小池正就『中国のデジタルイノベーション』を読む
この正月,ツマの実家に行ったのだが,移動中の車中や機上で読んでいたのが,これ。
小池正就『中国のデジタルイノベーション』(岩波新書,2022年)
である。
著者は衆議院議員を務めたこともある研究者というかコンサルタントというか,いくつもの肩書がある人で,中国の清華大学で客員研究員を務めていた経歴を持つ。
本書が出版されたのは,コロナ禍の影響がまだ残る2022年。生成AIブームの前なので,内容は若干古いが,今なお驀進する中国社会のデジタル化の背景というか土壌を知るには丁度良い新書である。
中国のデジタル化とかイノベーションというと,どうも政府あるいは共産党主導というイメージが強い。それは間違いではないが,実は民間が自主的に進めてきた部分も大きい,というのが本書では力説されている。
その顕著な例と言えるのが,ブロックチェーンである。ブロックチェーンの応用ビジネスと言えば,暗号資産(暗号通貨)がまず頭に浮かぶが,中国では2021年に暗号通貨関連業務が全面的に禁止となった。では,中国ではもうブロックチェーンは根絶されたのか?と言うとそうではない。食品やブランド品の通販・流通プロセスにおいて,産地や生産者の偽装を防ぐための手段として利用されているのである。著者が「上に政策あれば,下に対策あり」という中国のことわざを引いて説明しているように,政府の規制があっても,便利な技術,とくにデジタル技術は,どんどん利用するというマインドが中国社会にはある。
本書では「イノベーション」という言葉があらゆるところに登場するが,この言葉を正しく使っているので安心した。
「イノベーション」を「技術革新」のことだと思っている人がまだまだ大勢いるが,著者はシュムペーターの定義を正しく踏まえて,「新しい組み合わせによる新しい価値の創造」(p. 19)と言っている。
「インベンション(発明)と混合されがちだが,イノベーションは必ずしも新たな発明や技術革新が求められるものではなく,それらを実際に適用および活用し新たな価値を広げることを示している」(『中国のデジタルイノベーション』p. 19)
この定義を踏まえれば,デジタルイノベーションにおいて大事なのは,デジタル技術そのものではなく,デジタル技術を活用する社会経済環境であるということがわかる。
本書の冒頭「はじめに」で,著者はこう語る:
「現代日本における中国のデジタルイノベーションに関する議論も,表面的かつ部分的なアウトプットだけに焦点を当てた傾向が気になるところである。確かに日本にない物珍しさや利便性を確かに伝えたいという感覚は理解できるものの,SNS投稿と同程度の表面的な情報を基に「日本でも」と企業や政府が総力を挙げてみても,等しく普及するかは難しい。アウトプットとしての成果物を生み出した体制や国民性,社会基盤等の土壌を理解せずして同じ花を咲かせることは困難である」(『中国のデジタルイノベーション』p. ix - x)
同じ主張は最終章「日本にも「プラス」とできるか」でも繰り返される。
著者はアバナシー・クラークのイノベーションの分類に基づいて,日本が今後目指すべきイノベーションの姿を「創設型イノベーション」および「隙間開発型イノベーション」としている。なぜなら,これらのイノベーションは新たな市場価値を生み出し,経済成長を促すからである。ただし,技術革新と市場開発が両立する「創設型イノベーション」はめったに起きるものではない。実際,中国で進むデジタルイノベーションを見ると,それは主として「隙間開発型イノベーション」であることがわかる。既存の様々なビジネスで生じる問題をデジタル技術で解決し,市場拡大につなげているからである。もし中国に倣うとすれば,とりあえずは「隙間開発型イノベーション」を目指すことが日本にとっては重要であろう。
そして「創設型イノベーション」または「隙間開発型イノベーション」を実現しようとすれば,必要なのは何か。著者は次のように語る:
「創設型イノベーションや隙間開発型イノベーションが市場の創出に達するために重要なのは,国内であろうが海外であろうが,「その市場での生活習慣や商習慣はどうなっているのか,その中での課題は何か,潜在的に評価されそうな価値は何か,受け入れられるために必要な体制は」といった,観察眼や嗅覚に基づく市場と技術双方への深い理解である」(『中国のデジタルイノベーション』p. 142)
そしてこうした行為を支えるのが,
「「今その価値がないのであれば創ってしまおう」という起業家精神と,彼らの挑戦と失敗を受け入れる社会の風潮である」(『中国のデジタルイノベーション』p. 142)
と著者は続ける。
起業家精神と失敗に対する寛容性。これらを備えているのはアメリカ社会であり,中国社会である。日本もビジネスの土壌をそのように変えることができるのかどうか。著者はその変化を促すために日々奮闘している。で,老生はというと,老生はもういい年齢なので,あとは若い人たちに期待する。
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