2017.06.22

ウンベルト・エーコ『バウドリーノ』読み始め

ウンベルト・エーコ作,堤康徳訳『バウドリーノ』を読み始めた。

これは今年の4月に岩波文庫に入ったのだが,『犬と鬼』とか他の本を読むのを優先していたので,今頃読み始めることになった次第。

【あらすじ】
西暦1204年。第4回十字軍によって略奪され,破壊されるがままとなっているコンスタンティノープル市街を眼下に見下ろす一室。ビザンツ帝国の高官にして歴史家のニケタス・コニアテスを相手に,言語の天才にして稀代のほら吹き,バウドリーノが,その驚くべき半生を語りはじめる……。

小難しいお話かもしれないと思い,身構えて読み始めたが,エーコのヨーロッパ中世に関する莫大な知識とユーモア溢れる記述に魅かれて,ずいぶんとハイペースで読み進めてしまった。

語学力があり,頭脳明晰であるとともに,ほら吹きでもある主人公・バウドリーノの語り口が非常に魅力的。

バウドリーノの話の聞き手がビザンツ帝国高官で,ときおり西欧人とビザンツ人の価値観や習慣がぶつかったりするのがとても面白い。

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2017.06.06

アレックス・カー『犬と鬼』読書ノート(3)

日本のバブル崩壊はいつのことなのか?

象徴的な出来事は,1989年12月29日の大納会で日経平均株価が史上最高値38957円44銭を記録したことである。この後,年明け以降下落が始まり,二度とこの値を超えることはなかった。

バブル崩壊の引き金として知られているのは,日銀による1990年3月20日の公定歩合の引き上げ(5.25%。引き上げ幅は1.00%)と,同月27日に大蔵省から通達された「総量規制」すなわち「土地関連融資の抑制について」である。

これらを踏まえると,バブル崩壊は1990年初頭と言って良いだろう。

ちなみに,このあたりの動きをまとめたのが,昨年3月に本ブログで紹介した,軽部謙介『検証 バブル失政――エリートたちはなぜ誤ったのか』である(参照)。

検証 バブル失政――エリートたちはなぜ誤ったのか検証 バブル失政――エリートたちはなぜ誤ったのか
軽部 謙介

岩波書店 2015-09-26
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さて,アレックス・カー『犬と鬼』では「第4章 バブル―よき日々の追憶」でバブル期とその後を描いている。

先に触れた『検証 バブル失政』では,バブル発生の一因を,日米の政治家や大蔵省の凄まじい圧力のもと,日銀が金融緩和に踏み切らざるを得なくなったことに帰している。

これに対して,本書では,バブル発生の根本的な原因を,大蔵省が作り上げた,簿価会計を中心とする巧妙な「仕掛け箱」=「資金供給システム」にあるとしている。

「資金供給システム」と命名したのはカレル・ヴァン・ウォルフレンだが,アレックス・カーはこの仕掛けを次のように説明している:

「企業にとっては,資金を借りれるだけ借り,買えるだけ固定資産を買い,それを絶対に売らないのが最も得策だった。土地などの資産を担保に資金を借り,その資金を株式市場に再投資する。市場は値上がりし,企業はそれによって『含み益』を手に入れ,それを担保にまた借金をし,それでまた土地を買う。これを延々くりかえしていたわけだ」(98頁)

「含み益」は簿価会計ならではの概念で,株式や不動産の購入時価格と時価との差である。株式や不動産の価格が上昇する間は「含み益」は拡大し,企業の資産は勝手に巨大化する。それを担保にすれば,多額の借金ができる。

高い経済成長が続く間はこの「資金供給システム」は順調に稼働したが,低成長になるやこのシステムはいつ崩壊してもおかしくない状態に陥った。そして,1990年代初頭,公定歩合引き上げと総量規制という一撃(二撃?)がシステムに加わって,本当に崩壊が始まる。

いわば,『検証 バブル失政』はバブル加速とバブル崩壊の近因に焦点を当てており,これに対して『犬と鬼』の第4章はバブル経済を生み出したそもそもの根本原因=遠因に焦点を当てていると言えるだろう。


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『犬と鬼』の第4章は,バブル前後のみならず,バブル後の10年間もカバーして論じている。その論調は,バブル崩壊後も日本市場は異常なままだったというものだ:

「――ところが,日本ではそうではなかった。収益にかかわらず株はつねに上がり続けるというのが常識になっていた。その結果,株価収益率は,ほかの国では夢にも見られないレベルに達した。たいていの国では株価収益率はせいぜい15から25である。1999年7月にアメリカ株式市場が最も膨張したときでも,株価収益率はおよそ30だった。 <中略> 対照的に,日本の平均株価収益率はグラフを突き抜けて伸び続け,1989年には70,96年4月には300を超えた。10年間足踏みしていたにもかかわらず,1999年夏の株価収益率は106.5,アメリカの3倍以上という高みにあった」(94~95頁)

ここで,株価収益率についてだが,株屋の間ではPER(Price Earnings Ratio)と略される。PER=時価総額÷純利益,もしくは株価÷一株当たり利益,で定義される。

ある会社のPERが低いということは,その会社が稼ぐ利益に対して株価が割安である,と解釈される(低PER=割安)が,急成長企業などの場合は,現時点での利益に対して株価が高く,PERがとんでもなく高い数字になることがある(高PER=将来期待)。状況をよく考えながら解釈しないといけない指標である。

上で引用した文章では,日本株のPERが異常に高かったことが述べられているが,それは日本企業が生み出す利益をはるかに超えて株価が異常な高さを示していた,もしくは利益と株価が大きく乖離していた,ということを意味している。

本当にそんなに異常だったのか,そして現状ではどうなっているのか,ちょっと確認してみよう。

日本取引所グループが公開しているPERの長期データ(参照)を見てみると,このような結果となる:

Per

これは1999年1月から2017年5月までの東証一部上場企業の平均PER(連結)を示したものである。グラフが途絶えることがたびたびあるが,これはインターネット・バブル(もしくはITバブル,ドット・コム・バブル)やリーマンショックなどによって,企業が利益を生み出せなくなった時期があるためである。

1999年6月には151.8まで上昇している。その後下がったとはいえ,2004年上半期でも100程度ある。ちょっと異常な状態が続いていたと言えるだろう。

しかし,2004年後半からは大きく低下し,近年はだいたい20前後を推移している。まあ,世界標準というか正常になってきたと言えるのではないだろうか。

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2017.06.05

アレックス・カー『犬と鬼』読書ノート(2)

日本は――少なくとも20世紀の日本は――近代化に失敗した。この本の主張はこれに尽きる。

近代化とは単純な西欧化のことではない。伝統を一掃することでもない。伝統に立脚しつつ,テクノロジーをうまく活用し,移り行く状況に合わせて社会経済を改修していくことである。

日本は19世紀後半から和魂洋才の掛け声の下で西洋の技術を導入し,近代化を図ってきた。しかし,それは,マルバカイドウ(海棠)にリンゴを接ぎ木するようにはうまくいかず,木に竹を接ぐようなことになってしまった。


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先日の記事に続き,今回はアレックス・カー『犬と鬼』「第5章 情報―現実の異なる見方」を取り上げる。

『犬と鬼』の「第5章 情報―現実の異なる見方」では,日本の企業・省庁に広がる「建て前」,あるいは情報操作の問題が指摘されている。

要点はこの章の冒頭にまとめられている。次の通りだ:

「伝統的に日本では『真実』は神聖不可侵ではないし,『事実』も本当のことである必要はない」(『犬と鬼』117頁)
「文化的相違ははるか昔にさかのぼり,現実よりも,理想の形が『真実』となる。 <中略> この考え方は広範に及んでおり,日常生活にある本音と建て前のベースになっている。建て前にあからさまに反する現実に直面しても,何とかして建て前を守ろうとする。和を保つには,本音を隠し続けることが重要だと考えるからだ」(『犬と鬼』118頁)
「建て前は和魂の名残で, <中略> 現代のシステムに混用してしまうと,思わぬ事故を引き起こす。客が茶室で粗相をした時は見ないふりをしたほうが良いという意味ならば,建て前は好ましい態度だ。だが,これを企業のバランスシートや原発の安全報告にまで適用すると,危険で予測のつかない結果をもたらす」(『犬と鬼』118-119頁)

このように述べたのち,カーはいくつもの具体例を示していく。例えば,金融界の帳簿操作「とばし」,省庁による情報の隠蔽「知らぬ存ぜぬ」,TV・新聞の「やらせ」,動燃の「プルト君」。

