2018.11.24

サローヤン『ヒューマン・コメディ』を読む

サローヤンの『ヒューマン・コメディ』(光文社古典新訳文庫,小川敏子訳)を読んだ。

全編,静かな悲しみ,控えめな喜び,そして優しさに満ちた作品である。

描かれている時代が,第二次世界大戦中だということを踏まえると,読後感はこうの史代『この世界の片隅に』に近い。

アメリカの地方都市を舞台に,日常のかけがえのなさを美しく描いているという点では,ジム・ジャームッシュの映画『パターソン』(参考)を思い出す。

物語の中心人物は,カリフォルニア州イサカに住むマコーリー家の末っ子,4歳のユリシーズと,その兄,14歳のホーマーである。二人にはマーカスという兄とベスという姉がいるが,マーカスは出征している。彼らには母はいるが,父は2年前に亡くなっている。ホーマーは家計を助けるために電報配達のアルバイトをしている。

日々新たな体験を重ね,時として深遠な質問を大人にぶつける幼いユリシーズ。戦死を告げる電報を届けては苦悩し,その苦悩を糧として成長するホーマー。サローヤンは男児や少年を描くのが実に巧みだ。

戦争の時代にあっても,本作の登場人物たちは人間の本質を疑いはしない。それは,例えば出征したマーカスからの手紙にも表れている:

「戦う相手は人間ではない。人間を敵として戦うことはあり得ない。どんな人物であっても,ぼくにとっては友人だ。敵は人ではなく,人に取り憑いているものだ。」(287頁)

善良な人ばかり登場するが,ただの作り話にも思えないのは,サローヤンが少年時代に味わった苦労の中の真実が作品に反映されているからだろう。


◆   ◆   ◆


巻末の舌津智之による解説も読みごたえがある。サローヤンが日米の作家に与えた影響を知ることができる。サローヤンは,米国ではジャック・ケルアックやサリンジャーに,日本では三浦朱門,庄野順三,小島信夫,山本周五郎に影響を与えた。

解説文中に山本周五郎の名を見出した時に,合点がいった。確かにサローヤンと山本周五郎との間には通底するものがある。サローヤンは山本周五郎を経てさらに黒澤明にも影響を及ぼしているといってよい。

やはりサローヤンは凄い作家だ。

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2018.11.04

いしかわじゅん『約束の地』をカタストロフ神話として見る

今から40年近くの昔に書かれた漫画,いしかわじゅん『約束の地』を浦沢直樹『20世紀少年』と照らし合わせてみると,物語を構成する重要な素材,つまり神話素にいくつかの共通点が見られる。

表にまとめると,次のようになる。

神話素いしかわじゅん『約束の地』(1981)浦沢直樹『20世紀少年』(1996~2006)
謀略組織農水省,影の農協ともだち,友民党
ウィルス進行性農夫病を引き起こす出血死に至る
国民的歌手村田春夫春波夫
カタストロフウィルス感染による文明崩壊→新世界秩序ウィルス感染による大量死→新世界秩序
モティーフ戸来村キリスト伝説T・レックス,万博

陰謀とカタストロフは魅力的な素材であり,物語の構造は変化しつつも,神話として繰り返し語られる。

『約束の地』が書かれた時代は,カルトや陰謀論を笑い飛ばすことができたが,『20世紀少年』が書かれた時代には,冗談ではすまなくなってきた。それが最大の違い。

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2018.11.02

難解な詩に取り組む

マラルメにしようか,クァジーモドにしようか,と岩波文庫の棚を彷徨っていたときに,なにかが閃いて那珂太郎編『西脇順三郎詩集』を手に取ってしまった。これが運の尽き。

どれもこれも相当な知識がないと読み解けない難解な詩なのである。巻末の編者の解説によれば,日本の「文壇」からは「西脇は胡散臭い難解な詩人」として受け取られてきたらしい。だいたい,卒論をラテン語で書いて提出した,という逸話があるぐらいの人物である。

だが,謎があればチャレンジしたくなるのが世の習いである。先賢の知恵と知識を借りつつ少しずつ読み解いている。


◆   ◆   ◆


巻頭に収められた「ギリシア的抒情詩」のひとつ,「雨」は次のような詩句によって始まる:

