっている主人公というのはこれまでになかったように思う。

呉誠が髭もじゃの容貌だということに気が付いたのは,この小説の半ば,第十一章に入り,呉誠が連続殺人事件の容疑者として逮捕されてからだった。

髭もじゃでサファリハットの男,呉誠とはどんな容貌か? この疑問は著者の写真を見たらすぐに氷解した(紀蔚然 - 傑出校友 - 輔仁大學公共事務室 (fju.edu.tw))。

 

推理自体はそれほど複雑なものではない。台北の人々の暮らしの描写や主人公・呉誠の考察が読みどころである。

例えば,台湾人の運転の荒さ,クラクションの使い方についての考察:

「台湾人は研究開発を重ねて,クラクションの強さと長さでさまざまな情報を伝える手段を編み出してきた。礼儀正しい「多謝<ドーシャ>(ありがとう)」,「歹勢 <パイセ>(すみませんね)」から,警告のための「気をつけろ」,「目を覚ませ」,挑発を意味する「度胸があるなら,やってみやがれ」,「絶対無理」,「道路はおまえのもんじゃねえ」,驚きを表す「おいおい」,「こんちくしょう」,「ふざけんな」,それから,もちろん,怒髪天を衝く「XXXX!さっさと行きやがれ!」がある。」(『台北プライベートアイ』104ページ)

このすぐ後には台北の街並みに関する考察が続く:

「あくまでも実用的な台湾人は,そもそも美しいか,美しくないかを理解する気もない。どんな物であれ,暮らしを立てるための論理で有機的に繁殖させてしまうので,台湾の風景はなんともいわれぬ独特の情緒を醸し出し,その醜さには親しみをともなう一種の特殊な美が生まれている」(『台北プライベートアイ』105ページ)

主人公が自らの酒癖の悪さについて述べた部分:

「酒の度胸というのには二種類ある。一つは酒を飲む度胸のことであり,もう一つは何度もアルコールに浸されることによって膨れ上がった度胸のことである。おれはその両方に特別に恵まれており,これまで何度となく,酒を飲んでは失言し,他人をめちゃくちゃに攻撃した。」(『台北プライベートアイ』165ページ)

 

教養と深い洞察力を持ち合わせているものの,パニック障害を抱え,失言・暴言癖を持つ主人公・呉誠が,果たして初めて依頼された事件を解決することができるのか,また,殺人の容疑を晴らすことができるのか,さらにまた,近所づきあいはどうなるのか,そして恋愛関係は進展するのか,最後まで目の離させない探偵小説である。

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2024.08.23

『ワープする宇宙』|松岡正剛に導かれて読んだ本

宇宙論は趣味レベルで好きだが,宇宙論に関する本は専門書から一般書まで非常に多く,どの本を読むのか決めかねる。

選書にあたっては,誰かの導きがあるとありがたい。

リサ・ランドールの『ワープする宇宙』(NHK出版)を手にしたきっかけは,松岡正剛の導きによるものだ。

Lisa

我々が住むこの宇宙は,上下・左右・前後を示す空間の3次元に時間を加えた4次元でできているというのが従来の考え方だが,その他にも余剰の次元がある,という説が提案されている。リサ・ランドールはその説を提唱している科学者の一人である。

本書のあらすじはAIたちに任せることとして,老生の手元にあるこの本の見開きには松岡正剛の添え書きとサインがある。

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宇宙論は空気が澄み切った冬の夜にふさわしいのかもしれない。

セイゴオの訃報は21日に耳にした。巨星墜つ。

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2024.07.11

Azureの勉強をする本

いつまでもクラウドサービスから目を背け続けるわけにはいかないので,Microsoft Azureの勉強を始めた。

まずは,ただで勉強ができるMicrosoft Learnをやってみたのだが,英文直訳風の文章と,単に英単語をカタカナに直しただけの用語だらけなので,いきなり挫折。

デジタルネイティブな世代の方々であればMicrosoft Learnの方が良いのだろうが,当方,昭和生まれの紙ベース人間なので,本を読んで学修する方針に転換。

いろいろな書籍がある中で,挫折せずに読み通せたのがこれ,

新井 慎太朗著『1週間でMicrosoft Azure資格の基礎が学べる本』(インプレス)

