文化は植物,文明は動物
文化と文明の違いについて考えている。
結論的には文化は植物,文明は動物に例えることができそうだ。
参考になったのは以前紹介した,青木正規『人類文明の黎明と暮れ方』(講談社学術文庫)と,先日読んだ,桜井由躬雄『緑色の野帖』(めこん)である。
青木正規は『人類文明の黎明と暮れ方』でこう書いてある:
文化は何かといえば,「その地域や時代の環境に人々が適応するための方法もしくは戦略である」と定義することができる。(23頁)
文化は環境適応のための方法であり戦略であるといったが,その環境適応への努力から解放された段階を「文明」と呼べるのではないだろうか。(24頁)
そして桜井由躬雄は『緑色の野帖』でこう書いている:
文化はそれぞれの自然の環境の中で,その環境を利用し,その環境に適応した人々の生活要素が集積され,伝承されたものだ。(10頁)
文明はもともとは文化の中で生まれたものだが,環境をこえて伝播する能力をもった生活様式だ。(10頁)
両者はほぼ同じことを言っている。
文化は地域に根付く,そして文明は越境すると。
文化も文明もある条件下でしか生存できないものであるが,地域に密着している度合い,移動のスピードによって,植物または動物に分類しうると思う。
栽培と文化がともに"culture"であることを思い出そう。文化を植物と切り離して語ることはできない。
以前,本ブログ1001回目の記事として「日本の農耕文化の起源:ニジェール河畔からのはるかな旅」というのを書いた。
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なんだ,文化だって移動するじゃないか,と思うだろう。
その通り。環境に適応していれば,文化は植物と同じように(というか植物とともに)移植可能だ。だが,環境が適合する限りにおいて。
これに対して文明に対する環境の制約は緩やかだ。かつてリビアに生まれたイエネコが穀物と書籍の番人として世界中に広がったように,動物たる文明は人々の求めに応じて越境し広がる。
われわれはいま,「現代文明」という人類史上初の単独の文明に統合されつつある。
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