篠田仙果『鹿児島戦争記』を読む:内戦報道のエンターテイメント化
先月,岩波文庫に入った篠田仙果『鹿児島戦争記――実録 西南戦争』を読んでいる。ちょうど,「西郷どん」も最終章,西南戦争というクライマックスを迎えようとしているので,タイムリー。
西南戦争中に報じられた内容を絵入り読み物としてまとめ直した本であり,当時の西南戦争の伝え方がわかるのが面白い。
著者の篠田仙果(本名:久治郎,別号:笠亭仙果,天保8(1837)年~明治17(1884)年)はもともと江戸の戯作者であるから,薩摩士族への思い入れは全然無く,悲壮な反乱を,娯楽軍記物として描いている。幕末維新ファンが卒倒しそう。
維新を支えた西国の士族階級への思い入れの無さは次のような文章に現れている:
「つらつら西国各県下の士族の風を考(かんがう)るに,文明開化の何ものたるを知らざる者多きに似たり。されば,ややともすれば暴徒あり。すでに鹿児島生徒らが暴なる所業を聞(きく)よりも,熊本士族の内,百四,五十人申合せ,同所花岡山へ屯集し,また甘木町などにも蟻集なす者あり……。」(19頁)
新聞報道を基にしており,現地取材など全然していないので,地名の間違いなども多く,無責任な感じがぬぐえない本だが,それでも当時の人々には大うけだったようだ。ほとんどの庶民にとって,内乱の報道は娯楽に過ぎなかった。
同じ庶民とはいっても,九州各地の人々は苦汁を飲まされていた。薩軍が押し寄せた熊本城下は大混乱。ところが,篠田仙果の筆にかかると,その状況は面白おかしくなってしまう:
「人民各(おのおの)虚魯(きょろ)つきて,鉄砲玉の御馳走とは難儀千万,それ逃出せというままに,若きは老(おい)を背に負えば,母は泣子(なくこ)を手をひきつつ,片手に提(さげ)るきれづつみ,包みかねたる皿さ鉢,音も瓦落(がら)めく人力車,その混雑大かたならず。」(33頁)
あらためて書くが,当時の多くの人々にとって士族の反乱なんて戦国時代の合戦と同列のものだったに違いない。
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