である。

一日あたり20~30ページずつ読んで,1週間で読み終えるという仕組み。

とにかく一日1時間確保できれば,飽きたり挫折することなく1週間で最低限の知識を身に付けることができる。

1日分終わったところで知識整理のための問題が7~9問出てくる。これを解くことで,やり遂げた気持ちになる。

 

小生の場合,6日目に2日分を読んだので,この本を6日で終えることができた。

そして7日目にMicrosoft Learnに戻ってみたところ,あら不思議,すいすいと説明文を読むことができ,確認問題も解け,バッジやトロフィーをもらうことができた。

慣れって大事。そして慣れるためには何でもよいので優しい解説本を読み切ることが大事。高校や大学の受験と同じです。

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2024.05.23

『<学知史>から近現代を問い直す』所収の「オカルト史研究」を読む

有志舎からこの春に刊行された『<学知史>から近現代を問い直す』を読んでいる。

「学知史」という言葉は聞きなれない言葉だが,人文科学諸分野(歴史学とか思想史とか)の学説史・研究史を横断的に研究する方法論(リサーチ・メソドロジー)である。とは言っても形成途上の方法論なので,スタイルは固まっていない。

本書には大正期から最近までの様々な分野の研究の歴史をまとめた論文が収められている。

例えば斎藤英喜「『日本ファシズム』と天皇霊・ミコトモチ論―丸山真男,橋川文三,そして折口信夫―」とか山下久夫「『文献学者宣長』像をめぐる国学の学知史―芳賀矢一・村岡典嗣・西郷信綱・子安宣邦・百川敬仁―」とか。

学説史・研究史というのは研究者ありきなので,具体的な研究者名がサブタイトルに登場する。やはり人は人のことを知るのが好きなんですよ。

さて,面白そうな論文がひしめき合っている中,最も目を引いたのが,

栗田英彦「ポスト全共闘の学知としてのオカルト史研究―武田崇元から吉永進一へ―」

である。

最近「オカルト2.0」なんか読んだから「オカルト」に過剰反応する。

この論文,出だしの一文が良い:

「近年,オカルト(オカリティズム・エソテリシズム)史研究が国内外で脚光を浴びている。」(『<学知史>から近現代を問い直す』280ページ)

まさしくそんな気がする。

以降,オカルト史(エソテリシズム史)研究の日本代表として吉永進一を取り上げ,その研究の変遷,アプローチ手法のみならず,ニューウェーブSF読書経験やオカルト体験についても概説してくれる。要するにこの論文はほぼ吉永進一の評伝となっている。

栗田氏は吉永進一の発言を踏まえて,その研究姿勢を次のようにまとめている:

「つまり,アカデミズムのエティックな概念で対象化することで安全な立場に立つ,つまり「客体として取り出して整理する」というのではなく,「自己に戻って」自分の問題として捉えることを重視する。その意味で「オカルト」とは実体的領域を示す客観的概念というよりは,むしろその実体性や客観性を掘り崩して,自分の問題として考えるための方法論的な概念として用いられていることがわかる。」(『<学知史>から近現代を問い直す』295ページ)

そういえば,先日読んだ「オカルト2.0」の著者もオカルトを研究対象としつつも,自分の問題として捉えていた。オカルト史研究の典型的な研究姿勢なのだろう。

竹内裕=武田崇元=有賀龍太からの影響のほか,浅田彰や安彦良和にも少し触れられていたりして,オカルト史研究というのは,在野とアカデミズムの境目の無い,学際的な領域なのだなぁと感心した。

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2024.05.22

トマス・リード『人間の知的能力に関する試論』を読む

昨年から時折,トマス・リードの『人間の知的能力に関する試論』(上下 戸田剛文訳 岩波文庫)を読んでいるのだが,トマス・リードの正直さには感心する。

何が正直かというと,わからないものはわからないと述べていることが正直だというのである。

例えば,あなたにAさんという友達がいるとして,あなたがAさんについて何を知っているかというと,Aさんの属性(背が高いとか低いとか,性格が明るいとか暗いとか,勉強ができるとかできないとか)しか知らないでしょう,本質はわからないでしょう,ということをリードは述べている。

今の例では人物を取り上げたが,物でも現象でもおなじことで,リードは『人間の知的能力に関する試論』の中で,あらゆる対象について

属性は明確にわかるけど,本質はわからない

ということを述べている。

具体的には第5巻第2章「一般概念について」の中でこういうことを述べている:

