自分で考える
出張のお供にルドルフ・シュタイナー著・高橋巖訳『ニーチェ みずからの時代と闘う者』なんぞを持ち歩いて,少しずつ読んでいるところである。
この本はシュタイナーが34歳の時に上梓した本で,シュタイナーによるニーチェ思想の解説本である。
ニーチェはショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』を読んで,「これは俺のために書いた本じゃないのか」と感動したそうである(※)が,シュタイナーはニーチェの著作を読んで,同じことを思った。
ニーチェがショーペンハウアーについて書いた文章をもじって,シュタイナーはこう書いている:
「ニーチェの書いた本の最初の一頁を読んだだけで,すべての頁を読み通すであろう,彼の語ったどんな言葉にも耳を傾けるであろう,と確信するであろうような,私はそういうニーチェの読者の一人なのである。」(『ニーチェ みずからの時代と闘う者』(岩波文庫)19ページ)
そのぐらい,ニーチェの理解者であると自負するシュタイナーが,ニーチェの観念生活・感情生活を表現したいと思って書いたのがこの本である。
(※)『意志と表象としての世界』は大部で難解だったため,はじめ2冊しか売れなかったというが,その2冊を買ったのはきっとニーチェとワーグナーだったのだろうと勝手に想像している(史実じゃないから信じないように)。
この本には随所に「同調圧力に負けないで,自分自身を拠り所にしろ」というようなことが書かれている。
あと,「判断とか思考とかの価値は,論理的な正しさではなく,それらが人生を充実させるかどうかにある」というようなことも書いてある。なかなか良い本だ。
「自分自身を拠り所にしろ」というのは,ニーチェの言葉(というかツァラトゥストラの言葉)では「君たち一人ひとりの内部でしか聞こえない声に耳を傾けなさい」という表現になる。
同じようなことは,原始仏教でも言われている。たとえば,他にも以前紹介したワールポラ・ラーフラ著・今枝由郎訳『ブッダが説いたこと』(参考)でも,「自分自身が,自分のよりどころである」(『ブッダが説いたこと』136頁)と述べられている。ちなみに,パーリ語原典では,
"Atta hi attano natho"(Dhammapada Verse, 160)
という。
大事なことは,むやみに信じるのではなく,自分で考えることだ。
それができるか,というと難しい。時代の趨勢と対決し思想的に孤独となることは避けられない。だが,孤独を恐れないものには,自分の人格の深層に潜む宝を掘り出す機会が与えられる。
ブッダ曰く「聡明な人は独立自由をめざして,犀の角のようにただ独り歩め」(中村元訳『ブッダのことば―スッタニパータ』)。
そして,ツァラトゥストラ(ニーチェ)曰く「私は自分を求めた。私はあなたがたに教える通りの人間だ。行って,あなたがた自身を求めなさい。そうすれば,超人になれる」。
ブッダからニーチェ・シュタイナーまで,同じ道が示されている。
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