宮内橋の話
コロナ前,2019年5月に金沢に旅行し,小幡家所縁の「宮内橋」に行ってきたという話はすでに本ブログに書いた(参考)。
その宮内橋のことだが,古書城田で購入した「歴史読本」1978年12月臨時増刊号「都市・地名ものしり読本」に宮内橋に関連する記事が出ていたので紹介する。
戸部新十郎氏が書いた「石川県の人物地名21の由来」という記事(同増刊号359~360ページ)を読むと宮内橋についてこんなことが書かれている:
◇宮内橋(金沢市)
藩臣小幡宮内の屋敷脇にあった。宮内は前田利常の生母寿福院と義兄弟で名は長次。大坂の役後,累進して一万九百石を受け,御小姓番頭から家老・城代を歴任した。
宮内は風流人で,山城井手の玉川からカエルを取り寄せ,橋下の総構堀に放ち,夏季は,夜もすがらカエルの声を聞いて楽しんだ。維新後,総構を廃し,土居を崩したので,玉川のカエルは絶えたが,川縁の崖がかすかに名残りを偲ばせる。
この文の前半部分,小幡宮内長次の経歴については別の記事(参考)に書いたように,老生もすでに知っていることだったが,この文の後半については初耳だった。
風流人でしたか。