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2018.07.06

三皇とは?

中国哲学書電子化計画」に収められた古典を拾い読みすることが日課となっているというのはすでに述べた。

後漢末期,応劭によって書かれた『風俗通義』の「皇覇」の章には「三皇五帝」の「三皇」について諸説がまとめられている。

三皇とは

  • 伏羲,女媧,神農である(『春秋運斗樞』説)
  • 伏羲,祝融,神農である(『禮號謚記』説)
  • 虙戲(=伏羲),燧人,神農である(『含文嘉』説)

このほか,『易経』では伏羲と神農だけが触れられており,燧人のことには触れていないという。

要するに,伏羲と神農は確定。あとの一人に女媧が入るか,祝融が入るか,燧人が入るか,ということである。


◆   ◆   ◆


伏羲(Fu Xi)について

さて,伏羲は『易経』の著者とされ,同書「繋辞伝下」にはその業績が次のように記されている:

いにしえの世は伏羲(包犧)の天下であった。伏羲は天文地理,鳥獣の様相を観察し,その成果をもとに八卦を作り,これを用いて神明の徳を理解し,万物の本質を見極めた。

また,縄を結んで網をり,狩りや漁をした。これらはまさしく「離卦」を参考にしたのだろう。

古者包犧氏之王天下也,仰則觀象於天,俯則觀法於地,觀鳥獸之文,與地之宜,近取諸身,遠取諸物,於是始作八卦,以通神明之德,以類萬物之情。

作結繩而為罔罟,以佃以漁,蓋取諸離。

八卦を作ったということはさておき,伏羲は人々に狩猟を教えた文化英雄なのである。


神農(Shen Nong)について

易経』によれば,神農は伏羲没後の指導者である。「繋辞伝下」にはその業績が次のように記されている:

伏羲の没後,神農が頭角を現した。木を切ったり曲げたりして農具を作り,天下に広めた。これらはまさしく「益卦」を参考にしたのだろう。

日中に市場を開いて天下の人々や品物を集め,交易させて帰らせた。品物が人々に適切に配分された。これはまさしく「噬嗑」の卦を参考にしたのだろう。

包犧氏沒,神農氏作,斬木為耜,揉木為耒,耒耨之利,以教天下,蓋取諸益。

日中為市,致天下之民,聚天下之貨,交易而退,各得其所,蓋取諸噬嗑。

つまり,神農は人々に農耕を教えた文化英雄ということになる。

神農は農耕を教えたほかに,薬草・毒物の分類を行った偉人としても知られている。そのあたりは例えば,『淮南子』「脩務訓」に記されている:

ここにおいて神農は民に,五穀の種の撒き方,農地の適否,乾漆肥痩高低などを教え,また多種の植物の滋味,水源の良し悪しを味わい,民に利用すべきか忌避すべきかを理解させた。まさにこの時,神農は毎日70回もの中毒に遭ったという。

於是神農乃始教民播種五穀,相土地宜,燥濕肥墝高下,嘗百草之滋味,水泉之甘苦,令民知所辟就。當此之時,一日而遇七十毒。

神農はいつもいつも中毒になっていたため,寿命が短くなったという。


◆   ◆   ◆


女媧(Nu:wa)について

女媧は伏羲の妹と言われている。例えば,北宋の字書(韻書)『廣韻』「上平聲・佳」の章には

女媧:女媧伏羲之妹

と記されている。

その業績だが,

  1. 土を捏ねて人類を作った。
  2. 笙のリード(簧)を作った。
  3. 天地が傾いたとき,それを修復した。

という。三番目の天地修復に関しては『列子』や『淮南子』に記されている。二番目の笙のリード作成に関しては『礼記』「明堂位」や『説文解字』巻六に記述がみられる。

ただし,一番目の人類創成については小生はまだ出典資料を見つけていない。

なお,唐代に書かれた『三皇本紀』によれば,女媧,そして上述の伏羲は頭が人間で体が蛇という姿だったという。伏羲と女媧は夫婦だったともいい,人類はこの二匹の蛇神様によって作られたようでもある。


燧人(Suiren)について

燧人の燧は火打石である。その名の通り,人々に火の起こし方,火を使った調理法を教えた文化英雄である。いわば,プロメテウス。

『韓非子』「五蠹」にはこのように書かれている:

人々は果実や貝類を生のまま食べていたが,生臭く,腹痛を起こすなど,病気が多発していた。そのとき聖人が現れ,火打石で火を得て調理する方法を民に教えた。人々はこの人物に天下の統治をまかせ,燧人氏と呼んだ。

民食果蓏蚌蛤,腥臊惡臭而傷害腹胃,民多疾病,有聖人作,鑽燧取火以化腥臊,而民説之,使王天下,號之曰燧人氏

狩猟を教えた伏羲,農耕を教えた神農と並べるのであれば,火の使い方を教えた燧人が相応しいような気がする。

ちなみに,『韓非子』「五蠹」には,人々に住居を作ることを教えた「有巣氏」という人物が登場する。この人物も三皇レベルの偉人なのだが,三皇に数えられたことはない。


祝融(Zhurong)について

祝融の業績について述べた資料はあまり見つからない。後漢の班固が書いた『白虎通徳論』巻一によれば,

祝とは属の意,融とは続の意。三皇の道を継承(属続)して,よくこれを行ったので,祝融と呼ぶ

祝者,属也。融者,續也。言能屬續三皇之道而行之,故謂祝融也

とあるが,伏羲・神農の行いをトレースしたというだけでは何者なのかよくわからない。

『管子』「五行」によれば,南方を司る神だという。また,『春秋左氏伝』昭公29年秋,魏献子と蔡墨の会話中に,祝融とは火を司る長官で,五帝の一人・顓頊が息子の犂(れい)を祝融に任じたという話が出ている。

まとめると,南と火を司る神を祝融と呼び,後の五帝の時代にその名の官職ができた,という感じだろうか?

ちなみに先に触れた唐代に書かれた『三皇本紀』によれば,共工という者が天下の覇権を狙って祝融と戦って敗れ,不周山にぶつかってこれを破壊し,天地が崩れかけたという。それを修復したのは先に触れた女媧である。


◆   ◆   ◆


以上,三皇についていろいろと書いた。

文化英雄としての伏羲・燧人・神農はまあいいとして,人類創成・天地修復に従事した人頭蛇身の女媧や南方と火炎の神様,祝融などは,もう完全に神話の世界である。

司馬遷が三皇の時代をカットし,史記の最初にもっと人間らしい帝王たち・五帝の物語を置いたのは,合理的な判断だと言えるだろう。

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