2017.05.26

中村安希『N女の研究』を読む

先々週読み終えたのだが,読書メモをまとめていなかった。
時間が若干できたので,少し書いてみる。


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著者は小生よりも9歳年下のノンフィクション作家。2009年に『インパラの朝』で開高健ノンフィクション賞を受賞している。

最近はこのように小生よりも若い人々の活躍をよく見聞きする,とまあどうでもよい感想を述べたうえで,さて,本書の内容に入ろう。


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近年,大企業・外資系企業勤務がお似合いのハイスペックな女性たちがNPO業界で働くことを選択し始めている。それはなぜだろう?という興味から本書の取材活動が始まっている。

本書はN女の具体例を列挙するのにとどまらず,その存在理由についても検討している。その結果,N女を通して,現代社会が抱える問題を明らかにするに至っている。

財政の逼迫によって行政サービスが縮小し,市場原理の下,コストパフォーマンスが低い民間サービスが淘汰されていく中,日本社会には官民どちらからもサービスを受けられない領域が広がっている。ここをケアするのがソーシャルセクターと呼ばれる,社会貢献を目的とした営利・非営利の企業・団体等のまとまりである。そして,NPO(特定非営利活動法人)はこのソーシャルセクターにおけるキープレーヤーの一つである。

NPOというと,行政機関や財団法人などからの補助金や寄付を受けて,無償の活動を行っているボランティア団体のようなイメージがあるが,そういう団体ばかりではない。

実は小生は某NPOの監事をやっているのだが,このNPOは補助金頼みにならない「稼ぐNPO」を目指しており,実際,一定の収益を上げながら活動を行っている。

最近では小生のNPOと同様に,独自の資金調達の仕組みを持ち,収益を活動費・人件費に充当しながら活動しているNPOが登場している。利益の最大化を目指さないという点を除けば,民間企業とほぼ変わらない。本書に登場するのはそういったNPO法人たちである。「クロスフィールズ」しかり,「ティーチ・フォー・ジャパン」しかり,「ビッグイシュー日本」しかり,「ノーベル」しかり。

収益を上げながら活動する,ということは,NPOに勤める人々にも民間企業に勤めるのと同様の知識やスキルが要求される。例えば,ビジネスマナー,企画力,プロジェクト管理能力,コミュニケーション能力,交渉力,……。社会的正義や弱者への共感だけでは駄目。高度なビジネスの知識・スキル・能力を持っていなければN女は務まらないわけである。


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では,N女が大企業や外資系企業ではなく,ソーシャルセクターに居るのはなぜか? 実はN女には企業経験者が多い。大企業や外資系企業を選ばなかったわけではない。様々なライフイベントを経験するうちに身近な社会問題に触れ,その社会問題の解決手段としてたまたまNPO業界に入ったというだけである。

社会問題としてはどんなものがあるのか?

例えば,難民,貧困,地域格差,保育,若者無業者,……。かつては,血縁・地縁・社縁といった人と人との「縁」がセーフティネットとして機能し,こういった問題が深刻化するのを防いでいた。そうした「縁」が解体されて,人々の孤立化が進行し,これらの問題が深刻化しているのが現代の日本である。かつての「縁」に代わって社会問題を解決しようとするのが,ソーシャルセクターであり,NPO法人であり,N女たちである。


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「N女が大企業や外資系企業ではなく,ソーシャルセクターに居るのはなぜか?」という疑問に対する答えはもう一つある。

N女たちは,企業内の出世競争や硬直化した組織構造から離れ,比較的フラットな組織の中で,自分の裁量・自分のペースで問題解決に取り組みたい人々なのである。とくに出産というライフイベントが職業選択や社会問題に対する意識に与える影響は大きい。あとは育児や家事。男女共同参画がちゃんと実現していれば,女性にばかり育児や家事が押し付けられることもないのだが,現実はまだまだ男女共同参画と言えるまでには至っていない。

そういう現状の中で,ビジネス能力のある女性たちが選ぶ職域として,ソーシャルセクターが浮かび上がってくるわけである。「N男」ではなく「N女」に注目することで,こうした社会的性差(ジェンダー)の問題も明確になって来る。


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繰り返しになるが,本書は単にN女を描写するだけでなく,N女への取材を通して現代社会が抱える問題を明らかにした。それのみならず,問題解決の糸口,あるいは希望の芽を見出した,というところに本書の意義がある。

