2018.08.06

自分で考える

出張のお供にルドルフ・シュタイナー著・高橋巖訳『ニーチェ みずからの時代と闘う者』なんぞを持ち歩いて,少しずつ読んでいるところである。

この本はシュタイナーが34歳の時に上梓した本で,シュタイナーによるニーチェ思想の解説本である。

ニーチェはショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』を読んで,「これは俺のために書いた本じゃないのか」と感動したそうである(※)が,シュタイナーはニーチェの著作を読んで,同じことを思った。

ニーチェがショーペンハウアーについて書いた文章をもじって,シュタイナーはこう書いている:

「ニーチェの書いた本の最初の一頁を読んだだけで,すべての頁を読み通すであろう,彼の語ったどんな言葉にも耳を傾けるであろう,と確信するであろうような,私はそういうニーチェの読者の一人なのである。」(『ニーチェ みずからの時代と闘う者』(岩波文庫)19ページ)

そのぐらい,ニーチェの理解者であると自負するシュタイナーが,ニーチェの観念生活・感情生活を表現したいと思って書いたのがこの本である。

(※)『意志と表象としての世界』は大部で難解だったため,はじめ2冊しか売れなかったというが,その2冊を買ったのはきっとニーチェとワーグナーだったのだろうと勝手に想像している(史実じゃないから信じないように)。


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この本には随所に「同調圧力に負けないで,自分自身を拠り所にしろ」というようなことが書かれている。

あと,「判断とか思考とかの価値は,論理的な正しさではなく,それらが人生を充実させるかどうかにある」というようなことも書いてある。なかなか良い本だ。

「自分自身を拠り所にしろ」というのは,ニーチェの言葉(というかツァラトゥストラの言葉)では「君たち一人ひとりの内部でしか聞こえない声に耳を傾けなさい」という表現になる。

同じようなことは,原始仏教でも言われている。たとえば,他にも以前紹介したワールポラ・ラーフラ著・今枝由郎訳『ブッダが説いたこと』(参考)でも,「自分自身が,自分のよりどころである」(『ブッダが説いたこと』136頁)と述べられている。ちなみに,パーリ語原典では,

"Atta hi attano natho"(Dhammapada Verse, 160)

という。

大事なことは,むやみに信じるのではなく,自分で考えることだ。

それができるか,というと難しい。時代の趨勢と対決し思想的に孤独となることは避けられない。だが,孤独を恐れないものには,自分の人格の深層に潜む宝を掘り出す機会が与えられる。

ブッダ曰く「聡明な人は独立自由をめざして,犀の角のようにただ独り歩め」(中村元訳『ブッダのことば―スッタニパータ』)。

そして,ツァラトゥストラ(ニーチェ)曰く「私は自分を求めた。私はあなたがたに教える通りの人間だ。行って,あなたがた自身を求めなさい。そうすれば,超人になれる」。

ブッダからニーチェ・シュタイナーまで,同じ道が示されている。

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2018.07.17

緑閃光

野呂邦暢の随筆集の表題,『夕暮の緑の光』を見たとき,頭に浮かんだのは緑閃光(グリーンフラッシュ)のことだった。

グリーンフラッシュとは日没直前,あるいは日の出の直後,緑色の光が一瞬だけ輝いたようにまたたく現象である。非常に稀だという。

野呂邦暢は,グリーンフラッシュのことを夕暮の緑の光と呼んだのだろうか?

それとも夕日に照らされて輝く緑の葉のことを言ったのだろうか?


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そこで,表題ともなった随筆「夕暮の緑の光」を読んでみた。

それは言わば小説家論ともいうべきものだった。なぜものを書くのか,という問いかけだった。

野呂自身は,切羽詰まった状況の中で何かに突き動かされてものを書く,ということだった。

「――他に言い難い何かがあり,それはごく些細な,例えば朝餉の席で陶器のかち合う響き,木漏れ陽の色,夕暮の緑の光,十一月の冷たさ,海の匂いと林檎の重さ,子供たちの鋭い叫び声などに,自分が全身的に動かされるのでなければ書きだしてはいなかったろう――」(『夕暮の緑の光』145ページ)

「木漏れ陽の色」と来て「夕暮の緑の光」と続く。樹木と太陽の組み合わせが繰り返されるとすれば,「夕暮の緑の光」とは,夕日に照らされて輝く緑の葉のことかとも思われる。

