出雲国造の話
出雲国造(いずもこくそう)
「出雲国造は出雲大社の神職の上官なり,神代に大国主命,此国を去り給ひし時,天神,天穂日命をして其の祭祀を主らしめ給ひしより以来,子孫相継ぎて,国造に任ぜらる,中世より其家千家北島の両流と為り,明治維新の後,並に家族に列せらる」(古事類苑神祇部 洋巻第4巻 1058頁,※カタカナをひらがなに,旧字体を新字体に変更)
ということで,出雲大社と言えば,皇族の嫁ぎ先である千家氏が有名なのだが,千家氏と並ぶ出雲国造としてはもう一流,北島氏がある。というのが本記事の前説。
さて,このGW,久しぶりに出雲に行った。
当然のように出雲大社に詣でたのだが,まず訪れたのが北島国造館である。
出雲国造家は室町時代・康永年間(1340年頃)に千家氏と北島氏に分かれた。それ以降は月ごとに交代で出雲大社の宮司を務めるようになった。
しかし,明治維新の後,いろいろな経緯を経て千家氏が出雲大社の宮司ということに(詳細は出雲教のサイトをご参照)。千家氏は出雲大社(おおやしろ)教という宗教団体を興した。これに対し,北島氏が興したのが出雲教である。その出雲教の本部がこの北島国造館である。
この北島国造館を訪れたのち,東に歩いていくと,出雲大社の御仮殿に直接到着する。
このあとは社殿を巡って二拝四拍手一拝をしたり,神楽殿の大注連縄を見物したり,牛の像を触ったりと,参拝客気分を満喫。
ちなみに,前回,出雲大社を訪問したときは御本殿大屋根の吹き替え工事が行われていて,工事現場の見学をしたり,吹き替え費用の寄付をしたりした。
そのとき寄付のお礼としていただいた檜皮は今も家に飾っている。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 梅棹忠夫とモンゴル語(2024.04.10)
- 5月なのに山口オクトーバーフェスト|リターンズ(2023.05.09)
- 旧川上村の民具についての本(2023.01.20)
- 極寒のモンゴルにちょっと行ってみた(2022.12.07)
- 観光列車「〇〇の話」に乗ってきた(2022.08.15)
「日本神話」カテゴリの記事
- 出雲国造の話(2022.05.06)
- そういえば,「やつめさす」(2018.12.11)
- 山岡信貴監督『縄文にハマる人々』を観てきた(2018.09.10)
- 江坂輝彌『日本の土偶』が講談社学術文庫に入った(2018.01.26)
- 千田稔『伊勢神宮―東アジアのアマテラス』を読む(続)(2017.12.10)
コメント