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2017.04.27

石母田正『日本の古代国家』を読む

年度が替わって,また忙しくなってきたというのに,こんな分厚い本を読み始めている。

著者は石母田 正(いしもだ・しょう)という,日本古代史・中世史の巨人。唯物史観に基づく著書が多数ある。

唯物史観というと,前世紀の遺物みたいな感じであるが,今読んでみるとかえって新しい感じがする。

この本の中で著者が国家成立の要因として重視するのが対外関係である。そして,キーワードとして「交通」というマルクスらしい概念が登場する。

「ここにいう『交通』とは,経済的側面では,商品交換や流通や商業および生産技術の交流であり,政治的領域では戦争や外交をふくむ対外諸関係であり,精神的領域においては文字の使用から法の継受にいたる多様な交流である」(p.28)

と規定している。

ある共同体の中では,外部との「交通」が無い状態でも,支配層と被支配層のような階級分化はある程度進行する。例えば卑弥呼と下戸,つまりシャーマンと一般人という程度の階級分化は起こる。

しかし,階級分化をより推し進め,国家と呼べるほどの権力機構を成立させるのは「交通」であると著者は述べる。

古代日本の支配層は中国大陸や朝鮮半島との交通を掌握することにより,漢字と統治技術を独占した。

漢字と統治技術を独占する支配層と,文字を持たない被支配層の間には歴然たる差が生じ,知的労働と肉体労働という社会的分業が成立する。

支配層による知的労働の独占を基盤とするのが,律令制国家という古代国家の形だというわけである。

まあ,いつの時代でも,知識とスキルは権力の源泉だったりするわけである。当たり前と言えば当たり前か。

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2017.04.23

井出穣治『フィリピン -急成長する若き「大国」』

フィリピンはASEAN諸国の中で最も日本に近く,また人口1億人を超える大国として存在感を強めつつある。

井出穣治『フィリピン -急成長する若き「大国」』(中公新書)は,「アジアの病人」扱いだったフィリピンが,今や「アジアの希望の星」に変貌しつつあることを教えてくれる。

フィリピンとこれからどのような関係を築いて行くのか,それが日本の将来を左右することになりそうだ。


本書の中核となるのは,フィリピン経済の可能性についての議論であり,第1章から第5章までが費やされている。

日本,NIES諸国,タイ,インドネシア,マレーシアといった国々は製造業が主導する形で経済発展を遂げてきた。

しかし,本書が紹介するように,フィリピンは製造業の発展を経ずに,いきなりサービス業が主導するという全く異なる発展ルートをたどっている。

ちょうど世界規模でグローバル化やICT化が進展するタイミングだったこともあり,BPO(バック・オフィス・アウトソーシング)を軸としてフィリピンのサービス業は急成長した。

BPOとは,コールセンター,ソフトウェア開発,文書処理といった企業の業務プロセスの一部を外部委託することである。

本書ではフィリピンにおけるBPO発展の一例として,米国などのコールセンター業務の委託先として,訛りのきついインドよりも,癖のない英語を話すフィリピンが好まれることが紹介されている。

このように,サービス業が牽引する形でフィリピン経済は急成長しているわけだが,問題が無いわけではない。

貧富の差,汚職の蔓延,犯罪の多さなど,解決しなければならない社会・経済の問題が山積している。これらに加え,遅々として進まない農地改革,脆弱なインフラ,未発達の製造業といった問題も挙げられる。これらの問題はフィリピンの経済成長にとってのボトルネックとなっている。

これらの問題のうち,犯罪の多さに対するフィリピン国民の危機感が生んだのが,ドゥテルテ大統領である。

マスメディアではドゥテルテ大統領の暴言や強権的手法ばかりが取り上げられる。しかし,ドゥテルテの経済政策はアキノ前政権のそれを継承しており,税制改革とインフラ投資が進めば,フィリピン経済は飛躍を遂げる可能性がある。


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日本は輸出入合わせた総額ではフィリピンにとって最大の貿易相手国であるが,そのことを認識している人は多くない。

また,かつての太平洋戦争においてフィリピンは戦場となり,日米の兵士だけでなく,多くのフィリピン人が犠牲となったことは忘れられがちである。

このように現在から過去にいたる,日本人が忘れがちな,日比関係について論じているのが,本書の最終章「地政学で見るフィリピン,そして日本」である。

太平洋戦争で莫大な犠牲が払われたにもかかわらず,なぜ,戦後,日本とフィリピンがうまく和解できたのか,それを知るためにも最終章は必読。

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2017.04.13

塚本邦雄の『清唱千首』

先日,一の坂川まで出かけて桜の花を見たわけだが,そのとき思い出そうとして思い出せなかった歌がいくつかある。

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まず,崇徳院。

朝夕に花待つころは思ひ寝の夢のうちにぞ咲きはじめける

平治の乱の10年前,31歳のときに崇徳院が詠んだ歌である。花が咲くのを今か今かと待っていたら,夢の中で先に咲き始めた―。

そして,源頼政。

くやしくも朝ゐる雲にはかられて花なき峯にわれは来にけり

山の上の雲を桜の花々かと見間違い,行ってみたら違った。悔しい。騙された―。

これらの歌はいまから15年前,塚本邦雄の『清唱千首』のページを繰りながら,選び出したお気に入りの歌である。お気に入りにもかかわらず忘れてしまったというのが,老いの始まり。

