殯(もがり)について
川村邦光『弔いの文化史 - 日本人の鎮魂の形』(中公新書,2015年8月25日)を読んでいる。
同書第1章「鎮魂(タマフリ/タマシヅメ)とは何か――折口信夫の鎮魂論」では,折口信夫の説を引きながら古代の殯(もがり)について論じているのだが,それがつい2週間前,おこまの死に直面した老生らの行動に通じるものがあったのでここに記したい。
殯(もがり)というのは古代の葬送儀礼で,「死者」が息絶えてから埋葬されるまでの間,「死者」の身体を喪屋に安置し,親族が「死者」に対して鎮魂などを行う儀礼のことである。
ここで今,「死者」と鍵括弧つきで表記したがこれが重要である。古代の考え(現代でもそうだといえるが)では息絶えただけでは死は確定しない。「死者」と書いたのは仮の死の状態,もしくは生死の境に置かれた者のことである。
折口によれば殯(もがり)とは「仮の喪」の意である。この言葉の意味からも,殯は生死の境にある者に対する儀礼であることがわかる。
では,殯における鎮魂とは何か?
これはまず初めにタマフリである。タマフリとは外に出ている魂を招くことを言う。魂とは生命力=マナである。マナが外に出てしまった状態の身体は萎(しな)びる。これも折口説だが,死ぬ(sin-u)と萎ふ(sin-afu)は同根の動詞である。
殯の間,親族がタマフリをすることによって,「死者」の魂をその身体に呼び寄せようとする。これが成功すれば,「死者」は甦る。
しかし,タマフリによる蘇生が成功しない場合はどうなるか?「死者」が鍵括弧の外れた死者となる。死者となった表徴として身体に変化が見られるようになる。
死者となって以降は第2の鎮魂,タマシヅメが始まる。遊離した魂が荒れないように鎮める作業である。
――以上が『弔いの文化史』に記された殯の概要だが,おこまが死んだ夜から荼毘に付すまでの間のことを思い出すと,意図せずしてこの殯をやっていたのだと思わざるを得ない。
――おこまが逝った夜,その身体が痛まぬよう,敷毛布の下・掛毛布の上に保冷剤を並べて安置した。
そして,眠っているかのようなおこまの顔を眺めたり,頭を撫でたりしながら,その横で老生は寝た。
心肺蘇生を行っていただいた獣医師によって死が確認されているにもかかわらず,ひょっとしたら目を覚ますのではないかと期待しながら。
翌日は天が泣いているかのような大雨。保冷剤を入れ替えながら,夫婦でおこまに声をかけたり,なでてあげたりしていたのは,おこまに対する鎮魂だったのだろう。
その晩,夫婦ともどもおこまと過ごした。
明けて翌日,晴天となった。先に記したようにおこまを花で飾り,午後,山口動物霊園で荼毘に付した。
わずか3日間のことではあるが,今にして思えば,これがわが家の殯だった。
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