宮内橋を確認してきた
越中小幡氏の始祖とも言えるのが,小幡宮内長次(おばたくないながつぐ)である。微妙(みみょう)公=前田利常に仕え,家老,金沢城代を歴任。禄高は10,950石に達したーーというのは以前書いた(参照)。
宮内長次の次が宮内長治,その次が宮内立信である。 というわけで加賀の歴史上,小幡宮内という人は3人いる。
この小幡宮内さんたちがどこに住んでいたかというと,今の金沢市役所のあたりである。
「延宝年間金沢城下図」というとても有名な地図があるのだが,これもありがたいことに金沢市画像オープンデータで公開されている。この図に小幡宮内宅をプロットしてみた:
※小幡宮内さんの下屋敷と,親戚にあたる小幡右京さん宅と,上州小幡氏の小幡七郎兵衛さん宅も一緒にプロットした。
小幡宮内さんの家はこのように栄華を誇っていたわけだが,宝永3年に立信が事件を起こして改易(参照)。屋敷は取り上げられてしまうわけである。
今,小幡宮内邸の名残はほとんど残っていない。わずかに小幡宮内邸の近くにあった橋が宮内橋として残っているだけである:
ということで,今回,宮内橋を確認してきたわけである。
これ(↓)が宮内橋である。堀(惣構という)の上に掛かっている:
なんと金文字で宮内橋と記されている。
この広大な金沢市役所の土地がかつて小幡宮内邸だったと知る人はそれほど多くないだろう。
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