2017.10.20

桃木至朗『歴史世界としての東南アジア』を読む

このところ,東南アジア史の本ばかり読んでいる。この方面での仕事が山のようにあるからだ。

この『歴史世界としての東南アジア』(桃木至朗著,山川出版社・世界史リブレット)は薄い割には情報がてんこ盛り。2度読んで,ようやく全体像が掴めた。非常に刺激的な一冊だった。

著者はベトナムおよびチャンパーの歴史研究者である。

著者は本書の中で,東南アジア史の研究史を概説し,前近代の東南アジア国家がどう理解されてきたのか,そしてそれを通じて東南アジアという歴史世界が持つ特質を示している。

東南アジア史はここ数十年で興隆してきた分野である。そもそも,東南アジアという言葉自体,第二次世界大戦中に普及してきた用語[1]であり,この地域をまとめて論じようという学者はかつてはほとんどいなかった。

東南アジアの地理や歴史には,「多様性の中の統一(ビネカ・トゥンガル・イカ, Bhinneka Tunggal Ika)」というインドネシア共和国の国是がぴったり当てはまる[2]。様々な人々や勢力が渦のように離合集散し,複雑な姿を見せながら,それでいて,東南アジア的としか言いようのない,共通した何かを印象付ける。

それ,つまり複雑・多様でありながら統一性を持つ東南アジアの歴史をうまく言い当てようとして,日本史,中国史,西洋史の概念やモデルを持ってきてもダメ。例えば「東洋的専制」とか「封建制国家」といった概念は東南アジアの歴史には適用できない。東南アジアの歴史を語るためには,東南アジアの歴史のための概念やモデルが必要なのである。

そこで登場するのが本書で紹介される様々なモデルや概念である。例えば,タンバイヤの「銀河系的政体」,ウォルタースの「マンダラ」,ギアツの「劇場国家」である。

東南アジアの歴史研究には,従来型の歴史学者だけでなく,文化人類学者,民族学者,地理学者,経済学者,農学者等々,多様な分野からの研究者が参加しており,先日紹介したグローバル・ヒストリー(参照)の先進地となっている。上に述べた,東南アジア史独自のモデルや概念はグローバル・ヒストリー的なアプローチの成果である。

「○○国の歴史」という一国史のスタイルは東南アジアの歴史には相応しくない。地域・海域で総体的にとらえることが必要なのである。

著者が専門とするチャンパー史もベトナムの一地域の歴史に留まるものはない。チャンパー人は東南アジアの交易の担い手として,長きにわたって活躍してきた。チャンパーの歴史は決してベトナム南部の地に封じ込められるものではなく,広大な時空間の広がりを持つものだというのが,著者の主張である。

東南アジアの歴史を研究していくと,その多様性や関係する時空間の範囲の広さ故に,東南アジアの歴史とは結局何なのか,という根本的な疑問にたどり着いてしまう。たとえば,交易の範囲を考えると,インドや沖縄までが範疇に入ってしまう。東南アジアにこだわる必要性があるのだろうか,ということである。オーストラリアの研究者,ジョン・レックはその著書の中で「東南アジア史の脱構築」という一節を設けてしまったぐらいである。

この難問を前に,著者は最後にこう締めくくる:

「ややこしい時代になった。だがこれも東南アジア史研究が一人前になったからこその試練だ。学問はこうでなくてはおもしろくない」(桃木至朗『歴史世界としての東南アジア』,87頁)


※注釈

[1]本書だけでなく,ジャン・デルヴェール『東南アジアの地理』でも,東南アジアという呼称がわりと新しいものであることが述べられている。

[2]レン・タン・コイ『東南アジア史』(文庫クセジュ)でも東南アジア史について「ビネカ・トゥンガル・イカ」という言葉で表現している。

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2017.10.11

今,話題の小学8年生

今,巷で話題の小学8年生を買ってみた。

本屋の幼年誌コーナーに行ったのは初めてかも。

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みんな,土器や将棋が大好きなんですよね。

え,それが話題じゃないの?