この本は,万葉の時代から安土・桃山時代までおよそ1000年の間の莫大な歌の中から,塚本邦雄が選び出した1000首をまとめたもの。

無人島に10冊だけ(1冊じゃ無理)持って行っていいと言われたら,多分これは10冊の中に入る。日本文化の精髄。

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2017.04.06

中田考『イスラーム入門』を読む

テレビのニュースなどでイスラーム圏の話が出てきたときにすぐ参照できるように,リビングに置いているのが,これ:

中田考『イスラーム入門 文明の共存を考えるための99の扉』 (集英社新書)

小生,多少はイスラームについての知識があるかと思っていたが,この本を開いてみると,まだまだ。

著者はご存知の通り,ムスリムであり,日本におけるイスラム法学の第一人者。

ムハンマドの話に始まり,スンナ派,シーア派など各派の歴史,イスラームの信仰内容,イスラーム偉人伝,現在のイスラームにおける様々な運動(解放党とかギュレン運動とか),大川周明や井筒俊彦の業績等々,限られた紙数で,イスラームに関する古今東西の重要な概念が解説されている。

ちょっと残念なのが,最初から読まないとわからない記述が多いことである。途中から読んでも大丈夫な用語集とはなっていない。ちゃんと順番に読みましょう。

節によって著述の姿勢が違っているのが面白い。イスラム協力機構や不換紙幣に対しては批判的な論調で,著者の思想的立場が明確に表れている。

本書で紹介されていた井筒俊彦の言葉を繰り返すことになるが,古代においては中国文明と対峙し,近代においては西欧文明と対峙して自らの思想を鍛え上げていった我々日本人は,今度はイスラーム文明と対峙することによって,さらに自らを深化させていかなくてはならないのだろうな,と思った (それをやってきたのが,大川周明と井筒俊彦であり,それらに続くのが本書の著者であろう)。

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2017.04.04

ネパール旅行のためのガイドブック

今回,ネパールのカトマンズ(カトマンドゥ)に行ったわけである。

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初のネパール行きということで,ガイドブックとしては次の2冊を携帯した。

まずは定番中の定番,「地球の歩き方」『ネパールとヒマラヤトレッキング』

「地球の歩き方」は,ホテル,観光スポット,ショッピング情報など,漏れなく書いてあるので安心。ネパールの地理や歴史,政治,経済,民族,芸術,神様仏様,カレンダーなど基本情報も充実している。

今回の出張では,残念ながらトレッキングなど余暇を楽しむすべはなかったが。

街歩きを極めたければ,矢巻美穂『トレッキングとポップな街歩き ネパールへ』

これもトレッキングが前面に出ているが,街歩き情報も充実している。

観光スポット情報も載っているが,お洒落な飲食店,ハンドクラフト・工芸品のショップ情報に力が入っている。

この本で紹介されていたDhuktiという店ではパソコンケースやペンケースなどの布製品をたくさん購入した。

小生は海外のお土産としては,布製品ばかり買っている。理由は壊れず,軽いから。

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2017.03.30

『白川静入門: 真・狂・遊』を読む

海外出張中は,業務と全く関係のない本を読むことが好きである。以前,カンボジア出張した時には吉田類『酒場詩人の流儀』を読んだことがある(参照)。今回のネパール出張では

小山鉄郎『白川静入門: 真・狂・遊』(平凡社新書)

を読んだ。

白川静は言うまでもなく漢字学の大家。そして,本書の著者,小山鉄郎氏は共同通信の文学担当記者にして,白川静最晩年の弟子とも言える人物である。

小山鉄郎氏はこれまでも『白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい』,『白川静さんに学ぶ 漢字は怖い』といった書籍を通して白川静の漢字学を一般の人々に紹介してきた。

学術的な業績を一般の人に伝えるためには,トランスレータ―というか,サイエンスコミュニケーターが必要である。池上彰の言を借りれば「和文和訳」ができる人が必要。そういう意味で,記者である著者が,白川静の漢字学の要点や,白川静の評伝を書くということは極めて意義深いことだと思う。

