2026.03.24

博品社「博物学ドキュメント」(第1期)を揃える

すでに無い出版社だが,博品社の「博物学ドキュメント」(第1期)10巻を揃えた。

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数年前に「小倉駅ナカ本の市」という古本市で『ノミ大全』『昆虫のフォークロア』『中国のテナガザル』を入手して以来,あちこちでコツコツと購入し,数年で青表紙の第1期分を揃えたわけである。

リストアップするとこんな感じ:

  • ベルトルト・ラウファー『キリン伝来考』
  • ジョン・アシュトン『奇怪動物百科』
  • ノイロニムス・ノドゥルス・フリーゼル 『ランゲルハンス島航海記』
  • ベルトルト・ラウファー『サイと一角獣』
  • ファン・フーリク『中国のテナガザル』
  • ウィルマ・ジョージ『動物と地図』
  • ブレンダン・ルヘイン『ノミ大全』
  • ルーシー・W・クラウセン『昆虫のフォークロア』
  • P・A・ロビン『中世動物譚』
  • ジェイムズ・E・ハーティング『シェイクスピアの鳥類学』

ちなみに茶色の表紙は第2期分だが,これはなかなかそろえるのが難しいので,それほど力を入れていない。

第2期の揃えた分まで眺めてみると,ベルトルト・ラウファーの著書が多い。ラウファーは合衆国における東洋学の巨人であった。

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2026.03.23

佐々木美佳『うたいおどる言葉,黄金のベンガルで』を読む

宇部市には「工夫舎」という小さな,しかし魅力的な品ぞろえの本屋があって,そこで買ったのがこの本,

佐々木美佳『うたいおどる言葉,黄金のベンガルで』(左右社,2023年

である。

天竺に思いを寄せていた福井の少女が,この上なく「甘い」ベンガル語に魅せられ,やがてタゴールの歌に関する映画を作りまでに至る。短く言えばそんな経緯をつづった本である。

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本書では,著者自身の生い立ち,ベンガルに魅せられるようになった経緯のほか,ベンガル語の響き,ベンガル語を話す人々(バングラデシュや西ベンガル州の人々)のこと,バングラデシュ独立の歴史,タゴールサタジット・ライといった偉大な文化人のこと,などが著者の体験をもとに記されている。いいことばかりではなく,バングラデシュ人の恋人に裏切られたというエピソードまで紹介されている。

老生は他の人よりはアジア各国に行った経験が多い方だと思う。だが,ベトナム,ラオス,カンボジア,タイ,ミャンマーと西航しつつも,そこから先,ひとっ飛びにネパールに行ってしまったため,バングラデシュ(とインド)に行ったことはない。無視したわけではないが,興味もさほど湧かなかった。そんな老生が,読んでいるだけでバングラデシュに一度は行ってみたいと思いはじめるぐらい素晴らしい本だ。

 

この本で学んだ言葉が一つある。「ジュガール」という言葉だ。ありあわせのものでなんとか対応するということ。つまり,高野秀行がよく言っている「プリコラージュ」のことだ。

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2026.02.13

『学術書を読む』を読む

鈴木哲也『学術書を読む』(京都大学学術出版会)を読んだ。以下は老生なりのまとめである:

 

学術書というのはどういう本のことか?

「学術書」という言葉の意味についてだが,本書ではつぎのような広い定義をしている:

「学術的な問題意識を持って,学術的なトレーニングを受けた者が,学術的な認識・分析方法と作法をもって書いた本」(12ページ)

いわゆる専門書(『数値流体力学』とか『消費者行動論』とか)だけでなく,新書や文庫のような一般書も包摂した定義である。なんで広い定義をしているかと言うと,本書の目的の一つは,「専門外について学ぶことの大切さ」を伝えることだからである。

専門外の分野(A分野としよう)について学ぼうとすれば,まずはA分野の専門書を読むのではなく,A分野の全貌を体系的に記述した本を読んだ方が良い。

それはどんな本かと言うと,まっさきに挙げられるのが,A分野の学知史の本である。本書で挙げられている具体例は次のとおりである:

  • サイモン・シン『宇宙創成』(新潮文庫)
  • マンジット・クマール『量子革命』(新潮文庫)
  • デイビッド・ボダニス『電気革命』(新潮文庫)

『宇宙創成』はビッグバン理論形成史,『量子革命』は量子力学形成史,『電気革命』は電気に関わる発明・発見史。いずれも新潮文庫だ。すごいな新潮文庫(ちなみに老生も昔,カオス理論について知りたいと思ってジェイムズ・グリック『カオス:新しい科学をつくる』(新潮文庫)を読んだものである)。

なお,理工系分野に関しては他の本も紹介されている:

人文科学分野に関しては次のような本が紹介されている:

人権という概念,あるいは世界史観がどのように構成されてきたのか,について書いてある本である。

これらの本をしっかり読むことで,専門外の分野で,どのような概念があり,どのような議論が行われているのかを窺い知ることができる。

 

なぜ,専門外について学ぶことが必要なのか?

さて,元に戻って,「なぜ,専門外のことを学ばなくてはいけないのか」という問題に触れる。

端的に答えを言えば,分野の違う人々が議論を行う場合,その議論の共通の基盤を見出すためである。

ある川にダムを作って発電をしようとする。多分,このダム開発に反対する人々も現れるだろう。

ダムを作る側は,水理学・土木工学等々建設技術のことだけ考えたり,電力の経済性について考えたりすることだろう。

一方でダム建設反対派は,自然環境,文化等々の破壊について主張するだろう。

多分,そのままでは両者の話はかみ合わない。

そこで必要になるのが議論の共通の基盤探しである。そのためには,お互いの専門分野に関する知識が必要になる。そこで学術書を読む必要が生じるわけである。

 

分かりやすさに注意

専門外の分野について知りたいと思っても,学術書(だいたい分厚い)を読むのは面倒である。

たいていの人は,「WikipediaやGoogle検索結果やAIのお言葉じゃダメなんですか?」と思うに違いない。

短く,分かりやすくまとめた文章をパパパッと読むだけではダメなのでしょうか?

はい,ダメなんです。

情報をいくら集めても知識としてまとまらないからである。

これをヘラクレイトスは

博識はノオスを教えない

と戒めたらしい(本書95ページ)。

「ノオス」とは「見識」のことだそうだ。

"νοῦς"と書く。「ヌース」とも「理性」とも言う。

文章の分かりにくいところとも格闘して読んでいかないと,知識として身につかないのである。

あと,分かりやすいところだけ大量に読んでも,確証バイアスというのがあるので要注意。

つまり自分が期待していること,自分が知っていること,自分が賛成する意見だけが強化されて,他の知見が頭に入ってこない。

 

おわりに

結局,老生が本書から学んだことは以下の通りである:

  • 複雑でもめ事が多いこの世の中,いろいろな考え方の人々と付き合うためには,専門外のことも知ろう。
  • 専門外のことを知るときには,安易な情報収集ではなく,体系立った知識を得よう。
  • 体系立った知識を得るには,ゆっくりで良いから学術書(とくに学知史)をしっかり読もう。

実を言うとこの本の主張がわかったようで,まだわからない点があるので,ときどき読み返してみようと思う。

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2025.07.09

陳舜臣『孔雀の道』読了

孔雀の道

この物語は昭和43年,梅の蕾がようやく膨らみかけた頃に始まる。

昭和16年,神戸に生まれ,14歳まで日本で育った英日混血児ローズ・ギルモアは,13年ぶりに故郷の地を踏む。

英語教師として女子大学に赴任するためだが,本当の目的は,戦中にスパイ容疑で捕まった英国人の父と戦後直後に火災で死んだ日本人の母の謎を解くためだった。

ローズの手伝いをするのは,インド帰りの三十歳そこそこの男性,中垣照道。ローズが渡日する際に乗っていた客船ウーチャン号の同乗者で,日本への船旅の間に知り合った。聡明でしっかりしたローズと好対照で頼りない感じの宗教家だが,ローズを精神的に支え続ける。