あるいは,夕日を見続けることで,周囲が補色の緑色に見えるようになったことを言っているのかもしれない。

だが,作家を突き動かすほどの何かだとすれば,グリーンフラッシュが最も相応しいように小生には思えるのだ。

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2018.07.15

野呂邦暢『夕暮の緑の光』を読む

広島の古書店,アカデミイ書店で野呂邦暢『夕暮の緑の光』(みすず書房)を見つけた。

以前,買おうと思っていたにもかかわらず,忘れてしまってそのままになっていたものだ。

野呂邦暢は本当に素晴らしい文章を書く。

今から12年前,この人が書いた短編連作小説集『愛についてのデッサン――佐古啓介の旅』を読んだとき,「万年筆のキャップをはずして一行書けばそれが詩になる」(『愛についてのデッサン』佐藤正午氏による解説から)というぐらい詩情に満ちた文章を満喫することができた。

随筆についても名手と言われており,それを体験したいがために,『夕暮の緑の光』を買ったわけである。

『夕暮の緑の光』に収められた随筆「菜の花忌」(西日本新聞1975年4月5日掲載)の冒頭部分を引用してみよう:

葉書の差出人は知らない人であった。住所は京都である。つね日ごろ伊東静雄の詩を愛するあまり,この春思い立って詩人の生まれ故郷である諫早を訪ねたところ,詩碑のかたわらに花をさした数本のビール壜があったことを記して,個人に花を献ずるならばせめて空壜ではなくもっとましな容器がなかったものか,という文面であった。(『夕暮の緑の光』30ページ)

随筆なのだが,サスペンス小説の始まりのようでもある。京都,諫早,伊東静雄の詩碑,花を挿したビール瓶,とイメージ喚起力のある言葉が連なり,読み手を強く引き付ける。

単に味わうだけでなく,こういう文体を身につけたい,こういう文章の構成ができるようになりたい,そう思わせるような随筆がいくつも収められたのが,この『夕暮の緑の光』である。

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2018.07.09

デーヴァナーガリー文字とラオ文字をまとめて学ぶ

ネパールやラオスでの仕事があるため,デーヴァナーガリー文字を学んだり(参考),ラオ文字を学んだり(参考)しているわけである。

眺めてみるとどちらもブラーフミー系文字なので,文字の並びが似ている(形は似てないが)。

纏めてみたので下に示す:

Lao

"s"の類がラオ文字では硬口蓋音に入っているのはいかがなものかという意見はごもっとも。本来は摩擦音の方に属していないといけないが,ラオ文字のアルファベット順をなるべく維持しようとして敢えて硬口蓋音の行に置いている。


並べた時にかっこよく見えるのはデーヴァナーガリー文字だと思うが,これは好みの問題。

以下は小生の教科書:



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2018.07.06

三皇とは?

中国哲学書電子化計画」に収められた古典を拾い読みすることが日課となっているというのはすでに述べた。

後漢末期,応劭によって書かれた『風俗通義』の「皇覇」の章には「三皇五帝」の「三皇」について諸説がまとめられている。

三皇とは

  • 伏羲,女媧,神農である(『春秋運斗樞』説)
  • 伏羲,祝融,神農である(『禮號謚記』説)
  • 虙戲(=伏羲),燧人,神農である(『含文嘉』説)

このほか,『易経』では伏羲と神農だけが触れられており,燧人のことには触れていないという。

要するに,伏羲と神農は確定。あとの一人に女媧が入るか,祝融が入るか,燧人が入るか,ということである。


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伏羲(Fu Xi)について

さて,伏羲は『易経』の著者とされ,同書「繋辞伝下」にはその業績が次のように記されている:

いにしえの世は伏羲(包犧)の天下であった。伏羲は天文地理,鳥獣の様相を観察し,その成果をもとに八卦を作り,これを用いて神明の徳を理解し,万物の本質を見極めた。

また,縄を結んで網をり,狩りや漁をした。これらはまさしく「離卦」を参考にしたのだろう。

古者包犧氏之王天下也,仰則觀象於天,俯則觀法於地,觀鳥獸之文,與地之宜,近取諸身,遠取諸物,於是始作八卦,以通神明之德,以類萬物之情。

作結繩而為罔罟,以佃以漁,蓋取諸離。

八卦を作ったということはさておき,伏羲は人々に狩猟を教えた文化英雄なのである。


神農(Shen Nong)について

易経』によれば,神農は伏羲没後の指導者である。「繋辞伝下」にはその業績が次のように記されている:

