ウォーラーステイン『史的システムとしての資本主義』を読む
「世界システム論」でおなじみのウォーラーステインの『史的システムとしての資本主義』(川北稔訳)がこの7月に出た。
今や人類はただ一つのシステム,資本主義の下で生きている。
この資本主義の特徴は「資本がきわめて特異な方法で用いられる――つまり,投資される――という点にある。すなわち,そこでは,資本は自己増殖を第一の目的ないし意図として使用される」(20頁)
資本主義は経済合理性で動く人,ホモ・エコノミクスを生み出したと言えるが,個々のホモ・エコノミクスが合理的に自己の利益を追求する結果,社会全体では,とても合理的とは言えない混乱した状況が生まれている。
本書の最初の節「万物の商品化」を読んだところだが,史的システムとしての資本主義が引き起こした災禍(?)が列挙されている。
例えば,世帯内の分業の習慣に対し金銭的評価を与えたこと。これにより,家の外で働き賃金を稼ぐことが高く評価され,金銭を生まない家事労働等が貶められるようになった。これは結局,ジェンダーの問題へと繋がっていく。
また,富の分配の両極化の進行。これは一国の中における世帯収入の差の拡大としても,また経済的中心と周辺という地理的な格差としても顕現している。なぜそのようなことが生じたのか,というプロセスについては「半プロレタリア」や「不等価交換」という用語を用いて説明がなされている。
「万物の商品化」の後半において,史的システムとしての資本主義は次のように批判されている:
「史的システムとしての資本主義は明らかに馬鹿げたシステムなのである。そこでは,ひとはより多くの資本蓄積を行うために資本を蓄積する。資本家は,いわばくるくる回る踏み車を踏まされている白ネズミのようなもので,よりいっそう速く走るためにつねに必死で走っているのだ」(64頁)
資本主義の馬鹿馬鹿しさを覆い隠しているのがいわゆる進歩史観であり,マルクスもそれに染まっていたと言わざるを得ない。
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