というような,意義とか意味とか硬い話はさておき,本書は白川静の漢字学のポイントや文学に与えた影響や,白川静の人柄を伝えていてとても面白い。折口信夫や柳田國男についてもこういう本があったら良いのに,と思った。本書に匹敵する面白い評伝は以前紹介した山本紀夫『梅棹忠夫―「知の探検家」の思想と生涯』(中公新書)ぐらいか(参照)。

本書の読みどころについては,本書を手に取って読んだ方が早いわけだが,それでも小生がピックアップしたところを紹介すると次のようになる:

本書第1章「白川静と文学者たち」では,宮城谷昌光ほか,白川静の著書に影響を受けた文学者たちのことが紹介されている。特筆すべきは,村上春樹の作品群『アフターダーク』や『1Q84』の登場人物たちの謎めいた言動が,白川静の漢字学を踏まえると,一気に氷解するということである。

第2章「白川静『字統』と諸橋轍次『広漢和辞典』」では,少しばかりスキャンダラスな話が取り上げられている。諸橋轍次の偉業ともいえる『大漢和辞典』のコンパクト版として目されている『広漢和辞典』が実は『大漢和辞典』の解説を踏まえず,しれーっと白川静の学説に基づいて漢字を開設しているという話である。

実を言うと,諸橋轍次が『大漢和辞典』を完成させるまでの苦労話が収録されている『『大漢和辞典』を読む』という本を30年近く前に読んで,諸橋轍次に感銘していた小生としては複雑な気分である。

白川静は本当に敵が多く,他の学閥からは無視されたり攻撃されたり大変である。

だが,本書『白川静入門』を読む限り,漢字を行き当たりばったりで解説するのではなく,甲骨文字や金文の研究成果をもとに,体系的に説明することができる白川学説は,他の学説よりも優れているように感じる(もちろん,白川学説に難がある点は承知しております)。

第4章「人間・白川静」は白川静の人柄がよくわかるエピソードがいくつも紹介されている。白川静が,仮名にすれば一字違いの荒川静香のファンで,トリノ五輪の際には大いにはしゃぎ,散歩の途中でイナバウアーまで真似しようとした,というエピソードは非常に面白い。

畏まらずに読んで,白川静の偉大さがわかる,非常に良い入門書である。

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2017.03.18

『タイタス・アローン』読了。しびれるほどカッコいいマズルハッチの言葉

『タイタス・アローン』を読み終えた。

これで,マーヴィン・ピークによる「ゴーメンガースト」3部作を読み終えたわけである。長い旅だった。

この『タイタス・アローン』は前2作と全く違った趣を持っている。

前作『ゴーメンガースト』で,スティアパイクとの一騎打ちに勝利した後,タイタスはゴーメンガースト城を後にする。

そして本作でタイタスがたどり着いたのは,あまりにも違う世界だった。

摩天楼がそびえ,巨大な工場の煙突からは煙がたなびく。自動車が行き交い,飛行艇が空を横切る。

街の人々は,あの重苦しい儀式と伝統に支配された巨大な城のことなど全く知らず,タイタスがその城主であることも当然知る由もない。

タイタスは戸惑う。その戸惑いは読者の戸惑いでもある。

『タイタス・グローン』
『ゴーメンガースト』,併せて千数百ページにも渡って展開された物語は全くの夢だったのか?

20世紀後半を思わせる大都市の中で,タイタスは狂人のような扱いを受ける。だが,そんな彼にも,マズルハッチやジュノーといった理解者があらわれる。

マズルハッチは舵のような鼻が特徴的な,体格の良い無頼の男である。

そのセリフがカッコいい。

落ち込むタイタスに対してマズルハッチはこう言った:

「生きるんだ。人生を食らい尽くせ。」

「旅をしろ。頭の中で旅をしろ。足でも旅をしろ。汚い服を着て監獄へ向かえ! 金色の車で栄光へ向かえ! 寂しさを満喫しろ。ここはたかが都に過ぎん。立ち止まる場所じゃない。」

「おまえが言ってた城はどうした・・・・・・あの薄暗い神話はよ? これっぽちの旅で引き返すのか? いいや,先へ行くんだ。ジュノーはおまえの旅の一部だ。おれだってそうだ。歩き続けろ。坊主」

