インド化,パーリ化,イスラーム化
桐山昇・栗原浩英・根本敬『東南アジアの歴史―人・物・文化の交流史』 (有斐閣アルマ)によると,1970年代半ばまでは,東南アジア史における定説としてジョルジュ・セデスの「インド化」論が紹介されていたということである。
当時の東南アジア史観は,他律史観だった。東南アジアの国々はインドと中国の影響下で成立したものとみなされていたのである。
インド化論では,次のインド文明起源の5要素が紀元後に組織的に受容されて,東南アジア古代国家が生まれたのだという:
だが,1970年代以降,東南アジア刻文史料(ようするに碑文),中国の漢文史料,交易商人たちによるアラビア語史料の研究が進み,インド化論が揺らぎ始めた。
そもそも,東南アジアではカースト制度が実質的には入ってこなかったし,インドに比べて伝統的に女性の地位が高いし,インドシナ半島に広がっている仏教は上座仏教(テーラワーダ)なので,インド化による説明には無理がある。
そこで,今では,次のような歴史的展開の説明が行われている。
第1段階 紀元前後: 域内交易による繁栄と古代国家形成
第2段階 4~5世紀: 在地有力者によるインド文明起源5要素の自発的選択的受容
第3段階(Aコース) 11世紀~: 大陸部(インドシナ半島)における「パーリ化」
第3段階(Bコース) 13世紀~: 島嶼部における「イスラーム化」
第2段階がセデスの言うインド化にあたるわけだが,「自発的選択的」というあたりが非常に大事である。東南アジアの国々はインド文明の必要な部分だけ取り入れて,さらにそれをアレンジしていった。例えば,時代は違うが,クメール帝国ではシヴァ神とヴィシュヌ神を合成して,ハリハラ神という神を生み出し,崇拝した。ヒンドゥー教が厳密に入っていったのであれば,こんなアレンジはなかっただろう。
第3段階(Aコース)で言うパーリ化とは,国家が次のようにスリランカ伝来の上座仏教を受け入れることを言う:
- 上座仏教の受容
- 仏教的王権概念の採用
- 上座仏教経典に依拠した王権神話の創作
- パーリ語成文法の編纂
- パーリ語の使用
大陸部(インドシナ半島)の文字,つまりミャンマー文字,タイ文字,ラオ文字,クメール文字は,みなアブギダ系のブラーフミー文字に由来している。インド化ともいえるかもしれないが,パーリ語経典の受け入れの過程で,これらの文字が形成されたとすれば,むしろパーリ化というべきだろう。
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