西の『鹿鳴草物語』
現かすみがうら市中志筑に鹿鳴草(かなくさ)という小字があった(千代田村大字中志筑小字鹿鳴草)。
秋の夜、筑波の山の麓で鹿が鳴くという典雅な光景が目に浮かぶようである。
だが、鹿鳴草とは製鉄時の残滓に由来する名だという。
かつて老生が霞ヶ浦のそばに住んでいた頃、地元で出版された鈴木健『鹿鳴草物語 筑波のふもとの製鉄と地名』(筑波書林、1991年)という本を手に入れた。その本には鹿鳴草とたたら製鉄の関係が記されていた。
古代、たたら製鉄時に生じた鉄滓を金糞(かなくそ)と呼んだ。筑波山麓ではたたら製鉄が盛んだったようで、あちこちにその遺跡が見つかっている。そして鉄や鉄滓に由来すると考えられる地名が散見される。
例えば、石岡の鹿の子(かのこ)。金の子(かねのこ)→かなこ→かのこ、というように変じたと考えられる。
また、つくば市の小貝川べりの神社、金村別雷神社。金糞の「クソ」の語をはばかって「マル」と呼び、かなまる→かなむら→かねむらと転じたと考えられる。
そして、鹿鳴草。かなくそ→かなくさと転じた結果だろう。
さて、ここまでは東国の話。
西の方、周防国に同じような地名はないものかと調べると、山口市に金古曽(かなこぞ)という地名がある。
高橋文雄『続・山口県地名考』(山口県地名研究所刊、マツノ書店発売、1979年)には次のような考察がある:
『注進案』に「仁壁神社の広前の加奈古曽は神(カミ)の社(コソ)のことで、神社(カミノコソ)の略、加廼古曽(カノコソ)の訛ったものである」という。俗伝にはカナクソ(金糞)から出たもので、昔一の坂鉱山の鉱石をこの地で精錬し、その鉱滓(金糞)が出たことからというが、これは怪しく、前者であろう。
ということで高橋文雄氏は金糞由来説を一蹴している。だがかつて『鹿鳴草物語』を読んだ者としては、俗伝をこそ支持したい。
金古曽町のすぐそばには椹野川が流れている。椹野川から砂鉄を得て製鉄をしたり、あるいは一の坂銀山(宮野銀山)から得た銀を精錬したのではないかと想像する。近くに遺構が見つかればより有力になるのだが。
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