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2017.10.08

水島司『グローバル・ヒストリー入門』を読む

グローバル・ヒストリーが興隆していることは書店の棚を見ていてうっすらと知っていたし,うちの本棚に鎮座するブローデル『地中海』はその先駆けなのだろうということも感づいていたものの,具体的に旧来の世界史とグローバル・ヒストリーの違いについては明確な答えを持っていなかった。

そこで,グローバル・ヒストリーについての入門書を読むことにした。

歴史書でおなじみ,山川出版社から出ている世界史リブレットの一冊,水島司『グローバル・ヒストリー入門』である。

ありがたいことに,冒頭からグローバル・ヒストリーの特徴が示されている。それは次の5つである:

  1. 時間の長さ: 数世紀にわたる長期的な歴史動向を扱う。宇宙史・人類史のスケールに至ることも。
  2. 空間の広さ: 一国史ではなく,陸域・海域の歴史というように空間が拡大。
  3. ヨーロッパ世界の相対化
  4. 地域間の相互連関・相互影響を重視
  5. 対象となるテーマの幅広さ: 従来だと戦争・政治・経済活動・宗教・文化に焦点が当たっていたのが,疫病・環境・人口・生活水準など従来の歴史研究で扱われてこなかった日常的なものに拡大。

本書では,「ヨーロッパとアジア」,「環境」,「移動と交易」,「地域と世界システム」という4つの項目を立てて,これまでのグローバル・ヒストリーの研究例が紹介されている。

上述のブローデル『地中海』は,ウォーラーステインの世界システム論(『近代世界システムI―農業資本主義と「ヨーロッパ世界経済」の成立―』),チョードリーのインド洋世界論("Trade and Civilisation in the Indian Ocean: An Economic History from the Rise of Islam to 1750"),リードの東南アジア論(『大航海時代の東南アジア〈1〉貿易風の下で』)に影響を与えた,グローバル・ヒストリーの先駆けとして「地域と世界システム」の章で紹介されている。

ウォーラーステインの世界システム論は,グローバル・ヒストリーの金字塔ともいえる研究成果なのだが,「ヨーロッパとアジア」の章では,ウォーラーステインすら「ユーロセントリズム(ヨーロッパ中心主義)」と批判を受け,これを乗り越えようとするグローバル・ヒストリー研究が陸続と行われている様子が描かれている。ケネス・ポメランツ大分岐―中国、ヨーロッパ、そして近代世界経済の形成―』,アンドレ・グンダー・フランクリオリエント 〔アジア時代のグローバル・エコノミー〕』,ジャネット・アブー・ルゴドヨーロッパ覇権以前――もうひとつの世界システム』といった研究は,その流れに乗ったものである。


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グローバル・ヒストリーにおける日本人研究者の活躍も見逃せない。「発展の多経路性」,つまり,全ての国が西欧諸国のように発展していくわけではない,ということを実例を以て示したのは,歴史人口学者の速水融なのだそうだ。ヨーロッパの「産業革命 (Industrial Revolution)」に対して,日本の「勤勉革命 (Industrious Revolution)」という概念を提示して,日本の経済発展の独自性を示し,内外研究者にインパクトを与えたという。

そして小職にとって何よりも重要だと思ったのが,「環境」の章において,中尾佐助の『栽培植物と農耕の起源 』が,グローバル・ヒストリーの先駆的研究として取り上げられていることである。この本については以前,本ブログで取り上げたことがある(参照:「日本の農耕文化の起源:ニジェール河畔からのはるかな旅」)が,「農耕文化基本複合」という概念を用いて,人類と地域と農耕と文化の相互の関連を明確に説明したあたり,世界に誇ってよい研究事例と言えるだろう。


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本書『グローバル・ヒストリー入門』は,従来の歴史学に飽きた読者をグローバル・ヒストリーの世界へと誘<いざな>ってくれる本である。本書で紹介されたグローバル・ヒストリーの研究書は,いずれも入手したくなってしまうような物ばかり。著者の紹介の仕方が上手いのだろう。だが,この間,書いたように,「本で床が抜ける」のではないかという懸念があって,悩ましいところである。

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八木澤高明『ネパールに生きる』を読む

ネパールに行ったのは今年の3月が初めて(参照)で,しかもカトマンドゥから一歩も出ていないので,ネパールについては知らないことばかり。


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なので,ちょっと勉強しようと手に取ったのがこれ,八木澤高明『ネパールに生きる』(新泉社,2004年)である。