伏羲の没後,神農が頭角を現した。木を切ったり曲げたりして農具を作り,天下に広めた。これらはまさしく「益卦」を参考にしたのだろう。

日中に市場を開いて天下の人々や品物を集め,交易させて帰らせた。品物が人々に適切に配分された。これはまさしく「噬嗑」の卦を参考にしたのだろう。

包犧氏沒,神農氏作,斬木為耜,揉木為耒,耒耨之利,以教天下,蓋取諸益。

日中為市,致天下之民,聚天下之貨,交易而退,各得其所,蓋取諸噬嗑。

つまり,神農は人々に農耕を教えた文化英雄ということになる。

神農は農耕を教えたほかに,薬草・毒物の分類を行った偉人としても知られている。そのあたりは例えば,『淮南子』「脩務訓」に記されている:

ここにおいて神農は民に,五穀の種の撒き方,農地の適否,乾漆肥痩高低などを教え,また多種の植物の滋味,水源の良し悪しを味わい,民に利用すべきか忌避すべきかを理解させた。まさにこの時,神農は毎日70回もの中毒に遭ったという。

於是神農乃始教民播種五穀,相土地宜,燥濕肥墝高下,嘗百草之滋味,水泉之甘苦,令民知所辟就。當此之時,一日而遇七十毒。

神農はいつもいつも中毒になっていたため,寿命が短くなったという。


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女媧(Nu:wa)について

女媧は伏羲の妹と言われている。例えば,北宋の字書(韻書)『廣韻』「上平聲・佳」の章には

女媧:女媧伏羲之妹

と記されている。

その業績だが,

  1. 土を捏ねて人類を作った。
  2. 笙のリード(簧)を作った。
  3. 天地が傾いたとき,それを修復した。

という。三番目の天地修復に関しては『列子』や『淮南子』に記されている。二番目の笙のリード作成に関しては『礼記』「明堂位」や『説文解字』巻六に記述がみられる。

ただし,一番目の人類創成については小生はまだ出典資料を見つけていない。

なお,唐代に書かれた『三皇本紀』によれば,女媧,そして上述の伏羲は頭が人間で体が蛇という姿だったという。伏羲と女媧は夫婦だったともいい,人類はこの二匹の蛇神様によって作られたようでもある。


燧人(Suiren)について

燧人の燧は火打石である。その名の通り,人々に火の起こし方,火を使った調理法を教えた文化英雄である。いわば,プロメテウス。

『韓非子』「五蠹」にはこのように書かれている:

人々は果実や貝類を生のまま食べていたが,生臭く,腹痛を起こすなど,病気が多発していた。そのとき聖人が現れ,火打石で火を得て調理する方法を民に教えた。人々はこの人物に天下の統治をまかせ,燧人氏と呼んだ。

民食果蓏蚌蛤,腥臊惡臭而傷害腹胃,民多疾病,有聖人作,鑽燧取火以化腥臊,而民説之,使王天下,號之曰燧人氏

狩猟を教えた伏羲,農耕を教えた神農と並べるのであれば,火の使い方を教えた燧人が相応しいような気がする。

ちなみに,『韓非子』「五蠹」には,人々に住居を作ることを教えた「有巣氏」という人物が登場する。この人物も三皇レベルの偉人なのだが,三皇に数えられたことはない。


祝融(Zhurong)について

祝融の業績について述べた資料はあまり見つからない。後漢の班固が書いた『白虎通徳論』巻一によれば,

祝とは属の意,融とは続の意。三皇の道を継承(属続)して,よくこれを行ったので,祝融と呼ぶ

祝者,属也。融者,續也。言能屬續三皇之道而行之,故謂祝融也

とあるが,伏羲・神農の行いをトレースしたというだけでは何者なのかよくわからない。

『管子』「五行」によれば,南方を司る神だという。また,『春秋左氏伝』昭公29年秋,魏献子と蔡墨の会話中に,祝融とは火を司る長官で,五帝の一人・顓頊が息子の犂(れい)を祝融に任じたという話が出ている。

まとめると,南と火を司る神を祝融と呼び,後の五帝の時代にその名の官職ができた,という感じだろうか?