「われわれがあらゆる個体について持っている,あるいは得ることができるすべての判明な知識は,その属性の知識である。というのも,われわれは,どのような個体の本質も知らないからだ。それは人間の機能の届く範囲を超えているように思える」(下巻141ページ)

もちろん,背が高いとか低いとか,性格が明るいとか暗いとか,勉強ができるとかできないとかいった属性はAさんという主体なしには存在できない。赤い色は,赤い色をした自動車とか服とか具体的な主体がなければ存在できない。

だが,主体の本質となるとわからない。お手上げである。

「自然は,われわれに,思考することと推論することは主体なしには存在できない属性だと教えてくれる。しかし,その主体について,われわれが作ることのできる最良の思念も,そのような属性の主体だということ以上のことをほとんど含意していないだろう」(下巻143ページ)

今では,「複雑系」のように「全体は部分の合計よりも大きな何かである」という考え方がある。しかし,実際にわれわれが主体に関して語ることができるのは,属性の総和が関の山で,本質については想像以上のことを語ることはできない。

トマス・リードはスコットランド常識(コモン・センス)学派の代表格である。彼の著書には常識学派という通称に違わぬ考え方が示されている。

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2024.05.17

『オカルト2.0』を読む

竹下節子『オカルト2.0』を読んだ。

近年のフランスのオカルト事情や動物磁気説で知られるメスメル(1734~1815)の栄光と挫折の生涯など,興味の尽きない話題が提供されている。

著者はオカルトのビジネス化やカルト化に警戒しつつも,カオスの時代を生きる方法としての可能性を「オカルト2.0」に見出している。

死,病,事故,別れなど人生には避けられない「悲劇」もあるけれど,それはある意味で単純なものだ。その他に自分でややこしくこじらせているさまざまな心理的葛藤がたくさんあって毎日の現実を汚染している。

実存的な悲劇と心理的葛藤とを分けなくてはいけない。葛藤を一つひとつ解決する「治療」を求めるのではなく,それらを抱えたままで「大いなる健康」に向かう一つの方法がオカルト2.0であるかもしれない。(「あとがき」より)

従来のオカルトは正統的な科学や宗教の裏側に在ったり対抗していたりしたのだが,今や科学とオカルトは対立するものではなく,協調しうるものだ,というのが本書のスタンスである。

それにしても,ビジネス界隈で流行していた「コーチング」の源流が,神秘思想家ゲオルギイ・グルジエフやその影響下で形成されてきたエニアグラムにあったというのは初めて知った。不明を恥じる次第である。

オカルトとビジネスは実に相性が良い(有名な経営者がスピリチュアルなものに傾倒している例はいくつもある)。

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2024.05.07

ダイ・シージエ『バルザックと小さな中国のお針子』を読む

ダイ・シージエの『バルザックと小さな中国のお針子』を読んだ。

こんなあらすじである:

文化大革命下の中国。知識階級の子供と見なされた主人公と友人の羅(ルオ)の二人は下放された。

生まれ故郷の大都会・四川省の成都を離れ,電気もないド田舎,鳳凰山で農作業に従事することになった。

主人公と羅が住んでいる村には,時折,仕立屋がやってくる。その仕立屋の娘が表題の「お針子」である。「小裁縫」と呼ばれている。とても美しい娘で主人公と羅は恋をした。

毛沢東語録以外の本は所有禁止という状況下で,主人公と羅はフランス文学の翻訳本を入手した(盗んできた)。

娯楽に飢えていた二人はむさぼるようにそれらの本を読む。

そして,羅は小裁縫にバルザックなどを読み聞かせ,だんだんと親密になっていく。

羅は小裁縫に教養を付け,田舎には似つかわしくない洗練された女性に仕立てようとするわけだが・・・。

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フランス在住の中国人映画監督が綴る青春小説。

ある程度予想されていたことだが,最後のどんでん返しがとても良い。

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2024.04.30

『デルスウ・ウザーラ』読了

デルスウ・ウザーラ』(東洋文庫55)を読み終わった。

アムール川流域の先住民ナナイ(ゴリド)の猟師デルスウ・ウザーラと,ロシア人探検家アルセーニエフが,1907年から1908年にかけてシホテ・アリニ山脈を踏破する話である。

