『<学知史>から近現代を問い直す』所収の「オカルト史研究」を読む
有志舎からこの春に刊行された『<学知史>から近現代を問い直す』を読んでいる。
「学知史」という言葉は聞きなれない言葉だが,人文科学諸分野(歴史学とか思想史とか)の学説史・研究史を横断的に研究する方法論(リサーチ・メソドロジー)である。とは言っても形成途上の方法論なので,スタイルは固まっていない。
本書には大正期から最近までの様々な分野の研究の歴史をまとめた論文が収められている。
例えば斎藤英喜「『日本ファシズム』と天皇霊・ミコトモチ論―丸山真男,橋川文三,そして折口信夫―」とか山下久夫「『文献学者宣長』像をめぐる国学の学知史―芳賀矢一・村岡典嗣・西郷信綱・子安宣邦・百川敬仁―」とか。
学説史・研究史というのは研究者ありきなので,具体的な研究者名がサブタイトルに登場する。やはり人は人のことを知るのが好きなんですよ。
さて,面白そうな論文がひしめき合っている中,最も目を引いたのが,
栗田英彦「ポスト全共闘の学知としてのオカルト史研究―武田崇元から吉永進一へ―」
である。
最近「オカルト2.0」なんか読んだから「オカルト」に過剰反応する。
この論文,出だしの一文が良い:
「近年,オカルト(オカリティズム・エソテリシズム)史研究が国内外で脚光を浴びている。」(『<学知史>から近現代を問い直す』280ページ)
まさしくそんな気がする。
以降,オカルト史(エソテリシズム史)研究の日本代表として吉永進一を取り上げ,その研究の変遷,アプローチ手法のみならず,ニューウェーブSF読書経験やオカルト体験についても概説してくれる。要するにこの論文はほぼ吉永進一の評伝となっている。
栗田氏は吉永進一の発言を踏まえて,その研究姿勢を次のようにまとめている:
「つまり,アカデミズムのエティックな概念で対象化することで安全な立場に立つ,つまり「客体として取り出して整理する」というのではなく,「自己に戻って」自分の問題として捉えることを重視する。その意味で「オカルト」とは実体的領域を示す客観的概念というよりは,むしろその実体性や客観性を掘り崩して,自分の問題として考えるための方法論的な概念として用いられていることがわかる。」(『<学知史>から近現代を問い直す』295ページ)
そういえば,先日読んだ「オカルト2.0」の著者もオカルトを研究対象としつつも,自分の問題として捉えていた。オカルト史研究の典型的な研究姿勢なのだろう。
竹内裕=武田崇元=有賀龍太からの影響のほか,浅田彰や安彦良和にも少し触れられていたりして,オカルト史研究というのは,在野とアカデミズムの境目の無い,学際的な領域なのだなぁと感心した。
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