神戸,小諸,金沢,広島と日本各地を巡りながら,ローズと中垣はローズの母の謎に迫る。そして見えてきたのは戦前・戦中の諜報活動,ギルモア夫妻の愛憎劇。

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主人公たちは推理ゲームの駒ではなく,ちゃんと生きている。悩みながら前進していくところが良い。一種の青春小説ですな,これは。

日本推理作家協会賞受賞作というだけある。

陳舜臣は歴史作家として知られるが,昭和物もうまい。

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2025.01.06

小池正就『中国のデジタルイノベーション』を読む

この正月,ツマの実家に行ったのだが,移動中の車中や機上で読んでいたのが,これ。

小池正就『中国のデジタルイノベーション』(岩波新書,2022年)

である。

著者は衆議院議員を務めたこともある研究者というかコンサルタントというか,いくつもの肩書がある人で,中国の清華大学で客員研究員を務めていた経歴を持つ。

本書が出版されたのは,コロナ禍の影響がまだ残る2022年。生成AIブームの前なので,内容は若干古いが,今なお驀進する中国社会のデジタル化の背景というか土壌を知るには丁度良い新書である。

中国のデジタル化とかイノベーションというと,どうも政府あるいは共産党主導というイメージが強い。それは間違いではないが,実は民間が自主的に進めてきた部分も大きい,というのが本書では力説されている。

その顕著な例と言えるのが,ブロックチェーンである。ブロックチェーンの応用ビジネスと言えば,暗号資産(暗号通貨)がまず頭に浮かぶが,中国では2021年に暗号通貨関連業務が全面的に禁止となった。では,中国ではもうブロックチェーンは根絶されたのか?と言うとそうではない。食品やブランド品の通販・流通プロセスにおいて,産地や生産者の偽装を防ぐための手段として利用されているのである。著者が「上に政策あれば,下に対策あり」という中国のことわざを引いて説明しているように,政府の規制があっても,便利な技術,とくにデジタル技術は,どんどん利用するというマインドが中国社会にはある。

 

本書では「イノベーション」という言葉があらゆるところに登場するが,この言葉を正しく使っているので安心した。

「イノベーション」を「技術革新」のことだと思っている人がまだまだ大勢いるが,著者はシュムペーターの定義を正しく踏まえて,「新しい組み合わせによる新しい価値の創造」(p. 19)と言っている。

「インベンション(発明)と混合されがちだが,イノベーションは必ずしも新たな発明や技術革新が求められるものではなく,それらを実際に適用および活用し新たな価値を広げることを示している」(『中国のデジタルイノベーション』p. 19)

この定義を踏まえれば,デジタルイノベーションにおいて大事なのは,デジタル技術そのものではなく,デジタル技術を活用する社会経済環境であるということがわかる。

本書の冒頭「はじめに」で,著者はこう語る:

「現代日本における中国のデジタルイノベーションに関する議論も,表面的かつ部分的なアウトプットだけに焦点を当てた傾向が気になるところである。確かに日本にない物珍しさや利便性を確かに伝えたいという感覚は理解できるものの,SNS投稿と同程度の表面的な情報を基に「日本でも」と企業や政府が総力を挙げてみても,等しく普及するかは難しい。アウトプットとしての成果物を生み出した体制や国民性,社会基盤等の土壌を理解せずして同じ花を咲かせることは困難である」(『中国のデジタルイノベーション』p. ix - x)

同じ主張は最終章「日本にも「プラス」とできるか」でも繰り返される。

著者はアバナシー・クラークのイノベーションの分類に基づいて,日本が今後目指すべきイノベーションの姿を「創設型イノベーション」および「隙間開発型イノベーション」としている。なぜなら,これらのイノベーションは新たな市場価値を生み出し,経済成長を促すからである。ただし,技術革新と市場開発が両立する「創設型イノベーション」はめったに起きるものではない。実際,中国で進むデジタルイノベーションを見ると,それは主として「隙間開発型イノベーション」であることがわかる。既存の様々なビジネスで生じる問題をデジタル技術で解決し,市場拡大につなげているからである。もし中国に倣うとすれば,とりあえずは「隙間開発型イノベーション」を目指すことが日本にとっては重要であろう。