この本に感銘を受けた黒澤明がソ連の全面的協力の下,映画『デルス・ウザーラ』を撮り,モスクワ国際映画祭金賞やアカデミー賞外国語映画賞を獲ったのは有名な話。

はじめは一日1章のペースで読んでいたのだが,この本に描かれている状況が理解できるようになると読むのが早くなり,最後は2,3章まとめて読むようになった。

読者はデルスウの素朴な世界観と狩猟民族としての知恵に惹かれるだろう。

デルスウの世界観はアニミズムのそれであり,人間も動物も機能するモノも全て「ひと」と見なされる。

それらの「ひと」たちに対する知識や態度は,デルスウとの関わり合いによって濃淡が変化する。

天体に対してはわりと塩対応だ。こういうエピソードがある。

・・・1907年8月25日の夜明け,東の水平線付近に彗星が見えた。

アルセーニエフが率いる探検隊のメンバーたちは彗星が何を予言しているのかと議論し合った。

アルセーニエフがデルスウに意見を聞いてみたところ,次のように答えた:

「あれはいつも空をいく,人のじゃまはしない」彼はつまらそうに答えた。

自然を人格化してみる彼の考えではあるが,それでも彼は正しかった。彼は事物をそのあるがままに判断した。

(長谷川四郎訳『デルスウ・ウザーラ』「第7章 シャオケムに沿って」より)

このあと,アルセーニエフが太陽についてもデルスウに訊いてみるのだが,これも面白い:

「デルスウ」私は彼にきいた。「太陽とは何かね?」

彼はふしぎそうに私をみて,こんどは彼の質問を出した。

「あんたみたことないのか。みなさい」彼はこう言って,手でちょうど水平線にのぼった太陽の円板を示した。

みんなは笑った。デルスウは不満だった。その太陽自体が眼前にあるのに,太陽とは何かと人にたずねる。彼はからかわれたように思ったのだ。

(同じく『デルスウ・ウザーラ』「第7章 シャオケムに沿って」より)

天体に対してはこんな様子だが,魚やカラスやトラに対しては深い洞察を示す。

 

デルスウはこの旅の途上,老いによる視力の低下にショックを受ける(とは言ってもまだ58歳だったのだが)。旅の終わり,アルセーニエフはデルスウを自宅に引き取ることにした。

しかし,都市の生活はデルスウにはなじまなかった。なぜ,薪や水に金を払わないといけないのか? なぜ,街中で猟銃を撃ってはいけないのか? デルスウはアルセーニエフのもとを離れ,森に帰っていく。

それから二週間ほどたったある晩,デルスウは寝ているところを,何者かに襲われ,殺される。加害者はロシア人と推定されるが,捕まらないままであった。

デルスウは,事件を聞きつけたアルセーニエフに見守られながら埋葬された。

その2年後,アルセーニエフはデルスウを埋葬した場所を訪れようとするが,その場所には町が広がっていて,もはや探し当てることができなかった。

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2024.04.10

梅棹忠夫とモンゴル語

「モンゴルはわたしにとって,あこがれの国だった。中央アジアの高原のさわやかな空気にふれたかったのである。」(梅棹忠夫『実戦・世界言語紀行』岩波新書205)

さて先日,モンゴル・ウランバートルに出張した。ウランバートルに行くのはこれで2回目である。

温品廉三『モンゴル語のしくみ』や橋本勝『ニューエクスプレスプラス モンゴル語』でちょっと勉強してきたが,ちょっとのことでは歯が立たないのがモンゴル語。

日本語の「う」や「お」にあたる母音が全部で4種類もあり,とても聞き分けできない。

以前ご紹介した(ご参考),エル="Л (L)"の発音。これも手ごわい。「無声歯茎側面摩擦音」と言い,「ひ」とか「し」に聞こえる。

あとは"Х(kh)"がやたら多いが,これはまあ,ロシア語で練習済みなので,「か」と「は」を合わせたつもりで喉の奥で発音すればよい。

結局,現地ではご挨拶の

"Сайн байна уу?" (サェン バイノー)

ぐらいしかできなかったわけである。

(「ありがとう」を意味する,"баярлалаа"なんか,巻き舌р (r)と無声歯茎側面摩擦音л (l)が混在していて文字通り舌が回らない)

