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2019.12.22

ロヘナ・ゲラ監督『あなたの名前を呼べたなら』を見てきた

今回はYCAMではなくて,西京シネクラブ12月例会でインド映画,ロヘナ・ゲラ監督『あなたの名前を呼べたなら』を見てきた。 

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インド屈指の大都市,ムンバイが舞台。

農村出身のメイド,ラトナは建築会社の御曹司アシュヴィンの豪華タワーマンションに住み込みで働いている。

ラトナは結婚してわずか4か月で夫を亡くし,19歳で未亡人となった。口減らしのため,都会に出てきた。ファッション・デザイナーになる夢を持っているが,毎月4000ルピーを実家に仕送りしなくてはならない。

アシュヴィンはアメリカに留学していたのだが,兄が死去し,家業を手伝わなくてはいけなくなったためムンバイに戻ってきた。サビナという婚約者がいたが,サビナの浮気が発覚して結婚の話は無しに。

傷心を抱えたまま広すぎるマンションで暮らすアシュヴィンに気遣いながら世話をするラトナ。ラトナが縫製学校に通うのを見守るアシュヴィン。身分の違う二人の気持ちはだんだんと近づいていく…。

 

 

身分の差によって二人が引き裂かれていく悲劇でもなく,また,身分の差を乗り越えて愛を成就させるおとぎ話でもない。いまだに身分差別が残るインド社会の中で,女性が自立を目指して一歩踏み出す話である。

原題は"Sir"である。日本人だとピンとこないし,米国人でも単なる呼びかけの形式的な尊敬の言葉にすぎない。だがインド社会においては「旦那様」という重みを持つ言葉であり,ラトナとアシュヴィンの距離感を示している。ラトナはアシュヴィンをその名で呼ぶことができるのか?

ついでの話である。アシュヴィンは家族や友達と話すときは英語で話している。これに対して,ラトナやそのほかの使用人たちはヒンディー語やマラーティー語で話している。階級差と言葉の違い,というのも日本人があまり体験しない社会現象である。

 

本作はロヘナ・ゲラ監督の初の長編作品。監督へのインタビューがYouTubeに出ていたので紹介する:

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