日本の官界・産業界には,調和を乱さぬように情報が操作されているという根本的な問題が存在しているというわけである。

このことは本書の著述にも悪影響を及ぼしている:

「要するに,どこを見ても情報はあてにできない。私も内心恐怖に苦しんでいる。本書は統計データだらけなのに,どれくらい正確か判断できないからだ」(『犬と鬼』140頁)

情報の透明性ということが近現代の社会経済システムの中で要請されているのだが,アレックス・カーが本書を上梓した2002年時点の日本では,それは不十分だった。では15年後の現在はどうか? 最近の政界・官界の動きを見ていると,情報の透明性が向上したとは言えないように感じる。

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2017.05.29

アレックス・カー『犬と鬼』読書ノート(1)

アレックス・カーの『犬と鬼 知られざる日本の肖像』を読んでいる。バブル後の1990年代の日本を論じた一冊。

もともとは2002年に講談社から刊行された単行本で,今年の1月に講談社学術文庫に入った。

日本礼賛本が多い中,日本で生まれ育った著者はむしろ日本に対して厳しい目を向けている。

プロローグの一文にそれが凝縮されている:

「廃棄物の検査や処理のノウハウを持たない『ハイテクの国』日本,貪欲な建設業界を潤すため,川や海岸をコンクリートで埋め立てる『自然を愛する』文化。国債残高が世界で一番多い中,一般市民の財産の管理をやりそこない,健康保険や年金制度を崩壊させてしまった『エリート官僚』」(アレックス・カー『犬と鬼』8頁)

最初に述べたように,本書で論じられているのは1990年代の日本である。だが,著者は最初の刊行(2002年)から15年経っても,本書に描かれている状況はほとんど変わっていないと述べている。

この著者の感興に対し,果してそうだろうか?という疑問を持ちながら検討していこうというのが,本記事「読書ノート」の目的である。

「『犬と鬼』読書ノート」の第1回は「川や海岸をコンクリートで埋め立てる『自然を愛する』文化」について。


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「川や海岸をコンクリートで埋め立てる『自然を愛する』文化」については1~3章で集中的に論じられている。

日本人は自然を愛すると言いながら山や谷を人工物で埋め尽くすことをやめない,と著者は批判している。かつての建設省には「ユートピア・ソング」という歌があり,「山も谷間もアスファルト」と唄われていたという(60頁)。またかつての富山県知事・中沖豊はこう言った:「インフラが整えば住民は豊かさを実感できる」(40頁)。つまり,国土を人工地表面に変えることこそが,近代化であり豊かさであると政府も国民も考えているというわけだ。

そして,それを如実に表すインディケーターが,国内のセメント生産量である。

「年間に敷設されるコンクリートの量は,アメリカ全土に敷設される量より多い。1994年の日本のコンクリート生産量は合計9160万トンで,アメリカは7790万トンだった。面積あたりで比較すると,日本のコンクリート使用量はアメリカの約30倍になる。」(『犬と鬼』60頁)

文中のコンクリート生産量は,正しくはセメント生産量というべきだろう。あと,消費量=生産量ではないのだから,正確には輸出入分も考える必要がある。だが,基本的に国内で生産されるセメントは国内で消費されると見ておくことにしよう。

それで,1994年の日米のセメント生産量はそれぞれ,9160万トン,7790万トンだったのだろうか,そして現在はどうなっているのか? ちょっと確かめてみよう。

米国地質調査所(USGS)のデータ("Cement Statistics and Information", "Mineral Commodity Summaries")をもとに,1994年~2015年の日米のセメント生産量をグラフ化してみた:

Cement19942015_2

1994年に関しては,ほぼ著者の主張通りである(日本の生産量が10万トン異なっているが)。

日本のセメント生産量は1996年に9450万トンに達した後,下落が続き,2012年には5130万トンにまで落ち込んでいる。それが,復興・都心再開発・東京オリンピック等の需要によって少しばかり回復しているというのが現状だ。ピークの約半分。日本の国土をコンクリートで埋め立てる勢いは衰えたということができるだろう。

だが,米国の25分の1の国土面積,4分の1のGDPしか持たない日本が,コンクリートに関しては米国の3分の2もの生産量を維持しているということを踏まえれば,日本が国土改造にかける情熱は今でも衰えていない,と言えるかもしれない。