『タイタス・アローン』,153頁

「生きるんだ。人生を食らい尽くせ」・・・・・・痺れますね。

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2017.03.01

ようやく『ゴーメンガースト』読了。ついに第3作『タイタス・アローン』へ

マーヴィン・ピークの「ゴーメンガースト」三部作。

これは,巨大な城館,ゴーメンガースト城に住むグローン伯爵一族と使用人,そして城外の住人たちが繰り広げる愛憎・陰謀劇である。

ファンタジーに分類される作品群だが,龍や魔法やスーパーナチュラルな現象なぞ登場しない。挿絵作家でもあるマーヴィン・ピークによる緻密な描写が続く,リアリティ重視の巨編である。

ファンタジーなのにリアルという矛盾。描写は細かすぎて滑稽さすら孕んでいる。

第1作『タイタス・グローン』は六百数十ページもの大著だったが,第2作『ゴーメンガースト』もまた同じぐらいの分量だった。

この第2作をひと月近く長々と読み続けてきたが,昨日ようやく読み終えた。

読むのに時間がかかった理由として,ピークによる詳細で長々として隠喩や暗喩のオンパレードの描写が読みづらかったこと,そして,『ゴーメンガースト』の半ば,第36章まで話がなかなか盛り上がらなかったということが挙げられる。

だが,それまで緻密な計算と話術の巧みさによって人々を操り,陰謀によってゴーメンガースト城で出世の道を歩んできたダークヒーロー・スティアパイクが,第37章に至り,前伯爵の双子の姉たちに殺害されかけたところから話の流れが大きく変化し,物語は盛り上がっていく。

スティアパイクは書庫長バーケンティンを焼殺し,前伯爵の双子の姉たちを餓死に至らしめ,若き伯爵タイタスの姉,フューシャを篭絡する。

しかし,スティアパイクの犯行が積み重なるにつれ,前伯爵の従者フレイ氏,プルーンスクワラー医師,伯爵妃(正確には前伯爵妃。タイタスの母),そしてタイタスらは陰謀に気づき始める。

そして,双子の遺体の発見とフレイ氏の殺害とをきっかけとして,ついにスティアパイク狩りが始まる。


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数々の儀式に彩られたゴーメンガースト城の重厚な伝統に反抗するという点では,スティアパイクとタイタスは同じ立場にいる。

だが,スティアパイクは城の複雑な儀礼を逆手にとって城の支配を目指していたのに対し,タイタスはひたすら城外の世界にあこがれ,ついに城を出て行ってしまうという点で両者の方向性は大きく異なる。

城の正統な継承者でありながら,城外の世界にあこがれているという時点で,タイタスは反逆者予備軍である。それが,城の重要な儀式である<七色の彫刻の日>を放り出し,タイタスの乳兄妹<やつ>を追いかけて城外の森に飛び出てしまったことによって,タイタスは真の反逆者になってしまった。

だが,反逆者同士でありながらタイタスとスティアパイクとが手を結ぶことはなかった。

もともと,タイタスはスティアパイクに生理的な嫌悪感を抱いていた。そして,スティアパイクが恐るべき殺人者であることをタイタスが知って,両者は完全に敵同士となった。さらに,フューシャがスティアパイクに殺されたものと信じ込んだことにより,タイタスにとってスティアパイクは殺さなければならない存在へと変わる。

『ゴーメンガースト』終わりの数章はタイタスとスティアパイクの直接対決が描かれている。大洪水に見舞われたゴーメンガースト城の一角で,両者が己の存在理由をかけて殺し合う,本作最大のクライマックスである。


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というわけで,本作は後半から盛り上がり,とくに最後150ページぐらいは出張中の飛行機の中で一気に読んでしまったほどである。

この余勢を駆って手を出すのが,タイタスが城を出た後の話,『タイタス・アローン』である。

さて,タイタスの旅にどんな結末が訪れるのか?

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2017.02.20

『ゴーメンガースト』道半ば

うんざりするほど長く詳細な情景描写が続いた後,ポツリと主要登場人物の言動が記述される。

前作『タイタス・グローン』と同様,本作『ゴーメンガースト』でもまた,読者は視覚描写の饕餮文に埋め込まれた事跡を掘り起こしつつ膨大な頁を繰って前進していかなくてはならない。

タイタスの父である先代伯爵セパルクレイヴ,タイタスの乳母ケダ,書庫長サワダスト,料理長スウェルターといった前作の個性的過ぎる人物たちは姿を消し,本作では新たにベルグローヴを中心とする,これまた個性的な教授陣が登場する。

教授陣?

そう。ゴーメンガースト城には学校があり,7歳のタイタスは学友たちとともに教授たちによる退屈な授業を受けているのだ。

前作に比べて本作では,この学校の描写があることで,重苦しい雰囲気に包まれたゴーメンガースト城に少しばかりの賑やかさが加わっている。

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