南風は柔い女神をもたらした。
青銅をぬらした,噴水をぬらした,
ツバメの羽と黄金の毛をぬらした,
……

ここで,「南風と女神にはどんな関連があるのか?」「なぜツバメの羽なのか?」というような疑問が生じるが,そのあたりは,"Barbaoi!"というギリシア語研究サイトの「[補説]ギリシア詩から西脇順三郎を読む 西脇順三郎の「雨」」という記事の中で研究されている。

その記事では,ギリシアの詩人の詩想を掻き立てるのは,西風(Zephyros)であることが述べられているし,また東西南北の風は神格を持っているとはいえ,女神をもたらすほどの権威はないということだし,かえって南風と女神の関連についての疑問が深まる。

ツバメに関しては「南風」を「西風」と読み替えると謎が解ける。「西風」は渡り鳥を連れてくるため,ギリシアでは「鳥風」とも言うらしい。渡り鳥といえばツバメである。

以上の"Barbaoi!"からの知識をもとに考え直してみる。

日本においては地域によっては,春の南風と雨とが結びつけられたことわざがある。また,ツバメは夏鳥に区分され,春から夏にかけて南方から日本に渡来し,秋に日本を離れまた南方で越冬する。こうしたことを考えると,「ギリシア的抒情」と言いつつ,日本の情景をギリシアに置き換えて描いた詩のようにも考えられる。

と,ここまで考えて,"Barbaoi!"の記事を再読すると,こう書いてあった:

「いずれにしても,ギリシアの詩の西風を,日本人の馴染みの南風に変えることによって,西脇順三郎の詩「雨」は,日本的情緒と西洋趣味とを融合したみごとな詩になったと言えよう。」

やっぱりそうか。


◆   ◆   ◆


西脇順三郎詩集』所収の「紙芝居 Shylockiade」もなかなか手ごわい。

シェイクスピア『ヴェニスの商人』の後日譚のような詩である。つまり,『ヴェニスの商人』のストーリーを知らないと鑑賞できない。ただし,この詩では,シャイロック(シアイロツク)はアントーニオを殺し,娘ジェシカ(ヂエスイカ)とともに地中海を越えてカルタゴに逃げ延びている。

この詩には「北方人サスペールは我が歴史を誤るものである」という詩句が登場するが,「サスペールって誰?」という疑問が生じる。

ここで役立ったのが,明治学院大学言語文化研究所の紀要「言語文化」である。「言語文化19号」(2002年3月)には米タフツ大学のホセア・ヒラタによる「西脇順三郎の詩と翻訳」という記事が掲載されているが,これを読むと,「サスペール」とは"Saxpere"であり,古い文献におけるシェイクスピアの綴り字であることがわかる。つまり,

シェイクスピアの『ヴェニスの商人』は嘘っぱち,シャイロックはここにこうして生き延びている,

という詩だということがわかるのである。

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2018.10.30

西崎憲『蕃東国年代記』を読む

三大年代記と言えば,光瀬龍『宇宙年代記』,ラーベ『雀横丁年代記』,そしてこの『蕃東(ばんどん)国年代記』(創元推理文庫)である。

あっ。レイ・ブラッドベリ『火星年代記』を忘れていた。


日本海に浮かぶ架空の島国,蕃東(ばんどん)の中世が舞台。

30歳の貴族,宇内(うない)と17歳の従者,藍佐(らんざ)が様々な驚異に出会うという物語。王朝怪異譚とでも呼ぼうか。

だが,民衆がわりと生き生きとしているので,日本史で言えば,平安朝というよりは室町時代のような雰囲気もある。完全にこの世と隔絶した十二国記シリーズや精霊の守り人シリーズの世界とは異なり,蕃東は唐土や倭国とも交易しており,ファンタジーだが現世と地続きでもある。

澁澤龍彦『高丘親王航海記』を読んだときと似たような読了感があり楽しい。

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2018.10.27

民喜と周作とU子と

原民喜が自死する前年,「みどりの季節」――民喜と遠藤周作とU子(祖田裕子)とが交流した短く輝くような時期――があったことを,本書『原民喜 死と愛と孤独の肖像』で初めて知った。

1944年,最大の理解者だった妻・貞恵の臨終を見た原にとって,生涯はすでに終わったようなものだった。

しかし広島の原爆から奇跡的に無傷で生き残った彼は,「生キノビテ コノ有様ヲツタヘヨ」との天命を感じ,敗戦直後の困窮の中で『夏の花』をはじめ,陸続と作品を発表する。

