明代は宋代・元代の低俗なイミテーション・・・だとか
福井憲彦ら『興亡の世界史 人類はどこへ行くのか』(講談社学術文庫)を読み直しているのだが,改めて読むと興味深い用語・概念・主張があちこちに見られる。「二度の出アフリカ」とか,紛争解決に関するアフリカの知恵「真実和解委員会方式」とか,「エクメネ」とか,「口(ニア―)オセアニアと奥(リモート)オセアニア」とか,「自己家畜化」とか。
で,ここで取り上げたいのは同書所収の杉山正明による論考「世界史はこれから 日本発の歴史像を目指して」の文中に登場したこの言葉:
「明代後半は宋元文化のかなり低俗なイミテーションであったことも,『東アジア』を論ずるさいの基礎である。」(『興亡の世界史 人類はどこに行くのか』45ページ)
そういえば,似たようなことを宮崎市定が言っていたと思い,宮崎市定『中国史(下)』(岩波文庫)を開いてみたらやっぱりあった:
「明の歴史はそれ以前,特に宋の歴史の繰り返しになる部分が多い。」(『中国史(下)』170ページ)
明代は宋代の繰り返し。なおかつ,生命軽視の傾向が強かった元代の悪い影響を受けたため,明代では簡単に政治家・官僚の生命が奪われる傾向があった。これは言論によって士大夫階級が死罪になることがなかった宋代にくらべ著しく劣っている点である。
「明代の人民は,宋代の人民よりも不幸であったと思われる。歴史は常に時間とともに進歩するとは限らない。特に歴史の繰り返しが行われる場合,模倣は原形よりも劣る場合が多いのである。」(『中国史(下)』195ページ)
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