ちなみに先に触れた唐代に書かれた『三皇本紀』によれば,共工という者が天下の覇権を狙って祝融と戦って敗れ,不周山にぶつかってこれを破壊し,天地が崩れかけたという。それを修復したのは先に触れた女媧である。


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以上,三皇についていろいろと書いた。

文化英雄としての伏羲・燧人・神農はまあいいとして,人類創成・天地修復に従事した人頭蛇身の女媧や南方と火炎の神様,祝融などは,もう完全に神話の世界である。

司馬遷が三皇の時代をカットし,史記の最初にもっと人間らしい帝王たち・五帝の物語を置いたのは,合理的な判断だと言えるだろう。

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タゴール『ギタンジャリ』を紐解く

うちの本棚にはちゃんと読んでいない本が鎮座していることはいつも言っている。

今回もたまたま目にしたタゴール『ギタンジャリ』を手に取ってみた。

占いをやっているかのように,ランダムに開いたページにある詩句を引用してみよう。

さて,何が出るか?

I have got my leave.
Bid me farewell, my brothers!
I bow to you all and take my departure.
Here I give back the keys of my door
-- and I give up all claims to my house.
I only ask for last kind words from you.
We were neighbours for long,
but I received more than I could give.
Now the day has dawned
and the lamp that lit my dark corner is out.
A summons has come and I am ready for my journey.


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2018.07.05

麒麟がケンカすると日食が起き,鯨が死ぬと彗星が現れる?

先日,『群書治要』の紹介をして以来(参照),「中国哲学書電子化計画」に収められた古典を拾い読みすることが日課となっている。

宋の太宗が毎晩3巻ずつ読んでいたという,宋代初期の類書『太平御覧』の「天部七・妖星」の章を読んでいたところ,

『春秋考異郵』曰く,鯨魚死して彗星出づ

という面白い話が出ていた。鯨が死ぬと彗星が出るのだそうだ。

『春秋考異郵』という書物は知らないが,『淮南子』「天文訓」にも同じ話が出ていた:

麒麟闘而日月食,鯨魚死而彗星出,蠶珥絲而商弦絶,賁星墜而勃海決。

「麒麟が闘うと日食や月食が起こり,鯨が死ぬと彗星が出現し,蚕が糸をはくと弦が切れ,流星が落ちると大海が溢れる」ということである。陰陽に関するたとえ話,つまり天界での動きと地上の動きはリンクしているよ,という話なのだろうが,あるいはこういう言い伝えが中国のどこかにあったのだろうか?

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2018.07.04

多田等観『チベット』を読む

先々月,多田等観チベット』(岩波新書)がアンコール復刊されたので購入した。

多田等観師は明治から昭和にかけての僧侶・仏教学者である。秋田出身。

若き日,ダライ・ラマ13世が派遣したチベットの留学生3人の世話をした際,チベット語を習得してしまったという語学の天才。

チベットの留学生に秋田弁を仕込んでしまったせいで日本語教師の役を解任されてしまったという面白エピソードもある。

大正2(1913)年から10年間,ダライ・ラマ13世の庇護の下,三大寺院の一つ,セラ寺で学び,ゲシェー(博士)の学位を得た。本書はそのときの経験・見聞をもとに書かれたものである。

師は序文で「西蔵(チベット)人は機会あるごとに,ラマ教ありて西蔵国があると言っている。蓋し,西蔵の人文も,その政治組織も,その自然すらもが,ラマ教と不可分の関係に存する」と書いている。

この故に,本書の内容はまず,ラマ教(今では通常,チベット仏教と呼ぶ)を概説するところから始まっている。寺院は一種の国家あるいは企業をなしており,司法僧,医僧,事務僧,会計僧,商売僧といった人々もいるというあたりが面白い。

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チベット関係の手ごろな本が出るとすぐ買ってしまう。昨年も『チベット仏教王伝』(参考
や『ユトク伝』(参考)などを読んできたが,また,うちの本棚にチベット書が鎮座することになるわけである。

