総統の顔|池内紀『ヒトラーの時代』「顔の行方」
去る8月30日に「池内紀『ヒトラーの時代』を読む」という記事を書いたのだが,奇しくもその日に著者はこの世を去ったのだった。『ヒトラーの時代』は池内紀の白鳥の歌となった。
この本の記述に対する批判があることは知っている。小生などは「ジュタリーン文字」に関する記述はもう少し直した方がよいと思っているのだが,この本全体の基調,すなわちヒトラーを支持していた時代の雰囲気を伝えようとする姿勢には共感を覚える。
さて,この本で小生が最も気に入った章は「顔の行方」の章である。
ヒトラーの顔といえば,ハインリヒ・ホフマンが1939年に撮影した肖像が「公式」のイメージだろう。
しかし,この章では,ヒトラーらしからぬヒトラーの肖像が2つ紹介されている。そのうち,画家クラウス・リヒターが1941年に描いた「総統の顔」は「蝋人形のような顔,焦点の定まらない目,半開きの口」(248頁)であって,様々な写真を通してヒトラーの顔を知っているはずの我々に衝撃を与える。
ふと思ったのだが,映画『ヒトラー 〜最期の12日間〜』でブルーノ・ガンツが演じたヒトラーは,「公式」の肖像画に比べると,あまり似ていなかった。
しかし,クラウス・リヒターの「総統の顔」はブルーノ・ガンツが演じたヒトラー,第三帝国崩壊寸前の憔悴しきった総統の顔を彷彿とさせるものだった。
クラウス・リヒターは対象とする人物のある瞬間のある一面を切り出すのに成功したのかもしれない。彼の作品はベルリンのドイツ歴史資料館に展示されているという。
そういえば,動画で見るヒトラーの顔と,公式の肖像画の顔とはまた違うように見える。写真同士を比べてもなんか一定しない。そもそも一般の人々の顔だって,写真や動画を見たときに「えっこんな顔だっけ?」となることは大いにある。
著者が言うように,「われわれはヒトラーの顔を知らない」のだろう。
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