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2017.05.26

中村安希『N女の研究』を読む

先々週読み終えたのだが,読書メモをまとめていなかった。
時間が若干できたので,少し書いてみる。


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著者は小生よりも9歳年下のノンフィクション作家。2009年に『インパラの朝』で開高健ノンフィクション賞を受賞している。

最近はこのように小生よりも若い人々の活躍をよく見聞きする,とまあどうでもよい感想を述べたうえで,さて,本書の内容に入ろう。


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近年,大企業・外資系企業勤務がお似合いのハイスペックな女性たちがNPO業界で働くことを選択し始めている。それはなぜだろう?という興味から本書の取材活動が始まっている。

本書はN女の具体例を列挙するのにとどまらず,その存在理由についても検討している。その結果,N女を通して,現代社会が抱える問題を明らかにするに至っている。

財政の逼迫によって行政サービスが縮小し,市場原理の下,コストパフォーマンスが低い民間サービスが淘汰されていく中,日本社会には官民どちらからもサービスを受けられない領域が広がっている。ここをケアするのがソーシャルセクターと呼ばれる,社会貢献を目的とした営利・非営利の企業・団体等のまとまりである。そして,NPO(特定非営利活動法人)はこのソーシャルセクターにおけるキープレーヤーの一つである。

NPOというと,行政機関や財団法人などからの補助金や寄付を受けて,無償の活動を行っているボランティア団体のようなイメージがあるが,そういう団体ばかりではない。

実は小生は某NPOの監事をやっているのだが,このNPOは補助金頼みにならない「稼ぐNPO」を目指しており,実際,一定の収益を上げながら活動を行っている。

最近では小生のNPOと同様に,独自の資金調達の仕組みを持ち,収益を活動費・人件費に充当しながら活動しているNPOが登場している。利益の最大化を目指さないという点を除けば,民間企業とほぼ変わらない。本書に登場するのはそういったNPO法人たちである。「クロスフィールズ」しかり,「ティーチ・フォー・ジャパン」しかり,「ビッグイシュー日本」しかり,「ノーベル」しかり。

収益を上げながら活動する,ということは,NPOに勤める人々にも民間企業に勤めるのと同様の知識やスキルが要求される。例えば,ビジネスマナー,企画力,プロジェクト管理能力,コミュニケーション能力,交渉力,……。社会的正義や弱者への共感だけでは駄目。高度なビジネスの知識・スキル・能力を持っていなければN女は務まらないわけである。


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では,N女が大企業や外資系企業ではなく,ソーシャルセクターに居るのはなぜか? 実はN女には企業経験者が多い。大企業や外資系企業を選ばなかったわけではない。様々なライフイベントを経験するうちに身近な社会問題に触れ,その社会問題の解決手段としてたまたまNPO業界に入ったというだけである。

社会問題としてはどんなものがあるのか?

例えば,難民,貧困,地域格差,保育,若者無業者,……。かつては,血縁・地縁・社縁といった人と人との「縁」がセーフティネットとして機能し,こういった問題が深刻化するのを防いでいた。そうした「縁」が解体されて,人々の孤立化が進行し,これらの問題が深刻化しているのが現代の日本である。かつての「縁」に代わって社会問題を解決しようとするのが,ソーシャルセクターであり,NPO法人であり,N女たちである。


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「N女が大企業や外資系企業ではなく,ソーシャルセクターに居るのはなぜか?」という疑問に対する答えはもう一つある。

N女たちは,企業内の出世競争や硬直化した組織構造から離れ,比較的フラットな組織の中で,自分の裁量・自分のペースで問題解決に取り組みたい人々なのである。とくに出産というライフイベントが職業選択や社会問題に対する意識に与える影響は大きい。あとは育児や家事。男女共同参画がちゃんと実現していれば,女性にばかり育児や家事が押し付けられることもないのだが,現実はまだまだ男女共同参画と言えるまでには至っていない。

そういう現状の中で,ビジネス能力のある女性たちが選ぶ職域として,ソーシャルセクターが浮かび上がってくるわけである。「N男」ではなく「N女」に注目することで,こうした社会的性差(ジェンダー)の問題も明確になって来る。