東南アジア諸国と違って,モンゴル人はお愛想で笑ったりしない。なので,通じたかどうかも不明のまま。

…ということで老生は苦戦していたモンゴル語だが,冒頭にあげた梅棹忠夫はあこがれの国の言葉ということで,実用上困らない程度にマスターしていた。

 

◆   ◆   ◆

 

実戦・世界言語紀行』の第2章「アジア大陸の奥深く」の半分はモンゴル語の話である。

1944年の春に蒙古聯合自治政府・張家口市に蒙古善隣協会・西北研究所が設立された。所長は今西錦司。梅棹忠夫は今西についていくことを決め,この研究所の嘱託(後に所員)となった。

モンゴルの牧畜社会を研究するにはモンゴル語が不可欠ということで,梅棹忠夫は勉強を始めた。まずは読み書き。なんと,というか当時としては当たり前のことなのだが,縦書きのモンゴル文字の読み書きを学んだということである。

読み書きの次は会話である。1944年5月に梅棹忠夫は西北研究所に着任するが,張家口市は漢族の街なので彼のモンゴル語会話力はなかなか上達しない。モンゴル人の間に入らないとダメだ,と思っていたところ,粛親王府の牧場を訪れる機会に恵まれた。ここでモンゴル人に囲まれて生活する中,ひと月ほどで日常会話ができるレベルになった。

日本語が使えない状況になると外国語が上達するというのはよく言われることである。モンゴル語ではなく,英語であるが,老生もそういう経験がある(上達したというよりも恐れずに話せるようになっただけ)。

梅棹忠夫のモンゴル語力はめきめきと上達。しかし,いよいよ本格的に研究を始めようとしたところで終戦。残念ながら大陸から引き上げざるを得なくなった。以後,数十年にわたってモンゴルに渡航することができなくなった。

しかしながらモンゴル語の能力を生かす機会は意外なときにめぐってくる。アフガニスタンのモゴール族探検(1955年)がそれで,この探検については『モゴール族探検記』(岩波新書青版F-60)に詳しいので,そちらをご参照ください。

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2024.02.12

宮本袈裟雄『天狗と修験者』を読む

宮本袈裟雄『天狗と修験者』(法蔵館文庫)を読んでいる。

修験道は「山岳修行を通して超自然的・霊的な能力を獲得し,それをもとに人々の悩みを究極的に解決しようとする宗教であるといえる。」(『天狗と修験者』,10ページ)

修験道の担い手は修験者に他ならないのだが,その性格を時代とともに変化する。著者は次のように言う:

「中世迄の山岳修行は苦行性が強く,山岳修行を第一義とする理念と現実とがほぼ一致していたと言えるのであるが,近世に入ると理念と現実との差が顕著になり,全体としては山岳修行を懈怠(けたい)する傾向が強まる」(『天狗と修験者』,14ページ)

江戸時代になると山岳修行を経ず,村落に定住する修験者たちが増えた。この修験者たちは村落の祈祷師として活動し,山岳に対する庶民の信仰を集める役割をしていた。修行という面で見れば「懈怠」だが,修験道の信者を増やしたという意味では修験道に大きく貢献していると言える。

明治になると神仏分離,修験禁止令等により,修験道は禁止された。修験者は神職となるか,天台宗・真言宗に帰入するか,還俗するか,という選択を迫られた。修験者の多くは還俗した。

明治・大正・昭和と修験道の暗黒時代が続いたが,第二次世界大戦後は信教の自由が保障されることとなり,いくつかの修験教団が形成されることとなった。

現代の修験者たちの姿はどうなっているかというと,面白いことに中世の修験者の姿に近いものになっており,日夜厳しい山岳修行に打ち込んでいる。著者は具体例として石鎚山の行者たちのライフヒストリーを紹介している(「石鎚山行者伝承」『天狗と修験者』,70~83ページ)。あたらしい中世と言えようか?

 

さて,本書では修験道に関連するものとして天狗が紹介されている。ご存知の通り,昔話の天狗は修験者の服装をしている。

伝承の中の天狗の姿は時代とともに畏怖される神秘的な存在から滑稽であるが親しみやすい存在へと変化する。

これは山岳修行を懈怠し,村落に定住する祈祷師へと姿を変えた近世の修験者たちの姿にシンクロしているようで面白い。

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