紀蔚然『台北プライベートアイ』を読む
紀蔚然『台北プライベートアイ』(船山むつみ訳,文春文庫)が面白い――と高野秀行がXに書いていた。
よく行く宮脇書店には見当たらなかったが,明林堂書店で見つけたので購入。
台湾気分を味わおうと思って,中華航空の機内で読みふけった。面白かった。
主人公は呉誠(ウー・チェン)と言う。大学で英語や演劇を教えていたのだが,公私の人間関係が破綻したことをきっかけに退職。臥龍街(ウォロンジェ)に引っ越し,私立探偵(Private eye)を始めることになった。
攻撃的な発言をしてしまう癖があるというのは,他の探偵小説の主人公にもありそうな話だが,パニック障害をもっている主人公というのはこれまでになかったように思う。
呉誠が髭もじゃの容貌だということに気が付いたのは,この小説の半ば,第十一章に入り,呉誠が連続殺人事件の容疑者として逮捕されてからだった。
髭もじゃでサファリハットの男,呉誠とはどんな容貌か? この疑問は著者の写真を見たらすぐに氷解した(紀蔚然 - 傑出校友 - 輔仁大學公共事務室 (fju.edu.tw))。
推理自体はそれほど複雑なものではない。台北の人々の暮らしの描写や主人公・呉誠の考察が読みどころである。
例えば,台湾人の運転の荒さ,クラクションの使い方についての考察:
「台湾人は研究開発を重ねて,クラクションの強さと長さでさまざまな情報を伝える手段を編み出してきた。礼儀正しい「多謝<ドーシャ>(ありがとう)」,「歹勢 <パイセ>(すみませんね)」から,警告のための「気をつけろ」,「目を覚ませ」,挑発を意味する「度胸があるなら,やってみやがれ」,「絶対無理」,「道路はおまえのもんじゃねえ」,驚きを表す「おいおい」,「こんちくしょう」,「ふざけんな」,それから,もちろん,怒髪天を衝く「XXXX!さっさと行きやがれ!」がある。」(『台北プライベートアイ』104ページ)
このすぐ後には台北の街並みに関する考察が続く:
「あくまでも実用的な台湾人は,そもそも美しいか,美しくないかを理解する気もない。どんな物であれ,暮らしを立てるための論理で有機的に繁殖させてしまうので,台湾の風景はなんともいわれぬ独特の情緒を醸し出し,その醜さには親しみをともなう一種の特殊な美が生まれている」(『台北プライベートアイ』105ページ)
主人公が自らの酒癖の悪さについて述べた部分:
「酒の度胸というのには二種類ある。一つは酒を飲む度胸のことであり,もう一つは何度もアルコールに浸されることによって膨れ上がった度胸のことである。おれはその両方に特別に恵まれており,これまで何度となく,酒を飲んでは失言し,他人をめちゃくちゃに攻撃した。」(『台北プライベートアイ』165ページ)
教養と深い洞察力を持ち合わせているものの,パニック障害を抱え,失言・暴言癖を持つ主人公・呉誠が,果たして初めて依頼された事件を解決することができるのか,また,殺人の容疑を晴らすことができるのか,さらにまた,近所づきあいはどうなるのか,そして恋愛関係は進展するのか,最後まで目の離させない探偵小説である。