難解な詩に取り組む
マラルメにしようか,クァジーモドにしようか,と岩波文庫の棚を彷徨っていたときに,なにかが閃いて那珂太郎編『西脇順三郎詩集』を手に取ってしまった。これが運の尽き。
どれもこれも相当な知識がないと読み解けない難解な詩なのである。巻末の編者の解説によれば,日本の「文壇」からは「西脇は胡散臭い難解な詩人」として受け取られてきたらしい。だいたい,卒論をラテン語で書いて提出した,という逸話があるぐらいの人物である。
だが,謎があればチャレンジしたくなるのが世の習いである。先賢の知恵と知識を借りつつ少しずつ読み解いている。
巻頭に収められた「ギリシア的抒情詩」のひとつ,「雨」は次のような詩句によって始まる:
南風は柔い女神をもたらした。
青銅をぬらした,噴水をぬらした,
ツバメの羽と黄金の毛をぬらした,
……
ここで,「南風と女神にはどんな関連があるのか?」「なぜツバメの羽なのか?」というような疑問が生じるが,そのあたりは,"Barbaoi!"というギリシア語研究サイトの「[補説]ギリシア詩から西脇順三郎を読む 西脇順三郎の「雨」」という記事の中で研究されている。
その記事では,ギリシアの詩人の詩想を掻き立てるのは,西風(Zephyros)であることが述べられているし,また東西南北の風は神格を持っているとはいえ,女神をもたらすほどの権威はないということだし,かえって南風と女神の関連についての疑問が深まる。
ツバメに関しては「南風」を「西風」と読み替えると謎が解ける。「西風」は渡り鳥を連れてくるため,ギリシアでは「鳥風」とも言うらしい。渡り鳥といえばツバメである。
以上の"Barbaoi!"からの知識をもとに考え直してみる。
日本においては地域によっては,春の南風と雨とが結びつけられたことわざがある。また,ツバメは夏鳥に区分され,春から夏にかけて南方から日本に渡来し,秋に日本を離れまた南方で越冬する。こうしたことを考えると,「ギリシア的抒情」と言いつつ,日本の情景をギリシアに置き換えて描いた詩のようにも考えられる。
と,ここまで考えて,"Barbaoi!"の記事を再読すると,こう書いてあった:
「いずれにしても,ギリシアの詩の西風を,日本人の馴染みの南風に変えることによって,西脇順三郎の詩「雨」は,日本的情緒と西洋趣味とを融合したみごとな詩になったと言えよう。」
やっぱりそうか。
『西脇順三郎詩集』所収の「紙芝居 Shylockiade」もなかなか手ごわい。
シェイクスピア『ヴェニスの商人』の後日譚のような詩である。つまり,『ヴェニスの商人』のストーリーを知らないと鑑賞できない。ただし,この詩では,シャイロック(シアイロツク)はアントーニオを殺し,娘ジェシカ(ヂエスイカ)とともに地中海を越えてカルタゴに逃げ延びている。
この詩には「北方人サスペールは我が歴史を誤るものである」という詩句が登場するが,「サスペールって誰?」という疑問が生じる。
ここで役立ったのが,明治学院大学言語文化研究所の紀要「言語文化」である。「言語文化19号」(2002年3月)には米タフツ大学のホセア・ヒラタによる「西脇順三郎の詩と翻訳」という記事が掲載されているが,これを読むと,「サスペール」とは"Saxpere"であり,古い文献におけるシェイクスピアの綴り字であることがわかる。つまり,
シェイクスピアの『ヴェニスの商人』は嘘っぱち,シャイロックはここにこうして生き延びている,
という詩だということがわかるのである。
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 小池正就『中国のデジタルイノベーション』を読む(2025.01.06)
- 紀蔚然『台北プライベートアイ』を読む(2024.09.20)
- 『ワープする宇宙』|松岡正剛に導かれて読んだ本(2024.08.23)
- Azureの勉強をする本(2024.07.11)
- 『<学知史>から近現代を問い直す』所収の「オカルト史研究」を読む(2024.05.23)
コメント