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2019.06.03

マクタガート『時間の非実在性』を読む

いつものことだが,海外出張時には行く先と関係のない本を携えていく。

今回はこれ,マクタガート著・永井均訳&注解&論評『時間の非実在性』 (講談社学術文庫)である。

マクタガートの文だけでは理解は難しく,永井均氏の注解があって初めて少し理解できるようになる。

 

時間上の位置,つまり時点の区別の仕方として,マクタガートは2つの系列を示す。一つは

「より前とより後」というB系列

で,もう一つは

「過去,現在,未来」というA系列

である。B系列は出来事がズラーっと並んだ年表のようなもので,出来事同士,あるいは時点同士の永続的な相対的関係である。

これに対して,A系列は出来事や時点がそれ自体で持つ特性で変化する。どういうことかというと,ある出来事は,未来の出来事から現在の出来事になり,そして過去の出来事となる。このような変化をA変化という。

このような捉え方はわりと常識的な捉え方なのであるが,マクタガートは,

A系列が時間の本質

だと考えており,そして,

A系列が錯覚であって実在しないのであれば,時間も実在しない

と主張するわけである。本書でマクタガートはこの論証を行って,時間は実在しないということを結論付ける。

実は本書の中で,あとからC系列という,時間的な関係性を持たないが,しかし順序は持っているという出来事の集合が登場する。このC系列にA系列が結合することによって時間が生じるという。

また,A系列の実在は否定されるものの,C系列の実在性は否定されない。

 

ここで,思い出したのが,グレッグ・イーガンの『順列都市』である。

以前(13年も前だ),「主観的宇宙論」という記事の中でこの本を紹介した。そのとき,『順列都市』では,コンピュータ上にダウンロード(アップロード?)された人格が世界をどのように認識しているかということが、重要な話題となっている,と述べた。

この認識の仕方は「塵理論」と呼ばれるのだが,無秩序の中に秩序を見出すこと自体が意識の発生だ,というのが塵理論の柱である。無秩序に集められた文字の中から単語を探し出すようなイメージ。

C系列が存在し,錯覚にすぎないにせよA系列のようなやり方でしか時間を把握できないというのが,我々の意識の仕組みだといえるのではなかろうかと,マクタガートに触発されつつグレッグ・イーガンを思い出した。

 

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