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繰り返しになるが,本書は単にN女を描写するだけでなく,N女への取材を通して現代社会が抱える問題を明らかにした。それのみならず,問題解決の糸口,あるいは希望の芽を見出した,というところに本書の意義がある。

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2017.04.27

石母田正『日本の古代国家』を読む

年度が替わって,また忙しくなってきたというのに,こんな分厚い本を読み始めている。

著者は石母田 正(いしもだ・しょう)という,日本古代史・中世史の巨人。唯物史観に基づく著書が多数ある。

唯物史観というと,前世紀の遺物みたいな感じであるが,今読んでみるとかえって新しい感じがする。

この本の中で著者が国家成立の要因として重視するのが対外関係である。そして,キーワードとして「交通」というマルクスらしい概念が登場する。

「ここにいう『交通』とは,経済的側面では,商品交換や流通や商業および生産技術の交流であり,政治的領域では戦争や外交をふくむ対外諸関係であり,精神的領域においては文字の使用から法の継受にいたる多様な交流である」(p.28)

と規定している。

ある共同体の中では,外部との「交通」が無い状態でも,支配層と被支配層のような階級分化はある程度進行する。例えば卑弥呼と下戸,つまりシャーマンと一般人という程度の階級分化は起こる。

しかし,階級分化をより推し進め,国家と呼べるほどの権力機構を成立させるのは「交通」であると著者は述べる。

古代日本の支配層は中国大陸や朝鮮半島との交通を掌握することにより,漢字と統治技術を独占した。

漢字と統治技術を独占する支配層と,文字を持たない被支配層の間には歴然たる差が生じ,知的労働と肉体労働という社会的分業が成立する。

支配層による知的労働の独占を基盤とするのが,律令制国家という古代国家の形だというわけである。

まあ,いつの時代でも,知識とスキルは権力の源泉だったりするわけである。当たり前と言えば当たり前か。

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2017.04.23

井出穣治『フィリピン -急成長する若き「大国」』

フィリピンはASEAN諸国の中で最も日本に近く,また人口1億人を超える大国として存在感を強めつつある。

井出穣治『フィリピン -急成長する若き「大国」』(中公新書)は,「アジアの病人」扱いだったフィリピンが,今や「アジアの希望の星」に変貌しつつあることを教えてくれる。

フィリピンとこれからどのような関係を築いて行くのか,それが日本の将来を左右することになりそうだ。


本書の中核となるのは,フィリピン経済の可能性についての議論であり,第1章から第5章までが費やされている。

日本,NIES諸国,タイ,インドネシア,マレーシアといった国々は製造業が主導する形で経済発展を遂げてきた。

しかし,本書が紹介するように,フィリピンは製造業の発展を経ずに,いきなりサービス業が主導するという全く異なる発展ルートをたどっている。

ちょうど世界規模でグローバル化やICT化が進展するタイミングだったこともあり,BPO(バック・オフィス・アウトソーシング)を軸としてフィリピンのサービス業は急成長した。

BPOとは,コールセンター,ソフトウェア開発,文書処理といった企業の業務プロセスの一部を外部委託することである。

本書ではフィリピンにおけるBPO発展の一例として,米国などのコールセンター業務の委託先として,訛りのきついインドよりも,癖のない英語を話すフィリピンが好まれることが紹介されている。

このように,サービス業が牽引する形でフィリピン経済は急成長しているわけだが,問題が無いわけではない。

貧富の差,汚職の蔓延,犯罪の多さなど,解決しなければならない社会・経済の問題が山積している。これらに加え,遅々として進まない農地改革,脆弱なインフラ,未発達の製造業といった問題も挙げられる。これらの問題はフィリピンの経済成長にとってのボトルネックとなっている。

これらの問題のうち,犯罪の多さに対するフィリピン国民の危機感が生んだのが,ドゥテルテ大統領である。

マスメディアではドゥテルテ大統領の暴言や強権的手法ばかりが取り上げられる。しかし,ドゥテルテの経済政策はアキノ前政権のそれを継承しており,税制改革とインフラ投資が進めば,フィリピン経済は飛躍を遂げる可能性がある。


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日本は輸出入合わせた総額ではフィリピンにとって最大の貿易相手国であるが,そのことを認識している人は多くない。