そして,戦争の災禍を乗り越えてきた若者たち,すなわち遠藤周作や祖田裕子と出会い,彼らに希望を見出した。

原は周作たちにバトンを渡した後,この世を去ったのである。

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2018.10.24

梯久美子の『原民喜 死と愛と孤独の肖像』を読む

梯久美子の『原民喜 死と愛と孤独の肖像』(岩波新書)を読んでいる。

広島市出身の作家ということもあり,本書は広島の丸善ジュンク堂ではうず高く積み上げられ,他の新書を圧していた。売れ行き好調らしく,宇部の宮脇書店でも平積みが始まった。


1951(昭和26)年3月13日,原民喜は,轢死という彼が最も恐れ戦いた死に方で自ら命を絶った。46歳だった。

生前,二冊しか著書を刊行していなかったにもかかわらず,彼の存在は広く知れ渡っていたようである。重鎮・佐藤春夫を委員長とする葬儀が行われ,伊藤整,角川源義といった錚々たる人物たちが100人余りも会葬したという。柴田錬三郎と埴谷雄高とが弔辞を読みあげた。遠くフランス留学中であった遠藤周作にも連絡が届いた。

原民喜がいかに文学者たちに愛され,気に掛けられていたか,ということが,この本の比較的長い序章に描き出されている。

彼の死は驚きをもって迎えられたものの,予感されたものでもあった。埴谷雄高は弔辞の中で「あなたは死によつて生きていた作家でした」と述べた。

原民喜の鉄道自殺とその時の人々の反応とを描き出したのち,本書は「死と愛と孤独」を基調とした原の生涯をたどっていく。

表紙カバー(というか帯なのだが)と言い,各章の扉のレイアウトと言い,本書はこれまでの岩波新書には見られないぐらいの気合が感じられる。気合の入った本は好著という,小生の経験則を裏切らない内容だ。

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2018.10.21

結構エグい,西南戦争,熊本城の地雷戦

篠田仙果の『鹿児島戦争記――実録 西南戦争』第五編には西南戦争における一つのヤマ場,熊本城攻防戦が描かれている。

これまで知らなかったのだが,この戦いでは地雷が使用されたという。その描写が結構エグい。

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熊本城を守る官軍(司令官:谷干城少将)は,薩軍の到来を察知し,城外に地雷を埋めておいた。

そして,篠原国幹,西郷小平らが率いる薩軍が殺到するや,頃合いを見て,遠隔操作で地雷を起動,多数の薩摩士族を吹き飛ばした。その描写を引用しよう:

「大手京町口に仕かけたりし地雷火に気の通じけん,万山此所(ここ)に崩壊(くずるる)か,百雷一時に落るかと思うばかりの震動にて,大地たちまち破裂なし,黒煙起こって暗夜にひとしく,炎いち面に燃あがり,砂石八方へ散乱す。されば勇みにいさみたる暴徒およそ四,五十人,何以てたまるべけんや。胴躰ちぎれ多数となり,空中へ打上られ,たまたま命ある者も,手をもがれ足を砕き,身体は火脹れとなり,焔熱(しょうねつ)地獄の罪人もかくやと計(ばか)りおもわれたり。」(42頁)

あわれ薩摩士族。ある者は手足バラバラとなって空中に舞い,他の者は全身に大やけどを負ったという。

そんなことも名調子で書き進めていくんだから,江戸育ちの戯作者は恐ろしい。

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2018.10.18

篠田仙果『鹿児島戦争記』を読む:内戦報道のエンターテイメント化

先月,岩波文庫に入った篠田仙果『鹿児島戦争記――実録 西南戦争』を読んでいる。ちょうど,「西郷どん」も最終章,西南戦争というクライマックスを迎えようとしているので,タイムリー。

西南戦争中に報じられた内容を絵入り読み物としてまとめ直した本であり,当時の西南戦争の伝え方がわかるのが面白い。

著者の篠田仙果(本名:久治郎,別号:笠亭仙果,天保8(1837)年~明治17(1884)年)はもともと江戸の戯作者であるから,薩摩士族への思い入れは全然無く,悲壮な反乱を,娯楽軍記物として描いている。幕末維新ファンが卒倒しそう。

維新を支えた西国の士族階級への思い入れの無さは次のような文章に現れている:

