藍鼎元著・宮崎市定訳『鹿洲公案』を読む
藍鼎元(lan2 ding3 yuan2)著『鹿洲公案―清朝地方裁判官の記録』(東洋文庫 92)を読んだ。訳は中国史の泰斗,宮崎市定。
藍鼎元(雅号は鹿洲)は福建省の人で,1680(康煕19)年に生まれ,1733(雍正11)年に没した。
藍鼎元が広東省潮陽県の知事を務めた2年間に扱った民事・刑事事件の裁判記録がこの『鹿洲公案』である。ちなみに近代以前の中国では知事が司法官と行政官を務める。町奉行みたいなものである。
中国の裁判モノとしては以前紹介した『棠陰比事』(参考)が有名だが,それがいろいろな裁判官による事例のアンソロジーであるのに対し,本書は一人の官僚による裁判事例集であり,この人の人柄,考え方がよくわかる。
官僚には遵法精神が要求されるが,現場では法の適度な運用が必要である。藍鼎元はその塩梅をよくわかっており,それゆえに名知事と評される。
藍鼎元がしばしば直面するのが納税拒否の問題である。単に遵法ということであれば,税の滞納者を捕縛し,厳罰に処せばよい。しかし行政官としては,税を納めさせることが主であって,処罰するかしないかは従である。藍鼎元は低姿勢に出たり,強硬姿勢を示したり,硬軟使い分けて税の回収を成功させる。
他の民事裁判などにおいても同様で,問題の解決を優先し,処罰については穏便に済ませることが多い。
近代以前の中国の政治において重要だったのは「輿論」と「官場」だった。輿論とは,現在の世論,つまり市民一般の意向ということではなく,知識階級(読書人,つまり学生や生員や郷紳なとと称される人々。指導者層と言ってよい)の意向である。また,官場とは官界の雰囲気のことである。官場にうまく順応し,輿論を味方につけなくては政治はうまくいかない。
本書の初めの方で,北宋の政治家王安石が政治改革を目指したものの,官場の支持を得られずに空回りに終わった事例が他山の石として引用されている。
藍鼎元の場合は,任地の官場に適応し,潮陽県の輿論を上手く誘導し,統治を成功させ,雍正帝の期待に応えることができた。後に広州府知府に抜擢されたものの,任地で客死した。子孫は台湾に移り,現在,台湾屏東県里港郷に藍氏の旧宅・藍家古〓(lan2 jia1 gu3 cuo4)が残っている。
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