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2020.03.17

『ネパール・チベット珍紀行』読了

12月下旬に広島のアカデミイ書房で買った,ピーター・サマヴィル・ラージ(Peter Somerville-Large)『ネパール・チベット珍紀行 (世界紀冒選書)』(心交社)をようやく読み終えた。いくつもの本を並行して読むとこういうことになる。


著者がダブリン出身のアイルランド人で,いくつもの旅行記を出していることについてはすでに触れた(参考)。

巻末の「訳者あとがき」で大出健は,面白い旅行記の条件として次の二つを挙げている:

  • 発想のユニークさ
  • 著者の態度(心のゆとり)

前者については,ヤクの背に乗ってネパールとチベットを旅しようという発想がとてもユニークであるし,後者については,ひどい宿舎や食事,高山病や寒さ,役人やポーターの態度など,様々な困難に直面しながらも冷静にユーモアを交えながら記しているし,いずれの条件も満たされている。

著者の旅の同行者に20代の女性,フィリッパがいる。中国語が出来るのでチベットの旅では重宝するのだが,勝気であるし,辛辣な事をよく言う。鷹揚な著者とは対照的で,二人のやり取りは面白い。東海道中膝栗毛の弥次喜多のようなものか。

 

本書の前半はネパール国内の話。

著者らはゾプキオック(ゾプキョ)やヤクを連れて,エベレスト周辺のトレッキングに出かける。

ヤクは気まぐれで扱いにくい動物で,時として制御不能となる。例えば,フィリッパがソッドというヤクに乗っていたところ,ソッドが突然走り出してフィリッパを振り落とすという事件もあった。フィリッパを振り落とした後,ソッドはゆうゆうと草を食んでいた。(118~119頁)

 

そして本書の後半はチベットの旅の話。

エベレスト周辺のトレッキングからいったんカトマンズに戻った著者らは,今度はチベットのラサを目指して旅を始める。

タトパニ~ジャンムー間の国境を越え,ポンコツのバンでラサに向かう。しばらくラサに滞在した後,今度はバスやトラックを乗り継いで聖山カイラスへと向かう。これがなかなかの苦難の旅。

著者らはカイラスの麓の街タルチェンに到着。ここでは宿舎の主ドージェや同じ宿に泊まっている日本人研究者・玉村和彦氏と交流を深めた。そしてパリクラマー(Parikrama, 巡礼)に挑戦したりして,3週間過ごす。

カイラスを離れた後,ここも聖地として知られるマナサロワール(मानसरोवर)湖やラカスタル(ラークシャスタール)湖に寄る。

そして南へ向かい,プラン~ヤリ間の国境を越え,ネパールに入る。

チベットにいるときは,その過酷な生活環境のせいで早くネパールに帰りたいと思っていた著者だが,ネパールに向かう帰路ではこんな感慨に浸る:

もちろんそれと同時に,立ち去ることの淋しさも感じていた。どこまでも続く荒野,砂ぼこり,山脈,青い湖,魅力的な人々,カイラスの寒さの中をパリクラマーする巡礼者,鳥に覆われたマナサロワール。わたしは,ドージェが好きだと言っていたタルチェンの冬のことを思った。巡礼者はいなくなり,叔母さんと青いサングラスをかけた叔母さんの友達,それに猫とともに過ごす冬を。ドーム型をしたカイラスに風がうなりをあげて吹きつけ,あたりは一面雪に覆われ,マナサロワール湖もラカス湖もきっと凍りつくことだろう。(345~346頁)

スウェン・ヘディンやハインリヒ・ハラーらと同様に,著者もまた,過酷ではあったが,チベットで過ごした日々を懐かしく感じていた。

著者はヤリからシミコットに移動し,モンスーン前の最後の飛行機でネパールガンジに向かう。そしてネパールガンジから別の飛行機でカトマンズに帰還する。

本書の最後の件(くだり)がとても良い。

カトマンズ・ゲスト・ハウスに戻ると,顎髭が伸びたわたしはダンテのようだとからかわれた。「チベットに行ってきたんですね」わたしが,洗濯をしてくれる男に大きな服の束を渡すと,彼は断言するように言った。「わかりますよ。こんな汚れた服,ここでは見たことがありませんから」(376頁)

 

◆   ◆   ◆

 

他の著書

ピーター・サマヴィル・ラージの著書で訳されたのは本書ぐらいである。他は洋書で見つかる。

 

玉村和彦の著書

サマヴィル・ラージがカイラスの麓で出会った玉村和彦の著書としては以下のようなものがある:


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