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2023.06.17

『アンデス、ふたりぼっち』を観てきた

先日,YCAMで『アンデス、ふたりぼっち』を見てきた。

標高5000メートルの高地に暮らす老夫婦の話。

美しくも荒涼たる景色の中で,アイマラ人の老夫婦はリャマと犬と羊数匹とともに暮らしている。

街に出稼ぎに行った息子はもう何年も帰ってこない。

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ペルーの小津映画とも称されているらしいが,自然が過酷過ぎて終末的世界観。どちらかというとタル・ベーラ『ニーチェの馬』を思い起こさせる。

近隣の村までマッチを買いに行こうとするだけで大変な旅になる。自然と調和して生きようとすれば,体力勝負。

 

年取ってからこういう映画をみると,自らの行く末を考えながら見てしまう。

 

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2023.06.07

嘘歴史(その2)

バルカナイザー(Balkanizer)

統一ならず(2)

『フォン・シェーンハウゼン伯の華麗なる戦争』という奇妙な書物が,ウィーンの読書人の間で話題を呼んでいた。1863年12月のことであった。

内容は,架空の王国・オストラントが,宰相フォン・シェーンハウゼン伯の指導の下,ドイツ諸邦をまとめ上げ,ヨーロッパに一大帝国を築き上げるというものだった。

ナショナリズムを鼓舞するために書かれたような内容だった。対スカンジナビア,対オーストリア,対フランスと,オストラント率いるドイツ連邦は対外戦争に連勝,ついにはドイツ帝国成立に至る。

小説の末尾,フランスに圧勝した後,ベルサイユ宮殿鏡の間でドイツ帝国の成立が宣言される描写などは,荒唐無形の極みである。しかし,ウィーンの人々の間で話題になったのはそこではなく,小説の前半部分に描かれた,オストラントがオーストリアとの戦争に踏み切るプロセスであった。

某年某月,オストラントはオーストリアを誘ってスカンジナビアに侵攻し,勝利。オストラントはスカンジナビアから得た広大な領土を独占し,二年後,オーストリアと戦端を開く。フォン・シェーンハウゼンの巧みな外交と戦争指導の情景が,この英雄の心理描写とともに簡潔だが精密に記述されていた。

オストラントはプロイセンを,フォン・シェーンハウゼン伯はビスマルクを擬したものであろうという推測はウィーンの人々にとって容易なことだった。

オーストリアをドイツ諸邦から切り離そうという小ドイツ主義にプロイセンの民意が傾きつつある中,この奇妙な書物はオーストリアの要人たちのプロイセンに対する不信感をさらに募らせていった。


◆   ◆   ◆


「この本はいったいどこの誰が書いたのだ? そもそもどうやって検閲を潜り抜けたのだ?」

ビスマルクは『フォン・シェーンハウゼン伯の華麗なる戦争』を手にしながら怒っていた。

1863年12月7日,ドイツ連邦議会が連邦軍のホルシュタイン進駐を決定したところまではビスマルクの計画通りだった。つぎは,デンマークへの宣戦布告だった。連邦軍で攻め込むのも良し,プロイセンとオーストリアの二カ国だけで攻め込むのもさらに良し。

そんな重要な局面で,奇妙な書物がヨーロッパ各国に出回り,各国の指導者たちはプロイセンへの不信感を強めていた。

ビスマルクの前にはヴィルヘルム・シュティーバーが立っていた。ナポレオンにとってのジョゼフ・フーシェ。ビスマルクにとってのヴィルヘルム・シュティーバー。彼が率いる諜報網をもってしても,『フォン・シェーンハウゼン伯の華麗なる戦争』にまつわる数々の謎は解けないままだった。

「しばしの猶予を」

シュティーバーはビスマルクに願い出た。だが,多少の時間をかけたところで,執筆した者,印刷した者,意図,その他もろもろの疑問は明らかにはならないだろう。手掛かりが少なすぎる。

この奇妙な書物は,出回っている部数こそわずかであったが,一部を抜粋した手紙などが貴族,軍人,学者,商人などさまざまな人々の間でやり取りされており,この書物について語ることが一大ブームとなっていた。

「いや,もはや猶予は無い。卿の優れた能力は,来たるべきデンマークとの戦いに向けられるべきものだ」

デンマークという言葉を聞いた瞬間,シュティーバーには閃くものがあった。

「閣下,"Cui bono?"という言葉があります」

「ラテン語か。ああ,誰が利益を得るのか,ということだな」

「誰が得するのか? この本によって諸国の我が国に対する不信をあおることで得するのは・・・」

「デンマーク」

「そう。デンマークが仕組んだのではないでしょうか?」

少なくともこの奇妙な書物が出回ることになった背景だけはつかめた,と二人は思った。

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2023.06.04

嘘歴史(その1)

