キム・ヨンソプ『アンコンタクト 非接触の経済学』を読む
2020年8月7日の朝日新聞のインタビュー記事で,ある著名な経営者が言っていた:
「10年間(の変化)が1年間で来たって感じ。時代に合わせて変化していかなければならなかったものが,なかなか変化できなかった結果だと思う」(ファーストリテイリング会長兼社長 柳井正氏)
コロナ禍,そしてレナウンやブルックスブラザースの経営破綻に関して述べたものである。コロナ禍以前からカジュアル化やeコマース化が進んでいた。コロナ禍はそのトレンドを加速しただけ。そして加速したトレンドに乗れなかった企業が経営難に見舞われたのだということである。
コロナ禍によって顕在化したトレンドは他にもある。それが『アンコンタクト』,つまり非対面・非接触というトレンドである。
アンコンタクトは韓製英語。アンタクトとも言う。英語にはもともとコンタクトレスとかコンタクトフリー等の言い回しがあるのだが,あえて「アンコンタクト」という言葉を使っている。
コロナ禍によって強制的に非対面・非接触が進んでいるようにみえるが,これはもともとあった動きである。他人との付き合いによって生じる感情の起伏や葛藤は大きなストレスとなる。避けられるなら避けたい,そういう思いは以前からずっとあったのではないかと著者キム・ヨンソプは言う。
「もしかするとアンコンタクトは,人類にとってかなり古くからある欲求の一つなのかもしれない。…中略… 現代のようにアンコンタクトが技術的,社会的,または産業的に拡大していく環境ならば,もはやアンコンタクトが中心かつ主流になったとしても驚くことではない。」(『アンコンタクト』55ページ)
アンコンタクトが「古くからある欲求の一つなのかもしれない」という憶測は,本書を読み進めるうちに確信へと変わっていく。例えば,飲食文化に関する様々現象について考察した上で,著者はこう記す:
「集団主義的文化という共通点をもつ日本と韓国は,単身世帯の増加と脱集団主義を経て新しい消費とライフトレンドを作り上げ,孤食と一人用飲食店という共通点に行きついた。アンコンタクトは突如として生まれたのではなく,私たちの欲求が長きにわたって蓄積することで登場した現象なのだ。」(『アンコンタクト』73ページ)
在宅勤務/テレワーク,ドライブスルー,来店前に飲み物などを発注しておくサイレンオーダー,深夜に日用品を玄関先に配達するサービス,こういったものはコロナ禍以前から存在し,成長していたが,コロナ禍によって,爆発的に普及した。
「全ての技術はアンコンタクトに向かうといっても過言ではない。私たちは時空間の制約を超え,より円滑で効率的なコンタクトのために,技術的に実現したアンコンタクトを受け入れようとしているのだ」(『アンコンタクト』184~185ページ)
著者はアンコンタクトのトレンドは長期にわたるものであって,デジタルトランスフォーメーション――本書ではコネクテッド(連結),スーパーコネクテッド(超連結)という別の言葉で表現されている――といったICT技術群に支えられて強化されると見ている。
「全てをつなげる超連結とアンコンタクト社会にどんな関係があるのだろうか?一見すると,超連結とアンコンタクトは対義語のように見えるかもしれないが,よく見るとこの二つは同じ方向を目指している。アンコンタクト社会では,人間同士の直接的な接触は減るが,リアルタイムのデータ連結は大幅に増える。オフラインの接触と対面が減るだけで,オンラインの連結,交流,データの連結は激増するのだ」(『アンコンタクト』282ページ)
ということで,新型コロナウイルス感染症が収束しようとしまいと,一度形成されたアンコンタクトのトレンドは変わらないというのが本書の主張である。
老生もその通りだろうと思う。
では,個々の業種でアンコンタクトに対応するためにはどうしたらよいのか。
実は本書は,一部の分野についてはアンコンタクト社会への対応策を実例を挙げて示しているのだが,すべての分野について同じように対応策を示しているわけではない。
例えば,大学教育については
「オンラインの授業を撮影しただけの映像をアップロードしても,オンライン授業にはならない。オンライン授業に合ったコンテンツ構成と教育方式,運営方式,評価方式というものがあるのだ」(『アンコンタクト』154ページ)
というように,急ごしらえのオンライン教育の問題点を明確に指摘しているのだが,問題点の解決は教育界に委ねられている:
「産業構造の変化,アンコンタクト社会への転換は大学の役割について根本的な問題を提起する。」(『アンコンタクト』160ページ)
本書は刺激的かつ示唆に富む本で,ビジネスマンに限らず,様々な分野の人々が読むべき本だろうと思う。
だが,これは指南書ではない。本書の中のデータやファクトを踏まえ,それぞれの業種で,到来しつつあるアンコンタクト社会への対応策を立案していくことが必要だろう。
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