野呂邦暢『丘の火』を読む
野呂邦暢の最後の長編『丘の火』を読み終えた。
ガダルカナル島生還者の手記を纏めている男を描いた作品である。連載完結後に著者が急逝し,大岡昇平はその死を悼んだ。
あらすじはこんな感じである:
―――昭和52年冬,九州某県伊佐市。県庁移転や新幹線整備の話もあり,急速に発展しつつある街。
この街に今年40歳となった男,伊奈伸彦がいる。伸彦は自衛隊,業界紙など職を転々としてきて,今は無職だ。もともと東京の人間だったが,一年前,十歳下の妻・英子の実家がある伊佐にやってきた。
ある時,地元の企業・菊興商事の社長・菊地省一郎に文才を買われ,省一郎の父・省造の手記をリライトする仕事を依頼された。省造は太平洋戦争の激戦地・G島で戦った経験があり,手記はその記録だった。
伸彦はG島の戦いで父親を喪っていた。そのこともあり,伸彦はこれまでになかったような熱心さでこの仕事に取り組んだ。執筆のため,様々な資料を渉猟し,G島からの生還者たちの証言を集めていくうちに,伸彦はG島で起こったある事件について疑問を抱いていく―――。
伸彦がG島戦記を纏める作業が,この作品の柱だが,これにG島生還者たちの思惑,地元政財界の動き,伸彦の女性関係などが絡んでいく。伸彦の父の死の謎も加わって,ミステリーの要素もある。
伊佐が著者の育った諫早をモデルとしていることは,著者の他の作品を読んだことがある人であれば,すぐにわかるだろう。主人公・伸彦は東京の出身だったが,自衛隊経験,戦記への深い造詣,古本屋の描写などを踏まえれば,伸彦は著者の分身とも言える。他の作品,例えば『棕櫚の葉を風にそよがせよ』の主人公ともよく似ている。
「丘の火」というのは,アウステン山に置き去りにされた日本兵たちが焚いた火のことでもあり,丘の上の菊地家で焚かれていた火のことでもある。丘ではないものの,この小説の末尾で伸彦が下書き原稿を焼いた火もまた「丘の火」の類からも知れない。
とくに小説末尾の火については,大岡昇平の作品を映像化した塚本晋也監督の『野火』で最後に主人公が見つめていた火を思い起こさせる。
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