そして「創設型イノベーション」または「隙間開発型イノベーション」を実現しようとすれば,必要なのは何か。著者は次のように語る:

「創設型イノベーションや隙間開発型イノベーションが市場の創出に達するために重要なのは,国内であろうが海外であろうが,「その市場での生活習慣や商習慣はどうなっているのか,その中での課題は何か,潜在的に評価されそうな価値は何か,受け入れられるために必要な体制は」といった,観察眼や嗅覚に基づく市場と技術双方への深い理解である」(『中国のデジタルイノベーション』p. 142)

そしてこうした行為を支えるのが,

「「今その価値がないのであれば創ってしまおう」という起業家精神と,彼らの挑戦と失敗を受け入れる社会の風潮である」(『中国のデジタルイノベーション』p. 142)

と著者は続ける。

起業家精神と失敗に対する寛容性。これらを備えているのはアメリカ社会であり,中国社会である。日本もビジネスの土壌をそのように変えることができるのかどうか。著者はその変化を促すために日々奮闘している。で,老生はというと,老生はもういい年齢なので,あとは若い人たちに期待する。

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2024.09.20

紀蔚然『台北プライベートアイ』を読む

紀蔚然『台北プライベートアイ』(船山むつみ訳,文春文庫)が面白い――と高野秀行がXに書いていた。

よく行く宮脇書店には見当たらなかったが,明林堂書店で見つけたので購入。

台湾気分を味わおうと思って,中華航空の機内で読みふけった。面白かった。

 

主人公は呉誠(ウー・チェン)と言う。大学で英語や演劇を教えていたのだが,公私の人間関係が破綻したことをきっかけに退職。臥龍街(ウォロンジェ)に引っ越し,私立探偵(Private eye)を始めることになった。

攻撃的な発言をしてしまう癖があるというのは,他の探偵小説の主人公にもありそうな話だが,パニック障害をもっている主人公というのはこれまでになかったように思う。

呉誠が髭もじゃの容貌だということに気が付いたのは,この小説の半ば,第十一章に入り,呉誠が連続殺人事件の容疑者として逮捕されてからだった。

髭もじゃでサファリハットの男,呉誠とはどんな容貌か? この疑問は著者の写真を見たらすぐに氷解した(紀蔚然 - 傑出校友 - 輔仁大學公共事務室 (fju.edu.tw))。

 

推理自体はそれほど複雑なものではない。台北の人々の暮らしの描写や主人公・呉誠の考察が読みどころである。

例えば,台湾人の運転の荒さ,クラクションの使い方についての考察:

「台湾人は研究開発を重ねて,クラクションの強さと長さでさまざまな情報を伝える手段を編み出してきた。礼儀正しい「多謝<ドーシャ>(ありがとう)」,「歹勢 <パイセ>(すみませんね)」から,警告のための「気をつけろ」,「目を覚ませ」,挑発を意味する「度胸があるなら,やってみやがれ」,「絶対無理」,「道路はおまえのもんじゃねえ」,驚きを表す「おいおい」,「こんちくしょう」,「ふざけんな」,それから,もちろん,怒髪天を衝く「XXXX!さっさと行きやがれ!」がある。」(『台北プライベートアイ』104ページ)

このすぐ後には台北の街並みに関する考察が続く:

「あくまでも実用的な台湾人は,そもそも美しいか,美しくないかを理解する気もない。どんな物であれ,暮らしを立てるための論理で有機的に繁殖させてしまうので,台湾の風景はなんともいわれぬ独特の情緒を醸し出し,その醜さには親しみをともなう一種の特殊な美が生まれている」(『台北プライベートアイ』105ページ)

主人公が自らの酒癖の悪さについて述べた部分:

「酒の度胸というのには二種類ある。一つは酒を飲む度胸のことであり,もう一つは何度もアルコールに浸されることによって膨れ上がった度胸のことである。おれはその両方に特別に恵まれており,これまで何度となく,酒を飲んでは失言し,他人をめちゃくちゃに攻撃した。」(『台北プライベートアイ』165ページ)

 

教養と深い洞察力を持ち合わせているものの,パニック障害を抱え,失言・暴言癖を持つ主人公・呉誠が,果たして初めて依頼された事件を解決することができるのか,また,殺人の容疑を晴らすことができるのか,さらにまた,近所づきあいはどうなるのか,そして恋愛関係は進展するのか,最後まで目の離させない探偵小説である。

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2024.08.23

『ワープする宇宙』|松岡正剛に導かれて読んだ本

宇宙論は趣味レベルで好きだが,宇宙論に関する本は専門書から一般書まで非常に多く,どの本を読むのか決めかねる。

選書にあたっては,誰かの導きがあるとありがたい。

リサ・ランドールの『ワープする宇宙』(NHK出版)を手にしたきっかけは,松岡正剛の導きによるものだ。

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我々が住むこの宇宙は,上下・左右・前後を示す空間の3次元に時間を加えた4次元でできているというのが従来の考え方だが,その他にも余剰の次元がある,という説が提案されている。リサ・ランドールはその説を提唱している科学者の一人である。

本書のあらすじはAIたちに任せることとして,老生の手元にあるこの本の見開きには松岡正剛の添え書きとサインがある。

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宇宙論は空気が澄み切った冬の夜にふさわしいのかもしれない。

セイゴオの訃報は21日に耳にした。巨星墜つ。

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2024.07.11

Azureの勉強をする本

いつまでもクラウドサービスから目を背け続けるわけにはいかないので,Microsoft Azureの勉強を始めた。

まずは,ただで勉強ができるMicrosoft Learnをやってみたのだが,英文直訳風の文章と,単に英単語をカタカナに直しただけの用語だらけなので,いきなり挫折。

デジタルネイティブな世代の方々であればMicrosoft Learnの方が良いのだろうが,当方,昭和生まれの紙ベース人間なので,本を読んで学修する方針に転換。

いろいろな書籍がある中で,挫折せずに読み通せたのがこれ,

新井 慎太朗著『1週間でMicrosoft Azure資格の基礎が学べる本』(インプレス)

である。

一日あたり20~30ページずつ読んで,1週間で読み終えるという仕組み。

とにかく一日1時間確保できれば,飽きたり挫折することなく1週間で最低限の知識を身に付けることができる。

1日分終わったところで知識整理のための問題が7~9問出てくる。これを解くことで,やり遂げた気持ちになる。

 

小生の場合,6日目に2日分を読んだので,この本を6日で終えることができた。

そして7日目にMicrosoft Learnに戻ってみたところ,あら不思議,すいすいと説明文を読むことができ,確認問題も解け,バッジやトロフィーをもらうことができた。

慣れって大事。そして慣れるためには何でもよいので優しい解説本を読み切ることが大事。高校や大学の受験と同じです。

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2024.05.23

『<学知史>から近現代を問い直す』所収の「オカルト史研究」を読む

有志舎からこの春に刊行された『<学知史>から近現代を問い直す』を読んでいる。

「学知史」という言葉は聞きなれない言葉だが,人文科学諸分野(歴史学とか思想史とか)の学説史・研究史を横断的に研究する方法論(リサーチ・メソドロジー)である。とは言っても形成途上の方法論なので,スタイルは固まっていない。

本書には大正期から最近までの様々な分野の研究の歴史をまとめた論文が収められている。

例えば斎藤英喜「『日本ファシズム』と天皇霊・ミコトモチ論―丸山真男,橋川文三,そして折口信夫―」とか山下久夫「『文献学者宣長』像をめぐる国学の学知史―芳賀矢一・村岡典嗣・西郷信綱・子安宣邦・百川敬仁―」とか。

