デ・アミーチス『クオーレ』:「母を訪ねて三千里」はこの本の一節だった
つい最近,岩波文庫にデ・アミーチス『クオーレ』が入ったので購入した。クオーレ(cuore)というのは心という意味。
イタリアの小学三年生の男の子,エンリーコが書いた日記,という体裁の物語である。
エンリーコ少年自身の日記,先生が生徒に清書させた「今月のお話」,そして家族のコメント,という3つの形式の文章が互い違いに登場する。
そして5月の「今月のお話」として登場するのが,かの有名な物語,「母を訪ねて三千里―アペニン山脈からアンデス山脈まで」である。
1976年1月から1年にわたって放映されたアニメーション,「世界名作劇場 母を訪ねて三千里」の原作は,本書の一節だったのである。分量にして58ページ。中編小説ぐらい。これを30分×52回のアニメーションに拡大したスタッフの技量には脱帽する。
今では信じられないが,かつてのアルゼンチンは先進国にして経済大国だった。貧しいイタリアの人々は光り輝くブエノスアイレスへと引き寄せられていった。
ジェノヴァの少年,マルコの一家も貧しかった。マルコの母親は家庭を困窮から救い出そうと,住み込みの家政婦としてブエノスアイレスに出稼ぎに行くことにした。
はじめは母親からの仕送りが順調に届いており,マルコの家の経済状態は改善に向かっていった。しかし,あるとき母親からの連絡も送金も途絶えてしまった。
マルコの父親や兄は母親のことが心配だったが,仕事を抱えているため,様子を見るためにアルゼンチンに渡ることができない。そこで,まだ13歳だったマルコが母親の様子を見に行くことにした。こうしてイタリアからアルゼンチンに至る長い長い旅が始まる。
ジェノヴァを出発したマルコは苦労して大西洋を横断し,ブエノスアイレスに到着したものの,そこには母親はいなかった。ここから母の軌跡を追って,コルドバ,トゥクマン,そしてその先へと長く困難な旅が続く。果たして,マルコは母親に再会することができるのだろうか?
・・・というのが「母を訪ねて三千里―アペニン山脈からアンデス山脈まで」のあらすじ。
ちなみにマルコは終始一人で旅を続けており,「世界名作劇場」に出てきたアメデオ(サル)のような相棒(ペット)はいない。不安にさいなまれ,孤独に襲われながら,そして靴はボロボロ,足から血を流しながらの旅を続ける。
マルコの容姿について,ほんの一か所だけ記載がある:
「紳士は,ジェノヴァからやってきたちいさな船乗りみたいだな,と,その金髪とわし鼻を,しばらく好ましげに見ていたが・・・」(361~362ページ)
ということで,マルコはわし鼻である。イタリア人ですから。
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コメント
力業の邦訳タイトル、うまい人がやると本当に良いですよね。
"Dagli Appennini alle Ande" 『母をたずねて三千里』
"Little Women" 『若草物語』
"Wuthering Heights" 『嵐が丘』
などなど…
投稿: 拾伍谷 | 2019.07.31 01:42
そういえば,"Les Misérables"を『噫無情(ああむじょう)』としたのは黒岩涙香でしたっけ。
洋画の邦題について言えば,原題からずいぶん乖離したものになるのは今も昔も変わりませんね。"Out of Africa"が『愛と悲しみの果てに』になった例とか。
投稿: fukunan | 2019.08.03 00:57
涙香ですね。『幽霊塔』『巌窟王』と三文字タイトルがヒットの秘訣だったのでしょうか…
楽曲の翻訳タイトルもダメなのがいろいろある中で、うまいのに巡り合うことも。『魔弾の射手』は"Der Freischütz"をほぼ意味通りに訳したものですが、「マダンノシャシュ」という音がとても良いと思ったりします。
投稿: 拾伍谷 | 2019.08.07 02:34