王独清『長安城中の少年』を読む
王独清『長安城中の少年 清末封建家庭に生まれて』(田中謙二訳 東洋文庫57 平凡社)を読んだ。
「たしか春の日の午後だった,わたくしは母とともに後房(はなれ)の客間にいた――」
これは著者が二歳を少し過ぎた頃の思い出。マドレーヌを紅茶に浸した某大作のような抒情ある光景からこの自叙伝は始まる。
著者・王独清は,明代から清末まで高級官僚を輩出してきた郷紳の一族に生まれた。家から出ることなく,召使たちにかしずかれ,父から教育を受けながら,幼いころを過ごした。しかし,辛亥革命によって清朝は滅亡し,一族の没落は始まる。著者は家を出て学校で学ぶようになり,やがて革命運動に身を投じるようになる。
清末における上流階級の生活ぶり,とくにその頽廃的かつ非人間的な性質,また辛亥革命による長安周辺の混乱,威張るばかりの教師とそれに逆らう生徒たち,そういった社会の混乱の様子が一個人の眼を通して描かれており,とても興味深い。
学校(三秦公学)を去って流浪の身となった著者が,いよいよ政治闘争の道を歩み出すところで本書は終わる。ぜひとも続きが読みたいところだが,残念ながら王独清はこれ以上書かなかった。
王独清は1898年生まれ。詩人,トロツキスト。1913年に三秦公学に入学し,英語を学ぶとともに政治活動を開始。ストライキ事件で退学。『泰鏡日報』の編集長となるが,辞めさせられて,1915年に上海に移った。その後,日本に留学。1917年に上海に戻り『救国日報』の編集者となった。1920年,訪仏し,ヨーロッパの建築芸術を視察・研究。1925年に帰国し,1926年に広州に移った。1926年12月に処女詩集『聖母像前』を出版。1929年9月に上海芸術大学の教務長,1930年に『開展月刊』の編集長となった。1937年,故郷陝西省に戻り,1940年,上海で亡くなった。
三秦公学は1912年,長安(西安)に開設された高等教育機関(正確には中等+高等)であり,陝西省における近代高等教育の先駆けとなった。日本の教育体制をモデルにして設置され,理工系教育と留学教育を中心に行っていた。1914年に袁世凱政権の圧力で解散し,中等教育部分は省立第三中学校に,高等教育部分は西北大学に吸収された
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