クライド・B・クレイスン『チベットから来た男』を読む
平成から令和に代わる頃,大阪の「ジュリアナ東京」で荒木師匠が踊るのをNHKが中継するというめでたくもシュールな映像を横目で見つつ,読み終えたのがこの本,クライド・B・クレイスン『チベットから来た男』(門倉洸太郎訳,世界探偵小説全集(22),国書刊行会)である。
推理小説はあまり読まないが,タイトルにチベットという単語が入っていたがために手を出した。書かれたのは1938年。日中戦争中,そして欧州では大戦の気配が迫っていた頃である。
【あらすじ】 シカゴの大富豪メリウェザーはチベットの仏教美術と古文書のコレクターだった。ある日,メリウェザーのもとに日系アメリカ人技師レフナーが現れる。チベットから持ち帰った秘伝書を売りたいというのである。メリウェザーは秘伝書を買い取るが,その晩,レフナーはホテルで何者かに殺害される。続いてメリウェザーのもとに秘伝書を探すチベットのラマが現れる。メリウェザーはラマを迎え入れるものの,秘伝書の返還を拒む。そして数日経ち,メリウェザーは密室状態のコレクションルームの中で怪死する。2つの怪死事件は関係あるのか?そして秘伝書にはいったいどんな謎が隠されているのか?
謎に挑むのはウェストボローという70歳前後の歴史学者である。専門はローマ史だが,世界の文化と歴史について広い知識を持っている。それなりの教養を持つアメリカ人でないと,このような東洋趣味漂う事件の謎解きはできない。
◆ ◆ ◆
戦前のアメリカ人が書いた東洋趣味の推理小説ということで,チベットやチベット仏教についてデタラメの記述があるのではないかと思ったが,わりとまともで安心した。
というか,クレイスンはこの推理小説を書く前に,川口慧海『西蔵旅行記』,エリノア・ラティモア『トルキスタンの再会』,フランシス・ヤングハズバンド卿『インドとチベット』,キングドンウォード『青いケシの咲く大地』等々,数十冊ものチベット関連書籍を読破しており(冒頭にそのブックリストが紹介されている),チベットに対する造詣の深さたるや,生半可なものではない。
よくよく考えたら,この小説が書かれたころは,ジェイムス・ヒルトンが『失われた地平線』(1933年)で理想郷シャングリラを描き,それに触発されたヒムラーがエルンスト・シェーファー率いる科学探検隊をチベットに派遣した時代である。チベットについて語るのが一部の人々の間ではブームだったのかもしれない。
さて,クレイスンがチベットに関して造詣深いとはいえ,パドマサンバヴァやボン教に関する記述については「あれっ?」と思うところが散見される。まあ,エンターテイメント小説なので,そこはあまり突っ込まないことに。
あと,間違いではないが,コレクションルームに陳列されている,緑のドルマ(救度仏母)像については,緑のターラーと書いてくれた方が一般にはわかりやすいような気がした。
ちなみにターラー像にはいろいろなカラーバリエーションがあって,メジャーなところは白と緑である。小生が所有し,拝んでいるのは白ターラーである(↓)
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