学説史・研究史というのは研究者ありきなので,具体的な研究者名がサブタイトルに登場する。やはり人は人のことを知るのが好きなんですよ。

さて,面白そうな論文がひしめき合っている中,最も目を引いたのが,

栗田英彦「ポスト全共闘の学知としてのオカルト史研究―武田崇元から吉永進一へ―」

である。

最近「オカルト2.0」なんか読んだから「オカルト」に過剰反応する。

この論文,出だしの一文が良い:

「近年,オカルト(オカリティズム・エソテリシズム)史研究が国内外で脚光を浴びている。」(『<学知史>から近現代を問い直す』280ページ)

まさしくそんな気がする。

以降,オカルト史(エソテリシズム史)研究の日本代表として吉永進一を取り上げ,その研究の変遷,アプローチ手法のみならず,ニューウェーブSF読書経験やオカルト体験についても概説してくれる。要するにこの論文はほぼ吉永進一の評伝となっている。

栗田氏は吉永進一の発言を踏まえて,その研究姿勢を次のようにまとめている:

「つまり,アカデミズムのエティックな概念で対象化することで安全な立場に立つ,つまり「客体として取り出して整理する」というのではなく,「自己に戻って」自分の問題として捉えることを重視する。その意味で「オカルト」とは実体的領域を示す客観的概念というよりは,むしろその実体性や客観性を掘り崩して,自分の問題として考えるための方法論的な概念として用いられていることがわかる。」(『<学知史>から近現代を問い直す』295ページ)

そういえば,先日読んだ「オカルト2.0」の著者もオカルトを研究対象としつつも,自分の問題として捉えていた。オカルト史研究の典型的な研究姿勢なのだろう。

竹内裕=武田崇元=有賀龍太からの影響のほか,浅田彰や安彦良和にも少し触れられていたりして,オカルト史研究というのは,在野とアカデミズムの境目の無い,学際的な領域なのだなぁと感心した。

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2024.05.22

トマス・リード『人間の知的能力に関する試論』を読む

昨年から時折,トマス・リードの『人間の知的能力に関する試論』(上下 戸田剛文訳 岩波文庫)を読んでいるのだが,トマス・リードの正直さには感心する。

何が正直かというと,わからないものはわからないと述べていることが正直だというのである。

例えば,あなたにAさんという友達がいるとして,あなたがAさんについて何を知っているかというと,Aさんの属性(背が高いとか低いとか,性格が明るいとか暗いとか,勉強ができるとかできないとか)しか知らないでしょう,本質はわからないでしょう,ということをリードは述べている。

今の例では人物を取り上げたが,物でも現象でもおなじことで,リードは『人間の知的能力に関する試論』の中で,あらゆる対象について

属性は明確にわかるけど,本質はわからない

ということを述べている。

具体的には第5巻第2章「一般概念について」の中でこういうことを述べている:

「われわれがあらゆる個体について持っている,あるいは得ることができるすべての判明な知識は,その属性の知識である。というのも,われわれは,どのような個体の本質も知らないからだ。それは人間の機能の届く範囲を超えているように思える」(下巻141ページ)

もちろん,背が高いとか低いとか,性格が明るいとか暗いとか,勉強ができるとかできないとかいった属性はAさんという主体なしには存在できない。赤い色は,赤い色をした自動車とか服とか具体的な主体がなければ存在できない。

だが,主体の本質となるとわからない。お手上げである。

「自然は,われわれに,思考することと推論することは主体なしには存在できない属性だと教えてくれる。しかし,その主体について,われわれが作ることのできる最良の思念も,そのような属性の主体だということ以上のことをほとんど含意していないだろう」(下巻143ページ)

今では,「複雑系」のように「全体は部分の合計よりも大きな何かである」という考え方がある。しかし,実際にわれわれが主体に関して語ることができるのは,属性の総和が関の山で,本質については想像以上のことを語ることはできない。

トマス・リードはスコットランド常識(コモン・センス)学派の代表格である。彼の著書には常識学派という通称に違わぬ考え方が示されている。

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