メイエがエスペラントについて語ったこと
3年ほど前に買ったアントワーヌ・メイエ『ヨーロッパの言語』(西山教行訳,岩波書店,2017年)を斜め読みしている。
社会言語学の先駆的著作だが,フランス人であるメイエならではの偏見があちこちに見られて面白い。少数言語については批判的な態度を取り,ドイツ語に対しては敵意が垣間見られる。
そのメイエが人工言語エスペラント(およびイド語)に対して触れているのが,「第34章 人工語の試み」である。実務的な場面ではエスペラントのような中立性を持ち,学習しやすい言語が役立つだろうとプラスの評価をしている:
「人工語は,国際関係や少なくとも現実生活にとって,これまでになかった便利で簡単な道具となるであろう。」(470頁)
実際にはそうなっておらず,今や英語が凱歌を奏しているというのはご愛敬。
メイエは国際的な場面におけるエスペラントの実用性を評価している一方で,エスペラントに格変化が残っていること(主格と対格があること)には批判を加えている:
「ヨーロッパ東部の人であるザメンホフは,ドイツ語やとりわけスラブ諸語の擬古的用法に嘆かわしい譲歩をした。あらゆるヨーロッパ諸語の傾向は格変化の廃止であるというのに,ザメンホフは主格と目的格の区別を作った。」(461頁)
格変化の廃止! 英語とフランス語には格変化が無い。格変化のあるドイツ語は古臭く,フランス語は先端的で洗練されているという矜持だろうか?
だが,以前本ブログの記事「言語類型は循環的に変化する」で紹介したように,孤立語→膠着語→屈折語→孤立語→…と言語類型が変化するとすれば,一度は格変化を失った言語にも,いずれまた格変化が生じる可能性がある。
あとは単語の作り方についてもこんなことを言っている:
「たとえば『犬』のことを,イタリア語のcaneや,ポルトガル語のca~o,フランス語のchien(形容詞は文語ラテン語からとってcaninとなる),また英語の形容詞canineにならって,エスペラントではkanoと言うべきところを,ドイツ語とスカンディナヴィア語にならって(ちなみに英語ではdogと呼んでいる)kundoと名づけた。……ヨーロッパに共通の語彙は,ギリシア語の影響を強く受けたラテン語にすっかり依拠するものであって,ゲルマン諸語はほぼまったく入らない。」(461~462頁)
やはりここでもドイツ語に対する偏見が登場している。ラテン語の流れをくむフランス語の話者としては,ゲルマン語系統の単語がエスペラントに含まれているのは我慢ならぬことなのだろう。
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