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2020.02.17

来迎について

「死戦期もすぎて完全に凪いだ状態までくると,自分を取り囲んでいた闇に光がさしはじめ,四周があかるくひろがってくる。そしてひらけた正面から,父母,亡くなった連れ合い,自分のあやまちでずっと昔に亡くしてしまった幼い子,かつて愛したひと,親交のふかいひとならば仏あるいは自分の神――もっとも親しい仲間があらわれてきて,招き,手を差しのべてよこす。『お迎え』である。」
「ここまでくれば,いのちの果てるときは真近く,老いた生きものとしての人間の生命はこうして尽きるけれども,手をさしのべてよこした親しい仲間と一緒になろうと前へ踏みだしていくとき,人間としての人間の生涯はこれで完結することになるのである。」
「生涯の最後に臨んでも,私たちは連れとともに光をめざす存在のように見える。」

精神病理学者・島崎敏樹の晩年の書,『生きるとは何か』(岩波新書,1974年)の末尾(210~211頁)を飾る一節である。

本ブログを始めて1年と少し経った頃だったろうか,「死を覚えよ(1) 良く死ぬことは可能か?」(2006年2月21日)という記事を書いた。その記事では「私が死んでしまうのが恐ろしい。」と記した。

それから幾星霜。今の心境はどうかというと,死ぬことはやはり恐ろしいと思っている。しかしながら,先日愛猫おこまを亡くしたことにより,少しばかり心境に変化が生じている。

冒頭に引用したように,一人で最後の旅に出る際,自らが生み出した幻覚であるか,超越者の計らいであるかはさておき,親しい仲間と再開するのが通例のようである。

とすれば,老生の場合,幸いにもツマも両親も妹も健在であるが,今死んだとしても,少なくとも愛猫おこま嬢が待っていてくれるのではないかという身勝手ながらも淡い期待がある。

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