« (続)小さな箱のオリセちゃん | トップページ | 江戸の粋と東京のモダンを繋ぐ「小村雪岱スタイル」 »

2021.07.23

『原点 THE ORIGIN』よりぬき集

先日『安彦良和 マイ・バック・ページズ』を読んだので,その勢いで本棚に鎮座していた安彦良和×斉藤光政『原点 THE ORIGIN』を取り出して読み直した。

この本では,東奥日報記者の斉藤光政氏によるルポルタージュと安彦良和氏による自叙伝の組み合わせによって,作品群の背後にある安彦氏の人間観に迫ろうとしている。

安彦良和 マイ・バック・ページズ』との違いについて言えば,『マイ・バック・ページズ』の方は作品一つ一つの制作背景を解き明かす,という内容だったのに対し,この『原点』は生い立ちや学生運動に大きくページを割いているということが言えるだろう。

安彦氏自身は弘前大学全共闘(準備会)のリーダーであったため,大学本部占拠事件の中心人物として逮捕された。共に行動した仲間たちも東大安田講堂攻防戦や連合赤軍事件に加わって獄中生活を送ることとなった。こうした挫折の経験は明に暗に作品世界に影を落としている。

 

この本は前にも一度取り上げた(参照)が,今回は印象に残ったところを引用してみる。

 

◆   ◆   ◆

 

<作品群について>

「勃興期の明治を生きたのも,十五年戦争期の日本や満州を生きたのも「人間」であり,それぞれはただ,自分では選ぶことのできない,割り当てられた自分の生きる時代を必死で生き通したのだった。自分の生き様が,自分の考え方や,信じて自分を投入した営為や社会の運動や戦争を含むような大いなる波動が,後の世でどう評価され,子孫にどう記憶されたのかを,当然,知る術もなく。
 善も悪もない。在るのはただ抗うことの出来ない巨きな情況と,小さな,しかしそれぞれが唯一の発現機会を得てこの世にいる人間とそのつながりのネットワークだけだ。
 僕の中で,まったくのつくり話である「ガンダム」と,近い過去や,遠い昔を思い遣って紡ぐ物語とは,こんなふうにして互いにつながっている。」

(「私の原点I 『ガンダム』と「戦争」・「日本」」55頁)

 

 

<「ニュータイプ論」への異議>

「『覚醒した新人類=ニュータイプが世界を変える。それがガンダムのテーマ』なんていう,とんでもない言葉が一部のオタクや自称評論家から飛び出すようになり,メディアに掲載されはじめました。そこで思い出したのが,学生運動のときに語られた『革命的な党こそが革命を実現できる』という言葉です。おなじように観念をもてあそぶ考え方で罪深い。フィクションだから,ではすまされない」

(「V サブカルチャーの波」228頁)

 

<斉藤光政氏による安彦氏の描写>

「「過去に目を閉ざしていないか」
 「現在を見ているか」
 そう訴え,問いかける安彦の創作の旅はつづく。
 そして,その旅の道づれは物心ついたときからかたわらにあるマンガだ。」

(「VI 世界をリアルに見る」286頁)

 

<アニメ制作に対する覚めた目>

「しかし,もともと何の夢も抱かずにアニメ界に入った僕に「幻滅」はなかった。そこは単に,働いて報酬を得る場でしかなかった。」

(「私の原点5 サブカルで,生きる」238頁)

 

<高畑勲・宮崎駿ら巨匠たちについて>

「虫プロ出身,手塚の弟子というせいか,僕はどうも両雄には好かれなかったようだ。
 鈴木敏夫氏が代表的アニメ誌の編集長だった当時,僕は彼を通して御二人に会いたいと希望したが,断られ,とくに宮崎さんの方は「そんな人は知らない」とにべもなかった。」

(「私の原点6 ふたたび,「社会」を見つめて」293頁)

 

◆   ◆   ◆

 

最後のエピソードは気の毒な感じがする。高畑・宮崎両氏に拒絶されていた一方,『アリオン』を長編アニメ化した際,ゴッド手塚は安彦氏との対談に応じてくれたという。手塚治虫氏なりの計算があるのかもしれないが,度量の大きさを感じる。

|

« (続)小さな箱のオリセちゃん | トップページ | 江戸の粋と東京のモダンを繋ぐ「小村雪岱スタイル」 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« (続)小さな箱のオリセちゃん | トップページ | 江戸の粋と東京のモダンを繋ぐ「小村雪岱スタイル」 »