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2018.06.29

内田洋子『モンテレッジオ 小さな村の旅する本屋の物語』,この美しき本。

内田洋子『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』(方丈社)が評判になっているということで,買ってみた。

かつてイタリア・トスカーナ州の山村・モンテレッジォの男たちは,古本の行商をしていたという。会いに来る本屋。そんな興味深い仕事を追いかけたのがこの本である。

手に取ってみて,驚いた。

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カバーを外すと,なんと美しい山と町のコントラスト。

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BS日テレ「小さな村の物語 イタリア」の視聴者ならこの良さがわかるだろう。

ああ行きたいイタリア。山あいの家で本に囲まれてワインを飲んでチーズを食べたい。

イタリアへ行きたしと思えども,イタリアはあまりに遠し。せめてはこの本を持ちて,きままなる旅にいでてみん・・・。

・・・そして,本の天を見て歓心。これは通好みの「天アンカット」である。

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こういう造本を見ると,著者と出版社のやる気を感じる。

出版元の方丈社は,神保町の魚料理の老舗「魚玉」の二階にある会社。その名の通り面積の小さな会社であるらしい。小さいからこそ丁寧に本を出すことができる。

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『群書治要』の内容

この度,細川護熙元首相から寄贈された4175冊の漢籍の中に『群書治要』という,日本に残存していた書物が含まれていた,ということはすでに述べた(参照)。また,習近平国家主席と『群書治要』には浅からぬ縁があることも述べた。

では『群書治要』とはどのような書物なのか?

これは,春秋戦国から晋代までの様々な書物から国家統治に関する部分を抜き書きして作った,統治論のアンソロジーなのである。

全50巻の各巻の内容は以下のとおりである:

  1. 周易
  2. 尚書
  3. 毛詩
  4. 春秋左氏伝上<欠落>
  5. 春秋左氏伝中
  6. 春秋左氏伝下
  7. 礼記
  8. 周礼,周書,国語,韓詩外伝
  9. 孝経,論語
  10. 孔子家語
  11. 史記上
  12. 史記下,呉越春秋
  13. 漢書一<欠落>
  14. 漢書二
  15. 漢書三
  16. 漢書四
  17. 漢書五
  18. 漢書六
  19. 漢書七
  20. 漢書八<欠落>
  21. 後漢書一
  22. 後漢書二
  23. 後漢書三
  24. 後漢書四
  25. 魏志上
  26. 魏志下
  27. 蜀志,呉志上
  28. 呉志下
  29. 晋書上
  30. 晋書下
  31. 六韜,陰謀,鬻子
  32. 管子
  33. 晏子,司馬法,孫子
  34. 老子,■冠子,列子,墨子
  35. 文子,曽子
  36. 呉子,商君子,尸子,申子
  37. 孟子,慎子,尹文子,荘子,尉繚子
  38. 孫卿子
  39. 呂氏春秋
  40. 韓子,三略,新語,賈子
  41. 淮南子
  42. 塩鉄論,新序
  43. 説苑
  44. 桓子新論,潜夫論
  45. 崔寔政論,昌言
  46. 申鑒,中論,典論
  47. 劉■政論,蒋子万機論,政要論
  48. 体論,典語
  49. 傳子
  50. 袁子正書,抱朴子

ここで,第34巻「■冠子」の■は鶡(カツ)という漢字であり,ヤマドリという意味である。
また,第47巻「劉■政論」の■は廙(ヨク)という漢字である。劉廙は魏の政治家。曹操と曹丕に仕えた。

上述のリストのうち,<欠落>としているのは日本でも既に失われている巻である。春秋左氏伝,漢書からの抜粋部分が抜け落ちているわけだが,これらはメジャーな中国古典なので,どのあたりが抜粋されていたのかは,予測可能である。従って欠落した巻があってもそれほど問題は生じない。

実際に内容を見たいと思えば,江戸時代・弘化3(1846)年に刊行された『群書治要』を国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができる。

また,電子化された『群書治要』を読もうと思えば,中国哲学書電子化計画で読むことができる。

つまり『群書治要』は唐代に亡失されたとはいえ,すでに電子化され,日本でも中国でも自由に閲覧し研究できる状態にある。

今回,細川元首相が寄贈した漢籍の中に『群書治要』が含まれていたことは,学術的な意義よりも外交的な意義が大きいといえるだろう。

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