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2021.02.25

「専門主義」の野蛮|『大衆の反逆』(佐々木孝訳)より

マスメディアに登場する専門家の先生方は,専門外のことにまでコメントを求められることがある。だが,それに気軽に応じるべきではない。

専門家は,世界の中の自分の一隅だけは実に良く「知っている」。しかしその他すべてに関して,完全に無知なのだ。(佐々木孝訳『大衆の反逆』203ページ)

彼は知者ではない。なぜなら彼の専門領域に入らないすべてのことについてははっきりと無知だからだ。かと言って何も知らない人間ではない。なぜなら彼は,一応は「科学者」であり,世界の中の自分の極小部分については良く知っているからだ。<中略>彼は自分では知らないすべての問題に対しても,無知な者としてではなく,自分に特有の問題について知者である人間として衒学的な態度丸出しで振る舞う…(佐々木孝訳『大衆の反逆』204ページ)

 

専門主義の野蛮から抜け出すためには,深く広い教養が必要なのだが,それは大変なことである。なぜなら「日ごとに包括的な知識領域を取り込まざるを得ない」(205ページ)からだ。

「ニュートンは大して哲学を知らずして彼の物理学体系を創り出すことができた。しかしアインシュタインは彼の峻厳な総合に達するために,カントやマッハをいやというほど潜り抜けなければならなかった。」(206ページ)とオルテガは言う。

そうであれば,科学に真の革新をもたらそうとする現代の科学者は,近現代の思想の精華を踏まえた上で研究に精励しなければならない。それは可能か? 専門主義の野蛮から抜け出すことは時代を経るにつれて困難の度合いを深めている,と言わざるを得ない。

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