また,かつての太平洋戦争においてフィリピンは戦場となり,日米の兵士だけでなく,多くのフィリピン人が犠牲となったことは忘れられがちである。

このように現在から過去にいたる,日本人が忘れがちな,日比関係について論じているのが,本書の最終章「地政学で見るフィリピン,そして日本」である。

太平洋戦争で莫大な犠牲が払われたにもかかわらず,なぜ,戦後,日本とフィリピンがうまく和解できたのか,それを知るためにも最終章は必読。

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2017.04.13

塚本邦雄の『清唱千首』

先日,一の坂川まで出かけて桜の花を見たわけだが,そのとき思い出そうとして思い出せなかった歌がいくつかある。

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まず,崇徳院。

朝夕に花待つころは思ひ寝の夢のうちにぞ咲きはじめける

平治の乱の10年前,31歳のときに崇徳院が詠んだ歌である。花が咲くのを今か今かと待っていたら,夢の中で先に咲き始めた―。

そして,源頼政。

くやしくも朝ゐる雲にはかられて花なき峯にわれは来にけり

山の上の雲を桜の花々かと見間違い,行ってみたら違った。悔しい。騙された―。

これらの歌はいまから15年前,塚本邦雄の『清唱千首』のページを繰りながら,選び出したお気に入りの歌である。お気に入りにもかかわらず忘れてしまったというのが,老いの始まり。

この本は,万葉の時代から安土・桃山時代までおよそ1000年の間の莫大な歌の中から,塚本邦雄が選び出した1000首をまとめたもの。

無人島に10冊だけ(1冊じゃ無理)持って行っていいと言われたら,多分これは10冊の中に入る。日本文化の精髄。

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2017.04.06

中田考『イスラーム入門』を読む

テレビのニュースなどでイスラーム圏の話が出てきたときにすぐ参照できるように,リビングに置いているのが,これ:

中田考『イスラーム入門 文明の共存を考えるための99の扉』 (集英社新書)

小生,多少はイスラームについての知識があるかと思っていたが,この本を開いてみると,まだまだ。

著者はご存知の通り,ムスリムであり,日本におけるイスラム法学の第一人者。

ムハンマドの話に始まり,スンナ派,シーア派など各派の歴史,イスラームの信仰内容,イスラーム偉人伝,現在のイスラームにおける様々な運動(解放党とかギュレン運動とか),大川周明や井筒俊彦の業績等々,限られた紙数で,イスラームに関する古今東西の重要な概念が解説されている。

ちょっと残念なのが,最初から読まないとわからない記述が多いことである。途中から読んでも大丈夫な用語集とはなっていない。ちゃんと順番に読みましょう。

節によって著述の姿勢が違っているのが面白い。イスラム協力機構や不換紙幣に対しては批判的な論調で,著者の思想的立場が明確に表れている。

本書で紹介されていた井筒俊彦の言葉を繰り返すことになるが,古代においては中国文明と対峙し,近代においては西欧文明と対峙して自らの思想を鍛え上げていった我々日本人は,今度はイスラーム文明と対峙することによって,さらに自らを深化させていかなくてはならないのだろうな,と思った (それをやってきたのが,大川周明と井筒俊彦であり,それらに続くのが本書の著者であろう)。

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2017.04.04

ネパール旅行のためのガイドブック

今回,ネパールのカトマンズ(カトマンドゥ)に行ったわけである。

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初のネパール行きということで,ガイドブックとしては次の2冊を携帯した。

まずは定番中の定番,「地球の歩き方」『ネパールとヒマラヤトレッキング』

「地球の歩き方」は,ホテル,観光スポット,ショッピング情報など,漏れなく書いてあるので安心。ネパールの地理や歴史,政治,経済,民族,芸術,神様仏様,カレンダーなど基本情報も充実している。

今回の出張では,残念ながらトレッキングなど余暇を楽しむすべはなかったが。

街歩きを極めたければ,矢巻美穂『トレッキングとポップな街歩き ネパールへ』

これもトレッキングが前面に出ているが,街歩き情報も充実している。

観光スポット情報も載っているが,お洒落な飲食店,ハンドクラフト・工芸品のショップ情報に力が入っている。

この本で紹介されていたDhuktiという店ではパソコンケースやペンケースなどの布製品をたくさん購入した。

小生は海外のお土産としては,布製品ばかり買っている。理由は壊れず,軽いから。

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