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2020.12.21

太田泰彦『プラナカン 東南アジアを動かす謎の民』を読む

シンガポール建国の父リー・クアンユーはプラナカンであった。そのことをこの本を読んで初めて知った。

かつて読んだ岩崎育夫『物語 シンガポールの歴史』(参考)は,リー・クアンユーの出自についてほとんど触れていなかった。

 

プラナカンとは何か。シンガポールやマレーシアに行ったことのある人ならば,この名前を聞いたことがあるかもしれない。

15世紀から17世紀にかけて中国南部からマレーシア半島やインドネシア半島に移住した男たちがいた。その男たちの中には,現地の女性と結婚し現地に根付いた者もいた。そうした現地化した者たちの子孫が,プラナカンと言われる。

華人・華僑と同じではないかと言われるかもしれないが,現地化の度合いが強いため,他の華人・華僑グループと一線を画している。

明確なのは文化面だ。「ターコイズブルー,カーネーションピンク,ミントグリーンなど」(216ページ)で彩られた陶器や衣服を好むなど,赤・金好きの華人たちとの色彩感覚の違いは明確だ。

プラナカンはマレーシアやインドネシアが英蘭の植民地であった時代に隆盛を極めた。英国人やオランダ人といった支配層をサポートし,現地の労働者や商人たちを束ねる仕事をしていたからである。貿易やプランテーション経営で財を成した者もいる。

 

著者は東南アジアを巡り,プラナカンの足跡,子孫たちの現在を明らかにしている。

シンガポール生まれの客家だったリー・フンロンに始まり,リー・チンクン,リー・クアンユー,リー・シェンロンと続く,リー一族。

また,プラナカン最大の慈善家タン・トクセンに始まり,ASEANを創設したタイの外務大臣タナット・コーマンへと続く,華麗なるタン一族。

東南アジアの近代史の,全てではないにしても重要な部分をプラナカンは動かしてきたのだ。

 

日本とプラナカンには深い因縁があるということも本書は伝えている。

シンガポールのプラナカンの黄金時代を終わらせたのは日本軍によるシンガポール占領である。ソチン事件で多くの「華人」が殺された。

「歴史書などではソチン事件の被害者は『華人』とだけ記されている。その多くがプラナカンであったことも知らなければならない。プラナカンが世に生み出した美を愛好し,尊ぶのであれば,日本とプラナカンの歴史に思いをはせることもまた,私たち日本人の責務だと私は考える。」(109ページ)

日本軍占領下のシンガポールについては,フィクションだが当時の切迫した雰囲気を伝えてくれる小説がある。これも読み返したくなった。

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