『デルスウ・ウザーラ』読了
『デルスウ・ウザーラ』(東洋文庫55)を読み終わった。
アムール川流域の先住民ナナイ(ゴリド)の猟師デルスウ・ウザーラと,ロシア人探検家アルセーニエフが,1907年から1908年にかけてシホテ・アリニ山脈を踏破する話である。
この本に感銘を受けた黒澤明がソ連の全面的協力の下,映画『デルス・ウザーラ』を撮り,モスクワ国際映画祭金賞やアカデミー賞外国語映画賞を獲ったのは有名な話。
はじめは一日1章のペースで読んでいたのだが,この本に描かれている状況が理解できるようになると読むのが早くなり,最後は2,3章まとめて読むようになった。
読者はデルスウの素朴な世界観と狩猟民族としての知恵に惹かれるだろう。
デルスウの世界観はアニミズムのそれであり,人間も動物も機能するモノも全て「ひと」と見なされる。
それらの「ひと」たちに対する知識や態度は,デルスウとの関わり合いによって濃淡が変化する。
天体に対してはわりと塩対応だ。こういうエピソードがある。
・・・1907年8月25日の夜明け,東の水平線付近に彗星が見えた。
アルセーニエフが率いる探検隊のメンバーたちは彗星が何を予言しているのかと議論し合った。
アルセーニエフがデルスウに意見を聞いてみたところ,次のように答えた:
「あれはいつも空をいく,人のじゃまはしない」彼はつまらそうに答えた。
自然を人格化してみる彼の考えではあるが,それでも彼は正しかった。彼は事物をそのあるがままに判断した。
(長谷川四郎訳『デルスウ・ウザーラ』「第7章 シャオケムに沿って」より)
このあと,アルセーニエフが太陽についてもデルスウに訊いてみるのだが,これも面白い:
「デルスウ」私は彼にきいた。「太陽とは何かね?」
彼はふしぎそうに私をみて,こんどは彼の質問を出した。
「あんたみたことないのか。みなさい」彼はこう言って,手でちょうど水平線にのぼった太陽の円板を示した。
みんなは笑った。デルスウは不満だった。その太陽自体が眼前にあるのに,太陽とは何かと人にたずねる。彼はからかわれたように思ったのだ。
(同じく『デルスウ・ウザーラ』「第7章 シャオケムに沿って」より)
天体に対してはこんな様子だが,魚やカラスやトラに対しては深い洞察を示す。
デルスウはこの旅の途上,老いによる視力の低下にショックを受ける(とは言ってもまだ58歳だったのだが)。旅の終わり,アルセーニエフはデルスウを自宅に引き取ることにした。
しかし,都市の生活はデルスウにはなじまなかった。なぜ,薪や水に金を払わないといけないのか? なぜ,街中で猟銃を撃ってはいけないのか? デルスウはアルセーニエフのもとを離れ,森に帰っていく。
それから二週間ほどたったある晩,デルスウは寝ているところを,何者かに襲われ,殺される。加害者はロシア人と推定されるが,捕まらないままであった。
デルスウは,事件を聞きつけたアルセーニエフに見守られながら埋葬された。
その2年後,アルセーニエフはデルスウを埋葬した場所を訪れようとするが,その場所には町が広がっていて,もはや探し当てることができなかった。