アウトサイダーが不味くなったら花田サイダーを飲めばいい…『わが花田清輝(上巻)戦前篇』を読む
花田清輝。昭和の作家・文芸評論家。1974年9月に65歳で没した。
令和の世の人々から見ると,はるか昔の人である。
高見順も吉本隆明も忘れられつつある今,彼らと論争した花田清輝という人物を知っている人はいかほどいるだろうか?
かく言う老生も『俳優修業』や『随筆三国志』を読んだ程度(参考)で,花田清輝を語る資格はない。
そんなところに今年2020年,花田清輝の魅力(魔力?)を語ってやまない上下二冊の評伝が現れた。鳥居哲男氏による評伝である。
その上巻,『わが花田清輝〈上巻〉戦前篇―生涯を賭けて、ただ一つの歌を―。』(開山堂出版)を読み終えた。
「アウトサイダーが不味くなったら,花田サイダーを飲めばいい」と嘯いていたほどのエピゴーネン。
そんな著者が書いているのだからただでは済まない。熱量に満ち,疾走感あふれる文章。
上巻のあとがきを見ると,本書は十数年にわたって同人誌に連載されてきた作品であり,一気に書き上げられたものではない。
にもかかわらず,怒涛の勢いで書かれたようなドライブ感がある。
著者の中で蓄積されエネルギー密度の高まった花田への思いが,発表の場を得るたびに,原稿の上を疾駆したからだろう。
困窮の日々,雌伏の時を経たのち,「文化再出発の会」という場を得て,八面六臂の活躍を始めた花田清輝もそんな感じで筆を走らせたのではないか?
どちらも見たわけではないが,そんな風に思う。
本書で面白いのは,謎の多い花田清輝の幼少期に,著者が自分自身の経験を重ね合わせて推測しながら迫っていること。データが無いのなら想像で補う。これこそ文学のアプローチ。
高校時代以降は,小嶋信之ら花田の同級生の証言により花田清輝の言動,人となりが明確になってくる。だが著者は,単に証言によって客観的に花田を描くのではなく,花田の至近に居るかの如く花田を描き出そうとする。
坂口安吾と著者が対話する驚きの展開を見せる前作『風と光と波の幻想―アミターバ坂口安吾〈第1部〉』(参照)ほどではないにしても,この距離ゼロ感覚には驚かされる。マジックリアリズムやフェイクドキュメンタリーの手法だと思う。
さてこれから小休止を挟んで,下巻(戦後編)に移りたい。
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 小池正就『中国のデジタルイノベーション』を読む(2025.01.06)
- 紀蔚然『台北プライベートアイ』を読む(2024.09.20)
- 『ワープする宇宙』|松岡正剛に導かれて読んだ本(2024.08.23)
- Azureの勉強をする本(2024.07.11)
- 『<学知史>から近現代を問い直す』所収の「オカルト史研究」を読む(2024.05.23)
コメント
「わが花田清輝」上巻のご高評をいただき、ひたすら恐縮しております。無遠慮にお願いをしまして、ご迷惑をおかけしたのではないかと心配しておりましたが、いつもの通り、温かい目で、励ましの言葉をいただき、感激いたしました。続いて下巻も目を通していただけるとのこと。本当に勝手な独りよがりのないようになっているものですが、ご無理をなさらず、ゆっくりと、お暇な折に読んでいただいて、また、お言葉をいただければ、幸いに存じます。おかげさまで、いま、坂口安吾の第二部に取り組み始めました。書き上げられるかどうか、心もとない状態にありますが、頑張ろうと決意いたしております。本当に、ありがとうございました。 鳥居哲男拝
投稿: 鳥居哲男 | 2020.12.15 15:27