本書の表紙を飾っているのは,笑顔が印象的なマオイストの女性兵士,コムレット・ノビナ。戦闘服を着て,ダルバートを食べている。

ノビナは取材後,政府軍との戦闘で命を落とす。ノビナとは誰か,マオイストとは何か,政府軍とマオイストがなぜ戦っているのか,その辺りが気になった人は本書を読んでいただきたい。

本書で取り上げられているのは今から十数年前,2000年代あたりのネパールの実情。今述べたマオイストと政府軍による内戦のほか,児童労働やアウトカーストのことが記されている。さらに,ミャンマーに生きる元グルカ兵のことや「東電OL殺人事件」のことなど,ネパール国外のネパールに関わる話題も取り上げられている。

<目次>

  • プロローグ ヒマラヤの向こうへ
  • 児童労働 こどもたちの現実
  • 王宮事件 見えざる王室の闇
  • マオイスト1 銃を取る若者たち
  • マオイスト2 出口なき混迷
  • グルカ兵 忘れられた兵士たち
  • アウトカースト・バディ 逃れられない宿命
  • エイズ 日常に潜む影
  • 東電OL殺人事件 夫の無実を信じて
  • ある女性兵士の生と死 あとがきにかえて

「東電OL殺人事件」は本書が出たずっと後,2012年にゴビンダ・プラサド・マイナリ氏の無罪が確定して一段落したため(事件自体は未解決だが),隔世の感を覚える。しかし,それ以外の章は現在のネパールの社会経済状況に直結する話ばかり。特に,貧困,不平等という,本書のあらゆるところに顔を出す問題は,この国が今もなお抱える病魔である。

内陸国で貧乏国といえば,老生がよく訪れるラオスもそういう国なのだが,ラオスとネパールとでは貧困や不平等の性質が全く異質。

ラオスの場合は現金の流れが悪いだけ。自給自足・物々交換のおかげでお金が無くても生きていける。貧富の差は拡大しているが,それが即差別等に結び付いたりはしない。

ネパールの場合は貧困・不平等の背後にカースト制が存在し,それが貧困・不平等の解決に対する大きな障害となっているように思う。カースト制度を何とかしない限り,この国に明るい展望は開けないのではなかろうか?

ちなみに,「立命館大学人文科学研究所紀要 No.102」(2013年11月)所収の「ネパール人のカースト序列認識の客観性と恣意性―ポカラ市住民のアンケート調査による考察―」(山本勇次,村中亮夫)という論文によれば,ネパールのカースト制度はネパール最初の成文法「ムルキ・アイン(Mulki Ain):民法典」(1854年)によって恣意的に導入されたものであるという。本家インドのカースト制度が長い年月を経ながら自生的に確立されていったのとはだいぶ異なる。ネパール人自身がネパールのカースト制度の歴史の浅さと恣意性を強く認識すれば,状況は変わるかもしれない。ということで,教育は重要だ。


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著者は1972年生まれの写真家・作家。写真週刊誌「フライデー」専属カメラマンを経て,フリーに。1994年からネパールに通い,児童労働,カースト制,マオイスト等,同国の社会問題を取材してきた。1998年には現地の女性と結婚している。本書の取材テーマから派生して,『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』や『娼婦たちから見た戦場』等の本を出している。

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2017.10.02

読書の身体性・書籍の物理性:西牟田靖『本で床は抜けるのか』

西牟田靖『本で床は抜けるのか』は蔵書と住まい,蔵書と家族の関係をつづったルポルタージュであるとともに,読書の身体性,書籍の物理性をつよく意識させる本でもある。

以前,松岡正剛の新書本を2冊一気読みしたときに,読書の身体性,書籍の物理性について触れた。(参照:「セイゴオ読書術2冊一気読み:『本の読み方(1)―皮膚とオブジェ』と『多読術』」,2013年6月10日)

セイゴオ先生が語るのは,本の内容把握だけでなく,読書中の身体感覚や感情の動きも読書体験として重要である,ということである。こうした読書体験の多重構造は,いわば,書籍の物理性がもたらすポジティブな効果だろう。