「つらつら西国各県下の士族の風を考(かんがう)るに,文明開化の何ものたるを知らざる者多きに似たり。されば,ややともすれば暴徒あり。すでに鹿児島生徒らが暴なる所業を聞(きく)よりも,熊本士族の内,百四,五十人申合せ,同所花岡山へ屯集し,また甘木町などにも蟻集なす者あり……。」(19頁)

新聞報道を基にしており,現地取材など全然していないので,地名の間違いなども多く,無責任な感じがぬぐえない本だが,それでも当時の人々には大うけだったようだ。ほとんどの庶民にとって,内乱の報道は娯楽に過ぎなかった。

同じ庶民とはいっても,九州各地の人々は苦汁を飲まされていた。薩軍が押し寄せた熊本城下は大混乱。ところが,篠田仙果の筆にかかると,その状況は面白おかしくなってしまう:

「人民各(おのおの)虚魯(きょろ)つきて,鉄砲玉の御馳走とは難儀千万,それ逃出せというままに,若きは老(おい)を背に負えば,母は泣子(なくこ)を手をひきつつ,片手に提(さげ)るきれづつみ,包みかねたる皿さ鉢,音も瓦落(がら)めく人力車,その混雑大かたならず。」(33頁)

あらためて書くが,当時の多くの人々にとって士族の反乱なんて戦国時代の合戦と同列のものだったに違いない。

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2018.09.21

板倉聖宣『白菜のなぞ』:高度な知識を楽しくわかりやすく

板倉・塚本・宮地による『たのしい知の技術』(仮説社,2001年)を読んでいたら,同社から出ている他の本も読みたくなったので,板倉聖宣『白菜のなぞ』(仮説社 やまねこ文庫,1994年)を取り寄せて読んでみた。

土橋とし子のイラストがいい味わいを出している。

さて,中身は……というと,凄くイイ!

身近な野菜である白菜にまつわるミステリーを,小学校高学年以上であれば理解できる,楽しくわかりやすい文章で解き明かしている。

まず驚くのが,白菜は清国の野菜であり,日本に伝来し,根付いたのは,明治維新以降だったということである。

そして,日本で栽培に成功するまでには大変な苦労があったということである。

なぜ,日本ではなかなか栽培に成功しなかったのか。それには,「種(しゅ)」と「品種」の概念が関係する。

「品種」もしくは「変種(亜種)」は,種が同じだが,形が性質が大きく異なるものを区別するための概念である。

ダイコンとカブは種が違う。だから交雑しない。

しかし,白菜とカブは品種が違うが,種は同じ。だから交雑する。

ついでに言うと,白菜とカブに加えて,アブラナはもまた同じ種で品種が違うだけ。いずれも「ブラッシカ・ラパ(Brassica rapa)」というアブラナ科アブラナ属の植物である。

日本では昔からカブやアブラナが栽培されてきた。そこへ新参者の白菜がやってくるとどうなるか?

もうだいたい結果の想像がついたと思う。

そういった環境で白菜が栽培できるようにするためにはどうしたらよいのか。農業関係者の悪戦苦闘ぶりが本書に記されている。


◆   ◆   ◆


本書は特徴ある書きぶりで,白菜の謎だけではなく,科学的思考とは何かということをも伝えている。

科学的思考の特色として「仮説検証」ということが挙げられる。まず,仮説を提示して,それを立証・反証していくということである。

本書の第1章では,白菜が明治維新以降に清国から伝来した野菜であることを資料によって示したうえで,なぜ,明治以前に白菜が栽培されていなかったのか,ということについて,

(1)昔の日本人は,中国や朝鮮(韓国)にハクサイがあることを知りもしなかったのでしょうか。

それとも,

(2)知ってはいても,昔の日本人はハクサイのようなものが好きではなかったので,取り入れようともしなかったのでしょうか。

それとも,

(3)ハクサイを取り入れたかったのに,いろいろな障害があって取り入れることができなかっただけなのでしょうか。

(本書19~20ページ)

とリサーチクエスチョン(仮説を疑問形で表したもの)を提示している。そして,このリサーチクエスチョンに答える形で話を進めていく。まさしく「仮説検証」プロセスそのもの。


◆   ◆   ◆


最後に。

やまねこ文庫の「やまねこ」とは,かつてガリレオ・ガリレイが活躍したイタリアの科学アカデミー「アッカデーミア・デイ・リンチェイ(Accademia dei Lincei)」,すなわち「山猫学会」に由来する。

