国家はものではなく運動|『大衆の反逆』(佐々木孝訳)より
私たちが国家(ステート)と呼ぶ現実は,血の同一性によって結びつけられた人間たちの,自然発生的な共存などではないのだ。生まれつき分離していた集団が共存を義務づけられるときに,国家が始まる。この義務はむき出しの暴力ではなく,ばらばらの集団に課された共通の仕事が,一つの計画の始まりだと想定される。国家は何よりも先ずある行為の計画であり,共同のプログラムである。(佐々木孝訳『大衆の反逆』279ページ)
…すなわち一本の矢と,その下に「飛ぶか落ちるか」という言葉が書かれている。これが国家である。それはものではなく運動なのだ。国家はあらゆる瞬間,「…から来る」もの,そして「…へ向かう」ものとして在る。それはすべての運動と同じく,起点(terminus a quo)と終点(terminus ad quem)を持っている。(佐々木孝訳『大衆の反逆』279ページ)
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 小池正就『中国のデジタルイノベーション』を読む(2025.01.06)
- 紀蔚然『台北プライベートアイ』を読む(2024.09.20)
- 『ワープする宇宙』|松岡正剛に導かれて読んだ本(2024.08.23)
- Azureの勉強をする本(2024.07.11)
- 『<学知史>から近現代を問い直す』所収の「オカルト史研究」を読む(2024.05.23)
コメント