戊辰丁丑十年戦争:異説明治維新
山口などでは維新150年ということが多いが,奥羽越各地では戊辰150年である。
いわゆる明治維新を「新しい日本の夜明け」などと能天気に喜ぶわけにはいかない。
明治に入ってからも政治・財政・軍事制度は整わず,国内は不穏な空気に満ちていた。御一新などと言いつつ,キリスト教徒への弾圧などの旧弊も続いていた。
明治10年の西南戦争を経て,木戸,西郷,大久保の三人が冥界に送り出された後,ようやく日本は統一国家の体を成し,近代化への歩みを再開したといえるだろう。
いま「近代化の再開」といったが,後装式銃,蒸気船など近代テクノロジーの導入を近代化というのであれば,それらはすでに幕末から始まっていたし,政治システムの改革は幕府主導で進められていたから,「近代化の再開」というのである。
戊辰戦争から西南戦争に至る10年間は,国政の主導権が幕府から新政府に移ることによって生じた混乱の時代であり,この混乱を干支をとって,「戊辰丁丑十年戦争」と呼んでも良いのではなかろうか。
ちなみに,戊辰戦争の死者は諸説あるものの,幕府・新政府軍あわせて8400名ぐらいだと言われている。これに対して,西南戦争は政府軍・薩摩士族あわせて13200名であり,死者の規模では戊辰戦争を上回る。
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