嘘歴史(その1)
バルカナイザー(Balkanizer)
統一ならず(1)
1873年3月15日,岩倉具視,大久保利通,木戸孝允,伊藤博文ら,いわゆる岩倉使節団がビスマルクの公邸を訪問した。夕食に招かれたのである。
近代化を始めたばかりの国の指導者たちを前に,ビスマルクは語った。
「アジアと欧州,遠く離れてはいるが,貴国と我が国は同じ境遇にある。」
ベルリンに留学中の青木周蔵が通訳を務めた。
「ドイツの統一は成らなかったものの,小国であったプロイセンはここまで成長し,列強にも一目置かれる存在となった。貴国も日本列島の統一は成らなかったものの,革命を経て新しい国家を作り始めたと聞く。」
「お気づきであろうが,列強に伍していくためには,まず,産業を興し,軍事力を強化することが必要である。列強は貴国に対して国際法に基づく法整備云々を要求しているようであるが,国際法などというものは,国力,とくに軍事力があって初めて遵守されるものである。貴国も我が国と同じように産業の振興,軍事力の強化に力を注ぐべきであろう。」
「もちろん,国力の増強というのは平坦な道ではない。われわれは周辺諸国とのせめぎ合いの中で幾度も辛酸をなめてきた。貴国もこれから我が国と同じような苦しい経験を重ねることだろう。」
「だが,いかなる困難があろうとも,それを乗り越え,列強に軽んじられぬ存在となっていただきたい。その時,我が国は貴国を友邦として迎えるであろう。」
イギリス,フランス,オーストリアといった大国からの圧力に抗し,幾多の敗戦からも立ち直り,いまや欧州における強国の一つとなったプロイセン王国。その歴史を体現する宰相の率直な発言は,日本列島の西半分を擁する「日本国」の指導者たちに強い感銘を与えた。
◆ ◆ ◆
「プロイセンを手本にせんにゃいけん,ちゅうことについては,岩倉公も大久保さんもみな同じ思いじゃろうが・・・」
夕食会を終え,ホテルに戻った木戸孝允は自分の部屋に伊藤博文を招き,二人でビスマルクの言葉の真意を読み取ろうとしていた。
「プロイセンは手放しで我が国を友邦として認めるわけではない,ちゅうことじゃね」
「それはわしも思いました。列強に伍する国になってから友達になろう,ということですい」
「・・・ちゅうことは,蝦夷地問題は当分お預けじゃろう」
統一戦争,後に戊辰戦争と呼ばれる戦いの中,日本国新政府と対立していた奥羽越列藩同盟は,武器と引き換えにプロイセンに蝦夷地を提供した。本格的な植民は始まっていないものの,蝦夷地開発の権利はプロイセンにある。プロイセンはこの件を機に,東日本を領有する「日本共和国」とも通じている。
「共和国の連中が来ても同じことを言うんじゃろうか?」
「言うんでしょうね。」
「さすが列強諸国を敵に回して引けを取らんかった宰相。食えん爺さんじゃね」
「そこもまた手本にせんにゃいけんことですい」
伊藤は笑いながら言った。まず所作から真似しよう,葉巻をくゆらすところなんか恰好いいな,と思った。伊藤は後に自らを「日本のビスマルク」と称するようになる。
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