本書の内容にふさわしいレーベルである。

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2018.09.20

「どうも」の多さが気になる…『東南アジア 多文明世界の発見』

石澤良昭『東南アジア 多文明世界の発見』を読み終えたところである。

カンボジア遺跡群の研究で名高い碩学泰斗による本。アンコール遺跡群の発見史,アンコール王朝時代の宇宙観,宗教観,政治経済状況,庶民の生活状況,美術の特徴などが詳細に記載されている。

とくに,先日の記事のタイトルに掲げた「アンコール遺跡群はなぜ大きいのか?」という疑問に対する明快な答えが書かれていて面白い。

あと,「アンコール」の語源がサンスクリット語の「ナガラ(都)」であることを初めて知った。そういえば,タイ語では街のことを「ナコーン」というが,これなどは「ナガラ」由来だということが明確にわかる。

さて,いいことづくめのように思える本書だが,記述に関してはちょっと難が無きにしも非ず。

老生が気になったのは「どうも」の多さである。目についたところを拾い集めてみる:

「例えば米作がどこでもみられ,どうも先史時代からそれなりに農耕文化が継承されていた。」(17ページ)
「カンボジアでは広大な耕作地の中に大小多数の溜池がある。<中略>どうも古くはジャワをモデルにしたらしい。」(116ページ)
(貯水池=バライについて)「どうも,占領した土地にクメール人を入植させることが目的でバライを造成していたらしい。」(122ページ)
(「燈明のある家」について)「どうも国内の幹線道路に沿って規則的に並んでいた宿駅のようなものだったらしい。」(123ページ)
「インドラヴァルマン1世(在位877~889年)は,出身地は地方であり,はっきりしないが,どうもシャンブプラ家系(メコン川流域のサンボール<クラチエ州>)とつながっていたと思われる。」(148ページ)
(ジャヤヴァルマン4世の即位儀礼について)「どうも世襲家系で地方へ分家した傍系家族があり,その王師でバラモンのイーシャーナムルティが執り行っていたらしい。」(151ページ)
(朝市の場所代について)「どうも市場が立つのは特別の日であり,その場所代としてた大量の米穀や大量の鉛などが奉納されたという。」(216ページ)
(宗教美術について)「どうも彫像のモデルがカンボジア人になっていたようである。」(249ページ)
「例えば仏教寺院時代のプリヤ・カーン碑文は,大きな石柱であるが,どうも意図的に地中に埋められていたとしか思えない。」(291ページ)

本書は一般書なので,口語っぽい書き方を心掛けたのかもしれない。しかし,「どうも」という言葉は根拠や理由がはっきりしない気持ちを表す副詞なので,使わないほうが良いと思う。「どうも」という言葉を文中から除いても,文意は通る。除けた方が文章が締まって良い。


◆   ◆   ◆


しつこいようだが,もう一つ,気になった表現がある。

作文技術の本を読むと「事実と意見を分けなさい」あるいは「事実と感想を分けなさい」ということが書いてある。ようするに事実の描写と思っていることの記述は明確に分けて書かないといけないというわけである。

それが,本書では時々ごっちゃになっていることがある。

例えば,アンコール・トム内で発見された,14世紀ごろのものと思われる上座仏教テラスに関する説明でこういう文章がある:

「これらの仏教テラスは,早ければシュリーンドラヴァルマン王以降から14世紀半ばごろまでアンコール都城内を占拠してたと思われる。この史実が正しいとするならば……」(298ページ)

「思われる」ことを「史実」と言ってしまうのはどうかと。「この仮説が正しいとするならば……」という文の方が適切だと思う。

ほかにも仏像破壊についてこんな記述がある:

「大量の仏像破壊は13世紀半ばごろ,ちょうどジャヤヴァルマン8世の治世の初期に行われたと推定される。王はシヴァ神の篤信者であった。王の命令が発せられ,過激派や同調するヨーガ行者により実行された。」(299ページ)

「推定」から「実行された」という断定に至っている。

また数ページ先にはこんな記述がある:

「今回の大量の廃仏の発見から判明した史実(仮説)は……」(302ページ)

史実と仮説を混同しているわけではなく,意識的に同じものとして扱っている。

一般書であっても,こういった記述の仕方は問題ではなかろうか?編集部は意見しなかったのだろうか?

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