本書『本で床は抜けるのか』では,書籍の物理性のポジティブな効果も語られつつ,ネガティブな効果も語られる。

「物体としての本の存在感は読者に読む醍醐味を与える。本を手に持ち,ページをめくりながら,目を通していくからこそ読書という体験は豊かになる。だが,その物体性ゆえに,床が抜けそうになったり,居住空間が圧迫されたりもする。さらに,部屋に閉じ込められたり,果ては凶器となり怪我をしたりとあらゆる厄介事を抱え込んでしまうのだ。」(本書80ページ)

著者は書籍の物理性がもたらす,ポジティブ効果とネガティブ効果との間で揺れ動きながら,家族を喪い,その一方で,自分だけの部屋を手に入れる。いわば一つの暫定解にたどり着くわけである。

著者と同じく,書庫を建設するほどの財力を持たない蔵書家たちは,どうすればよいのか?

蔵書の一部を電子化し,物理的な書籍と電子的な書籍の割合を調整する,という折衷案でやり過ごしていくしかないのだろう,と本書を読みながら思った。

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2017.09.30

9月に出たWIRED Vol.29のテーマはアフリカ。

ワイアード日本版のエディター3名がアフリカ各地に派遣された。カメラマンもインタビュー対象も現地調達で―という条件付きで。

かつてブライアン・イーノは「コンピューターにはアフリカが足りない」と言ったのだそうだ。

では今,アフリカとICTの関係はどうなっているのだろうか?

本誌を読んでみると,アフリカ各地でのICTの急速な発展に驚かされる。特にルワンダ。

ルワンダと言えば,1994年の大虐殺のことが真っ先に思い浮かぶ。そういえば『ホテル・ルワンダ』という映画を見たなぁ。

しかし,今や「アフリカで最も安全な国」(ギャラップ,2015年),「アフリカで最もビジネスがしやすい国」(World Bank,2017年)と激賞されている。

「先進国が100年かけて発展させてきたテクノロジーを,わたしたちはいますぐに使うことができます」とはルワンダのモバイルソリューションカンパニー HeHe Labsの創業者・クラリス・イリベギザの言。そういえば,HeHe Labsって今年の4月にDMM.comが完全子会社したのだった(参照)。

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本を捨てる

いつの間にか本が増えてしまう。このまま増え続けるとどうなるのか?

西牟田靖『本で床は抜けるのか』を読んでいたら,徐々に恐怖が増してきた。

本書によれば,一般住宅の積載荷重は1平方メートルあたり180キロだそうだ。

一か所に本を積み上げると,危ない。とは言っても,部屋中に本をまき散らすわけにもいかない。さあどうしよう?

焼け石に水だろうが,老生はとりあえず何十冊か,本を捨てることにした。捨てる本をいくつか紹介しよう:

(1) 野口悠紀雄『「超」整理法―情報検索と発想の新システム』(中公新書)

(2) おなじく野口悠紀雄『続「超」整理法・時間編―タイム・マネジメントの新技法』(中公新書)

これら2冊はベストセラーもいいところ。書類を袋に入れて時間順に並べる,とか参考になるアイディアはたくさんあった。だが,ノウハウは読んだだけでは意味がない。結局,実行するかどうか。そして実行するかどうかは読者次第。老生の場合は,結局実行していない・・・。

整理法の本を処分するというのは皮肉のようで,理にかなっているような気がする。


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(3) 湯川秀樹ほか『素粒子』(岩波新書)

昔,素人ながら,素粒子論に凝ったことがあって,こういう本を読んでいた。

しかし,素粒子論は素粒子実験の成果を踏まえてどんどん新しいものになっている。1969年に上梓された本書『素粒子』は湯川秀樹が書いたとはいえ,もはや過渡的なものに過ぎない。情報が古すぎる。最新の解説本を読んだ方がいい。というわけで処分。


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(4) 岩波書店編集部『岩波新書の50年』(岩波新書)

岩波新書創刊50年を記念して1988年2月に刊行された本である。

しかし,それからすでに29年が経過し,創刊79年を迎える今年,この本を読むことに価値があるのだろうか。というわけで処分。

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2017.09.28

病はおおよそ熱性病と寒性病に分けられる

チベット医学によれば,病は404種類あり,それらは熱性病と寒性病に大別される。

薬もまたこの分類に対応して,冷やす作用の薬と温める作用の薬とに大別される。

病は別の観点から,次の8部門にも分類できる:

  • 一般的な病
  • 小児の病
  • 婦人の病
  • 悪霊による病
  • 生殖能力の欠陥
  • 武器による傷害
  • 中毒による病
  • 老衰

病の根本原因は四大(地水火風)の不均衡であり,四大の不均衡が三大体液(ルン,ティーパ,ペーケン)の攪乱を引き起こすことによって人は病にかかるのである。

診断で最も重要な手段は脈診である。

医師は脈を診ることによって,血液のみならずルンの動きを理解し,熱性病と寒性病の判別を行う。

このとき,脈が深く力強ければ,熱の異常,浅く力が無ければ,寒の異常という判断が下される。

病への対処法は8種類あり,癒しの8科と呼ばれる:

  • 治療
  • 看護
  • 除病(予防,外科)
  • 調合(製薬)
  • 生薬学
  • 油剤(浄化療法)
  • 緩和療法
  • マントラの読誦

以上は,中川和也訳『ユトク伝』(岩波文庫)の主人公,ユトク・ニンマ・ユンテン・グンポの語ったところである(26,175,325,あるいは386ページ)。

熱性・寒性の分類は漢方にも通じる。

悪霊による病と生殖能力の欠陥がそれぞれ一部門をなしているところがチベット医学らしい。

あと治療法にマントラの読誦があるあたりも。

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2017.09.27

ユトクに至る系譜

中川和也訳『ユトク伝』(岩波文庫)の主人公,ユトク・ニンマ・ユンテン・グンポは,チベット王ティソン・デツェン(742~797)に仕え,チベット医学の基礎を築いた人物である。125年も生きたという。最後にはこの世を離れ,医王(薬師仏)の治める都市,タナトゥクに逝ったという。

ユトクの遠い祖先はバヌマという。バヌマは光音天から地上に降りてきた。そこから長い一族の歴史があって,ユトクに至るのだが,読んでいたらわからなくなってしまうので,系譜をまとめてみた。(PDF版はこちら

Gyuthog

この系譜で赤字の名前は女性。あと二重線は婚姻等。<>で囲った部分はチベット名の意味を表している。

重要な人物としては,ケーペー・イトマと医師ビチ・カチェが挙げられると思う。

イトマは居酒屋の娘で大変な美女だったという。それが,数奇な運命の末,医薬女神となるわけである。今,数奇な運命と書いたが,二重線の多さでわかるように,要するに男性遍歴である。

イトマの子孫に医師ビチ・カチェという人物が現れ,この人物と,幼馴染のビラ・カンゼーマがチベットに医学をもたらす。

ビチ・カチェとイッキー・ルチャ王妃の間に生まれた子供,そしてその子々孫々は,吐蕃(チベット)歴代の王の侍医となる。そして,ティソン・デツェン王の御代に侍医となったのが,ユトク・ユンテン・グンポである。

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2017.09.21

『ユトク伝 チベット医学の教えと伝説』を読む

先日,ソナム・ギェルツェン著・今枝由郎監訳『チベット仏教王伝』(岩波文庫)を読んだわけだが,その余勢を駆って,中川和也訳『ユトク伝 チベット医学の教えと伝説』(岩波文庫)を読んでいる。実はこの本,長らく拙宅の本棚で眠ったままになっていたものである。

本書の主人公,ユトク・ニンマ・ユンテン・グンポは,チベット王ティソン・デツェン(742~797)に仕え,チベット医学の基礎を築いた人物である。

ティソン・デツェン王は『チベット仏教王伝』の主人公,ソンツェン・ガンポ王から5代後のチベット王であり,安史の乱に乗じて唐の首都・長安を占領し,チベットの支配領域を史上最大のものとした。サムイェー寺の大伽藍を建立し,仏教を国教に制定した。彼の治世下でチベットは黄金時代を迎えた。

『チベット仏教王伝』と同様に,本書でも,主人公が登場するまでにはかなりの紙数を費している。チベットの伝記では主人公の系譜を記すことが重要なのである。

このため,本書の四分の一は,ユトクの祖先であり,美貌の医薬女神たるケーペー・イトマの事跡に割かれている。ちなみに,登場時のイトマは居酒屋の娘である。それが医薬女神になってしまうのだから面白い。

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