バルカナイザー(Balkanizer)

統一ならず(1)

1873年3月15日,岩倉具視,大久保利通,木戸孝允,伊藤博文ら,いわゆる岩倉使節団がビスマルクの公邸を訪問した。夕食に招かれたのである。

近代化を始めたばかりの国の指導者たちを前に,ビスマルクは語った。

「アジアと欧州,遠く離れてはいるが,貴国と我が国は同じ境遇にある。」

ベルリンに留学中の青木周蔵が通訳を務めた。

「ドイツの統一は成らなかったものの,小国であったプロイセンはここまで成長し,列強にも一目置かれる存在となった。貴国も日本列島の統一は成らなかったものの,革命を経て新しい国家を作り始めたと聞く。」

「お気づきであろうが,列強に伍していくためには,まず,産業を興し,軍事力を強化することが必要である。列強は貴国に対して国際法に基づく法整備云々を要求しているようであるが,国際法などというものは,国力,とくに軍事力があって初めて遵守されるものである。貴国も我が国と同じように産業の振興,軍事力の強化に力を注ぐべきであろう。」

「もちろん,国力の増強というのは平坦な道ではない。われわれは周辺諸国とのせめぎ合いの中で幾度も辛酸をなめてきた。貴国もこれから我が国と同じような苦しい経験を重ねることだろう。」

「だが,いかなる困難があろうとも,それを乗り越え,列強に軽んじられぬ存在となっていただきたい。その時,我が国は貴国を友邦として迎えるであろう。」

イギリス,フランス,オーストリアといった大国からの圧力に抗し,幾多の敗戦からも立ち直り,いまや欧州における強国の一つとなったプロイセン王国。その歴史を体現する宰相の率直な発言は,日本列島の西半分を擁する「日本国」の指導者たちに強い感銘を与えた。

 

◆  ◆  ◆


「プロイセンを手本にせんにゃいけん,ちゅうことについては,岩倉公も大久保さんもみな同じ思いじゃろうが・・・」

夕食会を終え,ホテルに戻った木戸孝允は自分の部屋に伊藤博文を招き,二人でビスマルクの言葉の真意を読み取ろうとしていた。

「プロイセンは手放しで我が国を友邦として認めるわけではない,ちゅうことじゃね」

「それはわしも思いました。列強に伍する国になってから友達になろう,ということですい」

「・・・ちゅうことは,蝦夷地問題は当分お預けじゃろう」

統一戦争,後に戊辰戦争と呼ばれる戦いの中,日本国新政府と対立していた奥羽越列藩同盟は,武器と引き換えにプロイセンに蝦夷地を提供した。本格的な植民は始まっていないものの,蝦夷地開発の権利はプロイセンにある。プロイセンはこの件を機に,東日本を領有する「日本共和国」とも通じている。

「共和国の連中が来ても同じことを言うんじゃろうか?」

「言うんでしょうね。」

「さすが列強諸国を敵に回して引けを取らんかった宰相。食えん爺さんじゃね」

「そこもまた手本にせんにゃいけんことですい」

伊藤は笑いながら言った。まず所作から真似しよう,葉巻をくゆらすところなんか恰好いいな,と思った。伊藤は後に自らを「日本のビスマルク」と称するようになる。

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2023.06.01

『カフェから時代は創られる』読了

あれやこれやの合間に読んだので,ひと月ほどかかったが,飯田美樹『カフェから時代は創られる』読了。

ステファン・ツヴァイク,ボーヴォワール,藤田,ヘミングウェイなどなど様々な「天才」たちの証言を交えながら,創造的な活動を生み出す場としてのカフェの効能について語っている。

参考文献が多いだけでなく,パリのカフェに通い,サロンやカフェを運営した著者自身の体験に裏付けられていて説得力がある。なによりも熱量がある。

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とても面白かったことをいくつか挙げておく:

  • カフェの店主の役割(第5章より): 例えば芸術や文学など,カフェに通う若者が議論し追及している物事に対しては直接介入しない。何者かになろうとしている若者を人間として応援する。
  • インスピレーションの場(第6章より): カフェに来ている様々な客の会話の重なり合い。これはノイズのようでもあるが,インスピレーションの源泉でもある。何事かを生み出そうとする人々にはノイズをインスピレーションの源泉に変える偶発力が必要である。

クリエイティビティについて書かれた本は多いが,この本は面白いし別格。

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