蓮實重彦『帝国の陰謀』を読む
企業に勤めていた頃,「1文75文字以内」という不文律があった。伝達のためには文を短く,ということである。その基準に照らせば不合格であるにもかかわらず,蓮實重彦の長々しい文章はきわめて明晰で達意の目的を果たしている。
しかも,この『帝国の陰謀』(ちくま学芸文庫)たるや,著者が「パンフレット」と呼んでいるように,手軽に読めるものとなっている。
本書は1991年9月に日本文芸社から刊行され,昨年2018年の暮れにちくま学芸文庫に入った。
鹿島茂の『怪帝ナポレオン三世 第二帝政全史』(講談社学術文庫)を既に読んでいる(参照)小生としては,その葬儀にフランスの労働者代表団も参列したという「評価されざる偉大な皇帝」(by 鹿島茂)ナポレオン三世をもうちょっと持ち上げても良いのではないかと思うのだが,本書は『怪帝ナポレオン三世』が世に出る前に書かれた本であるし,また本書はナポレオン三世に焦点を当てた本ではないので,まあ仕方がない。
本書はナポレオン三世の権力奪取を演出した<義弟>ド・モルニーに焦点を当て,「形式」が「現実」を作る近代の到来について語る文化的かつ政治的な「パンフレット」である。
「形式」と「現実」の関係性については,孔子の頃から「名実論」として議論が展開され来たわけだが,ここで特筆すべきことは,近代とは,「形式」や「名前」の流通が「現実」を作る時代であるということのみならず,その「現実」たるや希薄でいかがわしいものであるということである。
玉ねぎの皮をめくったらまた皮が出てきたような。アクションがあるだけで,サブスタンスが無いような。
著者は第二帝政を
「いかがわしくも希薄な,だが執拗に維持される権力の支配形態」(『帝国の陰謀』133頁)
と評するのだが,社会・経済・政治・文化における様々な事象のいかがわしさと希薄さは,現代にいたって更にそれらの度合いを増しているのではないかと思う。
ネットで評判,と言うだけで,有名人になるような。
平均株価や統計値といった数字に一喜一憂するのみならず,その数字たるや根拠があいまいだというような。
著者は文庫版のあとがきにおいて
「新たに読者となられるだろう男女――できれば,若い――にどのように受け止められるか」(147頁)
と述べるが,この本が今,ちくま学芸文庫で出ることは非常に時宜を得ている。
蛇足だが,本書はマルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』への異議申立書でもある。
マルクスはド・モルニーを見落としたし,それより何より,「1851年12月2日のクーデター」はフランス革命の戯画ではなく,1861年に初演されたオペレッタ『シューフルーリ氏,今夜は在宅』(つまり未来の戯曲)の忠実な実演であるという主張にはあっと言わざるを得ない。
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