日本の述語性と双対性:田中優子・松岡正剛『日本問答』を読む
本棚に放置されていた本を次々に読んでいる。放置していたのは老生なのだが。
今読んでいるのは,昨年暮れに上梓された田中優子・松岡正剛『日本問答』(岩波新書,2017年11月)である。
日本の歴史や文化については練達の士とも言うべき二人の対談なので,話している内容がかなりのハイコンテクスト。面白くはあるが,読み手はこれまでに蓄積した知識を総動員して読まなくてはならない。
知識の森を彷徨っていると見落としがちなのが,問答の中核というか主題である。かろうじて掴んだ主題の一つが「日本の述語性と双対性(デュアリティ)」である。
二人が指摘するのは,述語性や双対性が日本の特色ということである。
双対性とは何か。日本の歴史で言えば,天皇と将軍の二重統治性や公家と武家の併存性である。
ただし,これらはダブルスタンダードではなく,デュアルスタンダードなのだと松岡正剛は主張する。
今述べた天皇と将軍に加え,真名(漢字)と仮名,和風と漢風,雅びと鄙び,「あはれ」と「あっぱれ」,数寄と遁世,ケガレとキヨメ,禅と浄土,洋服と和服,ホテルと旅館,等々,双対的に行ったり来たりできることが重要なのだそうだ。
松岡正剛「功利的に受容装置としてのダブルスタンダードではなく,日本人がいきいきと愉快に生きているためのデュアル(二重)で,リバース(表・裏)な関係です」(29ページ)
そしてのこの双対性を理解するためには,主語的ではなく「述語的に日本を見」ることが必要だとも言う。
松岡正剛「ぼくの編集工学や編集的世界観はたくさんの主語を分類的に見るのではなく,それらが依拠する場所を想定して,そこに進行しつつある述語的なものをつなげて主語に返すということから生まれてきたものです」(27~28ページ)
「主語的」ではなく「述語的」だというのは,素材の豊富さよりも処理の多様性,つまり方法優位ということでもある。それを松岡正剛は「日本という方法」と名付けた。
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