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2020.12.28

野呂邦暢「藁と火」「青葉書房主人」ほか

Mi legis romanojn de Noro Kuninobu.

ちょっと時間ができたので,『丘の火 (野呂邦暢小説集成8)』を本棚から取り出し,未読だった「藁と火」(1977年),「青葉書房主人」(1980年),「廃園にて」(1980年)を読んだ。

野呂邦暢の作品についてはこれまでも度々触れてきた(参照1, 参照2, 参照3, ...)が,やはり物語の構成,世界の描写ともに名人芸としか言いようがないものばかりである。

以前,『夕暮の緑の光』所収の「一枚の写真から」「ある夏の日」という二編の随筆について触れたときにも書いたが,1945年8月9日,長崎から諫早に疎開していた野呂は、長崎の方向の空に白い光球が現れるのを見た。それはやがて壮大な夕焼けとなり,夜になっても光が消えなかったという。

「一つの都市というよりも一つの帝国がそのとき炎上していたのである。」

と随筆の中で書いている。

その体験をもとに書かれたのが「藁と火」であった。

原爆投下直後,N市(言うまでもなく長崎市のことだ)の上に黒い煙の塔が立ち上り,やがて諫早の方へと無数の黒い浮遊物が近づいてくる。

N市の方角を見つめる主人公の少年サトルや諫早の人々のところにその黒い浮遊物が降り注いでくる。

それは,炭化した看板や新聞紙や帽子やシャツなど,N市の人々の生活の一切であった。

「(サトルの)顔に細長いねばねばしたものがまつわりつく。払いのけるとすぐに切れる。指に触れたのは長い毛髪である……」(29頁)

世界の終わりについての生々しく恐ろしい描写。

 

戦禍や自然災害などの災厄は野呂作品において重要なテーマ群だと思う。野呂であれば,福島原発事故やコロナ禍にどうアプローチしただろうか?

野呂邦暢が逝去してから40年目の年もいよいよ終わろうとしている。

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